マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ雨宮処凛がゆく!:バックナンバーへ

2011-08-03up

雨宮処凛がゆく!

第198回

「自主避難」は「自己責任」なのか? の巻

野菜デモにて

 7月31日、原宿・渋谷で開催された「野菜デモ」に参加した。野菜デモとはその名の通り、放射能フリーの野菜を食べたい!というデモだが、3度目の今回は「上関どうするネット」とのコラボで開催。上関とは、山口県上関町。原発建設が進められようとしている場所で、その対岸の祝島に住む人たちは、ずーっと原発建設に反対し続けてきた。週に一度開催してきたデモは、なんと今までで1102回にものぼるという。

 そんな「野菜デモ」と「上関どうするネット」のコラボデモでは、元ブルーハーツの梶原さんがドラム隊に参加してたり、最前列では映画監督の鎌仲ひとみさんが横断幕を持っていたりとあちこちにすごい光景が出現。約400人で脱原発を訴えたのだった。

 そんなデモの2日前の7月29日、文部科学省で12回目の「原子力損害賠償紛争審査会」が開催されたことをご存知だろうか。これはその名の通り、今回の原発事故で損害をこうむった人々への賠償について話される場。この日、中間指針が出されることになっていたのだが、そこで注目されていたのが「自主避難の人たちへの補償が置き去りにされるのではないか」ということだった。

 ご存知のように、政府は20キロ圏内を警戒区域として避難指示を出し、20キロ圏外でも放射線量が年間20ミリシーベルトを超えると推計される場所を計画的避難区域、特定避難勧奨地点に指定し、避難を促している。

 しかし、それ以外の地域だって「安全」である保証はまったくない。「20ミリシーベルト以下」という基準がそもそも高すぎるし、各地にホットスポットは点在している。30キロ圏外だって、場所によっては警戒区域より放射線量が高い場所だってあるのだ。

 そんな状況を受け、福島では多くの人が自主避難を余儀なくされている。しかし、強制的な避難と違い、自主避難には今のところ補償や賠償についてはまったく確定していない。人によっては建てたばかりの家のローンがあり、避難生活が長引いている人の中には貯金が底をついている人もいる。また、自主避難の人は義援金や東電の仮払い金の支給対象になっていない。その上、子どもだけを避難させて二重生活、という人もいる。総数すら正確にはわからない。

 「とにかく子供を被曝させたくない」という一心で自主避難した/させたのに、このままでは「勝手に避難したんだから自己責任」ということにされてしまうのではないか? ということで、この日、紛争審査会(なんかすごい名前だな)が今まさに始まろうとしている文部科学省前で、福島から自主避難している人たちがアピールを行ったのだ。

 8歳と11歳の子どもがいるというシングルマザーの女性は、言った。

 「金銭的な余裕はありません。でも、子どもの命を優先に考え、山形に避難しました。子どもの命、健康にかえられるものはありません。だけど、仕事を捨てて今まで住み慣れた土地を捨てて避難するということがどれだけ精神的にも金銭的にもキツいのか、当事者にしか絶対にわからないことだと思います。お金がないから逃げられない、避難できないお母さんたちは本当にたくさんいます。誰も好き好んで福島から離れるわけではありません」

 続いた彼女の言葉に、「自主避難」という言葉に隠されている現実を思い知った。

 「去年の今の時期は、子どもたちと近所の河原で遊んでいました。みんな仲良くてサッカーや野球をしたり虫をとったりしていました。それがこの先もう二度とできません。もう二度と去年までの生活には戻りません。収束していない福島原発からは毎日毎日煙が上がっています。なのに、自主避難は『勝手に避難しただけ』という扱いにされるのは本当に憤りを感じます」

文部科学省前で

 福島市に住んでいたというこの女性は、7月はじめに自主避難に踏み切ったのだという。それまではパートで働き暮らしていたものの、現在は先月のお給料で2人の子どもを抱え、なんとか暮らしている状態。避難先での仕事はまだ見つかっていないという。赤十字からの家電セットなどの支援はあったものの、これからの生活の見通しは立っていない。

