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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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公設派遣村、「閉村」。の巻

 1月18日、昨年末から開設されていた「公設派遣村」が「閉村」した。毎日新聞(10/1/18)によると、419人が生活保護や住宅手当てなどの支援が決まり、住居が決まっていない人は区や市が用意したカプセルホテルに向かったという。

 昨年末のことが、もうずっと昔のことのような気がする。それは入居者がもっとも感じていることだろう。当時、公設派遣村を訪れた人たちは住む場所も所持金もなく途方に暮れていた。それが今は、アパートが決まっている人も少なくないのだ。ボランティアで年末からずーっと走り回っていた「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」の人たちもやっと一息つけるのではないかと思うとちょっとほっとする。

 しかし、ここまでの道のりは平坦なものではなかった。特に「バッシング報道」に、多くの当事者は傷つけられたと聞く。ということで1月12日、都庁で行なわれた「ワンストップの会」の記者会見に行ってきた。

 そこで語られたのは、やはり「無断外泊200人」は完全な事実誤認であるということだ。朝食と夕食を食べた人数の差が、なぜ「逃亡した人数」のような伝えられ方になってしまったのか、どうしてもそこにある種の意図的なものを感じてしまう。公設派遣村へのバッシングは、「貧しい人」に対する「差別」と「偏見」がメディア側の人の中にも、それを受け取る側の人の中にも拭い難く存在していることをはからずも浮かび上がらせる結果となったように思う。

 記者会見には、「当事者」の男性も二人、出席して話した。一人はメガネの設計をしてきたという47歳の男性。もう一人は24歳の男性。47歳の男性の方はそれまで地元で設計の仕事をしていたものの仕事がなくなり、半年前に仕事を探すため上京。が、所持金が底をつき、3ヵ月前に路上生活になったということだった。一方、24歳の男性は家庭の事情などで10代の頃から様々な職についてきたという。しかし、マツダで期間工として働いていた時に骨折。3日間休んだら、「“出てけ”みたいな感じになり」、職と住む場所を失う。それから彼は仕事を探すために上京するものの住所も住民票もないので決まらず、お金も底を尽き、橋の下などで寝泊まりしてきたという。路上生活の期間は1年にも及んだという彼は、公設派遣村に入れたことを「嬉しかった」と語った。

 記者会見の時点で生活保護を申請し、無事「住む場所も決まった」という彼は「一安心」と嬉しそうに語った。これほど重い「一安心」という言葉を、私は他に思い付かない。一年間の路上生活を自分に置き換えてみると、何か叫びたくなるような恐怖感が襲ってくる。24歳の男性は過酷な生活からか身体を壊しているようで、まずは身体をしっかり治し、定時制の高校にも通っていい仕事を見つけたい、とハキハキと話していた。「定時制の高校」という言葉に、彼の「若さ」を思い知る気がした。

 公設派遣村を訪れた人たちは今、こうして生活を再建させるため、必死で頑張っている。そんな時に出た「200人が2万円持って逃亡」という事実に基づかない報道とバッシングの嵐。しかし、この日行なわれた記者会見には多くのマスコミが参加していたわけだが、私はこの件に関しての「訂正報道」や「記者会見」報道については目にしていない。私が見てないだけなのか、それとも「黙殺」されたのかはわからないが、結局は「派遣村の人たちは金もらって逃げた」というイメージだけが多くの人に強烈に刷り込まれた。

 ちなみに「外泊」についてだが、これにも様々な事情があった。公設派遣村に来た人たちは、みんな住む場所がない。住む場所がないと仕事も見つけられない。ということで多くの人が生活保護申請をし、アパート探しに奔走した。仕事を探すためにはまず住居が必要だからだ。が、彼らがいた施設はものすごい僻地というか交通の便が悪い場所にあり、そこから生活保護申請をした区に行ってアパートを見つけなければならないのだが、人によってはそこに行くまでの往復交通費が1000円近くで往復3時間以上かかる場合もあるそうだ。支給されたお金を大切に使おうと時間と交通費の節約のため、夜はマックで過ごして翌朝一番から仕事やアパート探しをする人もいるという。そんな中には結果的に「連絡先を知らされていない」という事情で無断外泊になってしまった人もいるかもしれない。実際、この日出席した当事者の一人は連絡先を教えられておらず、もう一人は「午後4時半に電話しても常に話し中で、繋がったのが6時半過ぎ」だったという。その時に遅くなることを伝えると「全然いいですよ」と言われたそうだ。

 このように、事実は当事者に聞いてみないとわからない。しかもこの日「当事者」の二人は、夜に「外泊」している人などほとんどいない、みんな布団にいるということを話してくれた。こういうことを聞くと、本当にどこから「200人が逃げた」ということになったのか、ものすごく作為的なものを感じてしまうのは私だけではないだろう。

 そうしてオリンピックセンターから移った施設では、悲しいことに一人が亡くなっている。朝、みんなが起きると冷たくなっていたのだ。記者会見では、オリンピックセンターとその先の施設の医療体制についても語られた。薬を出してくれない、救急車を呼んでくれない。入居者の中には、持病の治療がずっと中断している人たちも多かったという。痰に血が混ざるようになった肺気腫の男性はそのことを相談したところ、「血へど吐くくらいになったら救急車呼んでやる」と言われたそうだ。お金持ちは手厚い医療を受けられる一方で、貧しいというだけでこうして命が軽んじられている。

 公設派遣村バッシングを見ていてつくづく思うのは、「助けるに値する働く意欲のある失業者」と「助けるに値しない働く意欲のない怠け者」のような選別が進もうとしていることだ。だけどそれは、本当に恐ろしいことだと思う。助けるに値しない=生きるに値しない人など一人もいないし、そんな線引きを認めたら、自分がいつ「生きるに値しない」側に追いやられるか、わかったもんじゃない。

 都政新報(10/1/15)にて、湯浅さんは公設派遣村バッシングについて、以下のように書いている。一部引用しよう。

 「主に正社員を失業させないために企業に支給された雇用調整助成金は、09年度で6500億円余に達した。このお金で雇用が維持された人たちの中にはいろんな人がいただろうが、今のところ、ある一部の企業・社員の『好ましくない行為』が大々的に報道されて、『税金の無駄遣い』と非難される事態には立ち至っていない。それまで一生懸命働いてきた人たちで、また一人ひとりに生活がある以上、当然のことと思う。/しかし、この同じ理屈が“公設派遣村”に集まった人たちには適用されない。彼らの場合には、費用が雇用調整助成金の1万分の1を超えたことでお金の使い道としての疑問を投げつけられ、一部にでも好ましくない人たちがいれば、それが彼らのすべてであるかのように大々的に報道される。彼らも、これまで一生懸命働いて、社会を支えてきた人たちであるにもかかわらず、いま『生活できない』という結果に立ち至っているだけで、基本的には“推定有罪”と言わんばかりに、鵜の目鷹の目であら探しをされる」

 これが「差別」「偏見」でなくてなんなんだろう。

 「公設派遣村」で会った人たち一人一人の顔を思い浮かべると、心ない言葉を投げ付ける人たちに怒りを通り越して悲しみが湧いてくる。今年の「村民」の人たちが、1日でも早く普通に暮らせることを祈っている。

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「ワンストップの会」記者会見については、
「みどり」さんのブログ「労働組合ってなにするところ?」
に詳しくまとめられています。
実態を十分に把握もしないまま、
「甘えている」発言を繰り返す都知事の
人権感覚はどうなってるの!? 

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