「補償金を渡して言葉を奪う」は
原発建設と同じ仕組み
編集部
国や福島県は避難した人を呼び戻そうとしていますよね。
佐々木
そうですね。強制避難区域が解除されて、早く戻った人には補償を高くするという話があります。県外に避難した人への家賃補助は、どんどん打ち切られていっています。これからは福島に戻る人が増えるかもしれません。ただ、お金で人を動かそうとするのが果たしてどうか。私の父はいわき市の高校で教員をしているのですが、浜通りの方から避難してきた若者たちの将来を危惧しています。仕事すれば、東電からの補償金がおりず、お金をもらってしまうと東電に文句を言いにくくなります。でも、彼らには将来があって、これから先、ずっと働かずに済むわけではありません。教師として若者に生き方を教えてきたのに、今の状況ではそれができない。父は、自分の無力さを感じると気を落としていました。
編集部
お金をもらったがために文句が言えなくなるのは、原発が建てられるときと同じ仕組みですね。現地の人の力を、どんどん削いでいるように見えます。
佐々木
原発ができるときに国が何をしてきたか、聞いたことはありましたが「まさか」と思っていました。でも震災後は、本当にこんなことされるのかと、実感しました。行政や東電に対して声をあげるのは、手ごたえがなくて疲れます。徐々に「騒いだだけ損」という気になって、日々のストレスは身近な人に向かっていくんですね。自宅の庭を除染して、汚染された土をどこに置くかでも問題になるんですよ。隣同士が「自分の家から離してほしい」と言って両方の敷地のちょうど真ん中に貯めるしかないとか。本来なら、東電に持って行ってほしい。でもそれができないので、住民同士でいがみあってしまいます。
編集部
家族や近所。大切なコミュニティーが、どんどん破壊されてしまっているのですね。
佐々木
県外に避難できる人はすでに避難していて、残っているのは、それぞれ事情がある家庭ですね。うちは90代のおばあちゃんが認知症で、家と施設と行き来していますし、お寺も幼稚園もあります。どうしても逃げるわけにはいきません。うちの幼稚園の子どもは、震災前から1割くらい減りました。小さい子は本当に少なくなっていて、さみしいけれど、本当はみんないなくなったほうがいいのかなと思ったり……。でも、避難したご家庭だって、問題が解決したわけではありません。最初は避難して、福島が元に戻ったら帰ろうと思っていても、いつまでたっても何も変わらない。実家が県外にあるお母さんは、子どもを連れて避難したけれど、旦那さんの両親に「孫を奪われた」と思われて、結局離婚してしまった家庭。1人ぼっちで残っている旦那さんがノイローゼになって、うつ病の薬を飲みながら仕事に通っている家庭もあります。
編集部
本当にせつない話ですね。誰も悪くないのに…。
佐々木
食べ物をめぐって家族内でもめる、という話もよくあります。二本松の人たちはずっと、自分たちの食べる野菜は自分で作って暮らしていましたから、どうしても野菜作りをやめられないお年寄りは少なくありません。お嫁さんに止められて、いったんは作付けをあきらめても、近所でトマトがたくさんなっているのを見ると、悔しくてたまらないそうです。「もし線量が出たら食べなければいい」と思って、再び野菜を作ります。でも、実際に作物ができると孫に食べさせたくなるんですよね。お嫁さんが断ると、しかたがないから近所に野菜を配りに行き、受け取った側も困ってしまう。誰かが家庭菜園で作った野菜を無人販売で買ってきた高齢者が、お嫁さんとけんかになった話も聞きました。
編集部
情報を受け取る側は、復興に向けて努力している美しい姿だけでなく、もめたり、だまったりしている姿からも目をそらしてはいけない気がしました。
佐々木
ある人は「もう福島に住むと腹をくくった」と話していました。でも、私は、諦めるという意味で腹をくくるのは違うと思うのです。子どものために一生何かをするという意味の「腹をくくる」じゃなければならない、って。福島の人たちは、今もここに住んでいることの罪悪感を持っています。子どもを危険なところに住まわせているって。だから話したがらないということもあります。でも、声が上がらなくても、何も考えてないわけではありません。私は、一時的な運動や活動ではなく、一生、自分の生き方として福島のことを伝え続けなければいけない、「二度と繰り返さないで」と声を上げ続けなければいけないと感じています。
(構成/越膳綾子 写真/塚田壽子)
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