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この人に聞きたい
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梁 英姫さんに聞いた

私たちの世代からは、個々人の声を外に向け発信させたい
国内外の数々の映画祭で高い評価を受けているドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』。
映画について、両親について、在日コリアン2世として考えていることについて、お聞きしました。
小熊英二さん
ヤン・ヨンヒ
映画監督。大阪市生野区生まれ。
在日コリアン2世。東京の朝鮮大学校を卒業後、教師、劇団女優、
ラジオパーソナリティーを経て、1995年よりドキュメンタリーを主体とする
映像作家として、作品を発表する。1997年渡米。
NYニュースクール大学大学院で学んだ後、2003年に帰国し活動を再開。
近著に『ディア・ピョンヤン 〜家族は離れたらアカンのや〜』(アートン刊)
自分の道は自分で決めたいという強い気持があった
編集部 ヤンさん自身のご家族を描いたドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』が好評ですね。朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)の幹部だったお父さん、思想を同じくして支えるお母さん、「祖国」ピョンヤンに帰国事業(注)によって行った3人のお兄さん、そこにカメラを向ける娘のヤンさんという家族構成が面白くもあり、また濃密な家族関係がうらやましくもありました。 (注)「帰国事業」1959年12月から20数年にわたり続いた北朝鮮の集団移住。「民族の大移動」と美化するマスコミの報道や、北朝鮮を「地上の楽園」とした啓蒙に、日本社会における差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に渡った。当時は旧ソ連の影響で経済成長が見られた北朝鮮に希望を託したが、日本との国交樹立がいまだ実現していないため、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許されていない。(「『ディア・ピョンヤン』パンフレットより)
ヤン  この映画を持って世界中の映画祭を回りましたが、上映の後、みなさんがよくおっしゃったのは、「映画を見ながら自分の家族のことを考えていた」ということでした。それはとてもうれしい反応でした。この映画は、決して北朝鮮という国を描いたわけではないし、朝鮮総聯を描いたわけでもない。私の家族についてのとてもプライベートな話です。そこには、親子のジェネレーションギャップもあるし、家族の中で価値観や思想が違うというのは、どこの家にもある話ですよね。
 「ヤンさんの家族は“特殊”だよね」という意見もわりとありました。特に日本でよく耳にしました。でもうちが特殊というよりは、そうおっしゃる方とうちの家庭が、たまたま違っているだけではないでしょうか? 特殊だと切り捨てるのではなく、それは違いであると認めることから、それについて考えるとか、語り合うということできるでしょう。それは、ある意味エネルギーが必要なのですが、楽しい作業でもあるはずです。 
編集部 お父さんの仕事の話、いわゆる朝鮮総聯での仕事や思想信条についても、日常的に食卓でよく聞いていたのですか? それともこの映画をとるために、改めて聞いたこともあったのでしょうか?
ヤン  両親は昔からとても仲がいいので、二人とも互いによく話しをします。母も兄を北に行かせた後は、朝鮮総聯の仕事をしていましたから、父とは仕事も同じ、いわば同業者なわけです。そんなこともあって、食卓ではもっぱら、“朝鮮は今どういう状態なんだ” “今年の農業の出来はどうなのか”“主席様が中国へ行った”そういうことを毎日、毎日、飽きもせず二人は話しをしています。
 ただ父の政治的な選択、例えばなぜ朝鮮総聯の幹部を務めるに至ったのか、兄を北に行かせたのか、ということについては、普通の生活を送る中においては、なかなか私から聞けなかったことでした。やはり北に対して、批判的なことを言うのは良くない、という雰囲気が家庭の中にもありましたから。それを壊すことは、ためらわれました。
 たぶん・・・私はどこか両親たちのことを「彼ら」というふうに、少し距離をとって見ていたところはありました。

