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世界から見た今のニッポン
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『映画 日本国憲法』のジャン・ユンカーマン監督からの寄稿です。
昨年9月の首相就任から半年が経とうとする安倍政権の、
巧妙な「戦略」について分析しています。

第36回
アメリカ
「子犬」の安倍首相、いよいよ爪を出すジャン・ユンカーマン
John Junkermanジャン・ユンカーマン(John Junkerman)
アメリカ人ドキュメンタリー映画監督。日本在住。2005年の作品『映画 日本国憲法』は、9条を守ろうとする様々なグループによって全国で広く上映されている。最近では、中国・山西省における性暴力被害女性たちを描いた、中国人監督・班忠義氏による『ガイサンシーとその姉妹たち』の編集を手がけた。2月17日に東京で上映会が行われる。両映画に関する詳細はwww.cine.co.jp まで。
安倍首相の「ソフト」な攻撃

 2006年に安倍晋三が首相に任命されたとき、第9条を骨抜きにする自民党改憲案(2005年11月発表)が一気に実現するのではないかという危惧が広がりました。そもそも安倍は有名な改憲派で、祖父・岸信介の血を自慢する人物。岸信介といえば、1950年初頭から改憲を主張し始め、首相になってからは国会に憲法調査会を設置したことで有名です。

 しかし、安倍は抜け目ない戦略に出て、「ソフト路線」をとったのです。就任数週間後に行った初めての外遊先に、北京とソウルを選び、小泉首相の度重なる靖国参拝のせいで傷ついた中韓との関係修復を試みました。自身が靖国神社を参拝するのかという質問には巧みにごまかし、物議をかもす発言は避け、改憲の実現には6年かけるという「ゆっくり路線」を発表しました。(6年後も首相の座にいるという自信があるということでしょうか?)

 安倍の「ソフト」な攻撃は、野党議員に「子犬」と形容されていますが、日本の近隣諸国および日本のメディアや大衆を安心させたようです。しかしその陰には、野心的かつ過激に保守的な課題が隠されていたわけで、12月に教育基本法が改定され、自衛隊の地位や使命を変える法案が通ってしまいました。安倍が改憲にたいして「ゆっくり路線」をとっているのは、改憲をしなくても重要課題の多くを達成できると予測しているからかもしれません。

 中道の新公明党と連立した現在の自民党は、衆参両院で多数派を堅持していて、その気があればいくらでも法案を通すことができます。しかし、改憲のためのハードルは高く、両院でそれぞれ3分の2以上の賛成を集めた後、国民投票で半数以上の賛成票が必要なのです。国会では改憲を支持する人が増えていますが、国民の間では、特に9条をめぐって、まだ意見が分かれています。ほとんどの世論調査では、9条の改定を望んでいるのは3分の1にすぎず、9条を守る運動はどんどん広がっています。国民投票をしても勝つ見込みが薄いので、安倍のゆっくり路線は戦略を考えてのものなのでしょう。一方で、就任後3ヶ月間の動きを見ても、安倍が他の政策に関しては非常に積極的なのがわかります。

さらに貧弱になる現代史教育

 教育基本法は1947年に平和憲法と抱き合わせで成立しました。戦前・戦時のナショナリスティックで国家管理型の教育の再来を防ぐことを主な目的とし、個人の尊重、個性の育成、真実・平和・正義を愛する心の養成を謳っていました。また、教育に対する「不当な支配」を禁じ、教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであるとも述べられていました。保守派は、この法律が個人主義を偏重し、日本の侵略に関しての自虐的な歴史観の基礎をつくるとして、ずっと批判し続けてきました。

 変更後の法律は、「公共の精神を尊び」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する態度を養う」ことを定めています。後半部分は、もともと「愛国心」を明確に促進していた表現が薄まってできたものですが、目的は変わりません。と同時に、教育が国民全体に対し直接責任を負うという部分が削除され、教育の管轄が、地方ごとの教育委員会から中央政府にシフトされています。具体的な変更がどのように行われていくのかはこれからわかるのでしょうが、歴史教科書の記述をめぐっての諍いや、学校での国歌斉唱の強制をみていると、今後の方向性が推定できるというものでしょう。

