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2010-07-28up

中島岳志の「希望は、商店街! 札幌・カフェ・ハチャムの挑戦」

第3回

大型店やショッピングモールと商店街はどのように共生できるのか

民主党は、みんなの党より公明党との連携を模索すべき

 参議院選挙は、新自由主義者の勢力回復という結果に終わりました。昨年の衆議院選挙の民意は「新自由主義NO」だったはずなのに。派遣村によって貧困問題が可視化され、「構造改革はまずかった」という世論が大きくなったはずなのに。自民党政権も「行きすぎた市場原理主義」を反省的に批判し「安心社会」「中福祉中負担」路線に切り替えたはずなのに…。票を伸ばしたのは「みんなの党」。そして、自民党から当選したのは、片山さつき氏、佐藤ゆかり氏といった新自由主義者たち。しかも私が「最も危険な人物」として注視する日本のネオコン・橋下徹大阪府知事が「みんなの党」との連携模索を表明しました。

 まだまだ新自由主義という白昼夢は終わっていません。むしろ、民主党政権の立ち往生によって、新自由主義者が改革者に見えてしまうという幻想が復活してしまいました。

 民主党は、みんなの党よりも公明党との連携を模索すべきです。公明党はかつて「福祉と平和」を唱えながら小泉構造改革を推進した過去があります。イラクへの自衛隊派遣を追認し、福祉予算の切り捨てに加担しました。しかし、公明党の「結党の精神」は、国家による弱者への再配分を重視した社会民主主義的なものだったはず。現に近年の公明党は小泉時代を(まだまだ不十分ですが)反省し、「新しい福祉」を掲げています。

 ここは公明党との政策協議を進め、新自由主義的「改悪」を阻止するのが賢明だと思います。新自由主義的なみんなの党に引きずられるよりも、公明党とのパーシャル連合を進める方がベター。政治は概ねless worseの選択です。

 私は保守思想を重視していますので、社会民主主義に潜む設計主義的合理主義にはきわめて批判的です。民主党の松下政経塾的な政策工学は、政治からヴィジョンや理念を奪い、バラバラな政策を羅列する結果になっています。民主党は、縦社会から横のつながりのある社会への転換を謳っていますが、その民主党のマニフェスト自体が極めて縦割り型(もしくは限られた一部の人間の決断主義)になっています。特定の議員(たち)が得意な分野の政策をつくり、その断片をただ羅列しているだけなので、政策間のつながりや全体としてどういう国家にしたいのかというヴィジョンが空っぽになっているのです。

 本来は、そのような政策間を統合する理念を打ち出し、全体を整えるのが国家戦略室の役割だったはずです。しかし、政権交代から10カ月たって打ち出されたのは「規模の縮小」。どうなっているのでしょう? 民主党政権は「行き先を告げないタクシーの乗客」のようなものです。どういった国家にしたいのかというヴィジョン(=行き先)を欠いたまま「あの道を行け、この道を行け」と目先のトラブルを回避することばかりにとらわれていたら、迷走するのがオチです。そして結局、運転手(=官僚)に主導権を握られてしまいます。

 また、民主党のマニフェスト政治に見られるテクニカル・ナレッジ(技術的な知)への過度の傾斜は、政治主導ではなく政治家の官僚化をもたらすだけです。マニフェストに書かれたことを「国民との契約」としてそのまま実行するのが政治家の仕事だとすれば、議会なんて必要ありませんよね。現に、民主党政権はマニフェストを片手に、繰り返し強行採決を行いました。

新自由主義者に振り回されると日本はボロボロになる

 そんなわけで、私は民主党的な政治工学に批判的ですが、社民主義的な政策を採ろうとしている側面は、新自由主義者よりも評価しています。今の日本はOECD諸国の中でもトップクラスの「小さな政府」になっており、政府による再配分が機能不全に陥っています。私は「大きすぎる政府」は国家統制が強くなりすぎる点に問題があると思っていますので「中ぐらいの政府」論を採っていますが、現状の「小さすぎる政府」に対しては、社民主義者と同様、「国家による再配分機能を強化せよ」という意見で合意できます。

