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2012-05-30up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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福島4号機公開と、せめぎあう力…

 昨年の3月11日以降、このコラムはずっと「原発」のことだけを書き続けてきた。さすがに、もう書くこともないだろうと思うのが普通だけれど、いくら書いてもネタが尽きない。次から次へと、原発をめぐって新しいことが起きてくる。
 それも残念ながら、厭なこと、駄目なこと、どうしようもないこと、腹立たしいこと、頭にくること、ふざけんな!と叫びたくなること、ぶん殴ってやりたくなること、悔しいこと、切ないこと、哀しいこと、許せないこと、寂しいこと、無視できないこと、目を瞑りたくなること、そして、もう諦めてしまおうかなと思ってしまうほど酷いこと…。
 でも、いつも思い返す。諦めてはならない。僕にもふたりの娘がいる。いずれ彼女たちも子どもを産むかもしれない。その時に、産もうかどうしようか迷うような世の中を、僕ら親の世代がそのままにしておいてはならない。子どもたちへ言い訳のできない汚染を残していっていいわけがない。僕はそう思う。
 だから、書く。こんな小さなコラムでも読んでくれる人がいるし、励ましのメールや共感の便りも届く。僕の思いが伝わり、一緒に原発を止めようと言ってくれる人たちがほんの少数でもいる限り、僕は書く。

 5月26日、細野豪志原発事故担当相が、福島第一原発4号機の視察に入り、それに同行して報道陣も4号機内部に入った。原子炉建屋はまだ放射線量も高く危険性が強いため代表取材という形をとり、それを受けて、新聞では東京新聞記者が入った。
 これまでの原発報道のあり方を考えれば、「東京新聞」が代表取材をしたということは、極めて象徴的だと言える。東京新聞は、原発に関しては他の報道機関よりも多くのスクープを連発、しかも脱原発の旗幟を鮮明にして掘り下げた報道をしてきたからだ。どういう経緯で東京新聞が代表になったのかは知らないが、天の配剤というべきだろう。
 産経や読売でなくてよかった、と僕は皮肉ではなく思う。

 新聞もテレビも、この4号機の様子を初めて詳しく伝えた。特に映像は、肌に粟を生じるほどの恐ろしい光景。凄まじい爆発が起き、鉄骨がひん曲がり、外壁は粉々に吹き飛び、建屋そのものが傾いていた。電力会社が今まで吹聴してきた「多重防護思想」、つまり「幾重にも守られているので絶対安全」とうそぶいてきた最後の防壁の無惨な崩壊。

 東京電力のHPには、「多重防護」という記述が今でも残っている。その中に「五重の障壁」という文章がある。これが、各電力会社が言う絶対安全の根拠。とても「思想」などとは呼べない「多重防護思想」というまやかし。むろん、これに偉そうなお墨付きを与えたのが、東大工学部出身の学者らを筆頭とする専門家と称する連中。その「思想」なる代物が脆くも吹っ飛んだ今になっても、なお「原発の更なる安全性を高めて再稼働を」などと唱え続ける一群の人々。
 東電のHPには、今もこう書かれている。

五重の障壁
 原子力発電所では環境への放射性物質の放出を極力抑制するため「五重の障壁」によって放射性物質を閉じ込めています。

a.ペレット(第1の壁)
 核分裂はペレットの中で起こります。核分裂によってできる核分裂生成物(放射性物質)もペレットの中にできます。ペレットはウランの酸化物という化学的に安定したものを高温で陶磁器のように焼き固めたもので、大部分の放射性物質はペレットの中に閉じ込められるようにしています。

b.被覆管(第2の壁)
 さらにペレットをジルコニウム合金製の被覆管で覆います。この被覆管は機密につくられていてペレットの外部へ出てきた少量の放射性物質(希ガス)も被覆管の中に閉じ込められ、被覆管が健全であれば外に出ないようにしてあります。

c.原子炉圧力容器(第3の壁)
 数万本ある燃料棒(10万kWの沸騰水型原子炉の場合、約55,000本)のうち、何らかの原因で被覆管が破損し相当量の放射性物質が洩れた場合には、弁を閉じることにより、冷却材中に漏れた放射性物質を燃料全体を収納している鋼鉄製の圧力容器(厚さ約16cm)とそれにつながる配管内に閉じ込め、外部へ出さないようにしています。

d.原子炉格納容器(第4の壁)
 圧力容器の外側には、さらに鋼鉄製の格納容器(厚さ約3cm)があり主要な原子炉機器をスッポリと包んでいます。これは、原子炉で最悪の事態が発生した場合でも、原子炉から出てきた放射性物質を閉じ込めておくとともに放射能を減らし、周辺における放射線の影響を低く抑えるためのものです。

e.原子炉建屋(第5の壁)
 格納容器の外側は、二次格納施設として約1~2mの厚いコンクリートで造られた原子炉建屋で覆い、放射性物質の閉じ込めに万全を期しています。

