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2013-02-20up

鈴木邦男の愛国問答

第119回

若き日の純真な自分を思い出した

 生まれて初めての体験だ。キリスト教の教会で講演するなんて。光栄だ。僕なんかでいいのかな、と思った。僕を呼んでくれた人達は本当に勇気があると思った 。「神聖な教会に右翼を呼ぶとは何事か!」と言う人もいただろう。それなのに敢えて呼んでくれた。

 2月11日(月・休日)の午後1時から4時まで。日本キリスト教団名古屋教会で講演会は行われた。この日の統一テーマは、<いま、「愛国」について考える=排外主義への異論=>だ。このテーマなら僕だって話せると思った。さらに、僕の演題としては「私の宗教体験を通して=キリスト教を外から見れば」が与えられた。今回の集会の責任者は名古屋中村教会の岩本和則さんだ。

 岩本さんは僕の本を随分と読んでいる。「マガ9」の連載も読んでいる。僕がミッションスクールを出たことも、「生長の家」の運動をやり、その延長線上で右翼になったことも知っている。その上で、キリスト教について、外から見た話をしてほしいという。半年前に手紙をもらい、「うれしいです。行きます」と即決した。その時、「じゃ、2月11日にお願いします」と言う。手帳を見ても予定が入ってなかったので承知した。

 でも当日、教会に着いて驚いた。

 <2・11「建国記念の日」反対
  第47回 名古屋キリスト者集会>

 と書かれている。エッ! これは何だ、と思った。そうか。2月11日にやる意味がこれだったのか。どうりで、いろんな右翼の人から抗議のメールやファックスが来ていた。「建国記念日反対の集会に行くとは何事だ!」「許せない!」…と。それは誤解だよ。こっちは宗教の話をするために行くだけだから。と思っていたが、本当に「建国記念日反対集会」だった。

 ただ、そういう話は一切出なかった。昔、そんなテーマでやって、そのままスローガンだけが残っているのだろう。この日は、「愛国」の話、そして宗教の話を1時間半やった。宗教の話なんて、本当に久しぶりだ。そして1時間以上、質疑応答だ。

 僕の高校は東北学院榴ケ岡高校だ。ミッションだから、日の丸・君が代は一切ない。<強制>はない。だから、おだやかな「愛国心」は生まれたと思う。そのかわり、キリスト教を<強制>された。その反撥で、キリスト教に疑問を持ち、嫌いになった。今は、ミッションに行ってよかったと思っている。キリスト教の理解がないと、世界の文学、美術、音楽、建築も分からない。実に多くのことを学んだと思った。ただ、そう思えるまで30年もかかった。

 あの頃、素直にキリスト教を受け入れた生徒は誰もいなかっただろう。だって、高校の入学式の時、校長がまず言った。「自分から望んでこの学校に来た人は、ほとんどいないと思います」と。そうなんだ。皆、県立の一高、二高を落ちて、「仕方なく」入ってきた人間ばかりだ。僕もそうだった。「だから3年間必死で勉強し、3年後、大学入試で勝ち、一高や二高の人間を見下してやれ!」とハッパをかける。復讐心を煽って勉強させた。学校側も、東北大や東京の有名私立に多くの人間を合格させ、それで高校の名を上げようとしたのだ。だから、徹底的なスパルタ教育だった。教師は生徒を日常的に殴った。「何が神の愛だ!」と反撥した。毎朝の礼拝も嫌々、出ていた。

 だから、誰も信仰に目覚めた人なんていない。「知識」としてキリスト教を押しつけられただけだ。そう思っていた。現に、同級生で「キリスト教はいいよな」「素晴らしいよな」と言う人は1人もいなかった。そんなことよりも「受験勉強」だ。そして大学に受かって、この「地獄」から脱出するんだ。と思っていた。

 名古屋教会でも、そんな暗く、苦しい高校時代の話をした。でも、この日、驚いたことに、その高校の後輩に会ったのだ。この教会で。僕の講演の前に、礼拝がある。讃美歌をうたい、牧師さんの説教がある。その説教をした牧師さんが、高校の後輩だったのだ。「初めまして。鈴木さんのことは在学中からずっと聞いてました」と言う。後藤香織さんという。女性のような名前だ。髪型も服装も女性らしい。僕の出た東北学院榴ケ岡高校は、初めは男子校だったが、途中から男女共学になった。共学になってからの卒業生かと思って聞いたら、違うという。「私達のころは、まだ男子校でした」と言う。「それに私も、その頃は男でした」。エッ! と思った。この日のパンフを見たら、プログラムに後藤さんのことがこう出ていた。

