まず初めに言っておくと、私は基本的に憲法改正に関しては「何で改正しなきゃいけない理由があるんだろう?」というだけの人間なんです。何が何でも変えさせじ、というわけではなく、ただ「別に不都合がないのにどうして変えなきゃいけないの?」と思っているだけなんですね。
憲法で言っているのは「交戦権の否定」ということだけで、自衛隊に関してはうやむやですね。でも私は、うやむやでも不都合がないのだから、それでいいじゃないの、と思う。 不都合がない、というのは、実はとても重要なことなんですよ。不都合がないからうまくやる、というのは、アメリカ人にも中国人にもできない、日本人ならではの特性なのです。グローバリズムの中でもこれはずば抜けた才能だと思っていい。 だから、日本人の知恵として「自衛隊は自衛隊であって、軍隊ではない」という言いのがれがあったほうが、逆に歯止めになる。その言いのがれがあるから、アメリカに「国際貢献のために軍隊を出せ」と迫られても「いやあ、自衛隊は自衛隊なんで、軍隊っていうのはちょっと無理なんですよね」と言えるはずだし、海外に派遣した場合でも「自衛隊は“自衛”隊ですよ」と言える。それが外交の知恵ですよ。 そもそも交戦権を放棄する、というのは、外交に戦闘という手段を使っても意味がないということをふまえての話なわけです。有能な頭脳外交をすればいい、それだけのことなのです。
9条に関して議論しようとすると、ひたすら忍耐力を必要とするようなしんどい議論になります。そこで求められるのは「議論がさっさと終わること」です。 たとえば、自衛隊を海外に派遣させたい人たちが国会で主張するのは非常に現実的な議論で、一方の海外派遣させたくない派は、その現実的な議論をなかなか駆逐できません。それは、これまで憲法第9条を水戸黄門の印籠にしていて、“「9条」さえ出しておけば大丈夫、ダメなものはダメなんだから”という観念的な反対しかしてこなかったからです。今まではそれでなんとかなっていた。しかし、それがもう通用しなくなってしまったのです。 では、9条保持派はどうすればよいかというと、承認の場でしかない会議、つまり国会に参加しなければいいんです。定員割れになったら法案は成立しません。会議のテーブルにつかないということは、一番の積極的な行為になるわけですから。
日本人は「現実」と「未来」を切り離して考えているから、「未来を論ずること」を「現実的でない」と考える。そうじゃないでしょう。現実を考えるというのは、「現実からつながっている未来を考える」ということ。未来を考えることが現実的なことなんですよ。
「憲法は私たちが生きていくための基本である」ということばに、 あらためて憲法というものの意味を思い知らされました。 次回は引き続き橋本さんに、私たちは9条のことを どう考えていったらよいのかについて語っていただきます。 お楽しみに!