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2011-10-19up
時々お散歩日記(鈴木耕)
66「学校再開」よりも「学校疎開」を
こんなことが許されていいと思うか? 朝日新聞(10月17日夕刊)の記事だ。僕はモーレツに腹が立つ。
南相馬 母校復活 小中5校東京電力福島第一原発の事故に伴い閉鎖されていた福島県南相馬市の小中学校のうち5校が17日、元の校舎で再開した。9月末に緊急避難準備区域が解除され、除染が済んだためで、震災以来約7ヵ月ぶりに子どもたちが戻った。(略)
このうち大甕(おおみか)小は原発から約21キロと最も近い。放射線の影響を考え、学校側が車での送迎を保護者に頼んでおり、多くの児童が車で登校した。(略)
同校の現在の在籍児童数は75人。本来は年度当初に204人いるはずだったが、避難が相次ぎ、4月19日には56人に減っていた。
同記事は、明るく笑う児童たちの写真を大きく掲げ、「ようやく戻れる日がやってきてうれしい。勉強に、スポーツに頑張っていきたい」という児童代表の言葉を載せて、まるで全く問題のない「学校再開」であるかのような書き方だ。だが、本当にそうか? 僕は、この記事は"犯罪的"だと思う。しかし、朝日の記事だけではない。他の新聞やテレビニュースも同じようなものだ。 毎日新聞(17日夕刊)には、次のような記述もある。
(略)校庭(地上50センチ)の放射線量は14日現在、8月初めの毎時0.36マイクロシーベルトから除染で同0.11マイクロシーベルトに低下。体育はマスク、長袖、長ズボンを着用する。(略)
南相馬市には12の小中学校があるけれど、再開された5校に戻ってきた生徒は1校あたり、本来の生徒数の30~40%に過ぎない。その生徒たちも親の車による送迎。しかも、登下校の際には必ず「マスク着用」であり、屋外での活動は1日2時間に制限されているという。
そして毎日新聞の記事に見るように、異様な服装での体育の授業。マスクをしたままで走る子どもたち。それはまさに、シュールなSF映画でさえ描けなかった異世界…。
そんな状況下での学校再開が、本当に明るく嬉しいニュースといえるのか? 記者たちは、疑問を持たなかったのか?
なんとか町を、ふるさとを再生させたいという意欲は分かる。そのためには、子どもたちの明るい笑い声が必要だと考えることも理解はできる。だがそれは、実際に行ってもいいことなのか?
僕は「緊急時避難準備区域」の指定解除が、そもそもおかしいと思う。この記事でも「除染が済んだため」と書いているが、いったいどの程度まで、どのくらいの範囲まで「除染が済んだ」のか?
このコラムでもツイッターでも、僕は繰り返し書いたのだが、子どもたちは自宅と学校の間を通学するだけの生活でいいのか。「除染が済んだ」のは通学路と学校の校庭など、子どもたちの生活圏のほんのわずかに過ぎないではないか。それだって、校庭で0.11マイクロシーベルト。まだかなり高い値だ。安全だという確証などない。
暗くなるまでサッカーボールを追いかけ、野原を駆け回り、森で昆虫採集をし、小川で魚釣りに興じ、海水浴の日を待ちわびる子どもたちの楽しみは、すべて奪い去られたままではないか。森や小川や野原や海の除染はどうか。まるで手付かずの状態。専門家たちも「そんな広大な地域の除染など不可能」と言っているのだ。
制限された生活がいつまで続くかわからない環境の中に子どもたちを放り込んで、大人たちはなぜ平気でいられるのか。僕にはそんな大人たちの神経が理解できない。
だからこそ、子どもたちの笑顔の写真と「勉強にスポーツに頑張っていきたい」という子どもの声を掲げる新聞記事に、大きな違和感と怒りを覚えるのだ。
言葉はきついけれど、この子どもたちは「人体実験」をされているのだ、と思う。
福島県の36万人に及ぶ高校生以下の子どもたちは、これから一生涯、甲状腺検査を受け続けるのだという。だが、その結果、もし異常が見つかった場合の手当てや措置については、いまだに行政や政府から何の発表もない。検査するだけなら"データ集積のための措置"と言われても仕方ないだろう。
かつて、日本に落とされた2発の原爆の後遺症などを調査するためにアメリカが設けたABCC(Atomic Bomb Casualty Commission 原爆障害調査委員会)という組織があった。
これは原爆投下の1年後、1946年に設立されたが、1948年には日本の厚生省国立予防衛生研究所(予研)が正式に参加した。さらに1975年には、このABCCと予研を再編し、日米共同の財団法人「放射線影響研究所(放影研)」が設立された。
では、このABCCはどんな研究をしていたのか。
ABCCは、データ集積を主たる任務とする研究所だった。早くから放射線障害のデータを収集・分析して来るべき核戦争に備える研究をしていたのだ。分析研究はしたけれど、治療は一切行わなかった。
つまり、原爆後遺症に苦しむ人たちを集め、放射線が人体にどんな影響を与えるかを研究するためのデータを採集するのが仕事であり、治療などは眼中になかった。苦悶する原爆症の人たちから集められたデータはアメリカ本国に送られ、想定される核戦争(対ソ連)の勝利のために利用しようとしたのである。
この流れを継いだのが、前述の放影研であった。
福島県で子どもたちの甲状腺検査にあたる責任者のひとりが山下俊一福島県立医大副学長(長崎大学教授を休職中)だ。そして、この山下氏が放影研の流れを汲む学者なのだ。すなわち、放影研理事長であった重松逸造氏の弟子が長瀧重信氏(同理事長)であり、さらにその長瀧氏の教え子が山下俊一氏だ。
