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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイト

生きさせろ!
雨宮処凛の闘争ダイアリー

※アマゾンにリンクしてます。

ネットカフェからのSOS。の巻

「自由と生存の家」設立記念イベントにて。派遣村村長・湯浅さんと日産ディーゼルユニオンの藤堂さんと。

 ものすごく不思議な出会いをした。
 そもそもは私のもとに届いた1本のメールがすべての始まりだった。
 メールを確認したのは4月7日。前日まで高知に行っていたので、そのメールが出されたのは5日頃だと思う。メールには、「22歳のネットカフェ難民の男性です。相談に乗って頂きたく、メールしました」とだけ書かれていた。

 急いで「もやい」のことなども含めて相談に乗る旨返信すると、状況がかなり逼迫していることがわかった。お金がないのにネットカフェに入ってしまい、出るに出られない状態だという。
 この時点で、その人の名前も、そしてどこにいるのかもまったくわからない。どこにいるのか教えてほしいと返信すると、すぐにまた返事が来た。現在池袋の○○というネットカフェにいるという。
 お金がないのにネットカフェに入ってしまい、出るに出られない。その状況は私が様々な報道で見聞きしてきた「ネットカフェで所持金ゼロで逮捕」という事件が起こる寸前の状況だった。このままいけば、間違いなく彼は逮捕されるだろう。そしてまったく見ず知らずの私にメールしてきたということは、他に頼る人もいないということだ。私は返信した。「じゃあ、今から私が迎えに行きます」。そうして彼のいるネットカフェの場所を調べ、家を出た。すぐに「本当にありがとうございます!○○番ブースにいます」という返事が来た。既にネットカフェには20時間ほど滞在し、使用料がかなりの金額になっているだろうことを彼は気にしていた。

 そうして午後4時過ぎ、彼がいるネットカフェに着いた。受付で「知り合いを迎えに来ました。ちょっとお金が足りなくなっちゃったみたいで・・・。○○番ブースです」と、まだ会ってもいない彼の知人のふりをする。そうして店員さんに案内されて店内に入った。一畳ほどの個室がずらっと並ぶ中、ひとつのブースの前に案内される。
 「あ、雨宮です・・・」
 個室をノックすると、ブースから顔を出したのは、本当に普通のオシャレな若者だった。お互い奇跡のようなあり得ない出会いに戸惑いながらも会計を済ませる。滞在時間は19時間55分。金額にして6900円だ。
 「あ、ゴスロリじゃないんですね・・・」
 普段着姿の私を見て、最初に彼が口にしたのは事態の重さとはうらはらに、そんなマヌケな言葉だった。それから池袋の道端に座って30分ほど話した。彼は4月から、住み込みの仕事が決まっていたのだという。それまでしていた日払いの仕分けの仕事もこの不況で週払いとなったのでやめることにして決めた仕事だったらしい。しかし、住んでいたゲストハウスを3月後半に様々な手違いで出ざるを得なくなり、それと同時に携帯も止まり、住み込みで働くはずだった会社からは携帯が止まって連絡が取れないので「飛んだ」と思われ、気がつけば所持金もなく、野宿などをしていたという。これまでどうやって生きてきたか自分でもわからない、と混乱した様子で彼は言った。

 もし私が来なかったらどうしてた?
 そう聞くと、午後5時がタイムリミットだったという。ネットカフェ側は午後1時に一度支払いを求め、彼は「友達が来るから」と演技して5時まで引き延ばしていたのだという。もし5時までになんともならなかったら、警察を呼ばれてしまうところだったのだ。私が行ったのは午後4時すぎ。1時間遅れていたら、彼は既にいなかった可能性が高い。住む場所を失い、携帯が止まってからの間、彼はとにかく現実のことを考えるとキツいので他のことばかり考えるようにしていたと語り、そしてハンガーにマフラーをかけていつでも首が吊れるようにしていたとも言った。

 ショックだった。目の前の彼があまりに普通の若者だったからだ。普通の、というか、明るくて爽やかで面白い若者だ。彼は私の本を読んでくれてもいた。携帯も止まって困り果てた時、ネットカフェのパソコンから私のアドレスを探し出し、メールをくれたのだ。しかし、たまたまその日は家で仕事をしていたからいいが、東京にいなかったり、〆切に追われてメールチェックをしていなかったらアウトだった。様々な事情で親に頼れない不安定層は、こうしてちょっとしたことで突然生死の危険に晒される。たった6900円が払えないことで、逮捕されてしまう。昨日の朝から何も食べていないという彼に、買ってきたサンドイッチを渡し、若干のお金を渡した。ちょうどその翌日は派遣村の相談会が日本青年館で開催される日だったので、そのチラシも渡した。相談会に行ってくれさえしたら、あとは派遣村のプロがいる。

 その翌日、彼からメールが来た。なんと知り合いと連絡が取れ、知り合いのところで働かせてもらえることになり、これからある県に向かうところだという。胸を撫で下ろした。とにかく昨日、出会えてよかったと思った。なんだか奇跡のような1日だった。

 私が会ったこともない彼を迎えに行ったのは、反貧困運動、プレカリアート運動にかかわり、そこで出会った人々に受けた影響が大きい。最近、私の周りの労働組合などには、所持金ゼロでもう相談に行く交通費もない、という人からのSOSが多い。そんなSOSが寄せられた時、当たり前に会ったこともない、だけど困っている人を彼らは迎えに行き、相談に乗り、生活を立て直す手伝いを淡々と進めている。当然のことのように、あまりにも自然に。私には労働相談に乗れるような専門知識もなければ、生活保護申請に同行できる知識もない。そんな中、自分が運動の中にいてさえ「役立たず」だと思うこともあった。だけどできる時にできる人ができる範囲のことをすればいいのかな、と思った。反貧困、プレカリアート運動にかかわって、私は「人を信じていい」というような気持ちを学んだ気がするのだ。こんなに「いい人」というか、当たり前に人を助ける人たちが沢山いるのだから。

 池袋のネットカフェで出会ったXくん、元気でね! 今度会ったら道端じゃなく、どっかでゆっくり話そう!

※全国インディーズ系メーデーは続々と増殖中!
なんと今年は北海道の北見でも開催されます。お近くのインディーズ系メーデー情報はこちらでチェック!

17日の阿佐ヶ谷ロフトのイベントの打ち合わせという名の飲み会。左からフリーター労組のQTさん、私、ライターの鶴見済さん、素人の乱の松本さん。

見ず知らずの人からやってくる、突然の「SOS」。
思わず言葉を失ってしまうような事態ですが、
それを当然のように助けようとする人が大勢いることは、
大きな救いのように思えます。
写真の「17日の阿佐ヶ谷ロフトイベント」については、
前々回のコラムに案内があります

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