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この人に聞きたい

081119up

桑原茂一さんに聞いた

9条を持つという「覚悟」がある

「STOP ROKKASHO」プロジェクトへの参加をはじめ、
折に触れ環境・平和などの社会問題について発言してきた桑原さん。
その思いをお聞きしました。

くわはら もいち
選曲家/プロデューサー/株式会社クラブキング代表。1973年より米国『ローリングストーン』日本版を創刊号から運営、'77年『スネークマンショー』をプロデュースしYMOと共演、同年『コムデギャルソン』のファッションショー選曲を開始する。'82年原宿に日本で初のクラブ『ピテカントロプス』をオープン、'89年フリーペーパー『dictionary』を創刊、'96年東京SHIBUYA FMにて「club radio dictionary」を開始する。'01年の911を機に発行された坂本龍一氏とsuspeaceが監修する『非戦』に参加したのをきっかけに、独自の世界観をコメディという切り口で表現する「コメディクラブキング(CCKing)」を展開。現在、フリーペーパー/ウエブ/ポッドキャスト/コミュニティラジオ/TV/携帯サイト/映像表現/コメディライブ、またそれらを統括するWEB「メディアクラブキング」をプロデュースし、LOVE&PEACEに生きるオルタナティブなメディアを目指し活動を続けている。

大きなことや、
偉そうなことは言いたくない

編集部

 昨年には、坂本龍一さんの呼びかけによる「STOP ROKKASHO」プロジェクト(※)にも参加されていましたね。『ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ』(講談社)には、「YMOの存在が私の人生に不可欠だったように、STOP ROKKASHOへの意思表示もまた必然だ。国家は本来私たちを幸せにするために存在すると信じて生きている。私の人生を肯定するなら、今私は行動するしかない。」というメッセージを寄せられています。

※「STOP ROKKASHO」…ミュージシャンの坂本龍一さんが、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理施設への反対を掲げて立ち上げたプロジェクト。数多くのアーティストが「STOP ROKKASHO」をテーマとした作品を提供しているほか、イベントなども開催している。

桑原

 ただ、あれについては、「スネークマンショー」をやっていたころからのお付き合いである、坂本さんというミュージシャンに対しての「同志愛」、リスペクトという面が大きいんです。もちろん、六ヶ所について何も考えていないわけではない、自分なりにリサーチしたり、いろいろ考えたりはしましたけど、やっぱりきっかけは坂本さんですね。

 というのはーー自分が何かをやるときって、ついつい大きなこととか偉そうなことを発言しがちでしょう。そうではなくて、立ち位置を個人的なものにしていかないと駄目なんじゃないか、と思うんです。

編集部

 個人的なもの?

桑原

 たとえば、阪神大震災のときには、『Dictionary』で2年以上、お昼の食事代1000円を我慢して募金してくださいという「ランチ一食募金」というのをやりました。でも、それも結局、客観的な立場で物事を考えて動いているうちは、ほとんど動いてないに等しいんじゃないかと思ったんですね。

 それで、たいした金額じゃないけれど、集まったお金を自分で持って神戸に行って、長田区にある多言語ラジオ放送局の「FMわぃわぃ」(※)に寄付したんです。同時に、そこの活動にとても感動して、僕たちにできることは何かないだろうかというので、そのとき僕が番組をやっていた渋谷FMとFMわぃわぃをつなぐ、ということを始めた。被災者や、ボランティアで来てる人たちにインタビューをして、それを編集して両方の放送局で流したんですね。

 被災地でその日、ある音楽が1曲流れることによって、それまでうちひしがれていた人たちが癒されたり、元気になったりってことが、本当にあるんですよね。僕にとっては、その1曲が一番大事だったし、そこに自分のポジショニングがあった。

 個人的なものでないと、というのはそういうことです。六ヶ所に関して、坂本さんへのリスペクトだという言い方をするのもそう。「STOP ROKKASHOに賛同している」というよりも、坂本さんの音楽、そして生き方への賛同なんですというほうが、僕にはしっくり来るんですね。

