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2012-05-23up

時々お散歩日記(鈴木耕)

93

原発事故とテレビ報道

 5月21日、いつもより少し早起きした。僕が生きているうちにはもう見られない「金環日食」を、拝んでおこうと思ったからだ。カミさんは僕より1時間以上も早起きなので「曇っていて、見えそうもなかったら起さなくていいからね」と言っておいた。前日の天気予報が「残念ながら、やや厚めの雲に覆われるかもしれません」だったからだ。
 朝7時前、「欠け始めたわよ」という声で目が覚めた。天気予報が少し外れて、薄日が射していた。
 用意しておいた「日食観察めがね」で、見た。少しずつ欠けていく。7時半ごろ、正確なリングが見えた。僕はあまり天体観測などには興味がないけれど、それでもこれは、うむ、圧巻であったなあ。
 庭に出て空を仰いでいる僕を見て、「ほら、口が開いているよ」とカミさん。確かに、口がポカンと開いていたらしい。道路を挟んだお向かいの家の2階から、小学生の女の子が僕を見て笑っていた。でもそれは、金環日食が見られて嬉しいね、という“連帯の”笑顔だったよ。庭に住みついている半野良猫のドットも、僕を不思議そうに見上げていた。

 居間に戻ってテレビをつけた。どの局も、日食の話題で持ちきり。この中継のために、各局はいろんな地方へロケ隊を出していたらしい。でも、どれを見たっておんなじ。そりゃあ自然現象、変わるわけがない。わーわーきゃーきゃースタジオで騒いでいる人間が各局で違うだけ。
 テレビって一体なんだろう…。いつもの疑問が浮かんできた。

 数日前、僕はツイッターでこんなことを呟いた。

 真面目な提案。真夏の1週間ほどの電力使用ピーク時(午後1時~3時)に、すべてのテレビ放送を中止したらどうか。圧倒的な節電になる。ラジオとネットで重要な情報は流せる。たった1週間、それも午後の3時間だけ(むろん2時間の間違い。恥ずかしいのですぐ訂正した)。計画停電などやるよりもよほど効果的だと思う。率先して言い出すテレビ局はないものか。

 ほんのシャレのつもりの呟きだったのだが、思いがけないほどの反響があった。ほとんどが賛意を示していた。みんな、同じようなことを考えているんだなあ、と思った。
 でもよく考えると、これは問題も含む節電方法である。僕の尊敬する方が、ツイッターでこんなふうに危惧を示した。

 そうなんですけど1局だけならTV視聴への抑制効果はあると思うし、そもそも「すべての放送中止という社会」は怖い気がして…。

 あ、そうだな、と思った。
 ここはかなり考えないといけない部分だ。すべてが「横並びの社会」の怖さ、そんなものを許してはいけないんだ。
 最近は、自分の思い通りに人々に横並びを強制しようとする政治家が、妙な人気を博している。そんな人物が政権を握るようなことにでもなったら、それこそ権力を嵩に着て「横並びテレビ」を強制するかもしれない。いや、強制されなくとも、テレビ局は風になびく。視聴率という風だ。いかにネットが力を持つ時代が来たとはいっても、やはりテレビの影響力はハンパない(今風の言葉を使ってみました、笑)。
 テレビ各局が一斉に同じ方向へ報道し始めたら、社会は否応なくそちらへ連れて行かれる。あの、小泉純一郎ブームの凄まじさがそれを証明している。
 「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれた小泉氏の演説は、まさにテレビ局にとっては最適の視聴率獲得のネタだった。短いコメントは、せわしないテレビ向き。ワイドショーは、何度も何度も小泉氏の同じフレーズを使い回す。テレビは強制などされなくても、同じ方向への風に乗ったのである。その結果はどうだったか。