 <1時 開会礼拝 日本聖公会中部教区 性的少数者担当司祭 後藤香織氏>

 そうだったのか。そして、「性的少数者」担当の司祭なのか。「いつ洗礼を受けたんですか?」と聞いたら、在学中だという。変だな。皆、仕方なく入学し、嫌で嫌でたまらなかったはずだ。それなのに、信仰に目覚め、洗礼を受けていた人がいたなんて。「私達の学年で4人ほどいました」と言う。そして、特別な聖書をもらったという。その4人で集まって、祈り、信仰を語り合ったのだろう。「まるで隠れキリシタンだね」と言って、これはまずい表現だと思った。彼らこそが本当のミッションスクールの誇るべき生徒だ。

 そういえば、卒業して20年ほど経って、同窓会の時、「俺達の学年でも洗礼を受けた人間が4人いたらしい」と聞いて、ビックリした。あんなに皆が、キリスト教の強制に反撥し、大学合格だけを目指して勉強してると思ったのに…。あんな状況下でも、本当の信仰を求めて洗礼を受けた人がいたなんて。全く知らなかった。

 「じゃ、牧師になった人も何人もいるんですか」と後藤さんに聞いた。「10人以上はいるでしょうね」と言う。全く知らなかった。そうだ、10年ほど前、喜納昌吉さんに呼ばれて、沖縄のシンポジウムに出た。その時、会場の人に声をかけられた。榴ケ岡高校の卒業生で、今は沖縄で牧師をしてるという。

 これで、卒業生で牧師になった人、2人に会った。もう8人にも会ってみたい。彼らは入試に失敗したことも、幸せだと思ったのだろう。おかげでミッションスクールに入ることが出来た。さらに学内で洗礼を受けた。その後、キリスト教の大学に入り、牧師になる。「信仰一筋」の人生だ。偉いと思った。とても真似できない。大変だったと思う。今度、ゆっくりその話を聞いてみたい。僕だったら、とても出来なかっただろうな。意志が弱いし、すぐに誘惑に負け、堕落するだろうし…。

 そうだ。僕だって一度、信仰の生活にあこがれ、その生活に入ろうと思ったことがあった。そのことを思い出した。これもミッションスクールを出たおかげかもしれない。母親が「生長の家」に入っていた縁で、僕も中学生の頃から「生長の家」の集まりに連れていかれた。大学に入った時、乃木坂にある「生長の家学生道場」に入れられた。毎朝4時50分に起き、お祈りし、信仰を基にした大学生活を送った。まわりの人達もいい人ばかりだし、このまま、宗教運動を続けられたら幸せだと思った。そんな時、「生長の家」本部に入らないかと先輩に誘われた。一生祈り、勉強し、清らかな生活をする、それもいいと思った。その時、決断していたら、僕の人生も大きく変わっただろう。ただ、長続きしなかっただろうな、と思う。それに、親が反対した。信仰を伝えるのは貴い。でもそれを仕事にして、それでお金をもらうのはやめた方がいい、と言う。アマチュアでやるから貴いのであって、プロの仕事にしたら、ダメだという。その時は分からなかったが、今は分かる。

 「生長の家」本部には入らなくてよかった、と今は思う。この頃、大学では全共闘との闘いが激しくなり、「右翼学生」と呼ばれていた。「宗教」を離れて、「右翼」に突き進むことになる。だが今でも懐かしく思う。20代前半は純真だった。一生、信仰の道に入り、聖なる生活を送ろうと決心していたのだろう。今の堕落した、「俗」だらけの僕の生活からは考えられない。

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クリスチャン系の高校を卒業した鈴木さんですが、
生まれて初めて教会で講演を行うという体験に、
若き日の様々なことを思い出した様子です。
「あの頃は清らかだった。しかし今の自分はどうなんだ…」という思いを、
果たしてどれだけの大人がちゃんと認識できるのか?
ということも考えてさせられました。自戒を込めて。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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