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蓮池透さん×森達也さん「拉致」解決への道を探る(その2)「拉致」の周辺にある北朝鮮の問題

森達也さんが感じていた拉致問題に関する「ある不自然さ」について、共感する人も少なくないのではないでしょうか? これまで明るみにでることのなかったある真相について、お二人の話は進んでいきます。

蓮池 透●はすいけ とおる1955年、新潟県柏崎市生まれ。1997年より2005年まで「北朝鮮による拉致被害者家族会」の事務局長をつとめる。著書に『奪還 引き裂かれた二十四年』、『奪還 第二章 終わらざる闘い』(新潮社)、近著に『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』(かもがわ出版)

森 達也●もり たつや1998年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年、続編「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に『死刑』(朝日出版社)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)、『視点をずらす思考術』(講談社現代新書)。近著に『神さまってなに?』(河出書房新社)、『きみが選んだ死刑のスイッチ』(理論社)がある。

●過去の歴史との向きあいかた

編集部 (その1)では、硬直状態に陥っている拉致問題について、現状にいたるまでの事実関係やその要因について、お二人に語ってもらいました。メディアの異常なまでの萎縮について、森さんからは、いくつかの実例を上げながら、指摘がありました。
 さらに北朝鮮との交渉を妨げているものとしては、蓮池さんも著書の中で書いていますが、歴史認識の違いもありますね。

 中国や韓国の友人に、日本についてどう思うか? どういう違和感があるか? と訊ねたとき、「過去の歴史を蒸し返して今さら抗議をするつもりはない。ただ、歴史を忘れられていることが悔しい」との答えを聞くことがとても多い。
 たとえば8月15日。韓国などアジアの国々の多くにとってこの日は、独立記念日的な意味を持つけれど、日本にとっては敗戦の日。その捩れは立場が違うのだから当然です。ところが日本の場合は、8月15日がどんな意味を持つ日であるかを、特に若い世代が知らない。これは近現代史を積極的に教えようとしない教育の問題でもあるのだけど。
 特に今の若い世代が、「8月15日って何の日だっけ?」ときょとんとしているという状況は、戦争をめぐる記憶が、この国からやがて消え去ることと同義です。
 やっとの思いで独立できたと思っているアジアの国からすれば、せめて忘れないでほしいと思うことは、とても当然の意識だと思います。

 蓮池さんが言うように、北の視点や北の立場に立って、その言動のバックグランドを考えるべきでしょう。過去に日本は、朝鮮半島の人々に対して「拉致」をさんざんやってきた。あるいは1923年、関東大震災が起きた直後には、6000人もの在日朝鮮人を殺したというデータもあるし、殺害があったことは歴史的事実です。もちろん、過去に加害しているのだから今は加害されても仕方がないなどと言うつもりはない。過去は過去です。これを理由に萎縮などすべきじゃない。でもせめて過去は知らないと。そのうえで抗議すべきことは抗議する。ならば少なくとも今よりは冷静に、この問題についても熟慮することができるはずです。
 それともうひとつ。特に地下鉄サリン事件以降、洗脳やマインドコントロールなどの言葉が、「自分たちとは違う存在」としての公共悪を設定するときに、とても安易に使われるようになったことも指摘したい。5人の拉致被害者が帰国したと、さまざまなメディアは、特にテレビに顕著だったけれど、帰国した彼らの胸もとをしきりに強調した。つまり金日成バッジ探しです。これがついているのなら主体思想(*1)に洗脳されているとの論理でした。

 確かに政治的な洗脳はあります。その意味では金日成バッジは、主体思想の洗脳のあかしのひとつであるかもしれない、でもならば彼らから見たら、多くの日本人の男性が着用する「背広にネクタイ」は、資本主義の洗脳のあかしであるということになる。
 つまりお互いさまです。文化とはある意味で洗脳です。僕たち日本人は資本主義と民主主義に洗脳されているとのレトリックも、決して荒唐無稽ではない。ならば互いに洗脳されていると言い合ってもしようがない。大事なことは、どちらの洗脳がより多くの人を幸せにしてくれるのか、より人を殺さないようにしてくれるのかということです。

