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2013-02-20up

雨宮処凛がゆく!

第256回

尊厳死法制化の動きと、
その裏にあるもの。の巻
(その3・完結編)

 「このまま法制化されたら、15歳からリビングウィル(治療を断る事前の意思表示)を書かせます。法案では、都道府県ごとに啓発しなさいとなっているので、教育現場でもリビングウィルを書く練習が始まる可能性があります」

 川口さんはそう指摘した。欧米諸国では、リビングウィルの作成を奨励する医療が既に始まっているという。

 「でも、ALSの人たちはあまり書きたがらないです。用心深いから。一筆書いたら、自分の気持ちが変わったり、悪化して麻痺して何も言えなくなった時、『この人は前にこう書いてるから治療をしなくてもいいです』ってほったらかしにされるのが直感的にわかる。障害者はめったに書かないですけど、一般市民は知らずに書いてしまうでしょうね」

 私自身も、川口さんの話を聞く前だったら「辛い延命治療はいりません」みたいなものにサインしていたと思う。

 「怖いのは、リビングウィルカードと臓器提供カードがセットになることで、それを持っている人には、救急医療が差し控えられる可能性がある。積極的な治療を控えて低酸素脳症程度の段階で、家族には『重い障害が残ります』とか『永久に植物状態になります』と説明する。そうして、臓器提供の覚悟を家族にさせる。徹底治療すれば助かるかもしれないけれど、重い障害は残りそうな場合は積極的な治療はしない。そんな救命医療が王道になっていくと思います。尊厳死の法制化は、臓器が欲しい人たちには歓迎されるかもしれない。しかも、リビングウィルの適応年齢は15歳からとされるのです」

 なんだか思いもよらない方向にまで話が進み、「尊厳死」問題の奥深さに頭がクラクラした。というか、「尊厳死の法制化」だけでも脳が沸騰しそうなほど考えなくてはならないのに、そこに臓器提供の話まで絡んできた上に「長生きが迷惑と思われてしまう社会」という問題や個々の死生観、自分はどう死にたいか、自分の大切な人の最期はどうあってほしいか、でもお金は? 介護は? つか自民党の偉そうな人なんてみんな高齢者、とかいろいろな言葉が次々と浮かび、自分の中でまったく整理できない。だけどやっぱり、それくらい大変なことなのだ。人が生きたり死んだりするということは。だからこそ、情報もよく与えられていない中で、「尊厳死? いいよね! 絶対寝たきりになってまで生きたくないし。法制化? 大歓迎☆」みたいなノリで元気な人が賛成してしまうのは、実は少なくない人の命を見殺しにするとっても罪深いことなのだ・・・と改めて、というか初めて、思った。いや、その「少なくない人」の中にいつ自分が含まれるか、それは時間の問題と言っていい。

 川口さんの話を聞いて驚いたのは、私自身が「健康じゃない状態」について、本当に、何も知らないということだ。例えば、「残酷な終末医療」の象徴として語られる「チューブだらけ」みたいな状態。だけどそれは徹底治療しているからで、そういう治療を受けることで治っている人はたくさんいること。胃ろうについても、食べられるようになってやめている人がたくさんいること。呼吸器だって、ALSなどの一部の難病以外では良くなれば外せること。だけど、意外と多くの人がそんな基本的なことを知らないままで「そんな身体になってまで生きたくない」と思っている気がするのだ。というか、現在30代の私は完全にそう思っていたし、周りの話を聞いてもそうだった。みんな「痛いの嫌」「寝たきり嫌」みたいな「なんとなくのイメージ」で尊厳死を語っているのだ。

 そんな身体になってまで生きたくない。そう思うのは勝手だし、実際に生きないという選択を自らがするのも勝手だと思う。というか、長らく自殺願望の塊だった私は「死ぬ権利」はどこかで担保していたいと常に思っている。だけど、それは人には絶対に強要してはいけないことだ。そんな権利は誰にもない。だからこそ、「法制化」は、危険だと思うのだ。麻生みたいなオッサンに勝手なことを言われる筋合いは誰にもない。というか、これは完全なイメージだが、「偉い人」に限って死に際には「もっと生きたい!」とじたばたするのではないのだろうか。自民党の人たちって、なんか生に対する執着が尋常じゃない気がする。でも、それはそれで可愛いではないか。私はそうなった麻生氏を、初めて愛せる気がして仕方ない。

 私は介護の経験がない。だから、ぬるい寝言かもしれない。だけど、本当は「生きたい」と思っている人が、「迷惑なのでは」と考えて「尊厳死」という聞こえのいい言葉で合法的に見殺しにされてしまう社会は病んでいると思う。絶対に絶対に、自分の大切な人には、そんなことを考えてほしくない。自分自身も、そんなふうに思いたくない。それはものすごく、辛くて切ないことだから。

