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2011-05-25up

時々お散歩日記(鈴木耕)

47

原発はいらない「20の理由」(その1)

 3月11日の大震災以来、このコラムではずっと、原発事故についての僕なりの考えを書いてきた。 あれからもう2ヵ月半が経った。書き始めたころ、3ヵ月ほどあれば、荒れ狂う原発も少しは落ち着きを取り戻すのではないか、と思っていた。甘かった…。

 いい兆しは何もない。それどころか事態は悪化するばかり。メルトダウンは3基の原子炉に及び、4号機では、水素爆発の原因さえつかめぬ有様。高濃度汚染水はほとんど溢れんばかりの様相となり、それを処理する方策の糸口さえ見つからない。
 そして何よりもひどいのは、放射線量の規制値のデタラメさ。汚染地域の子どもたちは、何の説明もないまま今も被曝し続けている。すでに夏日となったにもかかわらず、体育館の中で運動をしている子どもたち。長袖シャツを着てマスクをし、グラウンドでキャッチボールをしている中学校の野球部員。ほとんどブラック・ジョークだ。その異様さに、行政は、文科省は何も感じないのか? 鬼め。
 いや、福島県の高濃度汚染地域だけの話ではない。関東地方の農作物からも、次々に基準値以上の放射線量が検出される。

 それでもまだ「原発以外の電源だけでは電力不足」「日本復興のためにより安全な原発を」などという連中がいる。自民党では、原発推進派議員が集まった新しい政策会議「エネルギー政策合同会議」、民主党も含めた超党派で「地下式原発推進議連」が発足。もうどうしようもない。
 ネット世界でも「煙草や酒のほうが放射能よりよっぽど害がある」「ストレスのほうが放射能よりもガンの原因だ」などと、いまどきマッドサイエンティストだって恥ずかしくて吐けない言説を振り回す人物が、けっこうな人気を集めている。
 かつての人気漫画『がきデカ』の主人公・こまわり君なら「死刑―っ!」と叫ぶところだ。本気で腹が立つ。

 しかし、そんなヤツラを相手にしていても仕方がない。さすがにどんな世論調査でも、原発反対が賛成を20%ほど上回りだした。毎日のように、僕ら自身の上に降る放射性物質を考えれば、当然のこと。

 もう一度、冷静に「原発」を考えてみよう。原発に疑問を持ち始めた人たちに、僕がこれまで懸命に調べ考えてきたことを整理して、「なぜ原発はいらないのか」という、僕なりの考えを伝えたい。
 それがこの「原発はいらない20の理由」だ。

(1)原発は地域社会を崩壊させる

 原発がなぜ過疎地にばかり建てられるのか。まず、反対する人たちの数が少ないからだ。電力会社は、仕事がなくて経済的に疲弊した地域を集中的に狙う。若者は仕事を求めて都会へ出て行く。残されるのは、高齢者のみ。当然、税収も減り、村(町)の財政は窮迫していく。
 電力会社はそこを狙う。膨大なカネを地域に落とす。
 むろん原発の危険性に気づく人たちは必ず存在する。いかに寂れた故郷でも、その自然の美しさを愛する人たちは、原発反対に立ち上がる。電力会社は、その人たちを一人ひとり“狙い撃ち”。
 地域のボスは、たいてい建築土木業者かそれに関連する人物だ。地方議会の議員たちの多くは、それらの業者とそこにつながる人たち。原発建設の大きな仕事の誘惑にはかなわない。札ビラが舞う。
 巨額のカネをバックにした賛成派は圧倒的な優位に立つ。反対し続ける人たちは消耗し、ついには地域の人たちから孤立する。反対派と賛成派は、たとえ親戚であろうと、道で出会っても顔を背けるようになる。地域社会は崩壊する。それが原発立地地域の、ありふれた光景。
 僕は取材で数ヵ所の原発地帯を歩いた。どこの風景も、似ていた。

