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2012-05-09up
雨宮処凛がゆく!
全原発停止!
「祝! 原発ゼロパレード」!!!
祝賀パレードのオープンカー!!
5月5日、日本国内のすべての原発が停止した。
42年ぶりにこの国が「原発のない世界」となったのである。
私にとっても初めての経験。ということで、記念すべき「原発ゼロ」の第一日目、杉並で「祝! 原発ゼロパレード」が開催された!!
主催は221回でも書いた「脱原発杉並」。そして今回はなんと「原発やめろデモ」とコラボするという最強タッグ! このパレードの呼びかけ文が素晴らしい。
「(前略) しかし、この日本で原発が一基も動いていないなんて、実に42年ぶり!
日本列島津々浦々まで原子力発電にたよらないで暮らしているのを実感できる--。
こんなことは生まれて初めて、という若い衆もたくさんいるんです。
だったら、もう、とりあえず、祝ってしまいましょうよ!(後略)」
原発全停止を祝う、ということに対して異論がある人もいるかもしれない。「今だって福島の事故は収束などしていない」「お祝いなんていってはしゃいでお祭り騒ぎするのは不謹慎」などなどの声があることは私も知っている。しかし、このパレードの企画にかかわっている人たちから聞いた言葉で、私の「祝祭モード」に火がついた。
それは「とにかく原発ゼロを盛大に、大袈裟に祝いまくることによって再稼働しづらい雰囲気を作ってしまおう!」というものだ。
そうだ! とにかく祝って祝って大盛り上がりになって、「原発が止まったことをこんなに喜んでいる人たちがこんなに大量にいる」ということを全世界にアピールしてしまうのだ!
ということで、当日。サイトには「めでたい服装」大歓迎とあったので、私は何を血迷ったか花嫁衣装で参加。そしたらなんと「素人の乱」松本哉氏はやたらとめでたい紋付袴で登場! 示し合わせたわけではないのに「新郎新婦」のようなことになってしまい、その上デモ前集会の公園には紅白の幕があらゆるところにあるので本気で結婚式のような光景に! しかもデモ前集会では司会の人が「新郎の松本さん」「新婦の雨宮さん」などと紹介するものだから本気で誤解する人続出! 「幸せになれよ!」などと集まった人たちからたくさんのあたたかい声援を頂き、原発ゼロと相まって勘違いも含めためでたさは最高潮に!
あまりにも誤解を招く衝撃の一枚!
クラウンアーミーのみなさんと。
テープカット!
更にデモに出る直前にはドラムロールが響き渡る中テープカットまで!
そうして「祝賀パレード」にはかかせないオープンカー(このパレードのためにわざわざ借りたらしい)に乗り込み(沿道に手を振るので、私は白い手袋を購入)、いざ出発! と思った瞬間、突然の豪雨!!
それでも出発! しかし、雨風はどんどん激しさを増していく! 私はオープンカーの屋根をつければ雨風は凌げるものの、ふと後ろを振り返ると、暴風雨の中、「デモ」というよりは「遭難」中の参加者たち! そんなデモ隊の上に、今度はなんとヒョウが降り注ぐ! もう東電や原子力ムラの陰謀としか思えない展開! しかし、そのうち開き直ったのか、嵐の中、大盛り上がりで踊り狂い、叫び狂うデモ隊の人々! さすがはこの一年以上、「脱原発」を続けてきたツワモノたち! とにかく、逆境に強い!
