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2011-11-02up
雨宮処凛がゆく!
信じられない「福島差別」の巻
10年以上前のことだが、キャバクラで働いていたことがある。
一冊目の本、『生き地獄天国』を出す1年前くらいまでアルバイトしていたのだ。
で、結局そのキャバクラはある日突然潰れ、店長かなんかが給料を持ち逃げしてトンズラ、見事「給料不払い」の当事者となったわけだが、潰れた理由は「お客さんがあまり来ないこと」だった。
基本的にやる気がなく、暇な店。そんな店は経営側にとってはたまらないが、こっちにとってはパラダイスである。客が来ないのでいつも待機室で女の子のみで宴席以上に盛り上がり(まぁ、店としては最悪)、店が終わってからも話し足りなくて焼き肉屋やカラオケに繰り出す、といった日々を送っていた。お客さんとのアフターなどはしない。なぜなら、女の子同士の方が楽しく、客など邪魔だからである。
そんなキャバ嬢時代の友人とは今も仲が良く、よく会っているのだが、最近も私の家で鍋をした。その時に、驚くべき話を聞いたのだ。
それは「福島差別」についての話。
キャバ嬢時代の友人の1人にはAちゃんという子がいるのだが、彼女は私が人生で出会った中でもっとも頭が悪い(そこが大好きなのだが)という福島出身の元ギャル。そんな彼女はキャバ嬢時代からバリバリの福島弁で信じられないほど訛っており、そのギャルギャルしい外見と訛りまくったトークというギャップから、店では「最終兵器」的扱いを受けていた。
で、福島は今回の大震災と原発事故で大変な状況にあり、彼女の周りでも被災した人がいるらしいのだが、そんなAちゃんが鍋をつつきながら語った「福島差別」の実態には驚いた。
「福島差別」については、報道などで「福島から転校してきた子どもがいじめられた」などという悲しい話を目にしている人も多いと思う。「なんで?」とまったく理解できないと同時に、「本当にそんなことをする人がいるのか?」とどこかで信じられない思いでいた。信じられないというか、信じたくなかったのだ。しかし、兄弟が今も福島におり、福島ナンバーやいわきナンバーの車に乗る機会が多いAちゃんは、実際にそんな差別に遭い、多く見聞きしていたのだ。
まず驚いたのは、福島やいわきナンバーというだけで、高速道路で煽られまくったということ。また、彼女の周りでは、関東圏で駐車場に車を置いておいたらイタズラされたなどの被害が多く出ていること。そして彼女自身も某遊園地に福島ナンバーの車で行ったところ、「ちょっと見て、福島ナンバーだよ」などと激しく奇異な目で見られて傷ついたこと。そしてもっとも驚いたのは、彼女の知り合いが関東圏のレストランに入ろうとし、駐車場に車を止めて店に入ったところ、「福島ナンバーの車があると他のお客さんが入らないので」と言われて二千円を渡され、入店を断られたということだ。
ちなみにその知り合いはAちゃんの知り合いだけあってあまり頭の方がよろしくないのか、「二千円貰えてラッキー☆だった話」としてそのことを語っていたらしいのだが、Aちゃんは東京の人々に対し、「おめぇらの電気作っでんのは福島だっぺ!!」と怒り心頭なのだった。
そんな話を聞く前日、愛知県・豊橋市のイベントに出演し、そこでも福島の人の置かれた厳しい実態を聞いた。話してくれたのは、原発から7キロの場所に自宅があったという男性。現在は豊橋で無事仕事が見つかり、働いているという男性が語ってくれた「あの日」の避難の生々しい実態に、改めて「こんな大変なことが起こっていたのだ」と愕然としたのだった。
震災は3月11日に起きたわけだが、男性が避難したのは11日の深夜。どうやら原発がヤバいらしい、ということで避難を決めたらしいのだが、本当に着の身着のまま、毛布とお財布くらいを持って車で避難したのだという。しかも車には、隣の家のお婆ちゃんが乗っていた。地震のあと、寒いだろうからと隣の家の1人暮らしのお婆ちゃんを車に乗せて暖をとらせていたのだという。そのお婆ちゃんをそのまま乗せ、近所の人たちと6家族でとにかく原発から離れるための「行き先のわからない逃避行」が始まった。一週間後くらいに豊橋に着いたらしいのだが、なぜ豊橋かというと、その6家族の中にたまたま豊橋に身内がいる、という人がいたという理由だという。
そうして右も左もわからない豊橋での生活が始まったわけである。男性は「運良くいい人に出会い、仕事も見つけて頂いた」と感謝の気持ちを語ったものの、「心の中では本当に帰れるのか、こっちにいた方がいいのか、ふらふらしている」と葛藤を語った。
3月11日からそろそろ8ヶ月。
しかし、この男性のように、着の身着のまま避難してきて、自宅に戻ることも叶わず、こうして先が見えない日々を送っている人が今も日本中にいる。そのこと自体が、「原発」が一度事故を起こした時の被害の凄まじさを表している。しかも非常に気になるのは、そんなふうに避難していると、子どもの内部被曝の検査などの機会がないということだ。
そんな被害にずっと直面し続けている福島の人たちへの差別など、絶対にあってはならないと思うのだ。
今回の原発震災の影響は、最も弱い人のところに顕著に現れています。
その人たちとつながり、支えるのではなく、
差別するという行動に出てしまうのは、なぜなのでしょうか?
自戒もこめ、人間の心の闇の部分を悲しく認めながら、
しかしそれを乗り越えていく方法を、やはり考え続けなくてはなりません。
雨宮処凛さんプロフィール
あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」
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