 「私に反対する者はすべて抵抗勢力だ」
 「私が自民党をぶっ潰す」
 「郵政改革に命を賭ける」
 「人生いろいろ、会社もいろいろ」
 「どこが非戦闘地域かなんて聞かれたって、私に分かるわけがない」
 「自衛隊の活動しているところが非戦闘地域だ」
 「女の涙は最大の武器」
 「格差が出ることがそれほど悪いことだとは思わない」

 彼の繰り出す言葉は短いけれど、強いインパクトを持っていた。だが、その中身は無内容の一言に尽きる。上に挙げた小泉語録のどれをとってみても、論理的な検証に値するものなど皆無だ。
 「命を賭ける」とまで言い切った「郵政改革」は、今国会で民主自民公明の妥協によりズタズタに“見直し”されてしまったではないか。それでもなお小泉人気は衰えていない。

 あれはまさにテレビによる“洗脳”だったのだ。今でも各種の世論調査では、「次期首相」に望む人物として小泉氏の名前が挙がる。洗脳は解けていない。
 少し前、テレビはある女性芸人の“洗脳騒ぎ”を、いやになるくらい派手に触れ回ったが、実際に“洗脳”を行っているのは、当のテレビじゃないか、と僕は思うのだ。
 小泉氏が主導した新自由主義的政策によって、この国に貧困層が急増し、財政破綻が進行、一枚看板だった郵政改革など見るも無惨な結果になっているというのに、小泉人気は衰えていない。
 横並び報道の凄まじさがよく分かる。

 このところの報道による“洗脳の危惧”は「今夏の電力不足キャンペーン」だ。関西電力の14.9%不足という数字が躍らない日はない。だが、さまざまな検討を経て、その数字はすでにほころびている。
 他電力会社からの融通、大企業の自家発電の余剰分の購入、揚水発電の積み上げ、節電効果の見直しなどで「電力は足りる」という説を、関電は払拭できていない。何よりも問題なのは、関電自体が真実の情報を開示しているかどうかだ。このコラムでも何度も指摘してきたことだが、関電の電力不足の割合は、発表するたびにころころと変わってきた。批判されれば訂正する、ということの繰り返し。これでは、信用しろというほうが無理だ。
 だが政府は、それを鵜呑みに(したふりを)して、大飯原発再稼働へ舵を切ろうとしている。
 そして、テレビは「大節電キャンペーン」の真っ最中。むろん、節電は大切なことだしそれを盛り上げることは必要だろう。だがここで、僕は最初の疑問に立ち返ってしまう。
 テレビって、一体なんだろう…。
 テレビはしきりに「賢い節電」「節電ママの節電術」「企業の節電マニュアル」などの特集を組む。では、テレビ局自体はどういう「節電」に取り組んでいるのか。他人の取り組みを報道するのはいい。だが、自分はどうか、という自らの足下へのまなざしがまったく感じられないのだ。
 ここで「我が局は、深夜放送を3時間短縮する」とか「昼の2時間は休止」、「再放送番組はとりあえず中止、その時間は放送停止」などの対策をとろうという動きはないのか。
 他業界の節電対策は詳しく報道しながら、自分のところの対策に関して言及がないというのは、僕にはやはり腑に落ちない。だからつい、あんなツイートをしてしまったのだ。
 この“テレビ節電”については、「週刊ポスト」(6月1日号)の「電力マフィアの不都合な真実」という特集が面白かった。とりあえず、タイトルだけを掲げておこう。

特集1:
 東京電力「10%値上げ」に全国民で反対しよう!
 その決定的「論拠」をここに掲げる 
 双葉町長「怒りの背面スピーチ」
 本当は19%の値上げだった
 原発コストに「3600億円超」
 利用者には厳しく社内に甘い

特集2:
 最大の節電は「テレビを消すこと」だ
 節電効果はエアコンのなんと1.7倍!
 テレビ報道番組はこの事実を報じるべきではないか
 新聞も「テレビに配慮」

問題提起
 日テレ「元報道局のエース」が告白
 「ズームイン」の解説でもおなじみの名ディレクターが抗議の辞任!
 「テレビの原発報道はひどすぎる」
 ひどい番組をひどいと言えない。それでジャーナリズムですか?
 なぜすぐ爆発映像を流さなかったか

