|
|
|
|
'05-08-03UP |
|
|
くろだ せいたろう
1939年大阪府生まれ。画家・イラストレーター。
1969年デザイン会社K2を設立、数々の賞に輝く。
その後ニューヨークに移住し、グローバルに活躍。ライブペインティング、ホスピタルアートなどを精力的に行い、2005年7月「PIKADONプロジェクト」を始動。
他にもこれまで『野坂昭如/戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語〜』の映像化など、戦争・環境問題に関わりの深い活動を多数行っている。
|
|
憲法には戦争を「しない」と書いてあるのだから、僕は、同盟国に守ってもらう必要も、日本が同盟国を守る必要もないと思っています。
今、日米同盟がありますが、僕はアメリカに守ってもらってると思ってませんし、有事になっても、アメリカは日本を守らないと思う。日本もかつてはそうでした。
日本軍は第二次世界大戦前夜、朝鮮・台湾・沖縄・アジアの国々に「俺たちが守ってやるから」って言って戦争を始めたんですよ。でも結局最後は切り捨てていったでしょ。
僕は、人と人の関係は信用するけれども、国と国との関係はそんなきれいなものではない。
「国民を守る軍隊がなかったらどうするんですか」と言うけれど、僕は国家なんて信用していません。この問題を議論するには、まずはそこから考えていった方がいいと思いますよ。
パスポートには「国民を守る」と書いてありますけど、外国で財布落として大使館行っても、お金さえ貸してくれませんから。国家は国民一人ひとりのことは考えてくれない。そんなもんです。 ↑アタマに戻る
|
|
|
|
|
'05-07-13UP |
|
|
まえだ てつお
軍事評論家、東京国際大学国際関係学部教授。 1938年生まれ。専門は軍事・安全保障論。
著書に『現代の戦争』(岩波書店)、『在日米軍基地の収支決算』(筑摩書房)、『カンボジアPKO従軍記』(毎日新聞社)ほか。
|
|
集団的自衛権という考え方は、20世紀前半までは「軍備の自由」や「戦争の自由」などとともに「同盟の自由」として、安全保障の考え方における、国家の普通にありふれた選択でした。ところが、二次大戦後、国連憲章ができて、国連憲章二条四項では戦争の違法化を明記しました。その例外は、一つは侵略されたときの反撃であり、もう一つは国連の制裁が行われるまでの集団的自衛。この二つを除いて国家が武力行使をすることを違法だと禁じたわけです。ですから軍事同盟による防衛というのは、本来国連憲章のもとでは時代遅れであり、大手を振って歩けないような理念になったのです。
もし平和の破壊・侵略があった場合には、国連を中心にした「世界警察」のようなものが結束してあたるというのが、国連憲章が考える安全保障。これには「集団安全保障」という名前があるのですが、「集団安全保障」と「集団的自衛権」とはまったく別の概念です。集団安全保障というのは、国連のもとで国連加盟国が一体となって、まず調停による、つぎに経済制裁による、それでも聞かない場合には警察的軍事措置による、という三つの段階を国連憲章で定めています。
ただ、現実は国連憲章の通りではない。90年代までは冷戦という政治状況がある中で、国連が一致して警察機能を発揮することはできなかった。そこでNATOのような集団的な共同防衛、集団的自衛権の行使が既成事実的にできたわけです。イラク戦争を見ても分かるとおり、現在もアメリカの大統領は国連の下で軍事行動を起こすことなどまったく考えていないようです。
日米安保も広い意味では集団的自衛権の一つに考えることができますが(極東における国際平和と安全を守るための米軍基地提供)、ただ日本国憲法があるがゆえに日本防衛にすごく制限されたものになっています。ただしアメリカから日米安保を見れば、自分たちは攻撃されなくても日本を守るわけですから、これは集団的自衛権の行使です。でも日本はアメリカが攻撃されても自衛隊が出て行くわけではないから、これは集団的自衛権ではなく個別的自衛権であるといえる。それがアメリカのいうところの片務条約、ただ乗りであり、アメリカとしてはそれを憲法改正によって取っ払いたいわけです。
冷戦後の国際情勢から、アメリカが日本に求める最大の規制緩和は「ショウ・ザ・フラッグ」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」という言葉によく現れているように、「いつでも、どこでも、アメリカとともに戦えるような体制をつくってほしい」ということなんです。
憲法九条を変えたいと主張する人の立場はいろいろありますが、集団的自衛権の行使が本音にあるのは間違いない。ただそれをあまり表に出すと、「戦争」の意図がむき出しになるので、恐らく自民党改憲案の中では集団的自衛権の行使について憲法条文には明記されないと思います。ただし、明記されないから狙いから外した、というのではない。
実際、集団的自衛権の行使は、九条二項が変わればその下に個別法(たとえば「安全保障基本法」といった)を制定することによってできます。また、自衛隊法第三条には自衛隊の任務について「直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛する」とある現在の条文を、「直接侵略及び間接侵略並びに日米安保条約の目的遂行のため」などと書き換えられれば、これは自動的に集団的自衛権の行使につながりますから。