(2)原発マネーが地域財政をいびつにする

 原発反対を訴え続けた人たちの多くも、やがて沈黙する。生きていかなければならない以上、それを責めることはできない。農業者であれ漁業者であれ、同じことだ。
 原発建設へ向けて、膨大な金額が地元へ落ちる。いわゆる「電源三法交付金」、つまり「電源開発促進税法」「特別会計に関する法律(旧電源開発促進対策特別会計法)」「発電用施設周辺地域整備法」によってバラ撒かれるカネである。
 むろん、“電源開発"のための法律だから、対象は原発だけではない。問題となった群馬県の八ッ場ダムなどにもこのカネは使われている。しかし、圧倒的に原発関連に投入されている額が多いのは事実。
 では、原発から転がり込む金額はどれほどか。たとえば青森県の例。
 2011年度、六ヶ所村=約24億円(村の当初予算130億円)、東通村=約55億円(同120億円)。すなわち、六ヶ所村では総予算の18.5%、東通村にいたっては実に45.8%が「原発マネー」なのだ。
 さらに、青森県への交付金は11年度約40億円、使用済み核燃料搬入にかかる「核燃料税」156億円(県税の約13%)が見込まれていた。まだある。六ヶ所村から遠く離れた青森市や弘前市など県内25市町村も電気事業連合会(電事連)から4千万円ずつ、計10億円の"寄付"を受ける予定だったという(数字は、東京新聞5月23日付より)。
 こんな財政の形がまともであるはずがない。

(3)原発は人々を豊かになどしない

 突然、膨大なカネが転がり込んだ自治体は舞い上がる。凄まじい勢いでいわゆる「ハコモノ造り」に走るのが通例だ。しかし、原発建設から数十年が経過すると、もう地元にカネはそれほど落ちなくなる。自治体は、それまでのような財政規模を維持できなくなる。
 たとえば、今回の福島原発で有名になってしまった福島県双葉町などは、結局そのハコモノの維持費が嵩み、ついに北海道夕張市のような「財政再建団体」の一歩手前まで財政悪化してしまったのだ。
 「電源地域振興センター」という財団法人がある。ここのHPが極めて面白い。ここは何をする財団か。はっきり言おう。「電源立地地域対策交付金」というカネをバラ撒く組織なのだ。むろん、理事は天下り。 
 ではどんな事業にカネを交付しているのか。
 市道の整備、簡易水道配水管の整備、防災無線設備の整備など夥しい事業の数々が掲載されているが、こんなものもある。女川町立病院整備、多目的運動場(女川町)、温水プール(浜岡町)、テニスコート(玄海町)、生涯学習センター(刈羽町)、福祉総合センターあいあいプラザ(敦賀市)、火葬場(氷見市)、教育文化施設日高山脈館(日高町)、複合文化施設(肥前町)、ふれあいホールみと(美都町)、国民宿舎「千畳苑」(浜田市)などなど。
 これらはほんの一部だが、一見して気づくのは「原発立地自治体、もしくはその近隣」への交付が目立つことだ。確かにレクリエーション施設や温泉も大切だろう。だがそれらを建てた後は、誰が管理するのか。原発マネー狂想曲が終われば、立地自治体は喘ぐ。元のささやかな予算にはもう戻れない。となれば、地元住民の負担は増大する。
 「原発御殿」という揶揄とも自嘲ともつかぬ名前で呼ばれた豪壮な邸宅を、僕も取材先で何度も見たことがある。しかし、それが建ってから数十年。子どもたちが去った豪邸跡は、いまや更地になっているところが多いとも聞く。
 豊かな時期は、ほんのわずかだったのだ。

