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毎日の生活に満たされぬ思いを抱く若妻と平凡な教師の夫、
戦争で傷を負った若き英国士官…。
第11回は、反英独立の声が高まる20世紀初頭のアイルランドで、
海辺の寒村に暮らす人々を描いた大作 『ライアンの娘』
(1970・イギリス 監督 デヴィッド・リーン)です。

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藤岡啓介(ふじおか けいすけ)翻訳家。1934年生まれ
長年、雑誌・書籍・辞書の翻訳、編集者として活躍中。 著書に『翻訳は文化である』(丸善ライブラリー)、
訳書に『ボスのスケッチ短編小説篇 上下』ディケンズ著(岩波文庫)など多数。 |
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だいぶ以前のこと、通販のカタログにアイルランドの漁夫が着るというセーターがあった。遭難しても自分の手編みセーターを着ていてくれれば身元が分かるといって、妻たちが思い思いの柄を織り込んで、油抜きをしていない羊毛を編んでいたという。アラン島のセーター、アイルランドに行くならこれを買わなきゃ――そう思って繰り出したのだが。
ダブリンのレンタカーの店で地図をもらって、さてどのコースをたどるかと迷ったとき、口をついで出た言葉は「ミッチャム、ほれ、ロバート・ミッチャムがロケをした海岸はどこ?」だった。若い娘の店員は何を訊かれたのか分からない。質問が悪かった。「昔の映画で、なんとかの娘、というのがあったでしょう、ミッチャムが素敵だった、あれ、彼の代表作でしょう」。まだ分かってくれない。「娘の俳優さんの名前は忘れたけど、素敵な娘だった、映画も素敵というか、忘れられない名画だった」。そんなことをあれこれと捲し立てたが駄目。そこに助け舟が出た。五十格好のご婦人で、映画はデヴィッド・リーンの『Ryan's Daughter』、そのロケ地ならディングル半島の先端、スレア岬だ、a
famous old filmだ、と。
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どうしてレンタカーの店でアラン島のセーターが出てこなくて、『ライアンの娘』になったのか、分からない。応対をしてくれた店員さんがサラ・マイルズに似た美女だったからか、それとも通販のカタログでみたセーターが二十万円もする高額商品で、もはや嚢中乏しく諦めていて、観るだけで済ませるロケ地を口走ったのか。それにしても名画の力はすごい。思いもしなかった旅程を作ってくれた。車でアイルランドを横断しながら、そうだ、冒頭がよかった、ライアンの娘が日傘を崖下に落とす、たしかそうだった、それからとてつもない断崖があって、浜辺が広がる。デヴィッド・リーンお得意の風景描写だ。『アラビアのロレンス』でも砂漠が広がって絵になっていたが、あれと同じだ。こうあらねばならぬ、映画なんだ。そんなことをあれこれと思い出した。
あの英国守備隊の新任指揮官がただ一人すくっと立っている場面がある。英国貴族の子弟で第一次大戦で片足が不自由になった白面痩身の士官。あの姿は何ともいえない。不具になり僻地に配属された彼の無念が立ち姿ににじみ出ている。あんな悲劇的な表情を演じるなんて。ジェームズ・ディーンの再来かといわれたクリストファー・ジョーンズだ。
寒村の学校教師、だいぶ年の離れたロバート・ミッチャムを娘が出迎える。結婚する。うまくいかない。青年士官が現れる。道ならぬ恋に陥る。一方、ドイツから武器弾薬を密輸してアイルランド独立運動を戦う闘士たち。密告するライアンの父親。妻の不貞に苦しむ夫、英国憎し、姦婦許すまじの村人。女どものすさまじいリンチ。最後は士官の自殺、妻をかばいながら村を去るロバート・ミッチャム。
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――また新しい年がめぐってくる。年賀状というものを書き出してから六十年もたっている。毎年、「今年こそは相変わりまして良い年でありますよう」、そう念じて挨拶してきた。竹馬の友との忘年会、靖国問題が語られた。殴った方は忘れているが、殴られた方は忘れていない。分かりやすい譬えだった。劇場型選挙、少女殺害、構造設計偽装で終わる年なんて、いったいどんな年といえるのだろう。ひどすぎる。これは忘れられない。悔しいから生き延びて、政治の偽装、ジャーナリズムの偽装を暴き立てて……少なくとも一票は健全なる未来に向けて投ぜられるのだから。読者の皆々様、諦めず、嫌にならずに、長生きしましょう。
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30年以上も愛されてきた不朽の名作が教えてくれる「愛の形」。
それだけは、過去も今も、どんな世の中であっても、
変わることはないのかもしれません。
新しい年も、「シネマ考」をお楽しみに!
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