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短期集中連載「沖縄」に訊く―米軍普天間基地問題をめぐって―【2】鈴木耕(編集者)

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【第2回】

 那覇で、絶対にお会いしたい方がいた。普天間基地返還問題の基を作った大田昌秀元沖縄県知事である。大田さんがいなければ、今日の返還への大きなうねりもなかっただろう。84歳になった今も、記憶と論理は極めて明晰である。主宰する大田平和総合研究所で話を伺った。

明らかな沖縄差別に終止符を

元沖縄県知事・大田昌秀さん

 たまたま僕が知事になったとき、「象のオリ」という問題があった。これは読谷村の米軍通信施設で、そこの地主は知花昌一くんといって、いわゆる反戦地主で、米軍に土地を提供することを拒んだんです。それまでは、軍用地を地主が提供拒否しても、自治体首長と知事が地主の代理で許可すれば、強制的に使用できた。ところがそのときは、知花くんが拒否、読谷村長も拒否。そこで日本政府は困って、僕に「代理署名」をするように要請してきた。しかし米軍基地被害の実態を知っていた僕は、これを拒否したんです。そうすると、米軍がその土地を使用する法的根拠を失う。財産権の侵害になりますからね。

 「駐留軍用地特別措置法」というのがそれを定めた法律なんですが、日本政府は突然それを改めて、知事がノーと言っても、担当大臣と首相がイエスと言えばその土地を使えるように、法律を改悪したんです。つまり、地方自治の原則なんか踏みにじって、憲法で保障されている知事の権限を取り上げてしまった。

 こういうことがあったところへ、あの1995年の米兵の少女暴行事件が起こったわけです。これが沖縄県民の怒りに火をつけた。どうにかそれを鎮めなければいけないということで、当時の橋本龍太郎総理が米側と交渉して、世界一危険と言われていた普天間基地返還に漕ぎ着けた。しかし、その「返還」には、代替基地という妙な“おまけ”がついていたんです。それが名護市辺野古の新しい米軍基地案だったんです。

 沖縄には、実に在日米軍専用施設の75%が集中しています。日本の国土面積の0.6%ほどの小さな県に、ですよ。しかし考えてみると、これらはすべて日米両政府によって強制的に造られた基地です。沖縄県民自身が賛成して受け入れた基地はひとつもない。そこを間違えてはいけないんです。今回、辺野古でも勝連半島の沖合でも、もし沖縄県が受け入れて基地ができるなら、それは沖縄史上初めての屈辱だと僕は思っているわけです。

 県民がこれまで闘って闘って、なんとか新しい基地の建設を拒否してきた。もし新基地を受け入れたら、これまでの闘いを沖縄県民自らが否定してしまうことになる。そうなればもう、沖縄の言うことになんか誰も耳を傾けませんよ。今回の普天間問題は、それを突きつけられている沖縄自身の問題だと、僕は思っているんです。

 沖縄には、もともと歴史的に「武器を持たない。争いごとは暴力で解決しない」という平和思想があった。15世紀から16世紀前半にかけて、琉球王朝の王位にあった尚真王の施政のころからの伝統です。それ以来、沖縄は武器のない、戦争を知らない「守礼の邦」として知られてきたんです。

 空手は、武器を持たない沖縄で、身を守るために発達した武術です。しかし「空手に先手なし」という言葉があります。あくまで身を守るための術であって、自ら先に手を出して相手を倒してはいけないということです。それくらい、沖縄の平和主義は徹底していたんです。

 そんな沖縄に、これ以上の軍事基地を押し付けようとする。軍事基地は戦争に直結する。沖縄の平和主義とは絶対に相容れない。それを無視して、日本政府はなおも県内に新基地を建設しようとしています。こんなことが許されていいわけはないのです。

 日米安保は日本の国益のために絶対に必要だ、と大声で言い立てる人たちがいます。それなら、沖縄以外の都道府県もその責任を分担すべきでしょう。ところがみんな、自分のところには持って来たがらない。市民が反対だから無理だ、というわけです。しかし、沖縄はもう60年以上も反対し続けてきたんですよ。沖縄の住民の悲痛な声は無視しておきながら、自分のところの住民の声を盾にして、国益のために沖縄は我慢しろと言う。これは明らかな沖縄差別ですよ。平和憲法、民主憲法を謳いながら、誰が見ても明らかな差別を繰り返している。僕は、とうていこれを容認できないんです。

<参考文献>
『沖縄 基地なき島への道標』(集英社新書)
『徹底討論 沖縄の未来』(大田昌秀、佐藤優共著、芙蓉書房出版)

