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2011-11-23up

時々お散歩日記(鈴木耕)

71

黒い不安と原発と希望と…

 11月20日(日)夕刻、道を歩いていたら、突然、冷たい風が吹き始め、空が薄暗くなった。それまでの初冬とは思えぬ暖かさをかき消すような変化、一気に気温が数度は下がった。
 思わず空を見上げたら、なんだ、これは!
 真っ黒な雲が青空を侵食して、まるで“龍が如く”空に蠢いていた。胸がざわついた。何かが来ている、得体の知れぬものがこの街を襲おうとしている。そんな、まるでスティーブン・キングのホラー小説のような気配に、ぞわりと鳥肌が立った。

 無神論者の僕だが、あの震災とそれに続く原発事故の恐怖以来、妙に心が揺らぐことが多い。思わず“神に祈ったり”している自分に気づいて、我ながら「勝手なものだ」と呆れたりすることも多いのだ。自分が心弱い人間のひとりであることに、否応なく気づかされた2011年、ということなのだろう。

 毎日新聞(11月19日)にこんな記事が載っていた。

宮城県沖 M7超 発生確率15.1% 
今後1ヵ月間 気象庁「注意を」

 気象庁は18日、東日本大震災の震源となった宮城県沖で12月14日までの1ヵ月間にマグニチュード(M)7以上の余震が発生する確率が15.1%とする予測結果を、同日開かれた地震予知連絡会に報告した。「被災地では引き続き大きな余震に注意が必要だ」としている。(略)

 20日午前10時過ぎには、茨城県日立市を中心に震度5強の強い地震が起きた。この記事を読んでいただけに、黒くのたうつ龍の雲が、激しい不安を僕の心に引き起こしたのだ。
 来る、何か不吉なものが、首都圏をも襲おうとしている…。そんな不気味な予感。
 茨城県を中心とした20日の地震による津波の発生はなく、マグニチュードも5.5程度と発表された。さらに21日には、広島や島根で震度5の地震。すぐに、島根原発が僕の頭に浮かんだが、大きな影響はなかったらしい。とりあえず、ほっ。
 これもマグニチュードは気象庁の予測よりはかなり低い。とすれば、もっと大きな地震は、いまもまだエネルギーを溜め込んでいる最中なのかもしれない。
 つまり、宮城県沖でM7超の大きな地震の可能性はまだ残っているということだ。それが起きれば、むろん福島も揺れるだろう。壊れた原発への最後の一押し、再びの崩壊が起きるかもしれない。ざらつく僕の不安は消えない。

 福島第一原発3号機建屋の床からは、1600ミリシーベルト/時という超高濃度の放射線が計測されたという。生身で被曝すれば、ほとんど即死するほどの値だ。
 「床の拭き取りが不十分なためだろう」と東電は言う。拭き取り? そんな原始的な人的作業なのか…。
 原発事故がまだ収束にはほど遠いという証拠だ。工程表どおり「30年で廃炉へ」などということを信じている専門家は、御用学者を除いてはほとんどいない。いや、その連中だって、心の中では「無理だ」ということぐらいは分かっているだろう。これまでのいきさつと、これからの“利権”のために、「冷温停止」や「事故収束」のお題目を繰り返しているにすぎないのだ。
 事故収束の見通しの立たない原発からは、依然として放射性物質は放出され続けている。さまざまな場所からセシウムが検出され、その広がりはほとんど世界規模になりつつある。
 恐ろしい情報もある。
 福島原発から出た放射性セシウムが事故から約1ヵ月後に、2千キロ離れた深海5千メートル地点まで到達していたことが、海洋研究開発機構の観測で分かったというのだ。福島から2千キロ離れたカムチャツカ半島沖と、1千キロ離れた小笠原列島沖の深海で採集した粒子分析から判明したという(朝日新聞11月21日)。
 さらに同機構の計算によれば、福島から4千キロ東の日付変更線付近まで放射能汚染が広まっている、という。飲料水の基準では2千分の1だが、事故前の10倍以上の値だという(同22日)。

 状況はなんら改善されていない。何度も書くけれど、事故収束はまだ遥か遠い彼方のことなのだ。それでもなお、原発再稼動や建設中の原発の完成を急げ、などという者もいる。「もんじゅ」の稼動は行わなければならない、と主張する人たちもいる。

 政府の「提言型政策仕分け」では、高速増殖炉「もんじゅ」への批判が続出した。当然だ。
 この「高速増殖炉」という名前がいかがわしい。つまり、運転しながら使用した以上の量の核燃料を新たに産み出すことができる「夢の原発」というのが触れ込みだった。では、実現できたか?
 実は、「1980年代に実用化する」というのが当初の予定だった。それが現在では「2050年までには実用化したい」と変った。これほど人をバカにした話があるだろうか。
 70年も先送りにする計画。それをまだ続けようという連中。そしてそれを、言いなりに認めてきてしまった政治家ども。計画を始めた連中はもう生きていない。無責任の連鎖。ガウディのサグラダ・ファミリアの建築ではあるまいし、まったく、アホらしやの鐘が鳴るわ。
 しかも、そこへ投入されたカネがすでに1兆円を超えている。ドブに捨てたと同じだ。
 なぜ中止、引き返すことができないのか。答えは、ヒジョーに簡単。これもまた利権の巣窟だからだ。