(4)日本の原発事故は連鎖する

 財政破綻に直面した自治体はどうするか。
 当然のことながら、「新たな原発の建設」を電力会社に要請する。夢よ、もう一度。福島でも事故前には、地元側がさらに2基の原発増設を東電に要請していた事実がある。
 電力会社にとっても、自治体側からの原発増設要請はありがたい。
 原発は新たな立地点を探すのが極めて難しい。どんな地域にも「原発反対」の人たちがいるからだ。しかし、すでに原発が建っている地域なら、もはや正面きって原発反対を唱える人はほとんどいない。地域そのものが、「原発体制」に完全に組み込まれているし、原発雇用の恩恵もある。「原発城下町」だ。ばら撒かれた巨額の交付金によって、議会も首長も電力会社には逆らえない。だから原発建設は、新たな地域を探すより、同じ地区に増設していくほうがずっとラクなのだ。
 かくして、同じ地域にあれよあれよという間に、原発が林立することとなる。
 さらに電力会社は、近隣市町村へ手を伸ばす。「原発マネー」で潤っている自治体を見れば、近隣自治体もその恩恵にあずかりたいと思うようになる。過疎地の宿命、それが人情だ。いずれ破綻するかもしれない実例を見ていても、遠くの破綻より近くの恩恵。
 原発立地の近隣地区にも、こうして原発建設が及ぶ。同じ地域に原発が林立する理由だ。
 今回の大惨事を起こした福島には、第一第二を併せて10基もの原子炉が建ち並んだ。新潟の柏崎刈羽には7基、「原発銀座」といわれる福井県には13基の原発がある。
 このように、同じ地域に多くの原発が立地していると、何が起こるか。それが今回の福島の惨状なのだ。つまり、地震や津波はある地域をおなじように襲う。同じ地域に原発が林立していれば、当然のことながらどの原発も同じような被害を受ける。今回は、4基の原発が同時に事故を起こすことになった。
 これが、特に日本の原発事故の危険なところなのだ。
 1979年の米スリーマイル島原発事故、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故を考えてみればいい。ともに大事故ではあったが、いずれも1基だけの事故だった。とにかく必死で事故収束を図ったが、全力を1基に注ぐことができた。
 しかし福島はどうか。ひとつの様子が分かれば別の原子炉が怒りだす。もうひとつへ向かえば、隣の炉心が溶け始める。水を注入しても隣の建屋へ流れ込む。ほとんど地獄の鬼ごっこ。日本の原発は、同時連鎖の事故を起こす可能性が高いのだ。地震国日本の宿命でもある。
 原発立地を焦るあまり、同じ地域に原発を造り続けた報い。
 ことに危ないのは福井県の若狭湾だ。湾を取り囲むように造り続けられた原発群が、ひとつの大地震で同時破壊されたら、いったい何が起きるか。僕は恐ろしくて考えたくない。
 5月23日の参議院行政監視委員会に参考人として出席した石橋克彦神戸大名誉教授は、委員から「浜岡の次に止めたほうがいいと思われる原発は?」と問われて、即座に「大地震の空白域にある若狭湾地域がもっとも心配です」と答えていた。
 真摯な学者の提言に耳を傾ける為政者はいないのか。

(5)原発は地震にさえ耐えられない

 東京電力は徹底的に「事故は"想定外"の大津波のせい」ということにしたいらしい。つまり、「地震の揺れそのものには原発は立派に耐えたのだが、"千年に1度の大津波"によって破壊された」と言いたいのだ。なぜそんなに津波にこだわるのか。
 もし津波ではなく、地震そのものの揺れで原子炉が破壊されたことを認めると、他の日本中の原発にも大きな影響が出てくるからだ。耐震設計を根本からやり直さなければならなくなる。そうなると、現状のままでは原発を運転できない。耐震工事をしなければならなくなる。工事には莫大な金がかかる。それを何とか避けたいのだ。
 東京新聞(5月24日付)によれば、東電が公表したデータには「津波が到達する30分ほど前の午後3時6分、1号機では、純水タンクのフランジ部(腕3本)漏えい確認」との記述があるという。地震で配管が壊れ水漏れは発生したとみられる。とすれば、地震の揺れですでに原子炉や使用済み燃料プールへの冷却水が洩れていたことになる。
 しかし東電側は頑としてそれを認めない。
 同紙によれば、東電の松本純一・原子力立地本部長代理は「津波が到達するまでには、冷却材喪失などの事故発生はないと判断している」と述べたという。
 わけが分からない。配管破壊のデータを自ら発表しているではないか。それでも「津波のせい」と言い張る。
 繰り返すが、東電の言い分は、なんとか「耐震設計の見直し」を避けたいからとしか思えない。日本の原発は、大津波以前に地震そのものに耐えられないのだ。それは、このコラム(45回)でも触れたように、すでに田中三彦さんが『世界』(5月号)で指摘していることだ。
 日本の原発は、津波を伴わない直下型の地震にも耐えることができない構造なのだ。
 どうしても原発が必要だというのなら、まずすべての原発の耐震性を厳しく吟味し、耐震工事を施して安全性を確保した上で稼動させるべきだ。それができないうちは、すべての原発を止めなくてはならない。地震国日本で原発を動かすのなら、そのくらいの覚悟がいるだろう。
 人命よりも経済を優先させた結果が、これだ。

 この文章、最初は短い20の項目を書き連ねようと思って始めたのだが、ひとつひとつに大きな理由がある。隠された事実がある。
 それらを拾って検証しながら書き出すと、どうしても長くなる。今回はここまでにしよう。「20の理由」とタイトルしながら、たった5つで終わってしまった。

 来週へ続く、ということにします。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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