歴史認識問題についてもう一つ言うと、天皇の戦争責任ということが忘れ去られてしまいます。先に述べた富田メモについての論調のように、「昭和天皇がこう言っていたのだからA級戦犯を外して」となれば、ますます昭和天皇はイノセントで何も責任がなく、A級戦犯だけが問題だった、というようになってしまう。 これは東京裁判の構図そのものでもあるわけです。天皇の責任問題、それと国民の中でもいくつかの層があったわけで、その人たちの戦争責任の問題を忘れさせてしまう。そういう意味で都合のいい考え方なんですけど、しかしそれでは、歴史認識としても戦争責任としてもまったく不十分です
これは昔の、過去の話ではなく、9条改定と関係する現在の問題です。前回お話した靖国の国営化についての麻生外相の私案は、かつての国家護持法案の焼き直しに過ぎない。それなのに、みんな知らないから、どこか新鮮味があるように受けとっていますが、とんでもない話です。 1969年に自民党が、国家護持法案を国会に提出した当時は、軍国主義復活につながるというので、野党に批判されて廃案になったわけですが、また新たに靖国神社の国営化論が続々と出て来たことは、やはり単に過去の問題でなくて、21世紀の靖国神社を睨んでいるわけですよ。
憲法9条を変えて自衛隊改め自衛軍、つまり新しい日本軍ができれば、例えば中東、あるいは台湾海峡、あるいは朝鮮半島で米軍と一緒に武力行使をするなどということが想定される。その時、こちら側に死者が出たときにどうするのか? 当然ここで国営の靖国神社が出来ていれば、自衛軍ですから靖国に合祀しようということになってくるわけです。 実際、陸上自衛隊がイラクに行く前の2003年の8月に、イラクで例えば襲撃されて死んだら、これは戦死とみなすことが出来るのか? そしたら靖国神社に合祀すべきではないか? という議論が出て検討しているのです。結局その時は、現憲法下では組織的に無理だという結論になったということですが、検討しているということは、自衛隊の中でもそういう要求があるというわけですね。 前線で戦死した自衛軍兵士が祀られた靖国に首相が行き、なによりも天皇が行けば、遺族をふくめ日本社会では異論が封殺されるでしょう。
つまりそれだけ護憲派が後退しているということですね。僕はそういうふうに甘く見られているおそれがあると思います。実際野党の護憲派はマイナー化されていますし、宗教界もかなり保守化しています。当時は創価学会の中にも反対の声がありましたが、いま公明党は、与党ですからね。どうなるかわかりません。そういう風に考えると、ひじょうに警戒感が弱いし、靖国が国営化されるということの意味が理解されていないですね。 靖国神社がどのような論理で国民を戦争に動員していったのか、植民地の人まで巻き込んでいったのか。そのメカニズムに対する認識もなければ、警戒心もないということは、非常に深刻な事態だと思っています。
実はこれと似たようなことは、この間ありましたね。例えばイラクでの日本人人質事件時に、人質になった人の家族たち、今にも殺されるかもしれないという人質の家族たちが、国策に反するような発言をすると、一斉に攻撃がかかったじゃないですか。つまり何も言えなくなるわけですよ。殺された香田証生さんの時もそうでした。 イラクで狙撃されて亡くなった外務省の人が二人いましたね。二人が遺体で戻って来て葬儀をしたときに、小泉首相が参加して「この二人は国の誇りです、家族の誇りであるとともに国の誇りです」と既にあの時言っています。 あれはまだ、イラクにおいて武力行使が止んでいない時でしたから、国としてイラク戦争に参戦してしまったようなものです。しかし「国の誇り」と首相が言うことで、異論が出なくなるわけです。