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この人に聞きたい

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渡辺一枝さんに聞いた(その1)

わたしが出会ったチベット

チベット問題が今、国内外で大きな関心を集めています。
北京五輪を目前に控え、
五輪リレーの妨害や抗議行動ばかりに注目が集まっていますが、
チベット問題の核心とはいったい何なのでしょうか?
80年代よりチベットを何度も訪れ、
現地でチベット人との交流を重ねてきた渡辺一枝さんに、お聞きしました。

わたなべ いちえ
1945年、ハルビン生まれ。89年に18年間の保母生活に終止符をうち作家活動に入る。チベット、中国、モンゴルへ旅を続けている。著書に『時計のない保育園』(集英社文庫)、『チベットを馬で行く』(文春文庫)、『わたしのチベット紀行』(集英社文庫)、『風の馬 ルンタ』(本の雑誌社)など多数。『マガジン9条』発起人の一人。

メディアが伝えてこなかったチベットの本当の姿

編集部

 今年8月に北京で開催されるオリンピック目前というタイミングもあり、ここにきて世界中で聖火ランナーへの妨害や警備の物々しさが伝えられています。正直、こうなって初めて、チベットと中国の関係は、どうなっているの? 何をチベットの人たちは怒り、中国はなぜ制圧しようとしているのか? 様々な疑問が浮かび上がってきました。そこで、「チベットってどんな国なの?」というものすごく基本的なことから、渡辺さんに伺っていこうと思います。それにしても、私自身の反省も含め思うのですが、なぜ、私たち、こんなにチベットに関して、無関心、そして無知だったのでしょうか?

渡辺

 チベットへは、80年代から外国人が入れるようになりました。でも、テレビなどのメディア、プレスの人が行けるところ、見ることができる場所というのは、本当に限られていましたね。だから「本当のチベット」の姿は、見られない。また個人で行っても、数回行っただけでは難しいものがあります。
 例えば私の場合・・・私は子どものころから「チベット」とあだ名につけられたぐらい、チベットが好き好きで、1987年に初めて訪れました。それまで本などの知識から、チベットは中国に侵攻されたと聞いていたけれど、みんな明るい顔をして過ごしているし、お寺もたくさんあるし、お寺にお参りしているし、ぜんぜん抑圧されているように見えないじゃない、そう最初は感じていました。
 日本や海外で暮らしているチベット人からはいろいろ聞いていましたが、チベットに暮らす彼らの声は、なかなか聞くことができなかったんです。
 最初は車でまわっていました。チベット語がわかる中国人、漢民族のガイドを伴い、あちこちの町にいき、泊まるという旅でした。でもみんな当たり障りのないことしか言わないんですね。もっとあの人たちの中に入って、いろいろなこと、暮らしや文化のこと、知りたいのになぁと。そして、馬で行くことを考えたんです。

編集部

 馬ですか?

渡辺

 そう。ある時、車道から肉眼で見たら200メートルほど先にテントが見えるから、あそこに暮らす人たちと話がしたいと思って、車をとめて歩いていこうとしたら、あそこまでは数キロありますよと。高地で空気が薄いので、近くに見えるんですね。そんなこともあって、馬で行くようにしました。それが95年ごろからです。
 馬だと、幹線道路をはずれて行くことができますから、テントの近くまで行くことができます。そうすると、ちょっと入ってお茶でもいかが? と誘ってもらえる。お茶を飲みながら、初めて生の声がきけた気がしました。
 その後も毎年、年に2、3回は通うようになって、チベットに暮らす友人もでき、いろんなことが徐々にわかってきました。
 私たち、日本人がチベットについて知らないというのは、情報が伝わっていないというのがあります。テレビは、一年に何本かチベット番組をやっていますが、たいてい「空がきれいでした」とか、「人々は敬虔に祈っていました」とか。だからみんながチベットの本当の姿について知らないというのは無理はない。そこについてはメディアの責任も大きいでしょう。でもあの人たちも一度や二度話を聞きに行ったぐらいでは、本当のことはなかなか外国人に話さないから。

編集部

 馬で行くようになって、チベットの人からどんなことをお聞きになったのですか?

