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この人に聞きたい
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梁 英姫さんに聞いた

大切なのは、答えの出ないものを考え続けること。理想を語ること。
大阪で生まれ育ったヤンにとって、ピョンヤンは、祖国ではなく「兄たちが住む場所」でしかないのです。
兄たちを北に送った帰国事業、ヤンさんから見た日本社会、そして憲法9条について、お聞きしました。
梁 英姫さん
ヤン・ヨンヒ
映画監督。大阪市生野区生まれ。
在日コリアン2世。東京の朝鮮大学校を卒業後、教師、劇団女優、
ラジオパーソナリティーを経て、1995年よりドキュメンタリーを主体とする
映像作家として、作品を発表する。1997年渡米。
NYニュースクール大学大学院で学んだ後、2003年に帰国し活動を再開。
近著に『ディア・ピョンヤン 〜家族は離れたらアカンのや〜』(アートン刊)
若き在日のフラストレーションの行方
編集部 2004年に公開された映画『パッチギ!』の大ヒットがありました。この映画は1968年の京都を舞台に、朝鮮高校の在日コリアン、府立高校の日本人を中心にした若者たちの当時の青春が描かれていたと思います。映画を観た人には、在日コリアンの歴史や朝鮮学校について、認識や興味が少しは広がったのでは、と思いましたが・・・。ヤンさんは、どうご覧になりましたか?
ヤン  あの映画は、まさに私の兄貴たちの時代の話ですね。私にとってはどこかドキュメンタリーを見ているような感じでした。実際に平壌に行き、あの時代に帰国事業で日本から「帰国」した人と食事をした時、昼間は真面目な風貌なのに、お酒を飲むとだんだん座り方が『パッチギ!』に登場する不良少年みたいになってくるのを見て、昔のヤンチャだった頃のクセは抜けないものなのねと、可笑しくなったことがあります。

 朝鮮学校の生徒は、ほんとうにガラが悪くて、いつもカツあげやケンカばっかりしている、どうしようもない奴らだね、と笑ってあの映画を見るのもいいでしょう。でもどうして彼らは、あんなに日本人をいじめたがったのか? けんかをしかけてきたのだろうか? というところも見て欲しい。若い在日たちのフラストレーションが、ケンカをすることでしか爆発できなかったのかを、想像してみてほしいのです。
 家は貧乏で、勉強しろといわれても、お金がないから大学にも行かれない。日本にこのままいたところで差別があるから、いい仕事に就く道も閉ざされている。こんな日本にいるよりは、「祖国」に帰った方が、希望があるのではないか、と多くの人たちが思っていた時代ですよね。

編集部 ヤンさんの3人のお兄さんは、71年の秋と72年の春に、北朝鮮に「帰国」していますね。映画『ディア・ピョンヤン』の中でも描かれていました。
ヤン  はい。最初に真ん中の兄と、一番下の兄が行きました。高校1年生と中学3年生の時です。半年も経たないうちに、朝鮮大学生だった一番上の兄が指名されて、北に行くことになりました。

 1959年から約20年の間に、9万3千人以上もの人たちが、行ったこともない「祖国=北朝鮮」へと旅だっていきました。祖国といっても、在日コリアンの95.3パーセントが、朝鮮半島の南部出身者です。うちの父も、南部の済州島の出身です。だから本当は故郷でもなんでもないのです。
 それなのに、なぜ行ったこともない北を「祖国」と言い、大勢の人たちが船に乗ったのか。それは、戦後になってようやく植民地政策から解放されると思っていたら、朝鮮半島では戦争が勃発。1953年の停戦後、韓国政府が何の対策も施さない中、北朝鮮政府だけが、在日朝鮮人の権利擁護を訴え、帰国希望者を歓迎すると発表したからです。
 相変わらず日本における厳しい差別がある中、将来への希望が持てずにいた在日コリアンたちが、「自分たちの独立国家のもとへ帰りたい」そう思うのは、無理もなかったことでしょう。実際、私の真ん中の兄は、中学の頃から建築家になりたいと思っていたそうですが、日本にいたら夢がかなう可能性は低い、だから帰国したい、と言いだしたんだと後から聞きました。