もし集団的自衛権の行使が容認されるとすれば、日本は国連の「集団的安全保障」とは完全に違うところに立つことを意味します。それは国連中心主義、アジアにおける立場、西側陣営という日本の「外交三原則」といわれるものを、日本が捨て去ることなのです。
つまりアメリカの戦争、日本が攻撃された形ではない戦争に対し、自衛隊が加わることになる。いままで朝鮮戦争やベトナム戦争を始めとする第二次大戦後のアジアの地域戦争に日本が加わらなかった、自衛隊が参加しなかったという最大の歯止めは九条二項にあった。その九条二項の枠組みが外れればどうなるか。もし今度アメリカがイランと戦争すると決めれば、そこに日本が加わることになるのです。いま日本はアメリカと組んだ形以外の戦争参加はありえない。そういう状況の中、本当に怖いのは、「戦争の自由」に道が開かれていくことなのです。 ↑アタマに戻る |
|
|
|
|
'05-06-22UP |
|
|
ジャン・ユンカーマン 映画監督、1952年、米国ミルウォーキー生まれ。 最新作『映画 日本国憲法』が7月より劇場公開。 他の作品に、『劫火‐広島からの旅‐』(1988年)、 『老人と海』(1990年)、 『チョムスキー9.11』(2002年)など。 日米両国を拠点に活動を続ける。
|
|
日本はすでに自衛のための軍隊を持っていますね。自衛隊という名前をつけていますが、あれは日本を守る最低の軍事力ではない。それをはるかに超えて、ものすごく強くて整備されている“軍隊”です。日本が本当に自国に攻め込まれた時の“自衛”のために、最低限の軍事力を持つこと、それはいいと思います。しかし、集団的自衛権を持ち、外国へ派兵してその軍事力を使う。アメリカのために、“平和”という大義のために、外国で戦争をすることとは、まったく次元の違う話です。
「集団的自衛権」とは、とてもあいまいで穏便な言葉ですが、これは日本が、アメリカと一緒に戦争ができるようになる権利のことです。アメリカはとても危険な国になりました。特にこの5年間を見ているとそう感じます。アフガニスタン攻撃、愛国法の成立、イラク戦争・・・。
戦争はいつも「自衛」という言葉で始まります。9・11のテロが起こり、ブッシュ大統領は、アメリカにテロがこないために、テロを封じ込むためアメリカはテロと戦うと、国民の前で言い続けました。イラク戦争を始めた大義は、フセイン元大統領が大量破壊兵器を隠し持っているからというものでした。それを見つけるために戦争をやらなければいけないと。でもそんなものはどこにも見つからなかった。それは、今ではアメリカ政府の調査団の最終報告でも言われていることです。
イギリスから出てきた資料の中には、もうだいぶ前から、イラクに戦争をしかけるとアメリカ政府が決めていたことも明らかにされています。石油の権利を得るために。しかしアメリカ国民に納得してもらうために、「これはアメリカを守るための戦争である」と言い続けてきたのです。
日本が集団的自衛権を持ったら? 今後、日本はそういったアメリカの侵略戦争に加わらなければいけなくなります。日本はこの60年間は、戦争をしていないのが当たり前の国だったでしょうが、アメリカは絶えず戦争をしているのが当たり前の国なのです。アメリカはこれからの5年間も、戦争をやり続けると思います。となると、日本もいつも戦争に参加している国になってしまうことになります。
日米同盟で、アメリカが日本を守っているから、日本もアメリカを守らなければいけない、といった話ですが、アメリカは日本を守っているとは思っていないし、実際に守っていません。アメリカの基地は、日本を守るために置かれているわけではありません。日本やアジアを押さえつけるためにあるものです。
これらは、憲法よりも安保条約の問題になりますが、日米同盟を考えなおす時期は、もう来ていると思います。日本はアメリカと一緒になるのではなく、アジアと一緒になるべきです。近隣諸国からの脅威が無くなると、アメリカに守ってもらう必要はなくなるし、近い国同士で同盟を結ぶというのが、自然なことでしょう。
アメリカは、アジアの平和的な問題解決の一番の邪魔になっています。韓国と朝鮮の問題に関しても、和解が進もうとしているのに、一番邪魔をしているのはアメリカです。アメリカは、中国がこわいし、アジアの連帯をおそれています。ネオコンたちは、(アジアへの関与は)ヘゲモニー(主導権を握ること)が目的である、とはっきり言っていますからね。全てはアメリカの権力のためなのです。
戦争をやり続けてきたという長い歴史があると、国は狂ってしまいます。大統領たちや大統領候補たちは、今でもベトナム戦争が間違いであったと言えないのです。ジョン・ケリーはベトナム戦争に従軍し、帰還してからベトナム戦争の理不尽さを訴え反戦運動をしていたのに、立候補のときはそのことを誇りを持って言うことができませんでした。クリントンもそうでした。なぜならそのような事を言えば、元兵士を傷つけてしまうことになるからです。
国民のうち、軍隊の経験者の数の方が圧倒的に多いわけです。身近に、友達や親族にも戦争体験者がいっぱいいるわけです。そうした中において、選挙の時に軍隊の不支持を打ち出すことは難しい。「戦争は良くない。止めたい」アメリカ国民の多くがそう思っていても、アメリカ政府はまたイラク戦争を始めてしまいました。戦争の歴史を重ねてしまうと、戦争をしない国になるのが難しいということを、アメリカ人の私はよく知っています。 ↑アタマに戻る |
|