『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載がスタート!
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。
第5回
今の自民党は「ブラック政党」
なのではないか?
「ブラック企業」という言葉がある。
「違法で過酷な労働条件で、社員や非正規雇用者をボロボロになるまで働かせ使い捨てる企業」といった意味だが、最近、すっかりこの言葉も定着してきた感がある。それだけ事態が深刻化、かつ、不幸にも一般化してきており、人々の「あるある」的な実感が伴ってきたからであろう。
先日、マガ9学校でご一緒した雨宮処凛さんは、「ブラック企業の最新の手口は何ですか」という聴衆の質問に、「今やあらゆる企業がブラック化しつつある」と答えていた。
ふーむ、なるほど困ったもんだ、などと思っていたら、居酒屋チェーン・ワタミ創業者の渡邉美樹氏が今度の参院選で、自民党の比例代表公認候補になったというニュースが飛び込んできた。
ワタミといえば、渡邉氏の発言や社員の過労自殺問題などを起因として、メディアなどで“ブラック企業の代名詞”などと呼ばれている会社だ。報道によると、安倍首相直々の出馬要請だったという。
『ブラック企業』(文春新書)などの著書で知られる今野晴貴氏は、5月29日、次のようにツイートした。
自民党から出馬するワタミの創業者。当選すれば、もちろん、解雇規制全廃、残業代ゼロ法案推進。その旗頭になることは間違いない。過労自殺を「問題なかった」というわけだから、当然、過労死、過労自殺は「自己責任」。皆さん、死にたくなければ、投票しないことだ。
ふーむ。これまでの渡邉氏の発言内容や、労働者派遣法を緩和させるなどして非正規労働者を大量に生み出してきた自民党の政策傾向を考え合わせれば、ごもっともな危惧である。
などと考えているうちに、ふと、思いついた。
今の自民党は「ブラック政党」なのではないか。
これは大胆な思いつきである。曲がりなりにも戦後日本の政治の大半を担ってきた老舗大政党を「ブラック」呼ばわりするのは、なんだか大それていて気が引ける。でも、少なくとも今現在の自民党は、とってもブラック化している感じがするのだ。
自民がブラックな理由を、思いつくままに挙げる。
国民の人権を制限し立憲主義を否定した前近代的な改憲案。未曾有の原発事故にもかかわらず、原発再稼働や新設を容認するのみならず、他国に「世界一安全」などと言って“トップセールス”する恥知らずぶり。日本の農林水産業の4割を壊滅させ、国家主権すら脅かす恐れのあるTPPを公約違反を犯してまで推進。バブルを誘発し早くもはじけつつあるアベノミクス。厚顔無恥な歴史修正主義。政権奪還して真っ先に取り組んだ生活保護切り崩し…。
列挙していたら、「社員」を「国民」に読み替えれば、「ブラック政党」と呼ぶしかないように思えてきた。
実は、個人的にも自民党の「ブラック性」を痛感するような出来事があった。
2011年4月、原発事故直後に行われた統一地方選挙。前作ドキュメンタリー映画『選挙』(07年)で描いた川崎市議会選挙で自民党公認候補だった「山さん」こと山内和彦が、今度は完全無所属で「脱原発」を訴え、川崎市議選に出馬した。
あれほどの原発事故が起きたのに、原発問題がタブー視され選挙の争点にすらならないことに、危機感を憶えての立候補だった。僕はその様子を追いかけて『選挙2』を作った。
『選挙2』撮影時、僕は山さん以外にも、公道で選挙運動を展開するさまざまな候補者にカメラを向けた。そんな中、駅前で選挙運動をしている自民候補者を見かけた。『選挙』にも出ている、顔見知りの現職市議である。わざわざ撮影のための断りを入れて選挙運動を中断してもらうのも気が引けるので、僕は彼の選挙運動を黙々と、しかし至近距離から撮影し始めた。
公道で行われる公人による、税金も使われている選挙運動である。選挙運動は公職選挙法に基礎づけられ、公共性が極めて高い。また、候補者をさまざまな角度からチェックし、ある意味「丸裸」にして選択の参考にするのが選挙期間の目的であることを考えれば、取材に「待った」がかけられるとは、想像もしていなかった。たとえ前作『選挙』が市議のお気に召さなかったとしても、である。
ところが、市議や運動員から「撮るな」と言われ、カメラのレンズを手で塞がれた。それでも僕は「選挙は公的なものだから自由に撮れるはず」と反論し、拒否される様子を撮り続けた。するとその夜、党の支部から依頼を受けた弁護士から「今日撮った映像を使うな」という主旨の文書が送られてきたのである。
うーむ、かなりブラックな対応ではないか。
そしてその翌日には、やはり前作に出ている自民党の県議会議員候補(現職)からも同様の取材拒否を受けた。しかし僕はその様子を撮り続けた。県議からは「映像や音声を使うというのなら、党を挙げて後で問題にしますよ」と釘を刺された。
