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2011-06-08up

雨宮処凛がゆく!

第191回

原発労働、原発と雇用。の巻

 4日の「マガ9学校」は素晴らしかった。

 「原発の現場を歩いて 原発体制と労働者」というタイトルだったのだが、まずは鎌田慧さんが講演。その後、私が聞き手となって対談ということになっていたのだか、スペシャルゲストとして登場してくれたのが、元原発労働者の「トライチ」さん。

 トライチさんとは最近ある集会でお会いし、原発で働いていたということから取材を申し込み、一度話を聞かせて頂いたという経緯がある。そして今回、ご登場頂くことになったのだが、このような形で人前で話すのは初めてとのこと。「じゃあ、私がいろいろ質問させて頂きますね」ということになっていたのだが、登場した瞬間から怪しすぎるマスク(タイガーマスク風の、頭まで覆うタイプのマスク)姿で観客の心を鷲掴み。しかも話しだすと素晴らしい論客ぶりで、話もとっても面白く、専門的なことも実にわかりやすく解説。様々な写真を見せてくれながら「原発内部」についてお話しして下さり、何か「スター誕生」の瞬間に立ち会ったような気分が込み上げてきたのだった。

 そんなトライチさんが原発で働いていたのは90年代。普通にハローワークで紹介されたのだという。原発では「放射線管理員」として勤務。「放射線管理員」なんて聞くと「なんかすごい専門技術持ってて、すごいハイテクな仕事をしてたのでは?」と思うのだが、内部の話を聞けば聞くほど「原発ってこんなに原始的なんだ!」と驚くことばかりだ。

 例えば、原発内部(海に近いとこ)には海から貝が流れ込みまくって「貝まみれ」だったり、それが腐ってものすごい悪臭だったり、放射能の「除染」に使われるのが普通の紙雑巾だったり、中で働いてる人は眉毛が汚染されやすかったり、洗っても落ちなかったらもう眉毛剃るしかなかったり。なんか、「原発」というワケのわからないけど何かすごい科学技術を集結したみたいな場所が、結局は人海戦術によって支えられていて、しかもその中には「被曝要員」みたいな人が不可欠という現実に、改めて驚いたのだった。

 しかし、仕事のない地元では原発の仕事は給料も良く、トライチさんは派遣だったものの寮費などは無料。寮費や光熱費や家具のレンタル代までとられる00年代以降の「製造派遣」と比べると信じられないような高待遇だが、やはり血液検査などをすると白血球の数値が「トンデモない値」になっていたというから恐ろしい。免疫低下のためか原発で働いていた頃は風邪をひきやすかったそうだが、それでも「原発で働いている」ことを友人たちに羨ましがられ、時に妬まれたのだという。

 仕事のない地域で、現地の雇用と密接に結びついた原発。

 「マガ9学校」でそんな生々しい話を聞いた翌日に開催されたのが、原発を抱える青森での県知事選だ。結果は原発・核燃料施設の立地を進めてきた現職の三村氏が当選。「安全性を検証する」という、まぁ何か言ってるようで特に何も言ってない現職が「新設凍結」「廃止」を訴えた候補者を破るという結果になった。

 この背景にあるのも、やはり「原発がないと仕事がなくなる」といういかんともしがたい現実だろう。

 最近、ある会合に行き、研究者の方たちの話を聞いて「なるほど」と思ったことがある。原発について話していたのだが、その時に出た話題は「北九州の生活保護の水際作戦で餓死者、自殺者が続出」という話。北九州では生活保護が抑制され、07年には「おにぎり食べたい」という言葉を残して50代男性が餓死。その他にも生活保護を断られるなどして自殺した人が相次いでいたことはこの連載でも触れてきた通りだが、北九州でそこまで生活保護受給が抑制された背景にあったのは受給者の増加。そしてその増加の背景にあったのは、「炭鉱の閉山」という事態だった(同時に製鉄業の不振などもあったようである)。『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す』という本に『北九州市史』からの引用があるのだが、それによると1967年5月の保護率は「全国最高というだけでなく、全国平均の約4倍半という驚くべき高率」。こうした結果、生活保護は厳しく抑制されるようになり、30年間で利用者は5分の1にまで減少。こうして「生活保護受給者を徹底的に減らしていく」ことがひとつの大きな目標となった結果、北九州は「どんなに生活に困ってもなかなか生活保護が受けられない」地域となってしまい、07年には餓死者まで出るという最悪の事態が起こったというわけである。

 このように、ひとつの産業がなくなる時には大量の失業者が生み出される。そして場合によっては数十年にわたって町を疲弊させ、数十年という時が経ってさえ、そこに住む人に不利益をもたらすこともある。

 そんなことを考えると「雇用と原発」という問題にどこから手をつけていいのかわからなくなってくるが、これから「脱原発社会」を考える上では北九州をひとつの「反面教師」としつつ、町やその将来を破壊しない形でどうしていくか、ということまで含めた議論が必要なのではないか、と思ったのだった。

「原発怖いぞコノヤロー交流会」にて。持ってるのはガイガーカウンターです。

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4日の「マガ9学校」は、原発産業という体制が、
いかに一部の人を犠牲にし、コミュニティを破壊して、
成り立ってきたものだったかを改めて気付かせてくれる内容でした。
「原発」に頼らない社会を、というとき、
そこにはエネルギーの問題だけではない、
根深く幅広い問題が横たわっているのです。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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