 しかしこの帰国事業は、在日や朝鮮半島だけの話じゃなくて、当時の日本の政治家やメディア、赤十字もプッシュした事業なのです。それは、「あなたたちのふるさと、お国に帰りなさい」というよりは、「日本から出ていってください」とも伺える資料が残っているらしいです。私は直接調べていませんが、専門に調べている研究者から聞いたことがあります。
 私は研究者ではないので、そういった面からは見ていませんが、実際にこの帰国事業で、兄たちを見送っています。小さな家に溢れんばかりの人たちが集まって、みんなで泣きながら送る会をしたことも、新潟港の埠頭の端でオモニ(注:お母さん)が立ちすくみ、船が見えなくなっても帰ろうとしなかったことことも、この目で見ていますから、そこは伝えておきたいと思って『ディア・ピョンヤン』を作っています。ただ、兄たちが平壌にいるので、全部、映画で語れるわけではありませんが・・・。

答えが出ないことを考えつづけることの意味
編集部 映画の公開のタイミングというものは、どのように考えていましたか?
ヤン  実際にこれは、10年かけて撮影したものなのですが、10年かけて制作したというよりは、どうやって編集しようか、こんなもの作っていいのかな、おにいちゃんたち大丈夫かなとか、と悩んでいるうちに、10年経ってしまったということですね。言いたいことを全部言えない状況でこれを作品として出すのはどうだろうか、という葛藤もありましたし、体験者としては、とにかく実際にあったストーリーを伝えておきたい、という気持もありました。最終的には、今、できる話からとりあえずやっていこうと決めました。こういった映画を作ることで、こういう話を一般人のレベルでできる機会が、増えていけばいいのかな、と思いましたから。
 
 今、この映画や北に対して人々が持つ感情というのは、二つのうちのどちらかしかないようですね。ネガテイブか、ポジティブか。でも、私にはその人の人生にまつわる話は、正しいとか、間違っていると他人が判断できることではないと思うのです。
 映画の中で父が、ぽろりと本音をこぼす、「(兄を)行かさんでも良かったな」というシーンがあります。「あの発言がなかったら、良かったのに」と言った総連の人がいましたけれど、父のあの言葉をジャッジする権利が、あなたたち組織にあるのですか? と私は聞きたい。ましてやその人が、北に子どもを送っていなかったとしたら、そういったことは言って欲しくありません。
 賛成、反対と、どちらか一方に分けるのではなく、その間にあるような、どちらでもない話を拾っていくことは、すごく大事だと思っています。答えが出ないことを考えるのは、とても重要なことのような気がしています。だからこの映画を作りたい、本を書きたいと思ったのです。

 例えば本の中では「24時間塀の中で暮らしている。常にその思いで、いっぱいだった」と、朝鮮大学校時代の寄宿生活について、規則や毎晩行われる総括の矛盾など、いろいろ書きましたが、あれは学校を批判したいわけではなく、むしろ私の母校に対しての愛情です。ただ私の友人たちは、「ヨンヒはこれで立入禁止になるね」と笑っていましたが。
 でも、「こんな規則は変だね」と思ったら、変えていく方向に動けばいいし、様々な問題について、さわっちゃいけない、議論にのせることがタブーのようにしているところが、朝鮮総連の中にも、朝鮮学校にも、在日の社会にもあると思います。そういった蓋をしているものについて、一つひとつ、これからは私たちがドアを開けていきたいと思っています。やはりいつまでも蓋をしていては、前に進みませんからね。

