■鈴木 力 |
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「岸上大作全集」
(岸上大作 著/思潮社)
1960年12月5日未明、睡眠薬150錠を服み、さらにロープで縊死。まだ21歳の若さであった。
彼は、高校時代から短歌を作り始め、國學院大學に進学してからは「國學院短歌研究会」に属して精力的に作歌活動をする傍ら、時代に真摯に向き合い、60年安保闘争にも積極的に参加した。
その彼が遺した短歌や、思索の跡のノート、部誌やその他の雑誌に発表した文章などを集めて、その死後に上梓されたのがこの本である。
青春の苦悩、と呼ぶにはあまりに痛々しい血を吹くような歌の数々、そして追い詰めて死に至るその過程が、今も生々しく読むものに迫ってくる。
全集の冒頭に収められた歌。寺山修司を思い起こす。
意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
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「エチカ・一九六九年以降」
(福島泰樹 著/構造社)
いまや「叫ぶ歌人」として名高い福島泰樹のかなり古い本。
1943年生まれで、彼もまた70年安保へ向けた騒乱の日々を走り抜けた歌人である。この本は限定本として刊行されたので、ほとんど市場には出回っていないと思われるが、福島の中でも畢生の名著だと思う。
闘いの中で詠まれた歌が多いけれど、言葉遊びも自在に駆使し、苦いユーモアがその持ち味にもなっている。
例えば、この歌。
鬱鬱と飲んだくれて胃肝臓 誰に捧げん徳利ひとつ
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「無援の抒情」
(道浦母都子 著/岩波書店・同時代ライブラリー)
これもまた闘争から生まれた歌集である。道浦は、ベストセラーになった『サラダ記念日』の俵万智などとともに女性歌人の先頭に立つ存在。
道浦のこの歌集のタイトルとなった「無援」は、多分、高橋和巳の評論集『孤立無援の思想』(岩波書店)などの影響を受けたものだろう。いわゆる全共闘世代を代表する歌人でもある。
無援でも闘わなければ、という気分が時代を覆っていたころの、痛苦に満ちた歌の数々が、今も読むものの神経を引きちぎるようだ。
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る |
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■芳地隆之 |
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「里」という思想
(内山節 著/新潮選書)
労働という視点から「人間の幸せ」について考察を続けてきた著者が、9・11以降のグローバリズムの暴走に対して、「里」=ローカルに生きることの大切さを説いたのが本書。里といっても田舎で生活するという意味ではありません。「・・・・・・共同体、伝統、風土といったものは、本来的に国家主義と相いれないも のとしてあるのに、この両者が結びつくかのごとく虚構の上に国家が形成されているという悲劇である。この悲劇があるが故に、私たちは歴史や社会を率直にとらえることができない」まるで「美しい国」批判のように読めますが、数年前に書かれた文章です。家族や地域の人々、あるいは身近な自然との付き合い方を考え直してみましょう。ローカルを意識することで、いままでとは違う世界が見えてきます。 |
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「グラミン銀行を知っていますか
―貧困女性の開発と自立支援」
(坪井ひろみ 著/東洋経済新報社)
貧困や戦争の撲滅を世界中で訴え続けるU2のボーカル、ボノはノーベル平和賞の有力候補の一人ですが、今年は彼を抑えて、無担保低額融資(マイクロクレジット)でバングラデッシュの女性の自立をサポートしてきたグラミン銀行とその創設者・総裁のムハマド・ユヌス氏が受賞しました。グラミン銀行のすごいところは、貧しい人々を「施し」の対象ではなく、「顧客」とみなしていること。そして、顧客に様々なアドバイスを与えて優良な借り手とし、返済率を95%以上にしたこと。同行は十分な利益も上げているのです。グラミン銀行に賞を授与したノーベル平和賞審査委員の見識にも拍手。 |
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■y・k |
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「運命論者ジャックとその主人」
(ドニ・ディドロ 著(王寺賢太・田口卓臣翻訳)/白水社)
著者ドニ・ディドロは、フランス革命を準備したとされる、かの『百科全書』の編集長を四半世紀つとめ、完成させた。ロシアの女帝エカテリーナ2世との交流でも有名。そんな八面六臂の活躍をしたディドロの極めつけの小説が、本書である。ジャックを中心に “恋”のお話が全編で描かれるのだが、登場人物たちが繰り広げるナンセンス ・ストーリー。そのドタバタは物語の細部にいたるまで徹底している。帯に書かれた「よくもまあ、こんな小説を書いたもんだわい!」というコピーがそれを現している。が、なぜ「マガ9」でメタフィクションの恋愛小説を?
