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この人に聞きたい
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田中優子さんに聞いた (その1)

法律に書かれる「伝統文化」や「愛国」は、まやかしである
江戸文化の第一人者である田中優子さんは、
きちんと検証もせずに「日本の伝統文化」という言葉を軽々しく使い、
政治利用していることについて、鋭く批判します。
田中香代子さん
たなかゆうこ
法政大学社会学部・メディア社会学科教授。専門は、日本近世文化・アジア比較文化。
1952年横浜生まれ。法政大学大学院博士課程修了。近世文学を専攻後、研究範囲は江戸時代の美術、生活文化、海外貿易、経済、音曲、「連」の働きなどに拡がってゆく。
江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。
書著に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『江戸はネットワーク』(平凡社)、『江戸百夢』(朝日新聞社)、『江戸の恋』(集英社新書)『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』(集英社新書)『江戸を歩く』(集英社ヴィジュアル新書)他、多数。
日本の「文化伝統」とは?
編集部  田中先生は、江戸時代の文学や文化、生活をずっと研究されてきた江戸学者として有名ですが、先日「最近の、日本古来の文化や伝統を守れというような風潮、言い方にとても違和感を持つ」というような発言を、ある講演でなさっておられました。それはどういうことなのでしょうか。
田中  まず、日本の文化伝統とは一体どういうものなのか、という検証をまったくせずに、軽々しくこの言葉を使うことへの批判ですね。日本古来の伝統などというのは、とても抽象的ですごく多岐にわたるものなのです。だから、膨大なジャンルのものを一言で片付けられるはずがありません。いったいどれを指して「日本の伝統、文化」と言っているのかが疑問なのです。
編集部  「日本の文化伝統」という言葉が、とても安易に使われている、ということですね。
田中  そうです。例えば私は「色好みの文化」も研究してきました。『江戸の恋』(集英社新書)という本にも書きましたが、例えば江戸時代、「好色」という言葉は、男性にも女性にも使う、非常に評価の高い言葉だったのです。教養があって、芸ができ、恋心についてよく知っている人を指し、文化の担い手でもありました。
しかし、最近の日本文化を守れ、という風潮の中にこの「色好み」は含まれていますでしょうか? いわゆる伝統主義者たちは、そういう平和で柔弱なものは伝統として扱おうとはしません。戦うのに都合のいい「武士道」を強調するのです。また、例えば「農民一揆」も、伝統といえば伝統でしょう。これは「一向一揆」などから始まったのですが、一揆を起こすには、きちんとした儀式と手順がありました。伝統にのっとって起こされたと言えるのです。これは権力に対する叛乱です。それも日本古来の伝統として認めるのですかと、秩序を重視し、やたらに伝統を言い立てる人たちに、私は問い返したいですね。

編集部  叛乱や反抗も伝統であると。
田中  そうですよ。それは熱狂を伴います。幕末の「ええじゃないか」の騒動だって、その伝統を受け継いでいたのです。そう考えると、最近の高校の卒業式でのバカ騒ぎや暴走族の騒音だって、伝統の一形態と言えるかもしれませんよ(笑)。
編集部  何をもって日本文化や伝統とするか、もう一度よく検証する必要があるということですね。
伝統文化に愛国心を持ち出す不思議
田中  ですから、伝統を守れ、と叫ぶ人たちはよく分かっていないのです。「日の丸・君が代」などを日本の伝統の象徴のように言う人たちがいるけれど、「君が代」の歌詞は単なる宴席の和歌で後には隆達小歌です。「君」はその時々の祝う相手で、誰でもいいのです。それを、天皇を指しているから伝統だ、などというのは日本文学を知らないから言えるのです。また、「日の丸」は明治以降に普及した船の旗印で、とても日本古来からの伝統などと呼べるようなものではありません。なにしろ、明治以前はこの国には「国家」という意識はなかったのですから。

編集部  明治以前は「国家意識」は日本にはなかった、と?
田中  あったのは「藩」です。「国家」ではありません。だから、愛国心などというものは、この国には明治以前には存在しなかったのです。確かに、藩のためとか故郷が愛しいとかいう感情は強かったでしょうが、それは最近強調されているような愛国心とはまるで違うものでしょう。