 また、同じく自主避難中の男性は、「幸い自分は貯金があったからなんとかなった」ものの、「お金がないと移動もできない、避難してもその後の生活ができるのかという不安」が多くの人にとって壁となっていることを訴えた。

 原発事故から既に5ヶ月近く。事故の直後には、東京に住む私の周りの人たちも、少なくない数が関西などに避難した。今は多くの人が東京に戻っているが、考えてもみてほしい。強制避難、自主避難にかかわらず、福島の人たちはそれから5ヶ月近く、ずーっと自分の住む場所に戻れず、場合によってはあちこちを転々としながらの生活が続いているのである。ここに「強制だから補償する」「勝手に避難したんだから補償しない」などといった線引きは絶対にあってはならないことだと思う。なぜなら、自主避難に踏み切った人の多くは「政府の言うことがまったく信用できない」という誰もが納得する理由が避難の引き金になっているからだ。

 この日、紛争審査会にあてて提出されている福島の人たちからの意見書には、あまりにも切実な訴えが綴られていた。

 「ただちに健康に影響がない、とか、メルトダウンしていないとか、ウソをつき隠し事をしたことで、福島の子どもたちが避けられた被曝をしました。情報のない人たちは、今も被曝し続けていて、これは取り返しがつかないです」

 「事故後に何もしなかった元社長に退職金出すなら、自主避難を余儀なくされている家庭にもお金をください。義援金も、一時仮払いも、被災支援品も何もない状態で4ヶ月。東電に家宅捜索に入らないなら許しません。何もかも」

 「汚染され価値のない土地になったにもかかわらず国の過小評価によって避難地域になってないことから払わなくてはいけない固定資産税や住宅ローン。(中略)私の子どもはもらうだけの内部・外部被曝をしています」

 また、原発から50キロという地点でも、とてつもない恐怖に直面していたことを改めて思い知った。

悲しすぎるプラカード・・・

 「3月15日、高濃度放射線量でヨウ素剤が配布され、屋内退避するように広報車が伝えていた。店は閉まり、人も車もほとんど見えなくなり、隣近所の人が次々と自主避難され、不安と恐怖を感じました。(中略)あのような状況下、原発から50キロ圏内の者でも避難するのはごく当然です。避難に要した直接の費用、交通費、住居費などは補償するべきと思います」

 一方、避難できない人たちの声も切実だ。

 「駐車場で10マイクロシーベルト以上。家の中ですら0.5マイクロシーベルト前後あります。(中略)逃げなくてはならない状況なのに、良くない可能性があるのに国も県も逃げなくて大丈夫だけど気をつけて生活しろと言います。おかしすぎます」

 意見書からは、そんな状況の背景にある国の思惑も浮かび上がってくる。

 「既に報道されている伊達市に加え、福島市も、放射線量が高い区域は多々存在する。ところが、県庁所在都市であるゆえか、福島市を避難区域から外そうとする意図が感じられる。原発立地点から半径30キロ圏内よりも、放射線量が高い区域があるにも関わらずである」「福島市や郡山市といった線量の高い地区を補償の対象にしないのは、人口が多すぎて補償がしきれないという意図が見え見えです」

 なんとなく、「自主避難」問題の全体像が見えてきたのではないだろうか。

 もちろん、20キロ圏内などの避難地域の人たちも大変な思いをしている。しかし、「強制」と「自主」という言葉で「自己責任の線引き」をしてしまうことは、決してあってはならないことだと思うのだ。

 そうしてこの日、紛争審査会で示された中間指針(案)には、自主避難者への補償は盛り込まれなかった。

 この中間指針、8月5日にまとまる予定だという。

 自主避難の人を見捨てるのか、見捨てないのか、国の態度を見極める大きな判断基準となるだろう。

 ぜひ、注目していてほしい。

「妻子三人自主避難中」

←前へ次へ→

住み慣れた家や働く場所を離れ、
見知らぬ地へと避難することが、
どれだけ大きな負担であることか。
それでもなお「安全」を守ろうとする行為が、
「自己責任」の言葉で片付けられるとしたら。
これは、この国に生きる私たち全員の問題です。

ご意見・ご感想をお寄せください。

googleサイト内検索
カスタム検索
雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

「雨宮処凛がゆく!」
最新10title

バックナンバー一覧へ→