 見出しだけでも、ニュアンスは伝わるだろう。「ポスト」のこれまでの原発に関する論調には、かなり首をかしげる部分もあったけれど、この記事はなかなか深層に迫っていると思う。
 数日前に僕が発したツイッターの内容を、この記事はきちんと数字で裏付けている。
 確かに、「すべての放送中止という社会」は不気味である。けれど、自社の放送がどれだけの電気を使用しているかを、せめて自ら検証し、その使用分をどうすれば低減できるかくらいは、テレビ局には発表する義務があるのではないか。
 それが、原発報道で数々の誤謬を犯してきた、もっとも大きな報道機関の最低限の責任ではないか。

 『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(伊藤守、平凡社新書)を読んだ。一晩で読了してしまったほど、そうとうにスリリングな本だった。著者は、NHKと民放キー局4局の2011年3月11日~3月31日の約800時間に及ぶ全報道番組を映像資料として取り寄せ、それらすべてを視聴したという。
 その結果、何が見えたか。
 それは、読むものにとって、薄ら寒くなるようなテレビ局の報道姿勢と、解説者として頻繁に画面に登場した「専門家・学者」たちの、予測とも言えない「楽観的な希望のおしゃべり」であった。
 著者は、別に厳しい批判を加えながら分析しているのではない。ただ淡々と、関村直人東大教授はこう言っていた、澤田哲生東京工業大学助教の予測はこうだった…などと実名を挙げて記述しているだけだ。そして、その予測のことごとくが楽観的であり、あっさりと事故の現実に乗り越えられていった事実を述べているのだ。

 退社した日本テレビ解説委員の水島宏明氏が、前掲の「週刊ポスト」で述べている「福島第一原発1号機の爆発映像の放映遅れ」についても、この『テレビは原発事故を…』はきちんと取り上げ、疑問を呈している。
 水島氏は、「週刊ポスト」で次のように述べている。

 日テレ系列の福島中央テレビは震災翌日、福島第一原発1号機の水素爆発の瞬間をメディアで唯一、撮影して速報しました。ところが、その映像が日テレの全国ネットで流れたのは1時間後のことです。報道局の幹部が専門家などの確認が取れるまで放映を控えると決めたからです。状況が確認できないまま映像を流せば、国民の不安を煽って後で責任を問われる状況になりかねないというわけです。
 しかし、影響がどこまで及ぶかわからないからこそ、本来なら「確認は取れていませんが、爆発のように見える現象が起きました」といってすぐに映像を流すべきでした。実際、あれを見て避難を始めた人もいて、国民の命に関わる映像でした。私自身、福島中央テレビの人間から「すぐに放映しなかったのはおかしい」と責められました。しかし、その経緯は未だに社内で検証されていません。(略)

 水島氏の言う「専門家の確認」とは何だったか。それこそが、国民をミスリードし、被災者を無用な被曝の危険にさらした“当たらない予測”だった。報道内容を専門家や政府・東電の発表に委ねてしまうという、悪しき「発表ジャーナリズム」が、いまもなおテレビ局というマスメディアの奥深くに巣食っているのか。
 それに疑問を持つ“企業内ジャーナリスト”は、結局、弾き飛ばされて企業を去る。それでもなお多くの報道者たちが、政府や東電と闘い、同時に自社の体制とも闘うという困難な道を歩んでいることは、僕も十分に知っている。時折ハッとするスクープを飛ばしたり、調査報道で闇を暴いたりするジャーナリストたちのおかげで確かな情報を得られることを、なんとしてでも守らなければならない、とも思っている。

 だが、それにもかかわらず、このところの政府と電力会社による二人三脚「電力不足キャンペーン」に、テレビ(や新聞)が加わっているような様子を見ていると、やはりマスメディアの体質は変わっていないなあ、と思ってしまうのだ。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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