編集部  ところが、あの「教育基本法改定」で示されたように、愛国心の強要があらわになってきています。
田中  繰り返しますが、愛国心などというものは、本来の伝統の中には含まれていないのです。「愛」という言葉も「国」という言葉も新しいのですから。新しい言葉を作ってもかまわないけれど、そのときは「国を愛するとは、どういうことをすることなのか」を、きちんと説明しなければなりません。伝統や文化を尊重しろと言うのであれば「これが伝統文化である」ということを明らかにする責任があるはずです。でもね、その場合「私が思う伝統とはこれだ」と、みんなが別々のことを言い出したら、一体どうするつもりなのですかね、伝統文化を強調している人たちは。

法律に書かれる「伝統」
編集部  そこに、教育基本法の改定で縛りをかけようと。
田中  私も教員ですけれど、なんと今度の教育基本法には、大学のことまでが入っているんですね。

編集部  えっ? そうでしたっけ。
田中  はい。幼児教育から大学まで全部網羅されています。例えば教師として日本の伝統文化を教えなさい、と言われますが、私はすでに自分が「これが日本の伝統文化だ」と考えていることを教えています。大学という場は、そういうふうに個々の教員が己の主張するところを教えてもいい、という権利を保証しているのです。だから、私が解釈して教えたことに、政府から文句を言われる筋合いはないわけです。そうすると、何の規定もしないまま伝統文化などという言葉を持ち込むと、逆に「これが私の考える伝統文化だ」と言いさえすれば、何をやってもいいということになります。つまり、この法律は「しばり」としては、そもそも無意味なのです。

編集部  教育基本法を改定すること自体が無意味なのだと?
田中  そうなりますね。最近言われている「伝統」というのは、殆どが明治以降に成立したものです。すると、靖国神社も「伝統」に入ってしまう。ところが靖国神社は、伊勢神宮を頂点とする神社本庁組織の中に入っていません。つまり国家によって理念的に作られた神社もどきであって、土地と結びついた伝統的な日本の神社ではないのです。いわば「新興宗教」のたぐいです。日本では「英霊」という言葉も使いませんので、これも新しい。ここで想定されている「伝統」のほとんどは伝統ではない、と言うしかないんですよ。

編集部  ただ、いわゆる万世一系の伝統、血筋が連綿と続いていることの伝統、そういうものが世界に誇るべき日本の伝統である、との言い方もよく聞かれますよね。
田中  血筋問題は誰が考えたってフィクションでしょ。論理的に説明できないでしょう。2600年以上も誰かの遺伝子が続く間には人口が増えるわけだから、その遺伝子はどんどん外に拡がっていっている、ということを意味します。そのあいだには様々な民族の血が流れ込んでいる。実際に証明されていることで言えば、もともとこの日本列島に暮らしていた人たちの中に、朝鮮半島から多くの人たちがやってきて今の日本人を形成しているわけで、そういう現実を見据えるならば、私たちは朝鮮民族の末裔なのです。「万世一系」を主張するとそこへ行き着きますから、伝統を守るためには朝鮮のかたがたを敬わなければならない。同時に、もともとの日本人の末裔であるアイヌのかたがたも敬わなければならない。反論するのであれば、日本人のミトコンドリアDNAについて学んでからにしてください。「万世一系」を言いたいなら、血筋問題ではなく天皇家に継承される民族文化の問題として捉え直してほしい。ただし天皇家の文化は一般日本人の文化とは大きく異なりますので、それを保存する意味について、きちんと言葉にしなければならない。

