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2011-12-07up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「MADE IN JAPAN」の屈辱

 急に寒くなった。気がついたら12月、師走の風が吹いている。いつもの年なら、ちょっとばかり1年を振り返ってみたり、来年のことを考えたりする、そんな季節である。
 でも、今年はとてもそんな気になれない。
 今年を振り返れば、恐ろしさと憤りと悲しみで、胸がつまる。来年の事なんか、とても考える余裕はない。来年がどんな年になるのか、もう僕には想像もつかない。

 今年も、いろんなところから「忘年会」のお誘いがある。早々と済ませてしまったところもある。でも、今年の「忘年会」は、なんだかいつもの年とは違う。文字通りの「忘年会」だ。ほんとうに、「2011年という年を忘れたい」のだ。
 もし、タイムスリップ(タイムトラベル)が可能であるなら、この世界を2011年3月11日以前に戻したい。僕は切実にそう思う。

 福島原発事故を、むりやり終わりにしたい人たちがいる。まるで何事もなかったかのように、「収束」を宣言したいらしい。そして来年以降、確実に起こるであろうさまざまな影響(健康被害)には目をつぶりたい連中がいる。
 毎日新聞(12月4日付)にこうある。

福島第一 冷温停止 16日宣言
工程表「ステップ2」前倒し達成へ

 政府は、東京電力福島第一原発事故の収束工程表で、原子炉内の冷温停止状態を達成するとしていた「ステップ2」の終了を、16日に開く原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)の会合で決定する方針を固めた。(略)
 冷温停止状態を認定するには、原子炉圧力容器底部の温度がおおむね100度以下になる▽格納容器殻の放射性物質の放出を管理・抑制する―などの条件を満たすことが必要となる。1~3号機の原子炉は既に100度未満の温度を維持しており、政府は放射性物質の低減状況なども検証し、認定が可能と判断した。ステップ2終了後、原発から20㌔圏内の警戒区域の段階的解除など、避難区域の縮小に向けた検証を本格化させる。(略)

 野田内閣は、とにかく「原子炉の冷温停止」を宣言したくてたまらないらしい。宣言して、一刻も早い避難民の帰還を促したい。それが、政府や東電の言う「福島原発事故の収束」なのだ。
 だが、果たして帰還した住民たちの「放射線被害」への真摯な対策案は、政府や東電にはあるのか。住民の健康よりも、事故収束という政治的命題を優先させているとしか、僕には思えない。それは国際社会への言い訳、取り繕い。

 しかも、この工程表の前倒しには大きな疑問がつきまとう。
 政府・東電は、事故原子炉内温度は3基とも100度以下で安定していると言う。だが、この温度測定はどのようにして行われているのか。発表された温度は、原子炉内の核燃料が融け落ちた場所には近づけないのだから、さまざまなデータを集めた上での推定値でしかない。
 また、圧力容器を突き抜けてしまった核燃料は、格納容器のコンクリートの65センチもの深さまで沈降している可能性が大きいが、水で冷やしているので温度は安定しているというのが東電の推定だ。
 だが、融け落ちてコンクリートに深く潜り込んでしまった核燃料の下部にまで、水が届いているとはとても思えない。核燃料が水に浮いているわけはないのだから、核燃料の下部部分に水は届いていない可能性のほうが強いだろう。とすれば、溶融した核燃料はいまだに熱を発していると考えるほうが現実的なはずだ。
 今までの東電や政府の発表した情報をつぶさに検討していけば、どうしてもそういう結論に辿りつく。このような状態を「冷温停止」と呼ぶには無理がある。そんなものは、政府と東電合作の「願望のシナリオ」とでも呼ぶべきだろう。
 さらに、「放射性物質の放出を管理・抑制」というに至っては、まさに絵に描いた餅でしかない。管理も抑制もできてなどいない。その証拠に、12月5日の各紙は、汚染処理水(高濃度汚染水)の大規模な漏洩を伝えていた。同日の朝日新聞を見る。

汚染処理水 45トン漏れ
福島第一 ストロンチウム高濃度

 東京電力は4日、福島第一原発にたまる高濃度放射能汚染水を処理する施設から、水が45トン漏れているのが見つかったと発表した。処理後の水だが基準を大幅に上回る濃度の放射性物質を含み、総量は最大220トンと見積もられ、一部が海に流出した可能性がある。
 原子炉の冷却水を処理して再利用する循環注水冷却システムで起きた水漏れでは過去最大の量。セシウム濃度は1㍑あたり4万5千ベクレルで、原子炉等規正法が定める濃度の基準の約300倍。ストロンチウムの濃度は測定に時間がかかるので結果が出ていないが、これまでのデータから分析すると、濃度は1㍑あたり1億ベクレル前後、基準の100万倍とみられる。(略)