編集部 「彼ら」というのは?
ヤン  子どもにとってみれば、両親が好きな仕事をしていて仲がいいというのは、いい環境ですよね。でも、だからあなたも同じ仕事をしなくちゃいけない、ということに対しては、ちょっと待ってよ、という気持でした。あなたたちは、あなたたちの好きな仕事を存分にやってください。でも、私は、自分の道は自分で決めたい。しかし、まわりからは両親と同じ仕事につかなくちゃいけないのよと、当然のように言われる。親からではなく、学校の先生からずっと言われていましたが、それがほんとうにうっとおしかったです。
編集部 著書『ディァ・ピョンヤン』でもずいぶんそのことについては、書いてますね。
ヤン  ええ。よくぐれなかったな、と思いますよ。(笑)
朝鮮と日本。二つの文化、価値観が共存
編集部 朝鮮学校での生活や教育というのは、やはりその成り立ちの歴史から考えても、日本の学校とは異なる指導がされているのだろうと想像します。でも学校の一歩外に出れば、当然日本やアメリカの文化は氾濫しているし、メディアからは日本中心の情報が溢れているわけで・・・。混乱することはないのでしょうか?
ヤン  朝鮮学校では、いわゆる反日とか排他的な教育というのは、特にありませんでした。ただ朝鮮半島が日本の植民地になっていた歴史は、しっかりと教えています。植民地時代にどんなことがあったのか、ということについてです。だから今の日本に対して、悪く教えているわけではありません。
 朝鮮学校の生徒というのは、不思議に思われるかもしれませんが、学校で習ったその部分とそれ以外から入ってくる部分、両方受け止めています。例えば学校で習う北朝鮮の民族的な歌と、i-Podでいつも聞く日本や欧米のポップスとが、けんかすることなく共存しているのです。そしてそれは、ずっと共存し続けることができると思います。
 例えば、朝鮮総聯の中でたぶん“将軍様のお陰で”と言っている人も、カラオケに行けば、日本の歌を唄います。そういった日本の文化を楽しみながら、生きているのです。

 しかし私の場合は、学校の進路指導の先生たちに、この一つを選べと言われて、それでぶち切れ始めるわけです。朝鮮学校で学んだものと、学校以外の場所で学んだものと、両方を持っているし、どちらかを選ぶか、それは私に決めさせて欲しいということですね。

 そういう朝鮮学校―総連という組織のシステムを高校生に押しつけるということには、とても反発しましたよね。ここで負けたら、絶対にだめになる、と思っていましたから、徹底的に歯向かいました。だって進路指導の先生に、私の人生の責任が、取れるわけがない。そう確信がありましたから、「このおっさん、ええ加減にせえ」と思ってましたね(笑)。でもよくよく考えると、その先生も自分の仕事をまっとうしようとしていただけなんです。先生の真面目さが私を苦しめている。そう考えると、ますます組織が抱えている矛盾を感じましたね。
 