 そう考えれば、主体思想なんてろくなもんじゃないと僕は思います。独裁体制よりも民主主義のほうが、より多くの人を幸せにすることも歴史が証明しています。だから北朝鮮の現体制など、決して肯定しない。でも、少なくとも今のこの拉致問題をきっかけにしたこじれ方は、より一層、彼らを袋小路に追いつめるだけで、そして彼らの危機意識を煽るばかりで、何ら向上する方向には向かっていない。

*1)主体思想・・・チュチェ思想とも言う。朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮労働党の公式政治思想。「首領の権威は絶対的であり、全ての人民大衆は無条件に従わねばならない」としている。

●「国交正常化」という選択肢

編集部 追いつめるのではなく、どうすれば、解決へつなげられることができるのだと思いますか?

 大前提としては国交正常化です。要するに仲間はずれにするのではなくて仲間に入れる。
 チャウシェスクによる独裁政治が長く続いていたルーマニアは、冷戦構造が崩壊して周辺諸国や世界の情報が流入したことで、結局は内部崩壊しました。
 もちろん北朝鮮とルーマニアとを単純に同一視すべきではない。時代の変化や地政学的な要素など、方程式に代入すべきパラメータはたくさんある。でも最高権力の世襲や先軍政治など、多くの人を洗脳することでこの無理な体制が維持されていると考えるのならば、そしてこの無理な体制が思想統制や言論統制、情報統制などで維持されていると考えるのならば、その有力な解決策は自明です。情報を入れればよい。多くの人が出入りすればよい。状況は劇的に変わるはずです。
 少なくとも2002年の小泉訪朝までは、日本政府もそう考えていた。だから北朝鮮に対して国交正常化と経済援助を約束して、金正日の謝罪を引き出した。でもこれ以降は停滞した。国交正常化など口にしたら、非国民などと罵倒されるような状態になってしまった。
 蓮池さんを責めるつもりはないけれど、この最大の要因は、家族会、救う会のプレゼンスによって喚起されたこの国の民意です。

蓮池 そうですね。かつて私は「(家族会が)圧力団体と化したらまずい」と言って怒られたことがあるんですよ。

 誰から怒られたんですか。

蓮池 増元さんにです。北海道の網走近郊の講演会か何かで、「圧力団体と化したらまずい」と喋ったんですね。そうしたら、次の日にもう増元さんからメールが来た。そこでしゃべった内容を増元さんに、誰が伝えたのか知らないんですけど。「あなたが評論家として言うならいいけど、家族の一員なのに “圧力団体”なんて言ってはいけない」と。しかしその当時、メディアも政府も家族会の意向を気にしていたことは確かで、それはもう立派な圧力団体ですよね。日本最大の圧力団体じゃないか、そう思ったんです。

 僕もそう思います。でもこの非について言えば、家族会を圧力団体にしてしまったメディアの側に、より多くの責任があると僕は考えます。太田昌国さんや高嶋伸欣さんなど、この国の拉致問題の対処の仕方に異を唱える人は、少数派ではあるけれど存在していました。でも結果としてメディアは、彼らの声を黙殺した。そしてこの問題を聖域化してしまった。

蓮池 確かに、森さんがおっしゃるように、隣国なのに、戦争状態にはないですけど、国交が結べないでいるというのは、決していいことじゃない。国交正常化というのはやらなきゃいけないとは思うんです。拉致問題のために、両国間の交渉が進んでいかないのは、これは問題だと思います。さらにそこに核問題が絡んでくると、今度は、日本だけじゃどうしようもならないということにもなって。
 私は、本にも書きましたけど、日本の侵略の歴史って習ったことはないですし、強制連行や従軍慰安婦があったとかなかったとかというのは、結局、イデオロギーが絡む論争になっちゃうので、そこにはあまり入り込んではいきたくない。
 ただ日本は、日朝平壌宣言(*2)で過去の反省ということをきちんと書いているわけです。河野談話や村山談話(*3)もあるわけです。しかしそれさえ認めない人もいるのは、どうかと思います。だから、あったのないだのという議論は置いといて、日本政府は正式に、「過去の反省、清算」って言ってるんだから、速やかにそれを実行すれば? というのが私の考え方なんですよ。