 『週刊金曜日』の最近の分析によると、安倍政権における内閣、内閣官房、首相補佐官にいる国会議員25人中22人は、国会にある2つの超保守派連盟の少なくとも1つに属しているそうです。1つは、「日本らしさ」を促進し、天皇を敬い、靖国神社への参拝を促進する神道政治連盟の議員懇談会。もうひとつは「日本会議」を支持する議員連盟で、教科書における歴史記述の修正、憲法と教育基本法の改定、靖国参拝、自衛隊の賞賛などを促進してきた人々です。安倍は首相になる前に、これら両連盟だけでなく、「新しい歴史教科書をつくる会」を支える国会議員のグループである「歴史教育議連」の事務局長も歴任したこともあるのです。
 日本政府は、旧日本軍が20万人のアジア人女性を強制的に「慰安婦」にしたことに対して1993年に謝罪しましたが、昨年10月に、安倍の側近である下村博文がその謝罪を撤回するよう提言しました。一色に染まった「安倍なかよし内閣」をみていると、そのようなことが起こっても不思議ではないですね。証拠文書や被害者の度重なる証言があるにもかかわらず、歴史修正主義者たちは、「(「慰安婦」は)どこの軍隊にでもいる娼婦にすぎない、日本は謝罪する理由がない」と主張しているのです。1990年代には「慰安婦」の記述が歴史教科書にちらほら載っていたにもかかわらず、歴史修正主義者たちのキャンペーンの影響で、今では一切の記述が削除されています。
 教育基本法の改定で、第2次世界大戦の不名誉な記述を削除しようという動きに拍車がかかるのは、目に見えています。今でさえ、日本の中等教育における現代史教育は貧弱なのに、「国を愛する心」を教えなくてはいけないという新しい使命が加わったことにより、次の世代は、日本の戦時中の行為や、そもそもなぜ平和憲法が必要だったかということさえ、さっぱりわからないまま育つのでしょう。

安倍とその軍団が欲しがる「戦争をする権利」

 自衛隊の昇格は、安倍のキャンペーンの2つめの柱でした。1954年の設立以来、自衛隊を管轄する防衛庁は、一人前の「省」ではなく、内閣の一事務所に過ぎない「庁」だったのです。これは、憲法第9条で、日本が軍隊の保持を禁じていることを反映していました。冷戦時代に、専守防衛に限った自衛隊を置くが、厳格な制限のもとで運営されることが決まったせいです。
 2007年1月をもって、防衛庁は防衛省になりました。理由としては、特に外国軍との合同演習の際などに、下級扱いされている地位に苛立ちがちな自衛隊員の士気を高めるため、と言われています。24万人の隊員と世界第4位の軍事費を誇る現実を考えると、省の地位を与えられて当然だと思う人がいても理不尽ではありませんが、これは単なる象徴的な動きではなく、日本での軍隊の正常化と組織化を狙ったものに違いありません。
 しかし、防衛庁の昇格より、「安倍新法の嵐」の中であまり注目を浴びなかった自衛隊法改定の方が、重要な変化です。自衛隊法の改定では、自衛隊の海外での活動範囲が飛躍的に広がったのです。国連平和維持活動から、世界中におけるアメリカの戦争の支援活動に至るまで。つまり、表向きは専守防衛に限定されているはずの自衛隊は、日本列島からはるか離れたところでの軍事活動に従事できることになったのです。アフガニスタンやイラクでのアメリカの戦争を支援する際には、日本は特別法を作ったり、苦しい憲法解釈をひねり出さなくてはならなかったのに、今では堂々と合法化されてしまったのです。

 日本の再軍備には、制限がほとんどなくなってしまいました。しかし、まだ1つだけ残っていて、それは非常に重要なものです。日本国憲法では「国家交戦権はこれを認めない」と謳っています。日本には軍隊があり、防衛省があり、その軍隊は世界中どこへでも派遣できますが、宣戦布告することはできないし、自衛目的を除いては、殺すために発砲することもできない。日本の軍隊は強力な最新兵器で隅々まで武装しているかもしれませんが、引き金を引くことはできません。殺すことができないのです。

 この「戦争をする権利」こそ、安倍とその軍団が欲しがっているもの。簡単には手に入らないので、ゆっくり路線を引いたのでしょう。しかし、その方向に向けての一歩一歩、つまり、歴史や教育の枠組み作りから日本の軍隊の機能修正に至るまでのひとつひとつが、憲法に書かれた条文から遠くはずれた既成事実を作っていくのです。いずれは、この矛盾をさらに大きくひろげ、平和憲法を放棄せざるを得ない状況を創り出そうとしているのではないでしょうか。

一見、「ゆっくり」で「ソフト」にも見える安倍政権の政策。
しかし、その陰で何が進みつつあるのか、
私たちはしっかりと認識しておく必要があるのではないでしょうか。
ユンカーマン監督、ありがとうございました。
なおこちらの英語版についても近々公開予定です。お楽しみに。
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