編集部  田中先生は江戸期の研究がご専門ですが、江戸時代には、どうやって国民を治めていたんでしょうか。
田中  近代に入るまで、「国家」という概念がなかった。そして国民なんて考え方は、それまでの日本にはなかったわけです。したがって、日本人という存在もなかったのです
江戸時代だって国という言葉はあったのですが、それはそれぞれの藩を指していただけです。だから、統一的な憲法のようなものはありませんでした。武士には武家諸法度が一応の規範ですが、これは全体ではなく、あくまで武家に対するものです。しかし武士なんていうのは、全人口のほんの二割ぐらいのものです。あとは、商人は商人道徳という不文律、個々の家では家訓というもの、農民は村の掟、まあそんな具合でなんとなく「そういう風に決めている」だけのことで、全体として国が何か基本的な姿勢を決めるなどということはなかったわけです。

今は、「戦前回帰」ではなく「戦後放棄」
編集部  それが明治期以降、憲法ができ、江戸期とはまったく違った別の形態ができてきたわけですね。そこから、日本近代史が始まるのでしょうが、どうもこのごろ、明治期からの日本勃興時代を再評価する、みたいな動きが顕著ですね。そんな風潮も含めて、戦前回帰的な動きが強まっているような気がして仕方ないのですが。
田中   戦前回帰的な流れが強まっていることは確かでしょうが、その「戦前」というのがどこからどこまでかが、よく分かりません。まず、軍隊の問題ですよね。防衛庁の省昇格から始まって、どうも戦前回帰というより、「戦後放棄」といった気がします。

編集部  戦前回帰ではなく、戦後放棄?
田中  戦後、新しく一から努力を始めよう、という決意表明が今の日本国憲法だったわけでしょう? それを捨てちゃおうってことですよね、最近の動きは。捨てることより守ることのほうが大変なんですよ、実は。だから、大変だからやめちゃおう、ってことなのです。
編集部  きっちり守っていくって、かなりの覚悟がいりますもんね。
田中  ベストセラーになっている『憲法九条を世界遺産に』(太田光・中沢新一著、集英社新書)という本を私が好きなのは、その点なのです。つまり、人間には本当は到達できないかもしれないことが憲法九条には書いてある、と指摘した。これは「日本人が」ではないんです。もしかしたら「人間には」無理かもしれないことが書いてあるんです。そこが憲法九条の凄いところだ、とはっきり語った。

編集部  人間には到達できないかもしれない理想---。
田中  護憲運動として具体的にどうするか、という以前の問題です。もともと人間が堕落しないために、いろんなシステムが作られていて、修道院もそうだったし、日本では寺院やお坊さん、神社もそういうところでした。信仰という形で人間を超えるものを常に感じ取ることによって、人間は堕落しないでいられる。共同体の中には掟があるけれど、それは単に人間同士の約束事ではなくて、それを超えるものがあるからこそ、破ると怖いのです。恐れ、畏怖ですね。そういうものが人間の堕落を押しとどめてきたという気がするんですね。実は一揆の掟のなかにも、そういう装置があった。

編集部  そのようなものとして、憲法九条はある、と。
田中  そう思います。人間を超えちゃうもの。私は、憲法九条というのは、それにすごく近いなと思うんです。あの本の中では「たまたま出来ちゃった」というニュアンスで語られていますが、その通りだと思いますね。考えたらできないですよ。果たして実現できるだろうか、なんて考えながらやっていたら、あの一文は出てこなかったんじゃないですか。

編集部  確かにあの本の中では、憲法九条は偶然の奇蹟、という風に言われています。
田中  現実化することが非常に難しいことが、憲法九条で明文化されている。様々な状況の中で「めったにないこと」が出来事として起こってしまった。これは、人類にとっての好機、それこそ「めったにない」チャンスだったわけです。
日本の戦後というのは、この九条を守るためにはどうしたらいいのだろうか、というところから出発したのだと、私は考えています。そのためには、きちんとした外交をやらなければいけなかった。ところが、その外交努力が足りなかった。外務省に任せておけばいい、ということではなく、それこそ国を挙げて取り組まなければならなかったのに、それをやらなかった、もしくは、能力がなくてやれなかったのです。そして今、その「戦後」を、放棄してしまおうとしているのではないでしょうか。

つづく・・・
戦後、私たちが手にした民主主義も、平和主義も、憲法9条も
“放棄”してしまっていいのでしょうか? 
次回は、アメリカとの関係について、考えていきます。
  
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