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この人に聞きたい

081112up

桑原茂一さんに聞いた

僕らのやってきたことは、
平和より“パンク”で増殖した

かつて伝説のラジオ番組「スネークマンショー」をプロデュースし、
若い世代に大きな影響を与えた桑原茂一さん。
当時のお話から、活動を続けてくる中で感じるようになったことまで、
率直に語っていただきました。

くわはら もいち
選曲家/プロデューサー/株式会社クラブキング代表。1973年より米国『ローリングストーン』日本版を創刊号から運営、'77年『スネークマンショー』をプロデュースしYMOと共演、同年『コムデギャルソン』のファッションショー選曲を開始する。'82年原宿に日本で初のクラブ『ピテカントロプス』をオープン、'89年フリーペーパー『dictionary』を創刊、'96年東京SHIBUYA FMにて「club radio dictionary」を開始する。'01年の911を機に発行された坂本龍一氏とsuspeaceが監修する『非戦』に参加したのをきっかけに、独自の世界観をコメディという切り口で表現する「コメディクラブキング(CCKing)」を展開。現在、フリーペーパー/ウエブ/ポッドキャスト/コミュニティラジオ/TV/携帯サイト/映像表現/コメディライブ、またそれらを統括するWEB「メディアクラブキング」をプロデュースし、LOVE&PEACEに生きるオルタナティブなメディアを目指し活動を続けている。

「日常」の中で見聞きしたことが、
作品の中に表れてきた

編集部

 桑原さんがかつてプロデュースされた「スネークマンショー」(※)は、当時の若い世代に、音楽や笑いのセンスという面で、非常に大きな影響を与えた番組だったと思います。
 私自身、その当時はただ「面白い」とゲラゲラ笑って聞いていたところもあったのですが、今改めて聞き返してみると、政治家や警察といった「権力」側をとにかく笑って、風刺して、という姿勢を強く感じます。そのあたりは、当時から意識されていたものなんでしょうか?

※「スネークマンショー」 …1970年代後半から80年代にかけて、TBSラジオなどで放送されていた人気音楽番組。斬新な選曲とともに、桑原茂一、小林克也、伊武雅刀のユニットによって演じられるシュールなコントが人気を集めた。番組の終了後も数枚のアルバムが発売され、一大ブームとなった。

桑原

 僕は仕事のスタートが早かったんです。まだ19歳で店を任されました。店は、その頃は霞町と呼ばれた西麻布にあって、ロックが聞こえる店はその辺りでは皆無で、近くの米軍の施設から兵隊達がその匂いを嗅ぎ付けて、遊びに来てました。彼らに、シカゴやBSTなど、自分が好きなロックを得意になってかけていたのですが、それが反戦歌だとはあまり認識していませんでした。それこそ明日ベトナムへ行くという兵隊に、そんな音楽を選曲してた訳ですから、今から思えば、相当、コメディですよね。でもだんだん分かってくるわけです。そしてなんでこいつらが、彼らと何も関係のないところへ、人を殺しに行かなきゃいけないんだろう、とも思った。

 ほかにもそのころは、周りにはミュージシャンがいたり、カメラマンや俳優がいたり。赤坂にある会員制のクラブに遊びに行ったら、そこに多分睡眠薬でヘロヘロになってる川端康成がいたこともあったなあ(笑)。

 だから、自分の場合は大学行ける環境ではなかったし、そういう、まさに生きていることそのものというか、日常の中からいろんなことを感じてたんだと思います。それが、意識したわけじゃないけどその後に作るものの中に出てきたのかな、という気はしますね。

編集部

 直接的に「戦争反対」とか「反権力」とかを意識されていた、というわけではないんですね。タイトルがそのまま『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対』というアルバムもあって、そこには「愛の戦場」という、戦場から中継レポートをするという名作コントも収録されてますが。


『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対! -スネークマンショー』
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桑原

 あの「愛の戦場」は、実はもともとは病院ネタだったんですよ。今にも死にそうな重病患者のところにインタビューに行く、という内容だったんです。
 ところが、発売前にレコード会社の社長に「そんな不謹慎なものをうちの会社から出すわけにはいかないから、カットしてくれ」と言われて、すごくカチンと来た。表現の自由はないのか? という気持ちになったわけです。ひとが1人が死ぬのが不謹慎なら、たくさん人が死んでる戦場ならいいのか、というので戦場でのインタビューの話にしたんです(笑)。
 だから、それも「平和」とかいうよりは、個人に対する反抗みたいなところから始まったもの。ただ、じゃあ自分たちの中にそういう部分がまったくないのかというと、もちろんそんなことはないんですけどね。カウンターカルチャー雑誌、アメリカのローリング・ストーン誌の日本版に関わり、そこでずいぶん悩みました。ロックの意味は内なる思いを爆発させること、自由に生きることの責任…だから出てくるものというのは、多分自分が生きてきた、その中にしかないものだと思うので。

自分から求めなければ、
何も得られなかった僕らの時代

編集部

 そこから、受け手のほうも何らかのメッセージを受け取って、そしてそれが「かっこいい」と支持され「スネークマンショー」は、当時大ヒットになったわけですよね。
 で、これは私のイメージかもしれませんが、今という時代は平和や社会的なメッセージを込めて音楽を作るとか、そういったものに対して、今ひとつ「かっこいい」ものとして受け止められない傾向があるように思います。というか、他にたくさん選択肢があるから、わざわざそういったものを、選ばないだけかもしれませんが。