 これが実態なのだ。基準の100万倍の濃度の汚染水が漏れ出した。「冷温停止」の条件とされる「放射性物質の放出の管理・抑制」など、まったくできていない。これらすべてを完全にコントロールできるようになって初めて「冷温停止」を宣言することができる。逆に言えば、コントロールができないうちに宣言するのは、明らかに早すぎる。
 同じ日の朝日新聞には恐ろしい記事もあった。こんな見出しだ。

汚染土、深海へ投棄案
放射線研究者 処分地なく苦肉策

 記事を要約すれば、「除染作業で削り取った土の保管や処分の場所の確保は困難。そこで、海水で腐食せず高い水圧にも耐えられる容器に汚染土を入れ、日本近海の水深2千メートル以下に沈める」という案。これは、文科省の土壌汚染マップ作成に携わった大阪大学核物理研究センター谷畑勇夫教授、中井浩二元東京理科大教授らのグループの提案だという。
 恐ろしいことを考える人間がいるものだと思う。「処理できないから海へ捨ててしまえ」。簡単に言えばそういうことだ。
 海は誰のものか? 日本近海だから、それも深海だから日本のものだ、とでも言うつもりか。しかも「海水に腐食せず高水圧にも耐えられる容器」だという。本気か?
 使用済み核燃料の処分に困り「ガラス固化体」などというものを考え出した発想と同じだ。だが、未来永劫にわたって海水にも高水圧にも耐えられる容器など、どこの誰が発明したというのか。
 半減期数万年という放射性物質が、いつか海の底からブクブクと浮上してくる…。漂う放射性物質は、やがて海産物を汚染し、汚染食物は最終的には人間を汚す。悪夢。

 かつて「MADE IN JAPAN」といえば、それは粗悪品(安い上に低品質)の代名詞であった。日本製といえば、ブリキやセルロイドの玩具などがイメージされた時代もあった。しかし、先人たちの苦労と努力によって、高品質・最先端技術・美的洗練の製品、美味の果実や米などの品種が「MADE IN JAPAN」と呼ばれるようになったのだ。それが"フクシマ事故"によって覆されてしまった。
 日本は放射性物質を垂れ流して海を汚し、地下水を汚染し、自国の畑も田んぼも森も川も汚した。最高品質の日本産の果物や米が、各国で輸入禁止となっている。日本が誇る自動車さえ、モンゴルでは放射線物質検出によって輸入禁止措置がとられた。
 その上に高濃度汚染水の海への漏出。さらに、容器に詰めた汚染土を海に捨てようなどという、これ以上の汚染を広げる提案さえ出てくる。

 いまや、放射性物質こそが「MADE IN JAPAN」である。
 それでもなお、「原発輸出」を声高に叫ぶ人たちがいる。これ以上「負のMADE IN JAPAN」を世界中にばらまいて、世界中の人々(利権に群がる政権は除く)の怨嗟の声を浴びるのか。
 まさにそれは「MADE IN JAPANの屈辱」ではないか。世界をリードする「MADE IN JAPAN」をここまで牽引してきた企業人がなぜ怒らないのか、僕には不思議だ。

 ある大臣が、こんなことを言っている(毎日新聞12月6日付)。

 枝野幸男経済産業相は5日、東京都内で講演し、日本政府などが受注を目指しているトルコの原発建設計画について「(福島第一原発の)事故で得た教訓が同じ地震国のトルコで生かされるよう協力を進める」と述べ、原発輸出を含む原子力分野での協力拡大に意欲を示した。(略)

 枝野大臣さま、方向が完全に狂っているゾ。
 「原発事故で得た教訓」というのであれば、「原発の廃炉技術を世界に発信する」ということこそが、本来の方向性であるはずだ。
 日本は、これから懸命に「原発の廃炉に関する研究」に投資し、その成果を世界中に広め、やがては「原子力に頼らない世界」を実現するために尽力する。それだけが、「負のMADE IN JAPAN」から脱却できるただひとつの方法ではないか。
 多分、実現不能の僕の「来年以降の夢」である。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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