渡辺

 私がまず知りたかったのは、チベットの子どもたちの教育、学校がどうなっているのか、ということでした。というのは、二度目のチベット渡航の時にチベット語を上手に話す漢族のガイドの彼に「どうしたらそんなに上手に話せるようになるの?」そう聞くと「なに、ラサ(※)に3年も住めば簡単に話せますよ。でも今、チベットのお年寄りと子どもは、家の中でも会話ができないし、若い人はチベット語の読み書きはできない。学校では漢語で教育しているから」と言うから、「ええっ!?」と思っていたの。
 そんなことから、チベットの子どもたちへの、チベットの文化や伝統についての教育は、どうなっているんだろう、という心配がありました。
 馬でいくようになって、テントでのお茶を誘われ入ると、そこには学校に行く年頃の子どもがいます。「学校には行かせないの?」と親御さんに聞くと「学校へ行って何を学ぶの? 中国の言葉と文化、歴史だけでチベットのことは何も教わらない。ならば、行かせなくてもと思っている。お金もかかるし、ここでも(放牧などの)仕事もあるし」という答えです。
 また、本当はインドの学校に行かせたいけれど、それだともう生き別れになるかもしれないとも。

※チベット自治区の中心地。ラサの場所についてはGoogleMapでご覧ください。(ブラウザのバージョンによっては、閲覧できません。)

編集部

 なぜ生き別れに? インドで学ばせるというのは、すなわち亡命ということですか?

渡辺

 59年に、ダライ・ラマがインドに亡命をしました。その時、一緒に8万5000人のチベット人たちが亡命しましたが、今でも亡命を試みて、途中で命を落とす人がいます。2006年、30人ぐらいのチベット人が国境を越えようとした時に、中国の国境警備隊に射殺されていますね。それをたまたま外国の登山隊が目撃をして、映像に収めていた。とてもショッキングな映像ですが、You tubeなどで流れたために、世界中に伝えられました。でも、あのような事はただ一回、その時だけじゃないんですよ。
 そんなことをさんざん聞いて、ラサにもどってきてから、実際に子どもたちの教育の内容について聞くと、文化革命後には民族学校ができ、そこではちゃんとチベット語の授業も行っているという。しかしそれは、例えば、週に30時間の授業があるとすると、そのうちの6時間はチベット語の授業がある。それは私たちが中学校に入って、授業で英語を習うようなもの。もちろん、チベット語は、チベット人が教えます。でも他の教科は、中国語で教えているし、教科書もぜんぶ中国語で書かれている。だから、母語のチベット語がまるで外国語みたいに教えられているんですね。
 チベットの人たち、家の中の会話はチベット語で話していますが、読み書きが難しい。今の子どもたちは、学校の授業で一番難しいのがチベット語だと言ってました。

編集部

 言葉というのは、最も大切な文化の基本だと考えますが、それがチベットにおいて取り上げられたわけですね。かつて日本も、植民地支配した国々や、沖縄に対して行ってきたことです。

渡辺

 そうなんですね。チベット語は日常の生活からも消されてしまっていて・・・。チベットの街中にはいろんな標識があります。時々はチベット語も併記されていますが、中国語だけというのもあります。中学、高校に上がるときは進学のテストがありますが、それは中国語で行われます。それでは、どうしてもチベット語の勉強があとまわし、ということになってしまう。言葉、文化の継承が難しい状況です。

建設ラッシュ、漢民族の移住ラッシュにあるチベット

編集部

 アムネスティが出しているニュースレター(※)を読むと、なぜここまで中国は、チベットにこだわるというか、人権侵害を犯してまで自治を許さないのかと不思議に思います。

アムネスティ・インターナショナル日本 チベットチームが発行している「ちべっとニュースレター」。チベットの歴史やおかれている状況、問題について詳しく書かれています。

渡辺

 チベットには、とても豊富な地下資源があります。またインド、ネパール、パキスタン、ビルマなどの国々と接しているので、国境地帯の軍事的な目的もあるでしょう。そして天然資源、水、森林も豊富で、チベット南部の河川域は、農業に適した肥沃な土地が広がっています。

編集部

 中国国内における中国人のチベットへの移住政策も積極的にすすめているそうですね。

渡辺

 今、中国の内地では仕事がない。そこで、チベットの地下資源を掘り出す目的で、どんどん広い道路を通し、建物を建てています。そうやって仕事を作り出して「チベットに行くと、高地手当がつくよ」という補助まで出して、政府は移住を奨励しているわけです。

 その一方で中国政府が押し進めているのは、チベット人の定住化です。チベットの人たちは、半農半牧か牧畜専業で、半農半牧の人も暮らしているその土地の条件によって、牧畜の割合が多かったり、農耕の割合が多かったりしています。だから農耕をしている時期は、家に暮らしていますが、牧畜の期間はテントを張りながら移住をしています。それが彼らの暮らし方にあった“家”のスタイルなのです。しかし今、国道のすぐ間近に家を並べて、そこに定住化させるという政策をしています。なぜそのようなことをするかというと、管理しやすいからでしょう。
 他にも、家を持っている人たちへ、全然違う場所に強制移住させることもあります。たぶん地下に、資源か何かがあるからだろうな、と想像するんだけれど。
 とにかく建築ラッシュです。政府が融資や利子なしでの貸し付けをしてくれるから、それを聞くといいんじゃないの、とも思うけれども、チベットの人たちは、もともとしなくてもいい借金を背負ってしまうことになってしまいます。

編集部

 ここ数年のことですか?

