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2012-05-16up

時々お散歩日記(鈴木耕)

92

彼らの辞書に「責任」という言葉は載っていない

 5月、爽やかに晴れた日曜日の、何も予定のない午後。これが、1年の中で、もっとも素敵な日だと僕は思う。ランボーは「おお、季節よ、おお、城よ」と詠い、寺山修司は『われに五月を』と詩集に名づけた。そう言えば『五月のバラ』という歌もあったな…。
 この前の日曜日は、まさにそんな日だった。
 多摩川へ散歩に出かけた。僕と同じように感じる人たちが大勢いるらしい。多摩川の土手の道は、散歩やサイクリングで賑わっている。河川敷の運動場には、野球やサッカーに興じる人たちの歓声が響く。穏やかな昼下がり。川面にさざなみを立てる涼風も心地いい。そこで、今回の添付写真は、多摩川の風景。
 でも、やっぱり僕の気持ちはカラリとは晴れない。ここ数日のいやなニュースが頭にちらつくのだ。この美しい日々を汚す者たちの、さまざまな動き。
 中でいちばん切なく、そして腹立たしかったのは、朝日新聞(5月12日夕刊)の記事、というより添えられた写真。これは、福島市内の小学校の運動会の記事だ

 (略)快晴に恵まれた12日の福島市。2年ぶりの運動会となった市立三河台小学校(略)。三河台小学校では震災後、校庭の放射線量が毎時2マイクロシーベルトあり、昨年は運動会を中止した。夏休み中に除染し、0.15マイクロシ-ベルトまで減少。今年は屋外開催を決めた。ただ、校庭にいる時間を減らそうと、例年の終日開催を半日に変更した。
 福島市教委によると、市立小の運動会は52校すべてが屋外で開く。

 この記事に「玉入れ競技はマスクをして行われ、子どもたちの歓声が響いた」というキャプション付きで、マスク姿の子どもたちが玉入れをしている写真が添えられていた。
 同じ取材による記事と写真が、毎日新聞にも掲載されていたが、こちらは徒競走。さすがにマスクはせずに走っている。
 他の報道によれば、この運動会では「ほこりと一緒に放射性物質が舞い上がるのを防ぐために、校庭に水を撒いて準備した」という。
 マスクをして運動会をする、という異常。舞い上がる放射性物質を恐れながらの開催。それを異常と感じない報道。「子どもたちの笑顔」のみを伝える記事。「これでいいのか」と、取材記者も見出しをつけた整理記者も感じなかったのだろうか? 
 除染をしたというが、それは校庭のこと。通学路や生活圏内はどうなっているのか。そこでの暮らしが、子どもたちの未来に影響を与えないと、なぜ言えるのか。僕は、この報道の感性を疑う。

 腹立ちニュースは、まだまだある。電事連(各電力会社の連合組織)が、あの福島原発の事故について、疑問だらけのパンフレットをいまだに作成しているという記事が、東京新聞(5月12日付)に載っていた。

 電気事業連合会が三月に作成した原発のパンフレット「原子力2010(コンセンサス)」で、東日本大震災の影響を受けた原発のうち、東京電力福島第一原発1~3号機について、本来の意味とは異なる「冷温停止中」との記述があることが、十一日、分かった。
 冷温停止は通常時に原発が安定停止した時に使う用語で、事故で炉心溶融(メルトダウン)が起きた第一原発には当てはまらない。政府と東電は「冷温停止状態」という新たな用語をつくり、昨年十二月にこの状態になったと宣言した。
 パンフレットは冷温停止時期について、1号機は昨年七月以降、2号機は九月以降としており、政府宣言の時期と異なる。
 電事連は「政府の見解は原発全体の評価で、われわれは一基ずつを評価した。冷温停止は、冷温停止状態と同じ意味で使っており、他意はない」と説明した。(略)

 電事連は、どうあっても原発が安全になったと評価したいらしい。あの東電と政府でさえ、さすがに「冷温停止」とまでは踏み込めず、科学用語としてはどこにもない「冷温停止“状態”」なる妙な言葉を苦しまぎれに生み出して、強引に野田首相の「事故収束宣言」に持ち込んだのだ。この言葉については、いわゆる推進派の学者たちからさえ疑問の声が上がったほどだった。
 しかし電事連は、それさえあっさりと踏み越えてしまった。“強引”の上に“恥知らず”という言葉を付け加えなければならない。
 福島原発の、いったいどこが「冷温停止」だなどと言えるのか。いまだに放射性物質は洩れ続けているのだし、特に4号機の使用済み燃料プールの危険性は以前よりも増していると、多くの研究者が指摘しているではないか。
 電力会社の体質は、事故後もまったく変わっていない。それを示す文章が電事連のHPに今も載っている。そこには、次のように記されている。