そうして全身ずぶ濡れになりながら進むデモ隊の上に、やっと一筋の光明が。雨が止み、空が晴れてきたのだ。私たちはオープンカーの屋根を外し、沿道に手を振り、「今日はすべての原発が止まった一日目です」「こんなにめでたいことはありません」「みなさまのあたたかいご声援のおかげです」「おめでとうございます」「ありがとうございます」を連呼。
やたらと祝祭的な雰囲気に、満面の笑顔で手を振ってくれる沿道の人々。そう、私はこの日、初めて「祝賀パレード」のオープンカーに乗り、発見したことがある。それは「人はデモには時に冷たい目を向け、無関心を貫くが、祝賀パレードにはめっぽう弱い」ということだ。何かオープンカーに花嫁と紋付袴が乗ってるだけで、「結婚パレード」とでも思うのか、向こうから「おめでとう!」とか手を振ってくれてやたらと好意的なのである。おそらく、日本の多くの人たちは「デモ」そのものには免疫がないが、「祝賀パレード」には免疫があるというか、なんだかいいイメージがあるようで「ぜひとも遭遇したいもの」「生で観れたらラッキー」ってな感覚らしいのだ。
上から見たオープンカー。
このことは、今後様々な運動を続けていく上で、大きな教訓を私にもたらしてくれた。ぜひこのことをアピールしたい! という時には、無理矢理祝うべきことを作ってやたらとオープンカーを出し、祝賀パレードにしてしまえばいいのだ。例えば死刑廃止を目指す運動だったら「今年は死刑執行がなくてよかった祝賀パレード」とかが考えられるし、原発が再稼働しなければ「今も原発ゼロ」ということでずーっと祝い続けることができる。デモに「迷惑」と顔をしかめる人も、祝賀パレードにはおそらく笑顔になる不思議。必需品はやはり、「めでたい服装」と「オープンカー」だ。
ということでこの日、私たちは2時間くらいをかけて高円寺を一周した。祝賀パレード参加者は、なんと3000人!!
そうして深夜まで、高円寺で参加者たちとお酒を酌み交わし、喜びを分かち合った。
高円寺と言えば、震災から約一ヶ月の昨年4月10日に「原発やめろデモ!!!!!」が開催され、1万5000人が集まった場所だ(184回参照)。あれから、一年と少し。思えばあの時期の私は震災と原発事故にただただうろたえ、戸惑っているばかりだった。だけど、あの日あのデモに参加して、覚悟が決まった。自分がすべきことがなんなのか、漠然とだけど、見えてきた。これほど多くの人がそれぞれの覚悟を持ってデモに参加しているという事実に、ものすごく勇気づけられた。
みんなで、この一年を振り返った。「東京で脱原発デモをすること」について、いろんな批判も受けてきた。だけど私は、この日この場所にいた人々が、どれほどそれぞれの現場で頑張ってきたかを知っている。そしてその中には、脱原発運動をしながらも被災地支援、被災者支援にかけずり回ってきた人たちも多くいることを知っている。そんな人たちで、「日本のすべての原発がゼロになった」一日目に、思い切り美味しいお酒を飲み、喜びを分かち合うことって、実はとっても重要なことだと思うのだ。
この日の前日には、「Twit No Nukes」主催で代々木公園でカウントダウン・パーティーが開催され、私も駆けつけた。午後11時、泊原発が止まった瞬間、シャンパンが振る舞われ、脱原発の大きな旗が夜空に翻った。数百人で、何時間も踊りまくった。
カウントダウンパーティーのDJブース
パーティーには数百人が参加、大盛り上がりに!
脱原発運動に限らず、「社会をほんの少しでもより良いと思われる方向に変えていこうとする試み」すべてに言えることだが、それは決して楽しいことばかりではない。時に傷つき、無力さに打ちのめされ、批判や非難の集中豪雨に晒され、心が折れそうになることだってある。だからこそ、喜べる時には全身全霊で喜びたい。そして志を同じくする人たちと分かち合いたい。一瞬でも、「勝利の美酒」に酔いしれたい。そうじゃなきゃ、なんのために生きてるのかわからない。
とにかく、私はこの2日間を最高の気分で過ごした。そしてここから、また新たな作戦が始まっていく。
ついに42年ぶりの「原発ゼロ」。
まずはそれを祝って、喜んで、次へと向かおう。
そんな気概を強く強く感じた杉並デモ。
襲い掛かる暴風雨と雹の中、
それでも数千人が歩き続ける光景は、なんともスゴイものがありました。
もちろん誰も、これで満足なんてしていない。
「次」はもう、いろんなところで始まっています。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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