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大学で日本について学んだヴォロンツォフさん。
「軍隊を持たない国が、普通の国になる時代」という
第6回のコラムに引き続き、寄せていただきました。
第28回
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ドミトリー・ヴォロンツォフ(Dmitri Vorontsov)
1966年モスクワ生まれ。
大学卒業後、旧ソ連の国立研究機関を経て、現在は日本の貿易投資促進団体のモスクワ事務所に勤務。 |
ソ連最後の憲法に規定
ロシアでは今までに3回、国民投票が行われました。日本とロシアは、国土、政治体制、歴史、生活習慣と何から何まで違いますが、そのなかにも共通点、あるいは「共通の注意事項」があるかもしれませんので、ロシアのことを少し紹介しましょう。
ロシアで「国民投票」という言葉が初めて法律に記されたのはソ連の時代です。1977年に採択されたソ連の最後の憲法に「国民投票」に関する規定がなされました。
実際にこれが実行されたのは、ソ連最後のリーダーとなったゴルバチョフの時代です。
1回目の国民投票は1991年3月17日に行われました。項目はいくつかありましたが、主旨は「ソビエト社会主義共和国連邦という国家を維持するか、どうか」というものです。当時、ペレストロイカによる民主化の波に乗り、ソ連を構成する各共和国はそれぞれ独立に向かって動き始めていました。政治的にも経済的にも困難な時期であり、人々の生活もマインドも不安定でした。
しかし、この国民投票の政治的な成果は「ゼロ」でした。投票者の3分の2が「ソ連邦の維持」と答え、国民の意思は明らかに「各共和国の独立反対」だったにも関わらず、結局、同年8月の保守派クーデターの失敗後、12月にはソ連邦が崩壊してしまったからです。
なぜこうなったのか? 理由はたくさんあるでしょうが、「政治家が国民の意思に従わなかった」「変化の激しい1990年代前半に国民も“国家がどういう道を行くべきか”がよく分からず、政治的な風向きによって考え方もすぐに変わった」ことが挙げられるでしょう。
2回目の国民投票は1993年4月25日に行われました。主な項目は「大統領の信任」と「大統領選挙と議会選挙を任期終了前に行うことの是非」を問うものでした。エリツィン初代ロシア大統領とロシア議会が対立したためですが、結果は「大統領を信任する」「大統領の再選挙は行わない」ということで大統領側が勝ちました。しかし、そのわずか半年後の1993年10月初旬、エリツィン大統領と議会の対立が極端に厳しくなり、大統領側が軍隊を出動しました。モスクワの中心地に戦車が走り、議会ビルの前で砲撃が起こるまで事態は激化したのです。その後、議会は解散し、新しい選挙が行なわれ、情勢はある程度安定しました。しかし、その過程で血が流されたわけであり、少なくとも国民投票の意図通りには進みませんでした。
3回目の国民投票は1993年12月に行われました。これは「新憲法草案」の是非を問うものでした。結果は投票者の58%強が新憲法草案の採択に賛成し、草案が採択されました。今もその憲法は有効であり、改定はなされていません。
それ以降、ロシアで国民投票は一度も行なわれていません。その必要性もなかったように思います。
新国家になり国民投票で新憲法草案は採決
考えてみれば、3回行われた国民投票のうち、対立や緊張を引き起こさなかったのは最後の「新憲法草案の是非」だけです。(国民投票の)実績としては、あまりよろしくありませんが、ロシアの国民投票が政治情勢の緊張していたときにしか実施されなかったというのも事実です。
実は、1993年以後も、野党第1党であるロシア共産党が、大統領への信任を問う国民投票の実施を何度か提案しています。しかし、大統領を支持する与党が過半数を占める議会に否決され、最近はこうした動きもなくなりました。
ロシアの国民投票は「国民投票についての法」に従って行われます。
「国家的な意義」のある問題に対して、全国の18歳以上の国民全員が投票することと定めています。
私はすべての国民投票に参加しましたが、当時の思いは、単純ながら「自分たちの人生と国家の将来がよくなるために、今日この場で、この設問にどう答えればいいか」というものでした。ただ、指摘したとおり、その時に考えていたこと(個人のレベルでも国民のレベルでも)と、その後の国家の方向性が必ずしも合致したわけではありません。
日本は、当時のロシアと違って、社会が安定しています。国民投票の行うためのより良い環境が整っているので、ロシアで起こったような危険はないと思います。
国民投票には、時と場所によって良し悪しがあるでしょうが、全国民の意見を聞くにはそれ以上の客観的な手段はないのではないでしょうか。私は、日本国内の情勢を外から見ている外国人に過ぎませんが、「憲法改定をするかどうか」というレベルの問題であれば、国民投票をするしかないと個人的に思います。
戦争の歴史にしっかりと向き合い、それと決別した上で、アジアの隣人である中国の未来を視野におく。そして、日本国憲法の理念をアジアへ広げる。そうした人類の普遍的価値に立って、中国とつきあったらどうかと私は提言したい。
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ソビエト連邦からロシアへと、
国が大変貌を遂げる過程で行われた3回の国民投票。
その結果は、必ずしもその後の情勢を決定づけるものには、
ならなかったようですが、国民のひとり一人が、
「自分たちの人生と国家の将来がよくなるためには、どうすべきなのか」
と真剣に考えた機会を得たことは、さ意味のあることだと思います。
ヴォロンツォフさん、ありがとうございました! |
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