桑原

 積極的に自分から求めなければ何も生まれなかった僕らの時代と違って、今はとりあえずテレビを見てればけっこう楽しくて、コンビニ行けばそこそこうまい食べ物もあるし、という時代状況と関係があるのかなという気がしますね。僕らのときは、たとえば音楽を聴きにロンドンへ行こうといっても、どうやって行くんだという感じだったけど、今はいくらでも行けちゃうし、インターネットにも膨大な情報があるし。その違いは大きいのかなと思います。
 ただ、それで本当に欲しいものが手に入っているのかというと、それは錯覚に過ぎないんじゃないかな、という気もするんですけどね。

編集部

 その一方で、たとえば非正規雇用や失業者が増え、貧困の問題が深刻化しているなど、以前よりも「生きていくのが難しい」と言われる状況もあります。

桑原

 たしかに、『Dictionary』(※)の読者なんかを見ていても、それは感じますね。丁度百号の時に、このままつづけるかどうか?に悩んで、配布してくれている地方のひとたちとずいぶん話したのですが、その時点でも25歳より下の人たちは、ほとんど自分たちが就きたい職業に就けていない、それどころか職そのものがない、という感じだった。となると、それより下の世代は「この世代がそうなら、俺たちに未来なんかあるわけない」となるよね。そうなると、「今がよければいい」みたいな、刹那的な生き方が出てくる。
 自衛隊派遣の問題なんかでも、「あんたらは東京でいろいろ言ってるけど、地方の現実はそんなもんじゃない」みたいなことを言われますよ。音楽祭の仕事の関係で、北海道には定期的に行ってますが、あそこには駐屯地がありますからね、「自衛隊に入るなんて当たり前だ」とか、「紛争地に行って帰ってきたら数百万貯金が増えるんなら、誰だって行くよ」とか、地元の人からそういう意見を聞くと、僕らが東京で茶々を入れてる、それとのギャップを感じますよね。

※『Dictionary』 …桑原さんが編集長を務めるフリーペーパー。1988年に創刊。

「牙を抜かれた」クリエイティブの現場

編集部

 しかしそういう時代だからこそ、桑原さんのような方にますます活躍していただきたい、という思いもありますが。

 今「スネークマンショー」を聞いていても、正直なところ「よくこんなことできたなあ」と感じる部分がいくつもあるのですが、ずっと音楽やコメディというジャンルで活動されていて、周囲の空気の変化のようなものは感じられていますか?

桑原

 それは、ものすごく変わってきたと感じますね。

 もちろん、昔だって好き勝手にやれたわけではないですよ。たとえば、ラジオ局に作品を納品に行きますよね。そうしたら、その後電話で「もう1回来い」と呼び出しがかかる。それで行ったら「こんなもの流せるわけがないだろう」と言われたり(笑)。

 でも、以前はまだ、「え、どこが悪いの」と聞いたら、答えてはくれたんですよ。「うちの放送局としては、こういう理由でこうだから…」みたいに。それを「わかりました」って素直に聞いて、ほかのメンバーと熱く反逆する訳です。で、その反抗から、言いたいことを言い換える術を覚えていくのですが、丁度時代がパンクに向かい、それが追い風になって、どんどんエスカレートしていく、という感じだったんですが(笑)。

編集部

 今は、「どこが悪いのか」にも答えてもらえない?

桑原

 誰が悪いって言ってるのか、誰と話をすればこの問題は解決するのかというのがまったく見えないんです。それが、非常に怖い時代だなと思いますね。

編集部

 世代的には、「スネークマンショー」を聞いていた、という人たちが、現場の第一線で活躍しているケースも多いのでは?

桑原

 ありますよ。以前にも「『スネークマンショー』大好きだったんですよ」と言ってくれる人と仕事をしようということになって。ところが、そこで僕がやりたいアイディアを本音で言うと、みんな「そんなことできるわけないだろう」っていう顔になる(笑)。クライアントが受け入れるはずがない、そんなこといちいち説明するまでもないだろう、くらいの感じなんですよね。「いや、でも俺のことを分かってて、この話を俺んとこに持ってきたんじゃないの?」と思うんだけど(笑)。

編集部

 一人ひとりが、勝手に自己規制してしまっているということなんでしょうか。

桑原

 そうだと思います。これは、本当に何十年もかけてそうなってきたんだと思いますけど。

 この間、知人がこんな話をしてました。ここのところの日本のような形での政権交替が続いたら、他の国だったらクーデターが起きていたっておかしくない。それが起こらないのは、やっぱり長い時間をかけて、国民がみんな牙を抜かれてきてしまったからじゃないか、と。

 そんなふうに「牙を抜かれた」人たちが、クリエイティブの現場を仕切っている。そうなれば、自ずと作られるものも変わってきてしまいますよね。

その2へつづきます

クリエイティブの現場が「牙を抜かれて」いく中で、
変わらない姿勢で表現活動を続けてきた桑原さん。
次回は、坂本龍一さんの「STOP ROKKASHO」プロジェクトへの参加や、
憲法9条について思うことなどについてもお伺いします。

*********

「スネークマンショー」世代も、知らない世代も、
現在の桑原茂一さんワールドを楽しむことができるDVDがこれ。是非見てね。

TV Comedy Club King
DVD dictionary(クラブキング)
12月10日発行予定

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