編集部  日本社会も後押しした帰国事業では、朝鮮籍の方と結婚・婚約していた日本人、いわゆる日本人妻と言われる人たちも、多数北に渡って今も暮らしていますね。あちらで理想的な新しい国を作るという夢を持っていたから、みんな行ったわけだし、こんなにも長い間、朝鮮半島が分断されたままだとも、日本との国交が断絶されたままだとも、思っていなかったと想像します。 
 しかし、どんどん日本との関係が悪くなってしまい、今は最悪な事態になっています。家族があちらにいる人にとっては、それこそ身を切るような思いがあるのでは、と思います。
ヤン  地理的にこんなにも近い国どうしで、昔は仲が良かったわけじゃないですか。お互い文化的なことを教えあい、習いあっていたわけでしょう。17世紀以降から記録にある朝鮮通信使の話を読むと、ロマンがあるなぁ、と思います。それが今は、朝鮮半島の南側とだけ仲良くなっていますが、北に対する感情はその真逆になっていますね。
 今、地球の裏側まですぐに飛行機で飛んで行ける時代なのに、インターネットで世界のどことも、自由に交流ができる時代なのに、あんなに近い国、北朝鮮とは、船で2日も3日もかけなければ渡ることができない。そして今やその道さえ断たれようとしています。北朝鮮との関係だけ、まるで50年、100年前よりも退化しているように感じます。
 
編集部  拉致問題が、日朝の関係を、大きく後退させたように思います。
ヤン  拉致問題は、日本人の感情を逆撫でする出来事でした。国家犯罪によって、個人の人生、家族の人生が、めちゃくちゃにされてしまうこと。それが、いかに酷いことか、腹立たしいことか。もちろん私は、拉致は許せません。これで「おあいこ」という言い方も絶対にしません。というのは、朝鮮半島の人々が、日本の植民地支配の中で行われたこともまた、国家犯罪によって個人や家族の幸せが侵されたということで、一人ひとりが負ったその傷は簡単に癒えるものではありませんから。
 韓国人は今、日本人に対して良い感情を持とうとしていますが、そこに至るまでには、すごく時間がかかって、やっと壁をのりこえてきたのです。それを考えると、日本人が朝鮮人に対して抱く「あんなひどいことをやったあいつら」というところから、友好へとたどりつくためには、同じように時間がかかるだろうと思います。

 しかし、無実の人が突然連れ去られて、その人の人生がめちゃくちゃになってしまう。自分がものすごく腹の立った分、そのものすごく腹が立つことを、朝鮮半島の人々もかつては経験したのだということ、そして北朝鮮の人々は、今、はじめて加害者の立場に立ったわけで、お互いの気持を想像しあうことが、大切だと思います。とても難しいのですが、非難しあうだけでなくて、そういう風に考えられないかなと思います。

政治家の口真似をする市民たち
ヤン 普通のひとたち、いわゆる一般市民が、政治家が言ったことを、すぐリピートしていますね。最近政治家は、テレビ、特にバラエティに出すぎだと思うのですが、若い人たちがそれを真似て、自分の意見のように言うでしょ。これってものすごく危険な傾向だなと思います。政治家が「経済制裁だ!」といえば「やっぱり経済制裁だよね」と言う。経済制裁とは何なのか、その内容について、きちんと考える前に口にしてしまう。自分の頭でよく吟味することもなく、言葉だけがどんどんコピーされていっているように見えます。
 メディアから流される情報量があまりにも多いため、考える時間もなく、受身の状態にどんどんなっていくのだと思います。また情報は、バリエーションがないため、単純にただ刷り込まれているだけ。アメリカも似た状態になっていて、ホワイトハウスやペンタゴンが発表したことを、すぐに真似して話していますね。
 でも本来の民主主義の社会では、市民は政治家たちを監視・監督するぐらいにならないと、健全とは言えません。
編集部 教育基本法の改定案も、個人の尊重より国を愛する心だとか、義務を盛り込むというものです。ところで、在日外国人に冷たいといわれている日本社会や法律、憲法ですが、そのあたりはどう感じますか?
ヤン 私自身は、国籍がどこだということには、こだわっていません。でも、2世、3世、4世になっても外国人登録法が適用されるということに対しては、これでほんとにいいのかな? とは思います。
 在日として日本をどう思いますか? とよく聞かれます。私はもちろん日本で生まれ育っていますから、日本には思い出がいっぱいつまっていて、両親も友人もいるし、これからの人生、地球上のどこで住むとしても、やはり、日本への思い入れが強いです。だから当然、日本は自分のベースになる国だし、日本のこと、私の愛する国だって、言いたいですよ。
 
