社会情勢としては「チャンス」に違いない。国の原子力規制委員会が昨年11月、運営主体を代えるよう文部科学相に勧告したばかり。しかし、代替可能な組織は容易に見つかりそうもなく、廃炉も含めた抜本的な見直しが不可避になりつつあるからだ。
「夢の原子炉」と呼ばれ、長く国策として研究開発が進められてきた高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市、28万キロワット)である。原告105人が国を相手取り、運営主体の日本原子力研究開発機構に出している原子炉設置許可の取り消しを求める~つまり「廃炉」にするよう求める~行政訴訟が3月23日、東京地方裁判所(舘内比佐志裁判長)で始まった。
「もんじゅの歴史は不祥事の歴史です」。原告団共同代表の1人、池島芙紀子さんは意見陳述で強調した。訴状には、原子力規制委の勧告に至る経緯が縷々つづられている。
2005年の組織再編で原子力機構が発足してからでも、こんな具合だ。
・2010年8月:炉内中継装置を原子炉容器内に落下させる事故が発生。引き抜きと復旧工事に2年を要する。
・2012年11月:約1万点の機器の点検漏れが発覚。原子力規制委は翌月、早急な点検と保全計画の見直しを求める保安措置命令を出す。
・2013年5月:原子力規制委が保守管理・品質保証体制の再構築などを求める保安措置命令を出す。
・2015年9月:多数の機器で安全重要度の分類を誤っていたことが発覚。
それでも原子力機構には改善が見られないとして、原子力規制委は所管する文科相に昨年11月、冒頭で触れたように、①原子力機構に代わってもんじゅの運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること、②それが困難ならば、安全上のリスクを明確に低減させるよう、もんじゅのあり方を抜本的に見直すこと――を求める勧告をした。結論を出すメドは「おおむね半年」としている。規制委の田中俊一委員長は「看板の掛け替えは認めない」と述べた。
ご存じのように原子力機構が発足する前にも、もんじゅでは1995年12月、冷却材のナトリウム漏れによる火災が発生している。この時には、当時の運営主体の動力炉・核燃料開発事業団が現場を撮影したビデオ映像を隠ぺいし、国に虚偽報告をする事件も起きた。
訴状はこうした経緯を踏まえて、「原子力機構という組織自体、もんじゅに係る保安上の措置を適正・確実に行う能力がないことは明らかである」「今後もこの状況が抜本的に変化することは考えられない」と断じた。さらに「運転していない状態でも、想定外の外部事象によって原子力災害が発生し、周辺に多大な被害を及ぼす可能性を否定できない」と指摘し、「これ以上、もんじゅの延命を図るべきではない」と結論づけている。
原告・弁護団が訴訟の主要な争点に据えようとしているのは「技術的な能力が原子力機構にあるか」の1点だ。これこそが原子炉設置許可の条件であり、満たしていないならば許可を取り消すことが行政の当然の責務になる、と捉えている。今回、原子力規制委が運営主体を代えるよう勧告した事実は、まさに原子力機構に能力がないと判断していることの証であり、しかも勧告を出した原子力規制委が許可権者なのだから「結論は明快」というわけだ。
弁護団共同代表の海渡雄一弁護士は意見陳述で、もんじゅがこれまでに1995年の数カ月間運転しただけなのに、建設費や維持管理費、燃料費に総額1兆3300億円が投じられていることに触れたうえで、被告席の原子力規制委に向けて「勧告に述べた自らの認識に忠実に、設置許可を取り消すべき義務がある」と訴えた。弁護団は、規制委の田中委員長の証言を求めることも検討している。
原告・弁護団がこのタイミングで訴訟を起こしたのには理由がある。昨年12月25日に提訴した際の記者会見で、弁護団共同代表の河合弘之弁護士はこう語っていた。
「もんじゅがこれで廃炉になるとは思っていない。代わりの受け皿組織を作って、トップは入れ替えるものの実際の運営は原子力機構のまま、というズルをするのではないかと懸念している。今きちんと、もんじゅに引導を渡すために、訴訟という公共の場に問題を引きずり出すことが有効・必要な手段だと考えた」
対する被告の国は、請求の却下を求める答弁書を提出した。訴訟の中身に入らずに門前払いするよう主張したのだ。