渡辺

 以前からありましたが、2000年になって急激にそうなりましたね。本当に急激に街が変わっています。風景ががらりと変わりました。

僧侶が声をあげてきた歴史

編集部

 テレビなどで目にするチベットの映像といえば、チベット密教のお寺がたくさんあり、お坊さんが静かに祈りを捧げているというもの。そんな平和の象徴のようなお坊さんたちが、今回なぜ抗議をしたのか、ちょっとイメージと結びつきません。一見すると手厚く保護されている僧侶たちが、今回立ち上がったのは、どうしてなんでしょうか?

渡辺

 なぜ、お坊さんが立ち上がったのか。それは、もともとチベットがチベットという国だったころ、いわゆる教育を受ける場所は僧院でした。だからお坊さんというのは、知識人なんですね。
 中国がチベットに侵攻していったとき、お坊さんは知識人であるということと、宗教は麻薬であるという考えから、寺院は徹底して破壊され弾圧された。そういうことに最初に反旗をひるがえしたのは、お坊さんであり、その結果、長い間収監されている人もいます。毎年、3月10日には、僧侶たちが自由なチベットと平和をアピールするデモを行いますが、それは、1959年に中国軍の侵攻に対して、ラサで大規模な抗議行動をおこした記念日だからです。
 ちょっと付け加えておくと、侵攻した際、中国はチベットの農奴制を解放するため、と言って行ったのだけれど、私自身が元荘園のあったところに行って、荘園主ではなかった家の人たちに話を聞いたところ、主従関係はありましたが奴隷制だったということはなかったと感じました。

 さらに毛沢東時代の文革の時に寺院はすべて壊されたのだけれど、今はかなりの数が修復されています。観光の目玉になるところは、中国政府がお金を出しており、それについて石碑が立ち「国費により修復した」などと書かれています。でも観光地じゃない寺院は、地元の人や、海外に亡命したチベット人、外国からの援助で修復しています。そのようにして多くの寺院は修復されました。
 だけど・・・お寺は修復されたけれど、宗教的な自由は、どうでしょうか。僧侶には、決められた時間におつとめがあってという宗教的なスケジュールがある。でも そういう時間帯に、「愛国政治教育」の時間が入っている。自分たちのおつとめではない時間帯にそういう政治教育の時間が入るのならまだしも、祈りの時間に重なるようにそれは入れられているのです。どういう「愛国教育」がされるかというと、「ダライ・ラマは、祖国分離主義者だ」と、言いなさいとか。心にも思っていないことを言わされる。そういったことが強制されるのです。仏教の教義の中には「嘘をつくな」というのがあり、人々にそう教えをといているのに、自分自身が嘘をつく状況になるというのは、僧侶にはとても耐え難いことでしょう。

編集部

なるほど。そういった経緯もあり、今回の「暴動」へとなったのでしょうか?

渡辺

 あれは、私は「暴動」では絶対にないと思います。あれは、ずっとこれまで抑圧されて抑圧されて、堪えにこらえてきたものが溢れ出てきたもの。ほんとうにこのままでは自分たちは、ただ消え去るのみ。このままでは、そういう声を出しても聞いてもらえず、忘れられてしまう。そういったぎりぎりのところで、自分たちの声を聞いてもらうこれが最後のチャンス、というような気持ちで立ち上がったのだと思います。レジスタンスです。

編集部

 そうですね。たしかにこれらのことがきっかけで、私たちは「チベット問題の真実」について知ってみたいと思い始めました。

渡辺

 さっきも言ったように、毎年、3月10日にはチベットのラサをはじめチベット内外において、チベット人が何かしらアピールする動きはこれまでにもあったんですよ。それに対して弾圧や逮捕もありました。でもマスメディアはぜんぜん取り上げない。なんとか世界の各地で、チベット問題を憂いている人たちが、連動して声をあげられないものか、とみんな思っていたでしょう。
 それが、ほんとうに時を同じくして吹き出したんだと思う。誰かが後ろで糸を引いていたとか、ダライ・ラマが計画をしたとか、そういうことではないと思います。

編集部

 火種はずっと長い間くすぶっていて、それが爆発したということでしょうか。
 五輪と政治は分けなければ、というけれども、彼らにはもうこれしか国際社会に訴えるしか手段がなかった、自分たちのこの問題について、ここしかチャンスがなかったという、そこも見ないといけませんね。
 実際、アムネスティによると、国際オリンピック委員会(IOC)も、北京で五輪を開催することによって中国の人権状況が改善されることを期待していると、繰り返し発言してきたようですし、中国当局もそれを公約に掲げていたということですから。

その2へつづきます→

次回は、さらにチベットの抱えている問題、
ダライ・ラマのこと、中国との関係、
そして私たちはどうするべきか、について伺っていきます。

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