 原発問題では、ほんとうに頭が下がるほど頑張っている東京新聞(11月21日)に詳しい。

解剖 原発ムラ
もんじゅ運営の「原研」 発注先にOBずらり
売上高9割依存も 「信用失墜」仕分け人批判

 二十日の政策仕分けでは、高速増殖炉「もんじゅ」を運営する独立行政法人「日本原子力研究開発機構(原研)」のあり方が大きな問題になった。国から受け取る毎年二千億円もの税金が、不透明な形で使われているとの指摘だ。本紙でさらに掘り下げると、主な発注先には原研OBが役員を務める“ファミリー企業”がずらりと並んだ。(略)

 こういうリードの後に、〈原研からの発注が多く、依存度も高い法人〉というのが一覧表になっており、原研からの発注が売上高の50%を超えた企業名15社が掲載されている。90%超の企業も5社を数える。
 警備、ビル管理、不動産管理、施設保守、情報処理、展示館運営、非破壊検査、廃棄物情報処理など、わけの分からない職種も含まれているし、なぜか同じ職種を数社が分担しているケースもある。
 しかも、これらの15社にはすべて、社長や役員として原研OBが天下りしているのだ。つまり、「もんじゅ」はいまや利権の巣と化しているのだ。これを“癒着”と言わずして何と呼べばいいのか。
 さらに、福島原発の事故処理でも原研は暗躍する。

 東京新聞は翌22日の紙面でも、この「日本原子力研究開発機構」の実態を追及している。この2日続きの記事は、資料としても一級品。タイトルだけでも引用しておこう。

福島の除染担う「原子力機構」
大甘会計 らく印
検査院「透明性、経済性 保たれず」
隠ぺい改ざん脈々
前身の動燃 何度も「反省」
「これで安全」誰も信用しない

 この原研の理事長は、鈴木篤之氏だ。鈴木氏は、東大工学部教授から原子力安全委員会委員長(現在は班目春樹委員長)となり、エネルギー総合工学研究所理事長を経て、さらに現在の原研理事長に就任という典型的「原子力ムラ」内の天下り人生を送っている人だ。
 理事長がそうであるならば、原研OBがゾロゾロと関連会社へ天下るのは当然のことかもしれない。
 しかもタイトルにあるとおり、原研の前身「動燃(動力炉・核燃料開発事業団)」も札付きの情報隠蔽改竄法人だったのだ。名前は何度も“改革”されたけれど、その悪しき体質だけはそっくり“保守”してきたというわけだ。この原研が、いまも「もんじゅ」を運営し、今度は福島の「除染」まで請け負うという。
 ここまでベタベタの癒着がある業界というのも珍しい。だがそれが「原子力ムラ」の揺るぎない体質なのだ。

 読売新聞の配信(11月20日)に、次のような記述がある。

 (略)20日は、東京電力福島第一原発事故を受け抜本的見直しを迫られている原子力政策を検証。午前中の討議では、40年間研究を続けても実用化のめどが立たない高速増殖炉「もんじゅ」に批判が集中。来年夏のエネルギー政策決定後、「従来の計画の抜本的な再検証を行い、国民の徹底的な納得が必要だ」との提言が出た。
 また、文部科学省が概算要求に含めた来年度の出力試験再開予算については、見直しを提言。その他の研究開発予算も「国民の納得が得られるよう合理化を図り、事故対策や安全対策に重点化すべきだ」とされた。
 もんじゅは核燃料の再利用につながる技術として開発が進められているが、1995年のナトリウム漏れ火災以降、開発が難航。与党の国会議員や有識者からは「原子力への依存を減らすという政府の方針に反しており、根本的に考え直す必要がある」などといった批判が出た。

 確かに、批判は浴びた。だが「もんじゅ」の停止、ないしは廃炉という結論には至らなかった。これからも、維持費として毎日4千万円という巨額のカネが消えていく…。
 この高速増殖炉というのは「核燃料サイクル」の重要な輪だ。もしこの稼動が無理だということになれば(実際はそうなっているのだが)、使用済み核燃料の再処理は完全に破綻する。どうにも処理できない超強度の毒性を持つ核燃料が、ただただ各地の原発敷地内に積み上げられていく、という惨状を晒すことになる(現在でさえ、もはや一時保管は限度に達しつつある)。それは、原発自体の破綻を意味する。手も付けられないような高濃度の放射線量を放つ核燃料に、原発敷地そのものが占領されてしまうという事態が、もうすぐそこまで迫っているのだ。
 だから、原研も電力会社も口が裂けても「もんじゅ撤退」を言い出せないのだ。結局、日本という国は、いや、日本に限らず原発依存の国々は、最終的には核汚染にまみれたまま終末を迎えるのかもしれない。

 そんな絶望的な未来しか、僕には想像できなくなってしまったが、それでも希望はある。

 11月19日に、初めて「マガ9学校」で、藤波心さんにお会いした。講師の鈴木邦男さんと僕が藤波さんと話をしていて、その怜悧な思考と学ぼうとする態度に驚かされたのだ。
 中3の高校受験生。あ、そう言えばこれを書いている22日が、藤波さんの15歳の誕生日だという。おめでとう!!
 このような若い世代がいる限り、この国にも「希望」はあるのかもしれない。藤波さんがブログで書いていたように「パンドラの箱の底の希望」のように…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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