そういう意味では、韓国の方が意識は高いかもしれない。韓国の市民に聞くと、いやいやこちらにもいろいろ問題がありますよ、と言いますが。それでもやはり、民衆の力で軍事政権から民主化を勝ち取ったというのは、大きな経験です。日本の場合は、それがないわけですから。
そこが問題ですよね。人間だからどうしても自分が痛まないと想像しにくいということはあるでしょう。例えば、かつての戦争の時も、もちろん今の状況とスケールは違いますが、戦争は、大多数の国民にとって、軍が外でやっているものだったんですよ、1944年から45年以前、要するに太平洋戦争の最終盤になるまでは。 東京大空襲は45年の3月です。その前に本土に焼夷弾攻撃がありました。当時のジャーナリスト、清沢洌が書いた『暗黒日記』の45年1月1日の記述を、私はよく引用するのですが、彼は、「日本国民は今、初めて戦争を経験している」と書いているんです。それは焼夷弾が落ちてきて、逃げ惑っているこの時、自分もはじめて戦場に巻き込まれたと言っているのです。要するに、それまでは戦争は軍が外に行ってやるものだったわけですよ。 清沢は、「これまで、戦争は文化の母だとか、そういう勇ましい議論ばっかりあった。そして自分は反戦主義者だという事で迫害されてきた。しかし今ようやく日本国民は、戦争というのはそんな勇ましいものではなくて、惨めな逃げ惑うばかりのものだ。それを今、初めて経験している」と書いているのです。満州事変から15年経った太平洋戦争最期の年ですよ。しかしその間、中国の人や朝鮮半島の人は、日本軍に攻め込まれていて国土が戦場になっているわけです。 戦後日本人が語ってきた、戦争の記憶って全部1945年の話しですよね。そしてやられてひどい目に遭った人が、だんだんと少なくなってきたら、戦争は勇ましいものではない、と言う人もいなくなってきた。