ABCCの後身の放影研の影響下の学者であれば、人体に及ぼす放射線の影響の研究分析に躍起となるのは理解できる。山下氏が長崎大学教授を休職して福島県立医大の副学長になり、子どもたちの甲状腺調査の責任者になりたがったのには、こんな裏の流れがあったのだ。福島県の子どもたちの甲状腺調査が「人体実験」ではないか、という疑いを捨てきれない理由である。
もしそれが考えすぎ、疑心暗鬼だとするのなら、山下氏の一連の発言をどう理解すればいいのか。
「100ミリシーベルトまでは大丈夫なんですよ」と言い続けて"ミスター100ミリシーベルト"という称号を福島の住民たちから受け、「ニコニコしている人は放射線の影響を受けない。クヨクヨしている人が影響を受ける」などと支離滅裂なことを放言した意味がよく分からない。
もし「人体実験」的な要素があるとするなら、学校を再開して子どもたちを危険な汚染地域に縛り付けておけば、そこで得られるデータは、そういうことを研究する学者にとってはとても貴重なものになるだろう。緊急時避難準備区域の指定解除の裏側になにがあったか。
東京新聞(10月17日)は「こちら特報部」で、「学校疎開裁判」についての記事を掲載している。これは重要な指摘だ。
(注・「学校疎開」とは、個人的に避難するのではなく、行政が学校単位で子どもたちを「集団疎開」させるべきだ、とする意見のことを指す)
学校疎開裁判は今、どうなっているのか。(略)事故から五月二十五日の被ばく線量データを基にした積算値は、郡山市内の小中七校で三・八〇~六・六七ミリシーベルトを記録。国際放射線防護委員会(ICRP)が定める一般公衆の被ばく限度1ミリシーベルトを大幅に超すとして、六月二十四日、児童・生徒十四人と保護者十六人が(学校疎開を)申し立てた。
(略)弁護団は八月末までの被ばく積算値が七・八~一七・一六ミリシーベルトに達する教育環境だと主張。線量が高いセシウム以外に、より危険なストロンチウムなどの検出も相次いでいる。
対する市は今月九日、反論の書面を提出した。チェルノブイリ事故との比較について「詳しくは分からない」と言及。その上で「子どもには転校や他市町村での区域外就学の自由がある」「放射線による人格権の侵害主体(加害者)は東京電力。市は学校外での生活まで含めた線量を管理する立場になく、保護者が市に保全を求める権利はない」と主張する。
この危険だと思えば引っ越せばよいという「転校の自由」論。教育を受けることが子どもの最大の日課である現実から、義務教育を行う当事者が逃れ、引越しできない事情の子どもたちを縛るものとなりかねない。(略)
つまり、こういうことだ。
さまざまな事情により、放射線量の危険なレベルにある地域にとどまらざるを得ない子どもたちを、「行政として学校ごと疎開させるべきだ」という弁護側の主張に対し、「子どもは転校の自由があるから、危険だと思うなら自己責任で転校せよ」というのが市側の主張である。
僕はかねてから「原発疎開」を主張してきた。正直に言って、市という行政単位では、財政的な側面からもかなり難しいのかもしれない。だからこそ、国が基本計画を定め、それを地方行政組織が実行する、という枠組を早急に作らなければならないと思うのだ。
だが菅内閣も、ましてや野田内閣など、まるで子どもたちのことなど考えていないみたいだ。
沖縄に「ガン治療特区」を創設せよ
「震災からの復興」を、呪文のように繰り返す野田内閣。しかしやることといえば、子どもたちの「甲状腺検査」くらいのもの。それも「検査」のみ。検査後の対策はどうなっているのか。もし、数年後に大量の甲状腺異常やガンの子どもたち(いや、大人だって)が見つかったら、どういう措置をとるのか。何も具体的なことは聞こえてこない。
僕は昨年、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)という本を出版した。その中で、「沖縄に医療特別区を創ろう」と提案した。いまこそ、それを実現するべき時ではないか。
どのくらい先かは分からないが、そう遠くない未来、日本に多くの「ガン患者」が発生することは、残念ながら間違いないだろう。その時になって慌てても仕方ない。今からその対策を立てるべきなのだ。
沖縄を「医療特区」に、特に「ガン対策医療機関」の特別区にしたらどうか。それを創るために、アメリカに基地返還交渉を新たに呼びかけるべきだ。「人道的見地」からアメリカに譲歩を迫れば、「人権大好き国家アメリカ」が無下に断るはずもないだろう(甘いか…)。
むろん、ガン治療先進医療機関なのだから、アメリカの要人だって受け入れる。そう言って交渉すればいいではないか。
こういう緊急事態にあってもなお、「日米合意尊重」を振りかざして、普天間飛行場の辺野古移転のための環境影響評価書(アセスメント)を沖縄県に突きつけようとしているのが野田佳彦首相である。
彼にそれを望むのは、まったく無理なことだと分かってはいるけれど、少なくとも、人間としての最低限の礼節やたしなみというものが野田氏にあるのなら、沖縄県民の地上戦での犠牲と、長期に及ぶ米軍基地被害への謝罪とお詫びとして、その努力をするくらいの気持ちがあってもおかしくはないはずだ。
そして、「ガン治療の最高度の医療機関」を創ることが、原発事故という人災を引き起こした東電と日本政府の最低限の義務であろう。
僕のこんな考えが、バカバカしい夢物語だ、と笑われるのは承知の上だ。しかし、その程度の大風呂敷を広げられる政治家が、どうしてこの国には現れないのだろうか…。
*
鈴木耕さんプロフィール
すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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