 大田さんの怒りは強い。国益を言い立てて沖縄にのみ負担を押し付けようとする日本人(本土人)への怒り。その言葉を前にして、それでもなお国益を語れる者がいるだろうか。

 ふたりのジャーナリストに話を聞いた。沖縄でジャーナリズムの仕事をするということは、どういうことなのか。本土の報道との落差に悩む姿が印象的だった。

バランスの取れた報道とは何かを
考え続けています

琉球朝日放送報道部、「ステーションQ」キャスター、
ディレクター・三上智恵さん

 琉球朝日放送(QAB)は95年秋、あの米兵による少女暴行事件が起きた年に開局しました。大田昌秀知事が日本政府に刃向かうという状況の中での開局でしたから、それはもう凄まじいほどの熱気でした。

 しかし、そういう「沖縄基地ブーム」は長続きしませんでした。あの大抗議集会の後、「普天間の返還」という名の県内移設で問題は終息した形にされ、東京のキー局では、沖縄の基地をめぐる報道がまるで潮が退くように激減してしまったんです。沖縄でも、98年に大田知事から保守の稲嶺(恵一)知事に代わり、名護市でも基地容認派の岸本(建男)市長が当選、次第に基地を受け入れるようなムードになっていきました。 

 それでも、基地をこれ以上造らせないというのは大多数の沖縄県民の強い思いです。それは間違いありません。そして私たちQABも、そういう姿勢で報道を続けてきたんです。

 でも、沖縄のメディアは変わっていきました。沖縄には4つのテレビ局があるんですが、サミット万歳みたいな番組が、県や国からのお金でどんどん作られた。そうすると、必然的に基地問題の扱いは小さくなりました。

沖縄サミット
2000年の第26回主要国首脳会議、名護市の万国津梁館で開催。

 そんな状況の中で、私は『海にすわる』『狙われた海』という、2本のドキュメンタリーを作りました。これ以上、新しい基地は造らせないと沖縄は主張してきたはずなのに、なぜ普天間基地を辺野古へ移設するという話になったのか。なぜそこに追い込まれていくのかを追及したんです。

左)『海にすわる~辺野古600日の闘い~』
2006年3月放送
辺野古の浜辺や海上で、基地建設に反対し座り込みを続ける人びとを追う。第43回ギャラクシー賞テレビ部門選奨を受賞。

右)『狙われた海~沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年~』
2009年10月放送
基地建設に揺れる大浦湾の、50年前と現在の漁師たちを対比させ、日米の安保の犠牲になる地域に必死に生きる人びとの心情を描き出す。
写真提供/琉球朝日放送

 うちには優秀な記者たちがいて、すでに1960年代に、辺野古のある大浦湾を埋め立てて新基地を建設するというアメリカ側の案があったということを突き止めたんです。辺野古というのは普天間の代替案として新しく出てきたわけじゃなく、かつてあったアメリカ案の復活だったんです。それをクローズアップしたのが『狙われた海』です。

 『海にすわる』は、辺野古での反対運動を追ったものです。権力に対し身をもって抵抗する人たち。これは、テレビ朝日系列の「テレメンタリー」という枠で全国放送されましたが、そのときのプロデューサーから「こんな偏ったものはドキュメンタリーじゃない。バランスが取れていない」と、激しく批判されました。寄せられた視聴者からの反応は圧倒的に「よくやってくれた」というものでしたけど。

 私もすごく迷っています。バランスの取れた表現とは何か? 偏向しているように見える番組に訴求力はないですから、取れているように見せる技術は必要でしょうけど、内容そのものをバランス重視で作ることが果たして正しいのか。やはり私にはそうは思えないんです。

 実際に現場で取材していると、ふたつの引き裂かれた感情が錯綜していることがよく分かります。沖縄に「むぬくゆぅしどぅ、わーうしゅ(物を呉れる人が私の主人)」という言い回しがあります。ずっと基地が置かれてきた町ではそういう人が確かにいます。その現状を指して「沖縄は、基地が嫌だと言いながら、結局はお金じゃないか」とも言われる。確かに辺野古の漁師さんたちは、防衛局の基地建設の調査に船を貸すことでお金を得ているから、表立って反対とはもう立ち上がれない。

 でも、基地に賛成にまわった人たちが、辺野古で座り込みをしてる人たちの敵なのかといったら、それは違う。「いくら反対しても基地が来てしまうなら、仕方がないから実を取ろう」とあきらめただけで、自分たちから進んで基地を持って来ようとしたわけではないんです。じゃあ、誰が押し付けようとしているのか?

 安全保障の問題なんか考えたこともない、責任を取る必要があるとも思っていない、基地を押し付けられて喘いでいる沖縄の現状を見ようともせずに、無意識でも「国益のために我慢する人がいるのは仕方ない」とどこかで思っている大多数の日本国民が、辺野古の海辺に座り込んでいる人たちの対極にいるんです。

 もうひとり、同じ琉球朝日放送の謝花尚さんも「沖縄でジャーナリストはどうあるべきか」を熱く語る。最近もある酒場で「ジャーナリズムをめぐって、たまたまそばにいた見知らぬ客と大喧嘩してしまいました」と笑う。本土ではもはやお目にかかることのなくなった熱い議論。