編集部  ヤンさんも朝鮮大学校を卒業された後、朝鮮学校の教師になられたわけですが、そこで葛藤をして、辞められていきますよね。
ヤン  自分がされて嫌だったことを、生徒にしたくはありませんでしたから。
 ただ私に対しての進路指導というのは、どこか特別だった、というのはありました。他の生徒たちみんなが、私と同じように厳しく進路について言われていたわけではありません。うちは、両親が総連の仕事をしていましたし、兄3人が北に行っていましたから、これで私が組織のために生きる道に進めば、格好のモデル家族になるわけです。 
編集部  抑圧された環境からの反発心もあったのかもしれませんが、ヤンさんからは、個人の意志や自由を守りたい、侵されたくないという強い気持が伝わってきます。一方、今の日本ではその部分への尊重が薄れているというか・・・。最近は、個人の自由を重んじることが、規律を乱す悪になっているという論調もあるぐらいです。そういった傾向については、どう思われますか?
ヤン  ここまで私が個人にこだわるようになったのは、学校では、組織とか国家とか、とにかく全体を重んじる教育を受けてきました。でも私は、一歩学校の外に出ると、映画や芝居ばかり見ていましたから。チマチョゴリのまま名画座へ通い、高校に入ると演劇もよく見ました。そうやって接する文学というものは、やはり個人が主役ですから、どんどんそっちの方で感化されていったのだと思います。
 今の日本の若い人を見ていて感じるのは、北朝鮮にも、ここ20年ぐらいコンスタントに通っていますが、 “ない不幸”が、北朝鮮だとすると、日本は、“ある不幸”なのかな、と思います。物質も情報も、余りあるほどある。しかし、自由に享受できて選択できるありがたみについては、大人が教えてこなかったのか、話す時間がないのかわかりませんが、とにかく過剰な物質や情報に、ふりまわされているようなイメージを持ちます。 
違いを認め合うには、直接話をすること
編集部 今の日本では、幸せの価値観が、所有している物の数や、貯蓄高だったりするのかなと思います。
ヤン ただ、日本には情報が溢れていますね、と今こういう話をしていますが、北朝鮮の人、平壌で暮らしている人の情報は持っていませんね。だから、そこで生活する人たちの顔を思い浮かべることは難しいのでしょう。テレビなどで流される情報は、マスゲームやパレードの行進をしている人たちの映像ばかりだから、北朝鮮に暮らす人たちだって、日本で暮らす人たちと同じように、恋人のことや、結婚や離婚のことなどで、普通に悩んでいるということは、なかなか想像できないでしょう。そういうことが、日本と北朝鮮、両方の生活を知っている私にとって、とてもはがゆいのです。

 日本のテレビで流れる北朝鮮の情報は、私から見て偏っているし、限られ過ぎていますが、北朝鮮側も自由に取材させないから、そうなってしまう仕方なさはあります。でも総連は、日本のニュースはくだらんと、メディアに抗議をする。しかし抗議さえしていれば、いいのでしょうか。私たちの世代は、それと同じことをしていくことには、抵抗があります。

 私は在日2世ですが、年齢的には3世に近く、同年代はほとんど3世になりますが、この世代からは、個々人の声をもっともっと、外に向けて発信していかなければ、と思うのです。

 この映画についても、一部の人たちは、「どうしてこんな内輪の話を外に出すのだ」と言っているそうです。でも、出さないといつまでたってもわかりあえない。在日1世と同じことをやっていても、ダメだと思うのです。もちろん1世の人たちが、体をはって人権を勝ち取ってくれた。それがあるから今、こういった活動もできている、ということは、重々わかっています。でも、おじいちゃん、おばあちゃんたちと同じこと、「なんで、日本人は私たちのこと、わかってくれないのだ」ということを、ただ言い続けるのは、どうなの。というのはありますね。
編集部 メディアからの情報を受けとるだけでなく、いろんな立場の人、いろんな考え方を持っている人が、直に意見交換をする機会や場所を持つことは、大切でしょうね。
ヤン そういう意味では、『ディァ・ピョンヤン』の上映会後のトークショーなんて、絶好の機会でした。在日の人もいるし、北に帰国事業で家族を行かせた私のような立場の人間もいれば、帰国事業のことなんてまるで知らない日本の若い人もいる。
 家族が北にいる人は、泣き方みるとわかりますよ。最初のテロップの時の映像、帰国船の写真が映っただけで泣き出している人をみたら、「ああ、家族や友達が行ってるんだな、とわかりますね。うちなんてピョンヤンですし、居場所もきちんとわかっていますからまだいいほうで、田舎にいってしまって、行方がわかならなくなっている人たちもたくさんいます。
 バックグラウンドや意見の異なる人たちと、話をするのって、けっこうエネルギーがいるものです。いろいろと説明しなくちゃいけないから。でもあえてこれからは、そういった人たちが集まって、同じ空間で話をするっていう取り組みは、やっていきたいと思っていることです。
つづく・・・
次回はヤン・ヨンヒさんから見た、今の日本の政治、
憲法9条について伺っていきます。お楽しみに。
在ロードショー公開中の映画『ディア・ピョンヤン』の情報は、
「お知らせメモ」にあります。
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