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2010-06-23up

雨宮処凛がゆく!

第149回

「小泉改革」の残したもの。の巻

対談にて。宮崎学さんと魚住昭さんと。

 とうとう選挙の公示日が近づいてきた。

 鳩山さんがやめて菅内閣が誕生した瞬間に60%以上に急上昇した支持率は、消費税増税の話が出たあとには50%に下落した。

 消費税増税に対して、菅総理は「社会保障費が増えていくことを考えるとこの程度の財源が必要になる」と述べている。

 そんな菅内閣が誕生してすぐの14日、福岡高裁で出たある裁判の判決をご存知だろうか。

 それは、生活保護の老齢加算の廃止を巡る裁判だ。「老齢加算」とは、生活保護を受けている70歳以上に最大月1万8000円支給されていたもの。冠婚葬祭など、高齢者の特別需要に配慮して支給されていたこのお金は、社会保障費を削減する「小泉改革」のもとで廃止された。その「老齢加算」の復活を求めて全国で約100人の当事者が裁判を起こしてきたのだが、今まで、この裁判はずっと負け続けてきた。それが今回、初めて福岡高裁で原告の勝訴となったのである。

 この判決は、私にとっても嬉しいものだった。なぜなら、「老齢加算」の問題は、世代を超えて広がる貧困、という問題を私に気づかせてくれるものだったからである。

 プレカリアート運動にかかわり始めた頃、私が問題意識を持っていたのは自分と同世代や下の世代の、主に「ロスジェネ」「若者」の貧困だった。どこかで上の世代は「勝ち逃げ」して「得」をしている、という思いがあったことも否めない。何か、「悠々自適に暮らす金持ちの高齢者像」というものが私の中にあったのだ。

 しかし、反貧困ネットワークの集会などで「老齢加算」の裁判を起こしている人たちの話を聞き、衝撃を受けた。生活保護を受けている高齢の人たちは、老齢加算が廃止されたことによって1日の食事を2回に減らしたり、たまの外食が「コンビニのおにぎり」であることを語ってくれた。さらに驚いたのが、遠くに住む高齢の兄弟や親戚などが病気で入院しても交通費がないからお見舞いに行けない、親しい人が亡くなっても、香典が出せないからお葬式にも行けない、という実態だった。

 その話に、自分ちの亡くなったお婆ちゃんのことを思い出した。うちのお婆ちゃんはとにかく「冠婚葬祭」が大好きで、マニアと言ってもいいほどだった。とにかく「親戚」系の集まりが好きで、それに命を懸けていたと言っても過言ではない。

 が、「お金がない」という理由でそういう付き合いが断ち切られてしまったとしたら、それは思いきり「人間関係の貧困」に繋がっていく。

 菅総理は、所信表明演説で「地域との関係が断ち切られた独り暮らしの高齢者など、老若男女を問わず、『孤立化』する人々が急増しています」と述べている。そういう人たちをいかに包摂していくか、という内容だったと記憶しているが、その菅総理自身は、今回の判決を受けて、老齢加算を「ただちに復活させる予定はない」と発言している。

 判決から4日後の18日、厚生労働省で行われたナショナルミニマム研究会で、この裁判にかかわっている人から「生活保護の老齢加算を復活させることを求める要請書」を頂いた。そこには、妻が70歳まで病気の夫の介護をしながら働いてきたものの、病状が悪化したために仕事を辞め、生活保護を受給した夫婦の話が書かれていた。

 青森に住んでいるため冬には灯油代が2万円もかかること。夫の病気のため、他をいくら削っても暖房代だけは削れないこと。外出するにも1日数本しかバスがなく、吹雪いているとバスも走らないので(北海道出身の私には非常にわかる)、タクシーを使わざるを得ない時もあること(この辺りの話は地方の衰退の問題ともかかわってくるだろう)。そんな夫婦はやはり親戚や知人のお葬式にも行けず、夫の姉が亡くなった時も香典を出せなかったのだという。夫は「実家に行きたい」と言っていたそうだがお金がなくて結局行けず、「骨になってからの帰郷となってしまいました」という言葉にショックを受けた。

 この一文からもわかるように、高齢者の人にはリアルに時間がない。しかし、老齢加算の復活は、なぜか政治の場でも忘れられているように見える。

 同じ小泉改革の中で廃止された「母子加算」は、政権交代後すぐに復活した。しかし、老齢加算は今も廃止されたままだ。

 菅総理が言う「最小不幸社会」という言葉は、もっとも弱い立場にある人に寄り添う社会ではないのだろうか。

 これからどうなるのか、行方を見守りたいと思っている。

23日に新刊『反撃カルチャー』(角川学芸出版)が発売されます! プレカリアート運動を文化という側面から捉えた一冊なので、ぜひ読んでほしいですっ。
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家族や友人や、大切な人の最期にさえ、
「お金がない」ために駆けつけることができない。
そんな生活を、「健康で文化的な最低限度の生活」と呼べるのか。
菅総理が所信表明演説で述べた
「一人ひとりを包摂する社会」とは、どんな社会なのか?
疑問だけが膨らみます。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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