原子力発電の現状
 原子力発電は、資源の少ないわが国において電気の安定供給に大きく貢献しているほか、発電にともなうCO2の排出がないといった特性をもっています。この原子力発電は現在日本の電気の30%を担っており、今後も基幹電源として30~40%程度の発電を担うことを目指すこととしています。

 一読、驚き呆れるだろう。ここには、旧態依然たる原発有益論が繰り返されているだけ。原発は「現在日本の電気の30%を担っており」「今後も基幹電源として30~40%程度の発電」をすると明記している。これは、事故以前のHPではない。現在も閲覧可能な電事連の公式HPの文章なのだから畏れ入る。
 反省など微塵も感じられない。これが電力会社の今も変わらぬ体質だ。だから、「冷温停止」などという誰も信じないようなパンフレットを平気で作成できるのだ。
 東電の改革案(総合特別事業計画)が、5月9日、政府によって認定されたけれど、この体質が改まらない限り、改革などそれこそ“絵に描いた餅”だろう。

 僕が“絵に描いた餅”という言葉を、ここで使ったことには理由がある。実は、この改革案を押し進める役割の次期東電会長に内定した弁護士の下河辺和彦氏が、この言葉を以下のように使っているからだ(朝日新聞10日付)。

 (略)新会長に就く原子力損害賠償支援機構の下河辺和彦運営委員長は9日の会見で「再稼働ありきではないが、原発を想定しない計画は現実には絵に描いた餅だ」と述べた。(略)

 もはや原発再稼働は既定路線、誰が何と言おうが「原発再稼働が東電改革の最重要条件」だと決めつけているのだ。あの福島原発事故の痛苦な反省も、エネルギー政策の真摯な見直しも、まったくない。こんな認識で東電の改革などできるものか。このままでは東京電力は実質国有化とはいうものの、下河辺氏という政府に送り込まれた人物によって、もう一度、原発に頼った巨大電力会社として“再生”するだけだろう。
 だいたい、この下河辺氏起用には大きな疑問がある。
 前掲の朝日の記事にあるように、彼は政府の原子力損害賠償支援機構という組織の運営委員長である。つまり、政府の資金(我々の税金)を、損害賠償支援という名目で東京電力に支給する側の責任者なのだ。同じ人物が、今度はその資金を受け取る側の最高幹部となる。自分で配分したカネを自分で使う。普通に考えて、納得のいく話ではない。

 これと同じようなことが、巨大メディアとの関係でも問われることになった。“新体制”を標榜する東電に、なんととんでもない社外取締役が出現する。
 現在、NHK経営委員会の会長を務めている数土文夫(すど ふみお)氏という人物が、東電の社外重役に就任することが内定したというのだ。NHK経営委員会とは、NHKの最高意思決定機関である。NHK会長を選ぶ権限さえ持っている。形式上は「放送内容には立ち入ることができない」とされているが、人事を握っている以上、放送内容を左右する権力を持っているといってもいい。そんな人物が、NHKと東電の重要な役職を兼任することとなったのだ。 知人の民放テレビ局の記者は、僕との電話でこう言った。

 「これでNHKの報道は、より一層、視聴者から疑いの目で見られるようになります。NHKは猛反対すべきだった。たとえ数土氏が放送内容に介入しないとしても、もう誰もそんなことは信じませんよ。NHKの中立性が問題視されることになる。特に、東電、原発、電力、エネルギー問題等についてのNHKの報道は、この人事によって、最初から疑惑の目で見られるでしょうね。そして、ただでさえこのところ批判が強いテレビ報道全体が、疑われかねないことになる。全テレビ界にとっては、大きなマイナス人事だというしかありません」

 自ら疑惑のタネを撒き散らす政府、東電。いまさら何も言うことはないけれど、原発の闇は、ますます深く沈潜していく。
 それでもひたすら再稼働。野田首相は、もう歯止めも何も効かなくなった。11日の記者会見で「大飯原発の再稼働は、原子力規制庁の発足を待たずに判断することもあり得る」と言明してしまったのだ。
 これは重大な発言だ。あの信頼性が徹底的に疑われた原子力安全・保安院ですら、建前は「原発の安全性の監視・規制」が役割だったのだ。保安院は、原子力安全規制庁が発足すれば消滅する役所だ。つまり、“お前はすでに死んでいる”状態にある。とすれば、規制庁発足前には、原発の安全性を審査する組織はどこにも存在しないことになる。肝心の規制庁は、与野党の駆け引き材料に使われて、いつ正式に発足するのか、まるでメドさえ立っていないのだから。
 あの原子力安全委員会の班目春樹委員長ですら「保安院の安全審査だけでは安全委としては容認できない」と言明している。
 どこからもきちんとした審査を受けることなく、野田首相は原発再稼働を「政治判断」しようというのだ。言葉もない…。