 自信満々の文章に、思わず「これ、ジョークでしょ?」と言いたくなる。実にこれが、電事連や電力会社が「世界に誇る」としてきた「多重防護思想」の結実なのである。
 26日に公開された福島4号機の惨状を見た後でこれを読めば、ほんとうに悪い冗談としか思えない。
 ペレットや被覆管の破損というのなら、まだしも許容範囲内だったかもしれない。だが、1~3号機では、原子炉圧力容器とその外側の格納容器には無惨にも穴が開き、そこからメルトダウン→メルトスルーによって融け落ちたドロドロの高温核燃料が、人間、いや、ありとあらゆる生物を寄せつけぬ放射線を今も発しながら猛り狂っているのだ。
 e.の「約1~2mの厚いコンクリートで造られた原子炉建屋」はどうなっていたか。ひん曲がった鉄骨と吹き飛んだ外壁。とても「第5の壁」などと言える代物ではなかった。幾重にも張り巡らしたと豪語してきた「多重防護の壁」は、たった1度の大地震で、見るも無惨に破壊されたのだ。あの米倉経団連会長が「千年に1度の大地震にも耐えた立派な原発」と褒め称えた原発の有様が、これだった。

 しかも問題は複雑だ。この4号機の爆発原因は、いまだに完全には解明されていない。4号機は点検中で停止していたために、原子炉内には核燃料はなかった。つまり、1~3号機のように、原子炉内で水素が発生しそれが爆発したのではない。4号機の爆発は、他の原子炉の爆発とは明らかに原因が違うのだ。
 東電などの説明によれば、他の原子炉で発生した水素が、共用する配管を通って4号機建屋内に充満し、それが爆発したとしているが、どの経路で水素が4号機に爆発するほど供給されたのか、完全解明されたわけではない。すなわち、この凄まじい爆発がなぜ起きたかもよく分からないまま、野田内閣は「原発再稼働」へ突き進んでいるということだ。

 今の時期に、なぜ東電は4号機の内部を公開したのか。細野豪志原発事故担当相が視察に入ることに伴う報道陣への公開、という理由付けだった。ではなぜ、政府はこの時期に4号機に視察に入らなければならなかったのか。
 僕は27日のツイッターに、こう書いた。

 あの福島4号機の惨状。なぜ今になって東電は公開したのか。理由はこうだと思う。小出氏、広瀬氏、ガンダーセン氏らが4号機プールの危険性を指摘→マスコミは無視→ネットで激拡大→マスコミも無視できず→報道へ→政府も無視できず→東電へ圧力→やっと公開。つまり、草の根の人々の力が公開させた…。

 この原発事故では、今まで積極的には発言してこなかった人たちが、ネットを主舞台に多くの発信をするようになった。そしてその発信は、隠された情報や知らされなかったデータを、たくさんの人たちの目に晒したのだ。その情報をもとに、多くの人たちが立ち上がった。これまでそんな動きにまったく目を向けなかったマスメディアも、自分たちの知らなかった場所での動きを注視せざるを得なくなった。
 ネット上での動きをどう捉えるか、マスメディアにとっては大きな課題となってきた。政府が関心を示すのはマスメディアの報道のみ。各社が行う世論調査に、いまだに政治家たちは一喜一憂している。だから、マスメディアがネット上の動きに敏感になれば、それは政府や政治家たちにも影響を与えることになる。
 今回の4号機内部公開は、そういう現象が起き始めたことの証左ではないかと思うのだ。
 むろん、まだまだ草の根の力は弱い。それが政府の動向を確実に左右するなどという甘い考えを、僕も持っているわけではない。
 僕のツイートに対し、Kさんという方がこんな返信をくれた。

 そうでしょうか? ロン・ワイデン(米)上院議員が藤崎駐米大使に、原子炉建屋が再び地震や津波に見舞われれば「当初事故よりも大規模な放射性物質放出」が起こる恐れがあると警鐘を鳴らしたこと。同様の内容を(米)エネルギー長官、国務長官、ヤッコ委員長にも書簡で訴えたからだと思います。

 これは、その通り。指摘は当たっていると思う。日本の政府がアメリカの権威筋に弱いのは言うまでもない。ワイデン議員らの発言が、日本政府へ大きな影響を与えたのは確実だろう。
 だが、ワイデン議員の書簡のことはネットで広く伝播されていた。つまり、この書簡もネットによって広く知れ渡ったということができる。
 藤崎大使にしたところで、本国に伝えるだけで済ませたかったはずだ。だが、それがネット上で拡大してしまったからこそ、政府も何らかのアクションを起さざるを得なくなった。4号機の安全性を、ワイデン議員ら米国関係者のみならず、日本国民にもきちんと伝えなければならなくなったのではないか。
 それはとりもなおさず、草の根ネットの果たした役割が大きかったということだと、僕は思う。