基地撤退への道を作りたい

琉球朝日放送報道部、「ステーションQ」
キャスター・謝花尚さん

 昨年、政権交代がありました。普天間返還について民主党の鳩山代表(当時)は選挙期間中、沖縄で「辺野古には基地は造らない。海外か最低でも県外に移設する」と言っていました。その結果、沖縄では基地の県内移設に反対する候補者が全選挙区で勝利し、そして鳩山内閣が誕生したわけです。

 全国紙やテレビのネット局は、すぐにアメリカ側の反応を報道しました。それが「アメリカは怒っている」という一色になってしまった。

 アメリカ側が怒るのは当然と言えます。アメリカは1960年代に辺野古への巨大軍事基地を計画していました。しかしベトナム戦争もあり、金がなかったため造ることが出来なかった。それを数十年経て日本側が造ってくれるということになった。しかし政権交代で出来なくなりそう。だから「約束は守ってくれ」と迫ってくると。本土マスコミがそこで取材したアメリカ側の人物は、自民党政権がこれまでカウンターパートとしてきた人たちがほとんどでしょう。彼らは自分たちの成果を否定するわけがない。「約束を守れ」と言うに決まっています。その結果、「アメリカは怒っている」、そしてなぜか「このままでは日米同盟が危ない」の大合唱報道になったわけです。

 この「日米同盟」という言葉だっておかしい。軍備を持たない日本は、憲法上そんな軍事同盟を結ぶことはできないはずです。しかし日米安保条約が憲法を上回っているという異常な実態がそこにあるわけです。

 僕らは沖縄にいるから、沖縄の視点で物事を捉えます。報道は公正中立に、というのは確かにその通りですが、それは量的に同じようにバランスを取るということとは違うと思うんです。

 沖縄と日本――本土という意味ですが――というスケールで考えれば、沖縄が5だとすれば日本は500じゃないですか。その中間をとって中立ということをしたら、必然的に大きいほうへ寄ってしまう。そこで公正中立なんてことが果たして成り立つのか。少なくとも、声を出し切れない弱い人の立場で報道しないと、バランスなんか取れないと思うんですよ。 強大な権力は、力まかせにさまざまな発信をします。強大だからいつの間にかそれが事実と受け取られてしまう。そこから零れ落ちる声を拾うのが、僕らの仕事だと思っているんです。基地問題もその視点を忘れちゃいけない。日本政府の県内移設案とか、米側の「現行辺野古案が最善」という報道に、沖縄県民の声は含まれていませんよ。

 時々腹が立つんですけどね、「県外移設は幻想だ」などという声が、沖縄でも聞こえてくるんです。「じゃあオレらは幻想を追って報道しているのか」って、喧嘩になるわけです(笑)。海兵隊が沖縄を守っているとは思わないし、海兵隊が沖縄にいる必要もない。海兵隊を沖縄に置いてきたのは日本政府です。その状況が自民党政権下で永きに渡って動かず、怒ることに疲れたというムードさえ沖縄に漂っていましたが、県民は鳩山総理の公約を信じ、「ようやく変わる」と期待しているのです。決して幻想を追っているのではありません。

 基地のまったくない沖縄を、と僕は今の時点で言うつもりはありません。ただ、日米安保が重要というのであれば、少なくともいまの沖縄への過重な基地負担は間違っている。その負担軽減の第一歩が「普天間返還」なんです。普天間基地は「移設」とか「移転」とかではない。あくまでも「返還」ですよ。海兵隊が本当に沖縄に必要なのかどうか、そこから議論されなくてはいけない。

 これからの僕らの仕事は、理詰めで取材して「海兵隊の抑止力」なるものの中身をきちんと検証することだと思っています。そうすることによって、海兵隊基地が沖縄から撤退する道筋を示していく。すべての米軍基地が沖縄からなくなることが理想ですが、まずその一歩を僕らが作るんだ、ということです。

 報道を現状変革につなげたいとする意志を、これほどはっきりと口にするジャーナリストに、私は会ったことがない。それが沖縄の特殊性なのか、それとも人間の資質によるものなのか。

 2週にわたって、沖縄で行政に携わり、その中で政治の本質を見つめ続ける方たち、さらには、沖縄でジャーナリズムはどのように可能なのかに悩む報道人に話を訊いてきた。どの方も、根底に深い怒りを抱いていた。その怒りがいま、噴出しようとしている。

 次回は、沖縄で暮らす無名の方たちのお話に移ろう。ようやく基地返還を小声ではなく、自らの声で語り始めた方たちだ。

 そして4月25日、沖縄県読谷村運動広場で、「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外県外を求める県民大会」が開催される。10万人を超える参加者が見込まれているという。

 私も「マガジン9条」のスタッフとともに参加する。
 その模様は、来週、お伝えしたいと思っている。

【お知らせ】
三上さんと謝花さんが所属する琉球朝日放送・報道部のウェブサイトはコチラ。
今年1月から、1945年の“今日”を追う「オキナワ1945 島は戦場だった」を毎日放送中。

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