 そんな折、大飯原発の地元おおい町では、町議会が「原発再稼働推進」を決議してしまった。それを報じる14日の「報道ステーション」(テレビ朝日系)を観て、僕は仰天した。
 おおい町議会でのある町議(たまたまテレビを点けたばかりだったので、名前は見落としてしまった)の発言に、引っくり返りそうになったのだ。こんな具合だった。

 再稼働しないと、この町の経済や暮らしには大打撃。原発再稼働を言えるのは、これまで電力を都市へ供給してきたこの町の我々だけなのであって、周辺自治体も国民も、それに対してとやかく言う権利などない

 (以上は僕がテレビニュースを観たあとで、うろ覚えのまま筆記したものであって、言葉は正確ではない。ただし、内容はほぼ正しいと思う。文責は筆者にある)

 僕はこれまで、さまざまな原発立地自治体を取材してきた。ほとんどが過疎地。ようやく疲弊した地域に明るい未来が見えたと、危険性には目をつぶって原発に望みを託した地域ばかりだった。過疎から原発マネーで立ち直ろうとする手法に、僕はむろん一定の批判は持ったものの、単純に否定しきれるものではないことも理解してきたつもりだった。
 だが、この町議のように「国民に反対する権利はない」とまで言い切られると、やはり否定せざるを得ない。この町議は、原発の目くらましによって、あまりに多くのものを失ったのだ。後悔、後ろめたさ、他者へのまなざし、思考力、弱者への配慮、カネでは買えない価値、自分以外の人々の存在、他者からの批判を聞く耳…。これらすべてを、この町議は原発マネーで売り渡してしまった。
 底知れぬ恐ろしさ。

 沖縄が5月15日に「本土復帰40周年」を迎える。この「本土復帰」という言葉には、沖縄内部から大きな疑問も出ているというが、それに触れるのは、機会を改めたい。
 それ関して、12日の「報道特集」(TBS系)で、金平茂紀キャスターが怒りを込めて報告していた事実がある。それは、沖縄米軍基地の駐留米軍人たち用の基地外の住宅(例の思いやり予算で建設されているもの)と、今回の震災や原発事故被災地の避難者用の仮設住宅との対比である。豪華というしかない米軍人住宅と、あまりに粗末な仮設住宅。
 これが国民にやさしい政治と言えるのか、と金平キャスターの言葉に憤りが滲む。これもまた、腹立たしい政治のありようだ。
 高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)が、その内実を明らかにしていた。

 腹立たしいことは続く。
 14日、国会の事故調査委員会に出席した東電の勝俣恒久会長の答弁(というより逃げの弁解)である。朝日新聞(14日付)から引用する。

 (略)委員の1人は、06年に保安院も「津波で全電源喪失の可能性がある」ことを東電側に連絡していたと指摘。勝俣氏は「あとで聞いた」とし、「(大津波が)が来るか来ないかの判断はしていない」。(略)福島県大熊町から避難した蜂須賀礼子委員が「東電は地元住民に原発は安全だといい続けてきた」と訴えると、勝俣氏は「我々自身もそう思ってきた」と応じた。
 勝俣氏の言いぶりが明瞭になったのは、菅前首相の事故対応についてだ。(略)「混乱の極みの発電所で、最高司令官(注・吉田昌郎前福島第一原発所長のこと)は指揮をとらなくてはならないのに、質問的な話で時間をとられたというのは芳しくない」(略)
 清水正孝前社長が福島第一原発の作業員の「全員撤退」を政権側に打診したとの指摘には、勝俣氏は「まったく事実ではない」と否定。(略)
 勝俣氏は02年に社長に就き、08年から会長を務めている。委員から「会長と社長は横並びの関係か」と問われると、「私の方が多少先輩」。それなのに、事故発生時の陣頭指揮をとるのは「当然、社長です」「第一の代務者は副社長である」と責任の所在を推しつけた。(略)
 委員から「『僕には責任はない』としか聞こえない。どこの会長かと思ってしまう」と厳しく批判されても、「安全対策に一歩一歩努力してきたつもり」と述べただけだった。(略)

 書き写すのも腹が立つので、この辺でやめる。
 それにしても、こんな人物が我々の命を握っていたのかと思うと、心の底から怒りが沸いてくる。
 自分の責任は何ひとつ認めず、すべてを誰かのせいにする。権力者である政治家への批判ならまだしも、自らの会社の部下へさえ平気で責任転嫁する。腐りきっている、としか形容しようがない。

 残念ながら、これがいま、僕らを取り巻く日本という国の現状だ。首相や巨大企業の会長から、小さな町の町議まで、なんだか上も下も真ん中も、すべてがぐちゃぐちゃと薄汚い泥の中で、しかしぬくぬくと明るい空など知らぬげに蠢いている。「大飯原発再稼働」へ向けて蠢いている。
 こんな「総無責任体制」の中での再稼働など、絶対に許してはならない。

 彼らの辞書に「責任」という言葉は載っていないのだから。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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