 今週は、もっと触れなければならないこともあった。

 原子力委員会は、事務局が主催して20回以上も秘密会議を推進派だけを集めて開いていた。ひどい話だ。回覧してはいけない政府の文書を秘密会へ勝手に提供していた。そして、使用済み核燃料処理にかかわる文言を改竄していた、とも言われている。
 原子力委の事務局は、半分ほどが電力会社や電事連、原子力メーカー、日本原子力研究開発機構(もんじゅの運転母体)など関連団体からの出向。しかもこの人たち、所属会社や団体からの給料と事務局からの手当てを二重取りしていたともいう。さらに、残り半分は経産省などの官僚たち。簡単に言えば、原子力ムラの小間使いたちだ。
 そんな事務局が招集する秘密会議、推進派の巣窟となるのは誰にでも分かる。
 原子力委員会とは内閣府に属し、日本の原子力政策の大本、原子力大綱を決定する組織だ。その組織が推進派の牙城になっていた。この国の原発行政が推進に偏るのは当然だった。
 さらに許せないことに、この秘密会議に原子力委員長の近藤駿介氏が4度も参加していたというのだ。原子力委そのものが、推進機関であったことを証明する事実だ。それを問われた近藤氏、「ちょっと挨拶に顔を出しただけ」とシラを切る。挨拶に4回も出るほど密接だったというわけか。保安院、安全委員会、そしてこの原子力委。どこも信じられない。

 もうひとつ。枝野経産相(事故当時の官房長官)に続いて、28日には菅前首相も国会事故調査委員会の聴取に応じた。
 その内容はともかく、僕はあの凄まじい「菅降ろし」を思い出す。それはなぜか、菅氏が「浜岡原発停止」を言い出したころに最高潮に達したように記憶する。「浜岡停止」と「菅降ろし」が、妙にリンクしていたような気がして仕方ないのだ。何らかの力が働いたのではなかったか…。
 そう思ったのには理由がある。
 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」(5月28日)が、「脱原発の攻防3」として、昨年9月の鉢呂吉雄経産相辞任について触れていたからだ。例の「放射能つけちゃうぞ」発言で、たった10日間(9月2日~同11日)で大臣の座を追われた鉢呂氏だ。

 基本問題委員会の25人の委員のうち、脱原発派は8人程度だ。この人選はどう決まったのか。
 実は、委員の構成を半々にする動きがあった。それが昨年9月、経済産業相だった鉢呂吉雄(64)の辞任で飛んでしまったのだという。(略)
 「これまでの日本の原子力エネルギー政策に批判的な人を、半分は入れたい。そう(事務方である経産省・資源エネルギー庁の幹部たちに)いったよ」 
 かなり抵抗された。しかし、それは押し切るつもりだった。
 「ところが、その発表寸前に辞めることになってしまった」(略)
 「鉢呂おろし」があったのでは、とささやかれるゆえんだ。そのとき鉢呂は、基本問題委員会のメンバー選定に取り組もうとしていた。
 委員会を立ち上げる、と経産省の幹部たちがいってきた。鉢呂は、今までの会議は事務局段階で結論がでてしまっているようなものではないかとただした。「そうだと向う(幹部たち)は認めた。この段階ですでに三村明夫委員長をはじめ15人の選定が終わり、12人が賛成派で、反対3人だと」
 (略)鉢呂は批判的な人を半分、入れるように、と指示した。
 官僚の中には、脱原発派の委員数について「まあ3分の1ぐらいまでですね」という者もいた。
 「だめだ。半々で、といっているのに、3分の1とかはありえない。俺が選ぶから、といった」(略)
 鉢呂は民主党関係者に相談してリストをつくる。しかしそれを省内に示す前に辞任に追い込まれた。
 枝野幸男(47)に経産相を引き継ぐとき、そのリストに、「半々でなければならない」という趣旨のメモをつけて申し送った。
 「だけど結果として批判派は8人程度。私の言ったとおりにはならんかったね」

 僕は、この鉢呂氏辞任劇について、この「時々お散歩日記」(第61回)で詳しく触れた。このとき、鉢呂辞任の裏には妙な動きがあるのではないか、マスメディアの報道に何らかの力が働いているのではないか、と考えたのだ。それは今も変わらない。
 脱原発派を利するような行為や発言をすれば、たとえその人物が権力の座にあっても引きずり降ろされる。僕は決していわゆる「陰謀論」には与しないが、首相や大臣という権力者さえ葬ってしまう、もっと巨大な何かの力が存在するのかもしれない。そんな気もする。

 わけの分からない力に対抗できるのは、やはり「草の根」といわれる、実態を掴ませない多くの人々の動きだろう。
 緩やかな連帯を保持しながら、同時多発で、さまざまな場所や時間に、多様な人々が、好き勝手に動き回る。ネットの中で、情報やデータが錯綜する。どんな権力者にも掴みきれない動きが、結局は原発を止めることにつながるのではないか。
 そう思いながら、僕は発信する。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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