※FMわぃわぃ…神戸市長田区にあるFM放送局。1995年の阪神大震災後、地域に多く在住する外国人に情報を提供するために立ち上げられたミニFM局が前身。「多文化・多民族共生のまちづくり」を掲げ、現在は11の言語による放送を行っている。

怖くても目を向けなければ、未来が見えてこない

編集部

 その意味でも、坂本さんのように影響力のある方が、そうして社会問題に関して発言されるというのは、大きな意味がありますよね。

桑原

 そう思います。坂本さんも「ニューヨークに住んで、著名人と言われる立場に立ったら、社会問題についてもちゃんと話さないと社会に相手にされない」と言っていました。発言するのが当たり前なんですね。

 たしかに、海外で成功されている人たちってみんな、「自分は何を言うべきか」ということをすごく考えて活動されてますよね。そういう人が、日本にはとても少ない。ロックだのヒップホップだの言っても、「ザ・芸能界」じゃん、みたいな感じがしてしまう。成り上がったなら成り上がったなりに、何かのために一肌脱ごうとか、そういうことをやらない国なんですよね。

編集部

それはどうしてなんでしょうか。

桑原

 やっぱり、基本的に「面倒だから、あとが怖いから見ないでおこう」という国だと思うんですよ、この国は。何の問題にしても、大きな力でやられちゃってるんだから、俺たちがどうこう言ったってしょうがない、みたいな。僕の中にもそういうところはありますね。

 だけど、本当は見ないと未来が見えてこない。怖くても蓋を開けて、どれくらい怖いかということをちゃんと見るほうが、生きるエネルギーがもらえるし、自分がもう少し強くなれる。前に向いてしっかり一歩踏み出すことが今までよりできるようになるんじゃないかと思うんです。

 だから、本当はそこに勇気を持って一歩踏み込むのが大事なことだと思うんですけど、特に今の人は、日常を生きてるだけでも大変なんだから近づくのはやめよう、という感じなんだと思うんですね。

編集部

 自分のこと以外にまで構ってられないよ、と。

桑原

 生き方の姿勢として、自分だけ幸せになれればいいや、ということなんでしょうね。

 だけど、前に新聞だか雑誌だかで、アメリカのすごいお金持ちを対象にやった「脳は、その人がどんな行動をしたときに喜ぶのか」っていう調査の話を読んだんですよ。そうしたら、何しろお金持ちですから(笑)自家用機を買ったりいろいろするんでしょうけど、それよりも、1日5ドルとかを困ってる人に寄付するとかのほうが、脳は喜んだという結果が出たんだそうなんですね。ということは、自分が満足することで脳が喜ぶって、みんな勝手に思ってただけで、実は人のために何かしているほうが脳は喜んでいるらしい、と。

 そう考えると、何のために生きるのかという考え方もちょっと変わってきますよね。

編集部

 「エコはエゴだ」なんて言葉もありますけど、いわゆる「いいこと」って、そうして「自分を喜ばせるためだ」と認識してるくらいのほうがいいのかもしれないですね。

桑原

 そうですね。自分を喜ばせるために俺は環境問題について頑張ってるんだ、と考えれば、他の欲望と何ら変わりはないということになる。そうしないから、偽善だの商売だの、気持ち悪いことを言わなきゃいけなくなるんであって。照れももちろんあるんでしょうけど、最初から「それが気持ちいいんだから」と言ってれば、そんなことにもならないわけですよね。

軍隊を持たないという「絶壁」に立つ覚悟

編集部

 さて、最後に憲法9条についてもお話を伺っておきたいと思います。

 2005年に雑誌『広告批評』で行われた、憲法9条の改定をめぐるアンケートに、桑原さんは次のように答えてらっしゃいました。 「改憲に反対。この憲法は人類の明るい未来に不可欠だと信じるからだ」「途方もない犠牲の上に手に入れたこの人類の夢を今になって一国の利害で手放してはならないと思う」
 明快に護憲を表明してらっしゃいますが、そのほかに今、改憲問題について考えていらっしゃることなどはありますか。

桑原

 うーん…こないだ、飛行機で福岡に行ったときに、飛行機の中でふと考えたことなんですけど、博多って、街の真ん中に空港があるでしょう。それってすごいな、覚悟だよなと思うんですよ。

編集部

 覚悟というと?