 でも、名前はと聞かれて、ヤンです、と答えたら「日本語お上手ですね」と言われてしまいます(笑)。そして国籍は? と聞かれて、「一応、朝鮮ということになっています」と言うと、「北から来たんですか?」と驚かれる。私は、大阪で生まれ、40年日本で暮らしてきた人間ですが・・・そう最初から説明しなくちゃいけない。日本で存在が認められていないということは、なんだ私は、透明人間だったのかな(笑)と、思うわけですよ。

『ディア・ピョンヤン』についても、これは日本映画なんですよ、というと、みんな悪気なくポカンとしている。監督は、在日コリアンで、配給会社の社長も在日コリアンですが、でもこれは、日本映画として制作されて、海外の映画祭においても賞を受けているのです。在日と日本とのコラボレーションですね。そういったことは、たくさんありますよ。だから私たち、日本の国にそんなに迷惑かけていないと思いますよ。(笑)

 欧米の映画祭に行くと、説明しなくていいから、とても楽でした。移民という存在は、あたりまえにありますから、人はそれぞれ違うバックグラウンドを持っている、という共通認識があります。

 日本だって、日本人だけが住んでいるわけではありません。日本人の定義だってさかのぼれば、曖昧なものがあるでしょう。それなのに、日本にはいろんな人たちが住んでいるんだという意識を、国家が国民に与えていないようですね。あまり知らせたくないのか、外国人にはあまり住んで欲しくない、ということなのかもしれませんが。

編集部 日本の憲法で変える必要があるとしたら、在日外国人に対する権利や配慮の部分だと思います。
ヤン 私自身は、国籍がどこだということには、こだわっていません。でも、2世、3世、4世になっても外国人登録法が適用され変える場所が違う、というわけですね。私自身が、日本国憲法の憲法9条について思うことは、最近話題になっている太田光さんの本のタイトルにもなっていますが、9条は世界遺産にすればいいと思います。
 北朝鮮が攻めてきたらどうする? といった議論ばかりが目立ちますが、北朝鮮と国交が結ばれたらどうなるだろう? とか、南北統一が実現したら、どうなるだろう? といったもっとプラス思考の想像もしてみては、と思います。 北朝鮮のことについては、誰も理想を語ってきませんでした。
 憲法9条は確かに究極の理想論だと思いますよ。でも理想を語るのってものすごく大事なことです。夢や理想というものは、思い続けていると近づいてくるものです。そういうことってあるでしょう。
編集部 今、理想論を語ることが、非現実的なことのように思う傾向がありますね。
ヤン 理想論を語る意義って、あると思っています。あの会社に入りたいとか、仕事に就きたいとか。私たって好きな映画を作りたいと思い続けてきて、『ディア・ピョンヤン』を完成させることができた。もっともっと平和なベクトルにビジュアルを持ち続けるということが、今、忘れられています。いいじゃん、理想論で。と考える人が増えた方がいいですね。
 私は、世界中から軍人をなくしたい、なくなったらすてきだろうなと思いますね。一人ひとりが平和への理想をもつこと。これを具体的な課題にする必要があるのではないでしょうか。
日本には、多様なバックグランドを持つ人たちが、暮らしているということ。
ヨーロッパでは当たり前のこの認識が、日本には欠けています。
繰り返される大都市首長の外国人に対する、差別発言は、本当に恥ずかしく思います。
ヤンさん、ありがとうございました!
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