 今は、新自由主義を淘汰するために、穏健保守と社民主義者が手を結ぶ時です。このまま新自由主義者に振り回されていては、日本社会がボロボロになってしまいます。私は、自民党に穏健保守の政党としてよみがえってほしいと思っていますが、現状では「世代交代」=「新自由主義化」という最悪の流れができてしまっています。自民党の改革派の筆頭と目されている河野太郎さんの著書『私が自民党を立て直す』では、「構造改革の一層の徹底化」が謳われています。自民党若手議員のネオリベ・ネオコン傾向は、ますます加速しているといってもいい状況です。

 私が最も恐れているのは、前回も述べたように、首相がコロコロとかわることよって国民の間にシニシズムが蔓延し、「救世主待望論」が広まることです。小泉氏のような「敵」をバッシングすることで支持を集める政治が、あっという間に復活する可能性が十分にあります。そして、そのような政治は新自由主義者によって牽引されるでしょう。

 私は橋下徹研究をスタートさせました。いずれ近いうちに橋下氏が最大のキーマンになる日が来ると思います。その日に備えて、橋下ウォッチを丁寧に行っていこうと思います。この連載でも橋下氏について触れることが多くなるかもしれません。

大型店のメリット

 さて、商店街問題です。前回は大店法改正と大型店の進出について議論しました。

 もしかすると私が「大型店は必要ない」「ショッピングモールは不要」という議論を展開しているように誤解された方がいるかもしれません。「イオンは地方から出て行け」といった「大型店排除論」を展開していると読まれてしまったかもしれません。

 しかし、私はそのような主張を展開したいのではありません。「大型店やショッピングモールと商店街はどのように共生できるのか」を探りたいのです。そのため、商店街を消滅させてしまうような規模や方法で大型店が進出することには批判的ですが、大型店を撤退させればすべてはうまくいくなどということは毛頭考えていません。両者が特色を生かしながら、「今日は大型店」「明日は商店街」と上手く使い分けられるような形態を探ることこそ、これからの時代の展望だと思っています。(そもそも多くの商店街は、80年代以降、中型スーパーとの共存共栄によって生き残って来ました)。

 近年建てられた大型店の魅力は、何といっても「快適に買い物ができる」ことにあります。特に小さなお子さんがいらっしゃる方は、すぐに納得できるでしょう。最近の大型店はほとんどの場所がバリアフリーになっているため、ベビーカーを押していても安全ですし、苦労なく移動ができます。子どもが突然走りだしても、車にはねられることはありません。空間もゆったりしているし、子供を遊ばせておくことができるスペースを確保している店舗もたくさんあります。建物内は涼しいし(冬は暖かいし)、休日は長時間のんびりと滞留していることができます。大型駐車場も完備されているため、家族みんなで自動車に乗って行くことができ、とっても便利です。

 私も週末などは、近所の大型店を利用します。正直なところ、大型店に行くとほっとする時もあります。だれにも声をかけられず、家族でゆっくり買い物をし、食事をとることは、時に楽しみでもあります。

商店街のデメリット

 一方、商店街ではそうもいきません。多くの商店街は駐車場も十分に用意されていないため、まずは出かけて行くのが大変です。しかも夏は暑く、冬は寒い。バリアフリーも十分ではなく、ベビーカーで移動するには一苦労です。脇の道を自動車が走っている所も多く、子どもの行動に気を配り続けなければなりません。

 北海道の場合、アーケードのない商店街は、冬場に買い物するのが大変です。雪道が凍ると足元は滑るし、雪の日は歩くだけでも一苦労です。しかも子ども連れだったりすると、わが子の安全を確保するだけで精一杯で、のんびり快適に買い物をするといった感じではありません。これはお年寄りや体に障害がある方も同様でしょう。アーケードがなく、歩道がロードヒーティングになっていないところでは、商店街で安心して買い物するのは難しいでしょう。ハード面を検討すればするほど、商店街のデメリットばかりが浮かび上がってきます。