さて、どうしたものか。
もし、彼らの主張を無視して映像を映画に使えば、訴えられる可能性もある。しかも、相手は権力と財力のある政権与党であり、僕は一介の映画作家だ。
正直、ためらった。
しかし、弁護士に相談してみたところ、「訴訟になっても勝てると思う」と言われた。
案の定、過去の最高裁判例などと照らし合わせてみても、僕の行為は日本国憲法第21条で保障された「表現の自由」や「報道の自由」の範囲内なのだ。実際、選挙運動中の候補者に「お前は撮ってもいいけど、お前はダメ」などと取材者を選ぶ権利を与えてしまったら、国民の知る権利は行使できず、民主主義など成り立たない。当たり前と言えば、当たり前だ。
やはり、ここで自主規制するわけにはいかない、と意を決した。
とくに今は、安倍首相が憲法第96条の先行改定を目標として掲げ、日本国憲法を本気で改悪しようとしているご時世である。この連載で何度か指摘してきたように、自民党の改憲案では、今まさに僕の表現を守ってくれている第21条が、次のように変えられようとしている。
[現行憲法]第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
[自民党改憲案]第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
もしこのような改憲がなされたら、僕の撮影行為は「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」と認定され、取り締まられる可能性が高い。いや、少なくともその可能性を排除できないのだ。
しかし、たとえこのような改憲がなされなかったとしても、もしここで僕が自主規制したらどうか。憲法の字面では表現の自由が立派に保障されていても、僕はそれを自ら放棄することになる。そしてその分、憲法は形骸化してしまう。憲法とは、たとえ文面がそのままでも、そこに保障されている権利を国民が行使しないのであれば、実質的に力を失っていくものなのである。
そう考えながら、改めて憲法全文を読み直してみると、ふと第12条に目が留まった。以前は何となく読み流していた条文だが、目が釘付けになった。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。(後略)
ああ、「不断の努力」とは、このような局面で屈せずに筋を通すことを指しているのだな。そう、僕は思った。憲法を書いた人は、僕がいま遭遇しているような事態が起きることを、きっと予測していたのだと思う。
60年以上の時を超えて、憲法の書き手と、突然、心がつながった。
そう思ったら、僕は一歩も引けなくなった。ブラックな自民党に異議を唱えるためにも、僕は日本国憲法で保障された権利を積極的に行使すべきなのである。
では、冒頭に書いたブラック企業への対抗手段はどうか。
日本国憲法を読むと、ブラック企業から私たちの権利を守ってくれるべき、さまざまな条文がある。まずは、私たちの生存権を保障する第25条。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
この条文をすべての企業が守るなら、「ブラック企業」は存在し得ない。
あるいは、憲法第18条。
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
あるいは、勤労者の団結権を定めた第28条。
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
この第28条の行使が阻まれているからこそ、労働者はバラバラに分断され、ブラック経営者のやりたい放題を許しているのではないか。
そう考えると、つくづく憲法とは、立派な文面があるだけでは不十分であり、使わなければ意味がないのである。
さて、7月21日には参議院選挙が行われる。選挙権や被選挙権も、日本国憲法で保障された、日本国民の権利である。
「投票したい人や政党がいない」という声も聞かれるが、この大切な権利を行使し、形骸化させないためにも、「よりましな」人や党に投票するのはどうか。
ブラック化した政党がのさばり、日本国憲法が危機にある今だからこそ、憲法を意識しながら選挙に臨みたいものである。
【お知らせ】
想田監督の「観察映画」第5弾、『選挙2』の公開が決定!
6月、東京/シアター・イメージフォーラムなど全国順次公開
公式サイトはこちら→http://senkyo2.com/
憲法は「ある」だけでは不十分で、使わなければ意味がない。
企業どころか政権与党の「ブラック化」に対抗できるのは、
一人ひとりの「不断の努力」しかないのでしょう。
そして、その「努力」のあり方は、人によってきっとそれぞれ。
もちろん、投票を通じた意思表示もその一つです!