桑原

 もし「飛行機が落ちたらどうする」という不安のほうを優先させたら、多分街から遠いところに飛行場ができて、「街まで遠いよね」と言われていたと思うんです。でも実際には、空港から街の中心まで地下鉄で10分。すごい便利で、その便利さ故に博多という街が発展してきた部分もあるのかな? とそんなイメージをふくらましていたわけ。

 じゃあ、憲法9条も同じじゃないかなと思ったんです。「軍隊を持たない、じゃあ弾が飛んできたらどうすんの?」「そこは覚悟します」という、その覚悟なくして、いいことばっかりは言ってられない。戦争しないって気持ちいいじゃん、みたいなことではなくて、「憲法9条を僕は支持します」と言った瞬間に、ある意味で絶壁に立つ、その覚悟がないと駄目なんじゃないかと思います。

編集部

 以前アフガニスタンで、NGO「ペシャワール会」の職員だった伊藤和也さんが拉致され、殺害されるという事件がありましたよね。伊藤さんや中村哲さんなんかは、まさにその「絶壁」に立って活動をされていたのかな、という気がします。ただ、ああいった事件が起こってしまったことで、「ほら、だから絶壁は危ない、やめたほうがいい」という議論も出てきてしまったわけですが…

桑原

 でも、それは選んだ以上、その危険も受け入れて、どう先へ進んでいくのかということじゃないんでしょうか。「だから絶壁を選ぶんじゃなかった」ではないと思うんですよ。
 だから、覚悟というのは、たとえば自分の子どもたちが戦争で奪われたときに、「おまえが憲法9条って言ってたからだ」と責められても、「そうだね、それはそういう覚悟を持って言ってたんだからしょうがないね」って思えること。「あんなこと言わないで、軍隊で守ってもらっておけばよかった」と考えるようでは駄目なんだろうと思います。

富士山、京都、そして憲法9条

編集部

 では、桑原さん自身は、なぜそこで「絶壁に立つ」ほう、つまり憲法9条を支持しよう、という立場のほうを選ばれたのでしょうか?

桑原

 うーん、やっぱり外人に言ったときかっこいいからじゃないですか(笑)。

編集部

 前出の『広告批評』では、さらにこんなメッセージも寄せられていますね。

 「文化的に重要な都市として無防備都市宣言をして戦火から逃れたローマのように、改めて日本も憲法九条を楯に無防備国を宣言するのだ。しかも日本には世界ブランドの京都があるのだから、日本全体を総京都化させ、江戸文明がそうであったように美しい自然の国を復興させ世界一の観光立国を目指すのだ。そうすれば世界遺産のように人類全体のものとして世界の人々が大切にしてくれるだろう。日本につづけと…。また、もしも理不尽なことを言う国があれば、あの水戸黄門の印籠のように憲法九条を掲げ“これがみえねぇーか”と啖呵を切るのだ。」

 「かっこいい」というのは、こういうことでしょうか?

桑原

 「うちの国には京都が、富士山がありますから」というのと同じように「うちは憲法9条ありますから」みたいな。そのくらいの気持ちでいいんじゃないかと思うんです。それ以上のことを言ったって何も始まりませんから。

編集部

 憲法9条があることで、「富士山がある、京都がある」のと同じように、世界に対して胸を張れる、ということですね。

桑原

 あくまで僕の場合は、ですけど。ただ、そういうふうにおちゃらけて言うのにも、やっぱりさっき言った「覚悟」は必要ですよね。バランスというか。「いいこと」を言うその反対には、その分用意しなきゃいけないものがやっぱりあるんだと思うんです。

「軍隊はいらない」という意見に対して、
「甘い」とか「無責任」といった批判もある昨今ですが、
本来、それは「軍隊で身を守る」よりも、
もっと強い意志と覚悟が求められるものなのかも。
そんなことを、改めて思います。
桑原さん、ありがとうございました。

 

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