*2)日朝平壌宣言・・・2002年9月17日、北朝鮮で初訪問した小泉純一郎首相(当時)と金正日との間で行なわれた日朝首脳会談後に署名された共同宣言。 日本側は、過去の植民地支配に対して、反省と心からのおわびの気持ちを表明し、過去の清算ではお互いに請求権を放棄し、代わりに国交正常化後の幅広い経済協力を実施する旨が書かれている。

*3)河野談話や村山談話・・・河野談話は、1993年8月、当時の内閣官房長官河野洋平が、当時の軍の関与のもとに存在した慰安所や慰安婦を認め、また多数の女性の名誉と尊厳を傷つけたことについて、お詫びと反省の気持ちを表明した。
村山談話は、1995年8月、戦後50年の終戦記念日にあたって、当時の村山富市首相が閣議決定にもとづいて発表した談話。日本が戦中・戦前に「国策を誤り」、「侵略」や「植民地支配」を行なったとし、謝罪したもの。双方とも以後の政権にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解として、しばしば取り上げられる。

 全く同意ですね。

蓮池 政府見解としてちゃんと出ていますし、当事国に対しても反省の意を示しているわけですね。それで、植民地支配の問題と過去の清算をちゃんと言っています。経済協力という形で何とか補償しますということを言っているんです。だから向こうは、もうちょっと金をよこせと思っていただろうし、「平壌宣言」を出した後、日本がお金を持って過去のことを謝りに来ると思っていたでしょう。

 金正日が謝罪するのだから、彼らも相当に強い覚悟をしていたのだと思う。ところがあっさりと約束を反故にされた。

蓮池 日本から来るのは制裁ばっかりといったら、これはもう北朝鮮としても動きようがないと思うんですよね。
 で、先ほど森さんがおっしゃったように、家族の方から「制裁だ」と言うのは、向こうにいる人に危害を及ぼすことになりかねないわけです。それはおっしゃるとおりなんです。しかし、それを逆利用しているところがあるんですよね。

 逆利用?

蓮池 つまり、本当だったら、家族はそんなこと(制裁)をやらないでくれと言うのが普通だ。でも、家族は「意を決して」あえて制裁だと言ってるんだと。

 覚悟を示そうということですか。

蓮池 制裁しかないんだということを強調するがために、それを家族に言わせているというところがあるんですよね。

 それは、あえて家族が言っているということですか? それとも家族は誰かに言わされているというですか?

蓮池 まあ、もともとは「言わされた」のが、今は「自ら言ってる」になってるんでしょうね。

 そして「言わされた」ことを忘れてしまった。

●経済制裁を言い出した、「救う会」

蓮池 最初に「経済制裁」と言い出したのは、日本政府ではなくて、「救う会」なんですよ、運動方針として。それまでは、「日本人を還してください」という書面が、「経済制裁」になっちゃったわけですね。小泉さんの再訪朝ぐらいのときから。ただそのときも、制裁なんかしたら、向こうにいる被害者は危ないんじゃないかという議論は、家族会の中にも確かにあったんですが、何かそこをうまく利用されたんでしょうね。