 では、商店街もアーケードを設置すればいいじゃないかという意見が出そうですが、これがまた現実には難しいのです。アーケードの設置には莫大なお金が必要になります。しかも、一定の年数以上たつと、メンテナンスをするのに結構な金額がかかってきます。多くの場合、アーケード設置費用は商店街振興組合が借金をし、加盟各店が毎月一定の金額を負担するという形態をとります。ローンの期間は数十年。シャッターを閉める商店が増えてきても、巨額の借金だけが残るという問題が起こります。

 そしてこの借金は、新規の出店の障害になります。空き店舗を安く借りることができたとしても、新しい店主は決められた負担金を毎月払わなければなりません。しかもアーケードはボロボロ。修理をすると、さらに大きな借金を抱えることになってしまいます。実際、このアーケード問題で苦しんでいる商店街は全国にたくさんあります。閉店するお店が増え、シャッターが目立つようになると、一店当たりの負担金が増えることになり、ただでさえ苦しい経営を圧迫するようになります。そんな負担金が必要な商店街への新規出店はハードルが高く、出店を検討しても途中で断念する人が後を絶ちません。

商店街が持っている重要な機能を活かせ

 そんなデメリットの多い商店街ですが、大型店にはない重要な機能があります。それはソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)という機能です。商店街のお店では、顔なじみのお客さんが店主さんと、店先で話し込んでいる姿をよく目にします。今日の天気や近所の噂話など、なにげない日常の会話があちこちで展開されています。とにかく商店街の店主さんは、よく町の人のことを知っています。そして、町の情報を把握し、日々、適切な人に伝えています。私などは、札幌市のごみの出し方が変わったときに、商店街の人から詳しい情報を教えてもらいました。「○○だったら××に行けばいいよ」というちょっとした生活情報は、とても貴重です。

 そんな日々のコミュニケーションの場所として、商店街は今でも貴重な役割を担っています。特に高齢者の孤独化が問題視される今日、商店街がお年寄りのソーシャル・インクルージョンの場として果たしている機能は、想像以上に大きなものがあります。コンパクトシティの重要性が指摘される今日、病院や役所、商店街などは、できる限り徒歩圏にあることが望まれています。日々歩いて暮らす範囲内で、基本的な生活の用が足りる社会が、高齢化が進む日本ではまずます重要になっています。そして、その範囲内で顔見知りの人たちと会話を交わし、個々人がコミュニティの中で出番があることが望まれています。

 多くのお年寄りの人は自動車の運転に不安を抱いています。そもそも女性の高齢者は免許をもっていない場合が多く、郊外の大型店に一人で買い物に行くのは難しい状況にあります。商店街がなくなってしまえば、彼ら・彼女らの多くは「買い物難民」になってしまい、さらに大切なコミュニケーションの場も失ってしまいます。商店街が有する重要な機能を守るためには、何とかして大型店との共存を図らなければなりません。そして、そのためには莫大な金額がかかる設備投資に可能性を見出すのではなく、少ない金額で商店街の特徴を生かす仕掛けを考えることの方が重要です。

 発寒商店街では、そんな考え方に基づいて、「カフェハチャム」を運営することになったのですが、我々の前にはいくつもの大きな壁が待ち受けていました。

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参議院選挙の結果によって
「新自由主義者が改革者に見えてしまう幻想が復活」
していることが明らかになりました。
その「幻想」がもたらす「改悪」を阻止する方法を、
早急に考えていかなければ、と思います。
そしてこれまで歴史上の様々な思想や事件、人物を研究してきた中島岳志さんが、
橋下徹氏研究をスタートされると明言。
その意味についても考え伝えていきたいと思います。

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中島岳志さんプロフィール

中島岳志 なかじま たけし1975年生まれ。北海道大学准教授。専門は、南アジア地域研究、近代政治思想史。著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)、『中村屋のボース─インド独立戦争と近代日本のアジア主義』(白水社)、『パール判事─東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、西部邁との対談『保守問答』(講談社)、姜尚中との対談『日本 根拠地からの問い』(毎日新聞社)など多数。「ビッグイシュー」のサポーターであり、「週刊金曜日」の編集委員を務めるなど、思想を超えて幅広い論者やメディアとの交流を行なっている。近著『朝日平吾の鬱屈』(双書Zero)

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