 95年から14年間、母親の介護をしていた川口さんは、介護を始めて8年目の2003年、自分で事業所を立ち上げた。ALSの患者さんにヘルパーさんを派遣する会社を設立したのだ。最初は自らの母親を含めて4人のALS患者を6〜10人のヘルパーさんで回していたという。そのうちにヘルパー養成機関が欲しいということで、研修事業を行なうNPO法人「さくら会」を立ち上げ、理事となる。

 「ALSの人たちのケアだけじゃなく、一般の人をどんどんヘルパーに養成して、働いてもらう。仕事のない人に仕事を提供する。尊厳死とかしなくても、こうして病気や障害や高齢で困っている人を、生活に困っているけど元気な人が介助してそこに国は資源を投入していけばいいんですよ」

 それを聞いた瞬間、「カッコいい!」と心の中で叫んでいた。姐さん、ついていきます! という気分である。

 そんな川口さんは、どんな最期を迎えたいのだろうか。聞いてみた。

 「私も過剰なことは自分にも望んでいないんです。ただ、あったかい環境で死にたいと思ってますし、せめて子どもや友達に見守られて亡くなれたらいいなって思ってます。終末期医療にはあまり期待してません。ただ、ちゃんと看取ってほしいと思ったら、尊厳死とか平穏死とか自然死とか言わない方が、いい医療が受けられるのは間違いないです。尊厳死に向けて適切な医療や介護が受けられなくなる恐れがあるので、自分にお金を使わなくていいというようなことは一切言わないでいた方がいい。『過剰な医療はしなくていいけれど、私を最後まで大切にして下さい』ってことは、矛盾していませんから、元気な時から周囲に向かって言っておけばいいんです。でも、自分が健康で強い時はこういうことはわからないことですよね。だけど、必ず弱くなるんです、人間て。終末期なんかも、いやだけど必ず来るわけで、自分はこうはなりたくないとか言わないことですね。死ぬ前はね、医療を受けても受けなくても、いくばくかの期間は意識不明で寝たきりになるんだから、必ず」

 取材の日の朝に亡くなったという人は、川口さんの事業所で10年間お世話をしていたALSの女性だという。

 「10年間、本当にいろいろあった」と言いながら、川口さんは言った。

 「亡くなっても、ヘルパーさんたち、みんな病室から立ち去らないんですよ。他人だけど、いなくなるとさびしいんですよね。人が生きてることの重みっていうか、思い出を共有していると、どんなに重い障害を持った人でも一緒に生きてた方がいいんですよ。大変でも。立派で健康な人ばかりの社会は、ゆとりがなくて、なんだか辛そうです」

 やっぱりまったく、この言葉にも同感だ。どんなに役に立たなくても、どんなに迷惑をかけられても、そしてどんなに嫌な奴でも、死なれてしまうと、どうしようもなく、悲しい。よくわかんないけど、私は、私のかかわった人たちには、とりあえず幸せな感じで、面白おかしく生きていてほしいと願っている。じゃないと、なんだか落ち着かない。知らない人が不幸なのも嫌だけど、知ってる人が不幸なのはもっと嫌だ。だから、これを読んでる私の知り合いは、とりあえず幸せでいろ!

 さて、3回にわたって書いてきた「尊厳死」。法制化されることになると、「尊厳死法」とか露骨な名前ではなく、「リビングウィル法」とか「患者の権利法」とか、聞こえのいい言葉で登場する可能性がある、と川口さんは言った。うーん、絶対に騙される奴続出、という感じではないか。そういうのが出てきた時には、飲み会で友達なんかにぜひ、話してほしい。なんか、俺らの思ってる尊厳死と、ちょっと違うっぽいよ、とか、そんな感じで。

 ということで、「連載内連載」も、今回が最終回。次号からは、いつもな感じで時事問題を鋭く斬る、みたいな予定だ(鋭くない? いや、突っ込みは受け付けてません)。

 この原稿を通して、あなたが尊厳死について、そしてその法制化についていろいろと思いを巡らせてくれたら、これほど嬉しいことはない。

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「過剰な医療」と簡単に言ってしまうけれど、
何が過剰で、何がそうでないのか。
それは法律などで決めてしまっていいものなのか。
少なくとも「なんとなくのイメージ」だけで議論が進んでしまうことは、
絶対にあってはならないのではないでしょうか。
皆さんは、どう考えますか?

ご意見・ご感想をお寄せください。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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