編集部 何がきっかけで、「経済制裁」という風に変わったんですか。

蓮池 それは、そもそものねらいだったんでしょう。

 つまり経済制裁は、手段ではなくて目的であるということですね。

蓮池 政府は「9.17」の前までは、米(コメ)支援をやって話し合いの席につかせる、と言ってました。それが「9.17」でころっと変わっちゃったわけです。それまで、政府はずっと「話し合い」の論理でした。しかし、何も起きなかったわけですよ。我々は、「米支援のような無駄な支援をするな」ということを言い続けてきていて、9.17で、金正日が拉致を認めて謝ったということで、進展があった。しかし、それ以降はまた全く動かなくなってしまった。それで制裁という話が出てきたんですよ。そこにどういう歴史的な流れがあってそうなったのかは、わかりません。

 要するに、ある人たちにとっては、北政権打倒が目的なんですよ。融和政策では、北の政権は倒せない。結局、制裁して、圧力をかけろと。そこへ行き着くための理由づけをいろいろしたんじゃないですか。融和政策を取っていたって何も進まないんだから、これはもう強気で出て、強硬策をとらなきゃいかんと。ブッシュ前大統領が北朝鮮のことを「悪の枢軸」と言ったときは、みんな喜んだと思うんですね。それで、みんなでやっつけろというほうにどんどんシフトしていったと思うんですよ。でも、揺り戻しが来て、ブッシュがどんどん融和化していって、テロ支援国家指定を解除したときには、もうけしからんという話で、みんなでアメリカに飛んで行って、「ブッシュさん、やめてください」と訴えましたけれども、結局は、テロ支援国家も指定解除になりました。
 結局、融和でだめだと言われて、強硬策に出たけれども、それでもまただめだ。じゃあ、どうしたらいいんだというと、最初お話ししたように、強硬策に出るのが遅すぎたというのと、今のやり方では弱すぎるというのが、理由になっているわけですよね。

 手段と目的が錯綜している。

蓮池 だから、北を打倒したい人は、それだけで運動してくださいということなんです、私が一番言いたいのは。この拉致問題に絡めて、家族を利用して、北打倒なんていう運動にすりかえないでくれと。

 蓮池さんとしては口にしづらいところかもしれない。ならば僕が代わりに言います。北朝鮮の体制打倒は、救う会の母体である現代コリア研究所(*4)の運動理念です。元代表の佐藤勝巳さんも含めて、かつて彼らは帰還運動にかかわって大きな間違いを犯したというルサンチマンがある。もちろん彼らの中にも、何とか拉致問題を解決したいという気持ちはあるはずです。でも本音の優先順位としては、拉致問題の解決よりも、かつて自分たちを苦しめた北朝鮮の体制崩壊です。彼らのその運動理念に、結果としては家族会という存在が利用されてしまった。家族を取り戻したいとの思いが、他の目的に転化されてしまった。この見方は間違っていませんか?

*4)現代コリア研究所・・・1961年に設立。設立以来、朝鮮半島の情勢について月刊誌を発行してきたが、2007年11月に休刊。現在は、ネット「現代コリア」で発信を続けている。佐藤勝巳氏は、1998年「救う会」の全国協議会会長に就任している。

蓮池 はい。大当たりです。

 だから拉致問題の周辺には、後づけの不自然さがとても多い。たとえば政治レベルにおいては、安倍元総理が典型です。最初は国交正常化ありきみたいなことを主張していたはずが、世相が北朝鮮憎しに激しく傾斜したら、急に彼も「北朝鮮は許さない」みたいな感じになっちゃった。その帰結として国民から支持されて、彼は首相に任命された。
 つまり拉致問題を総括すれば、家族を取り戻したいとの家族の純粋な思いが、運動や政治に徹底的に利用され、骨身をしゃぶられて、そしてこれほどに膠着してしまったということになります。
 膠着だけではない。結果として拉致問題は、現在の北東アジアの安全保障において、とても危機的な状況を誘引してしまった。このままでは多くの人が死ぬことにもなりかねない。

その3へつづく

日朝関係のねじれは、現在の北東アジアの安全保障を考えると、非常に大きな問題であると言えます。
どうにか解決するために、何をするべきか? またできるのか? について考えていきます。
みなさんのご意見もお待ちしています!

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