国は答弁書で、もんじゅの原子炉が2010年夏の試験運転以降は起動しておらず、3年前の保安措置命令で求められた保守管理体制の再構築について原子力機構が完了の報告もしていないことから、「今後も相当期間にわたって原子炉を起動することが見込まれない状態にある」と分析した。
そうした状況にもかかわらず「原告は原子炉の危険性を抽象的に主張するにとどまり、具体的な主張立証がされていない」と反論。「重大な損害が生じる具体的・現実的な危険性が存在するとは認められない」と述べている。
簡単に言えば、もんじゅはしばらく動かないのだから、廃炉にしないまま放っておいたって危なくないじゃん、という理屈である。国は同時に、「もんじゅから250キロ圏内の居住者」である原告105人の原告適格を問い、設置許可を取り消さないと個々の権利や法律上保護された利益がどう侵害されるかについて具体的に説明するよう要求した。
一方で国の代理人は「次回の口頭弁論期日に、訴状の中身についての認否と、ある程度まとまった主張をする」とも述べた。その時期について、原告・弁護団が「5月初めまでに」と強く求めたのに対し、国は「6月」を譲らず、結局、国が主張をする口頭弁論は6月29日に開かれることになった。
原子力規制委が勧告で設定した「半年」の期限は5月中旬に当たることから、原告・弁護団は「5月中に国がもんじゅの命運を決定するのではないか」と見立てていた。
さらに、弁論終了後の報告集会では、異例の動きのあったことが報告された。
原子力機構が「訴訟の結果により権利を害される第三者にあたる」として、行政事件訴訟法に定められた「訴訟参加」を申し立てた、というのだ。認められれば、原子力機構は自ら法廷で主張や意見を述べることが可能になる。もんじゅの運営から手を引くよう原子力規制委(=国)に勧告された原子力機構が、この訴訟で国と異なる主張をすることは十分に考えられ、原告・弁護団は「三つどもえの争いに発展する可能性がある」と予測していた。
言い方は悪いが、おもしろい裁判になりそうである。引き続き注目していく。
最後にもう1点。この訴訟がもんじゅの地元の福井地裁ではなく、東京地裁に起こされた意味を考えておきたい。
原告団共同代表で、もんじゅに近い福井県小浜市の住職、中嶌哲演さんは提訴時の記者会見で「東京での提訴は私の参加条件だった。今後の原発に対する本格的な論戦を願ってのことだ」と話していた。中嶌さんは初弁論の意見陳述でも「もんじゅや原発の問題は、今や過疎・辺境の地、若狭や福島などのように、いわゆる『現地』だけに封印してはならない」と強調した。
もんじゅを見学させてもらったことがある私には現地の様子が浮かんできて、地元の雇用や地域振興も併せ、全国民が多様な観点からアプローチすべきだとの問題提起と受けとめた。とりわけ、国策の名のもとに迷惑施設を地方に押し付けてきた「東京」がどう向き合うかが問われている。
しかし、初回の口頭弁論の傍聴席はガラガラで、3・11後に開かれた東京地裁の原発裁判では見たこともないような寂しい光景だった。遠く離れたもんじゅは他人事なのか、と感じずにいられなかった。残念である。
少なくとも、もんじゅについては、廃炉を求める側が議論の広げ方をもっと工夫しなければならないし、現下の情勢を勘案すればその余地はとても大きい。世論を高める好機なのに「原発やめろ」「アベやめろ」だけでは関心を呼ばないのは無理からぬことだろう。
たとえば「原子炉が止まっていても、もんじゅには1日5000万円以上の維持経費がかかっている」と財政負担の妥当性の面からのアピールを強めるとか、「原発容認だけど、自民支持だけど、もんじゅは廃止を」という方々まで惹きつけられるような仕掛けを探るべきだ。そんな思いを強くした。
今日の東京新聞の報道によれば、文部科学省の有識者検討会は、新法人をつくってもんじゅを存続させる方向で検討している、とのこと。引き続き見ていく必要がありそうです。原告団の中嶌哲演住職が指摘しているように、これは決して「現地」(とはそもそもどこのことなのか)だけの問題ではありません。むしろ、こうした施設を地方に「押しつけ」続けながら、そのことに気づかずに来た東京をはじめとする大都市の住民こそが向き合うべき問題なのだと思います。以前、マガジン9で中嶌住職にインタビューしたときの記事がこちらから読めます。