ここではこの小説を、人を律する「法」との関係を頭の隅に置きながら読んでみることをオススメする。というのも、運命論者ジャックによれば、語られる「偶然の出来事」としての数々のエピソードは、「この地上に起こることのすべては、天上にそう書かれている」のだから。すると、逸脱しまくる物語の快活な支離滅裂さが、人間にとって根本的なあるなにものかを書き留めようとするために選択された「手法」であったことがわかってくる。訳者曰く、「その運命が示すのは、出来事の連鎖の必然や偶然よりもむしろ、この地上にあるすべてのものが持つ限界と、その限界を超えたなにものかの存在にほかならない」。18世紀の啓蒙の時代を代表する哲学者、ドニ・ディドロの最晩年の傑作を読んで思うのは、「18紀ってすでに21世紀を超えている。ラディカルだなあ」。 |
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■水島さつき |
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「十六の話」
(司馬遼太郎 著/中公文庫)
この本には、司馬遼太郎の16篇のエッセイが収められているが、私は次の1篇が読みたく、この本を購入した。それは、「二十一世紀に生きる君たちへ」。司馬がある出版社から小学校の教科書用にと依頼され執筆したこの文章は、推敲に推敲を重ね、長編の歴史小説を1冊書くのと同等の時間と力を注ぎ書いたという。一つひとつが、やさしく、きびしく、きっぱりと語りかけてくれている。ほんの一部だけ紹介しておくと・・・。
(前略)「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」これらは、本能ではないので、私たちは訓練をしてそれを身につけなければならないのである。(中略)この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさて、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲良しでくらせる時代になるのにちがいない。(後略)
こどもたちと一緒に、是非読んでおきたい1篇です。
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「戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る」
(斉藤美奈子 著/岩波アクティブ新書)
戦時中、戦後の話を聞くと、生き残った人が直面した苦難が「飢餓」。とにかく食べるものがなくて大変だったということだ。この本は、戦前から太平洋戦争後まで、当時の人気婦人雑誌のページより抜粋された、食べ物に関する記事から、いろいろなことが読み取れる。まさに「銃後」を女性たちが担っていたことがよくわかる。「節米時代の健康レシピ」や、「馬鈴薯のハッシュ」、「イタリー風のうどん料理」など、日中戦争が泥沼化していく、昭和15年年から16年当時のレシピは、いまでも「作ってみようかな」と思わせる、工夫がもりだくさんで、「女たちのたくましさ」を感じさせるが、昭和18年にもなると、国会議事堂のまわりが、一面芋畑だったという嘘みたいな話も、実際の写真がばっちり載っているので、「へえ」という感じである。
「そんなひもじいおもいはもうしたくないよね」「いまが豊かで良かったね」ではなく、「こんな生活が来る日も来る日も続くのは絶対に嫌だ! そうならないためには政治や国家とどう向き合うかを 私たちは考えるべきなのです」と斉藤美奈子さんも、あとがきできっぱりと書いています。
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「悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環」
(内橋克人 著/文藝春秋)
実はまだ読んでいません。まさにこの冬休みに読もうと思っている本です。なぜ読もうと思ったか、、というと先日、NHKの「ワーキングプア」について特集した番組内で、著者の内橋克人氏のコメントにはっとさせられたから。「(格差は広がり)このままでは、日本の多数派が、貧困層ということになります」
この本には、「格差はどこから来たのか?」という問いの答えがあるようだ。表紙扉には、「70年代に生まれた「ネオリベラリズム」がアメリカの政権中枢部を覆い、世界にあふれ出す。」と書かれています。日本もその波にのまれているというわけ。このシステムを知った上で、内橋氏が言うところの「第三の道」を考えてみたいと思います。
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