第四十回
090325up
今朝の毎日新聞に、とても衝撃的な記事が載っていた。第8面、いわゆる国際面である。世界の情報を伝えるページが、この日は大きな特集を組んでいた。
まず、見出しだけを拾ってみる。
戦いを捨てる米兵
軍務逃れカナダへ 「間違ったことしていない」
「思い出したくない日々」
非情な国、無力な個人
誤った命令でも、背けば罰則
イラクにテロリストはいなかった。 私たちこそテロリストだった
<リード
:
イラク戦争開戦から20日で6年。オバマ大統領は駐留米軍の撤退計画を発表し戦争は最終段階に入った。しかし、イラク戦争から逃亡し、カナダで政治難民認定による保護を求める元米兵たちは、「正義無き」戦争に自分たちを送り込んだ祖国に対し、裏切られたとの思いを抱き続けている。今も心に終止符を打てない彼らを訪ねた。>
イラク戦争を戦い、その後にこの戦争に疑問を感じてカナダへ逃れた逃亡兵たちの今を探るルポルタージュである。彼らの語る戦場は、生々しい悲劇と、そして狂気に満ちている。
記事の中から、少し抜粋しよう。
<インタビュー中、キーさん(注・逃亡兵)の目が一瞬、うるんだ。著書(注・ジョシュア・キー著『イラク 米脱走兵、真実の告発』訳書は合同出版)にもある少女との交流について聞いたときだ。 キーさんが自分の食糧をこっそり与えていた貧しい少女が、同僚によるとみられる銃撃で射殺されたのだ。少女がお礼に、焼きたてのパンを持ってきてくれた直後だった。…>
<(キーさんは)「国外の戦場に行くことはない」というリクルーターの言葉を信じ02年、入隊。すぐに「だまされた」とわかった。訓練を受けフセイン政権が崩壊した直後の03年4月27日、クウェートからイラク西部ラマディに入った。
そこでは、「思い出したくない日々が続いた」。連夜、民家を捜索し男性を片っ端から連行した。結局、一度もテロリストを見つけたことはなかった。同僚の多くが、イラク女性にみだらな言葉を浴びせ、少しでも危険だと感じたら射殺した。
米兵が、死んで切断された状態のイラク人の頭部を、ボール代わりにサッカーに興じているのも目撃し、狂っていると感じた。善悪の判断ができなくなっていた。自分自身、捜索中に現金を盗んだこともある。(中略)
「イラクにテロリストはいなかった。私たちこそテロリストだった」と語る。…>
切断された人間の頭部を蹴りあって、サッカーをする。想像するのもおぞましい光景。あの、ベトナム戦争の狂気を描いた映画『地獄の黙示録』を髣髴させる。
しかし、これは映画の世界ではない。現実のイラク戦争で起きたことだ。ここに登場するジョシュア・キーさんは、その目で地獄を見たのだ。
何度もイラクなどの戦地に入り、同じような光景を目にしたという知人の報道カメラマンと話したことがある。
「戦場に、音楽は流れないんですよ」
会話の中で、彼はポツリと言った。とっさには意味がわからなかった。私は問い返した。
「えっ、どういうこと?」
「映画でもニュースでも、映像にかぶせて音楽が流れるじゃないですか。あれって、おかしいとは思いませんか。戦場に、音楽なんてない。あるのは、銃声と爆音、狂ったような叫びと悲鳴、泣き叫ぶ声、そして静寂。漂うのは、なんともいえない臭いです。音楽を映像にかぶせるのは、実態を隠すだけです。戦場は、ロマンでも物語でもない。血と硝煙と狂気の世界ですよ」
多くの死を目にした彼の言葉は、怒りに溢れていた。
血の臭いも爆撃音も悲鳴もない机上で(いまやコンピュータ上で)作戦を立て、多くの若者と現地の人々の命を奪った連中は、いまものうのうと生き続けている。そして、そんな戦争を支持した国の政治家たちもまた。
戦場に善悪などない。正義の戦争とか、防衛戦争とか、悪を駆逐するための戦争とか、どんなふうに名付けようと、戦場にあるのは、ただ血と狂気。
正しい戦争など、ない。
私が、憲法9条をどうしても譲れないと考えるのは、「たとえどんな名目があろうと、戦争をしない」とする思想が、その根底にあるからだ。
「マガジン9条」が、この3月で5年目に突入し、先週の更新で第200号に達したと、スタッフから聞きました。私も初期のことから手伝ってきましたが、言われるまで気がつきませんでした。
なにしろ、とりあえず、めでたい。
これからもまだしばらくは、頑張って更新し続けていくんだと、スタッフは張り切っているようです。協力してくださる方々からも、激励や祝辞や檄など、いろんな言葉が寄せられています。
いつの間にか、なし崩し的に形骸化されていく「9条」。しかし「9条」、けっこうしぶとい。無理矢理の解釈改憲にも、ぐいっと唇噛みしめて抵抗しています。まだまだ、「マガジン9条」の役割は終わっていないようです。
ということで、リニューアルを繰り返しながら、もうしばらくは、「マガジン9条」は続いていくでしょう。「9条」のしぶとさは、「マガジン9条」の勇気でもあります。
このコラム、ほぼ1年間書き続けてきました。エールも批判もたくさんいただきました。嬉しかったです。
最近は、楽しいことを書こうと思っても、なかなかそれを許してくれない出来事ばかり。でも、カメラ片手の散歩話は、それなりに自分では楽しんで書いていました。
ちょうど年度替り。「週間つぶやき日記」もそろそろ退け時です。新しい旅立ちをする人たちが、たくさんいる季節。ここらでこのコラムにも、新しい装いが必要でしょう。
というわけで「つぶやき日記」、アリガトウとつぶやきながら、今回で退場します。
多分、そう遠くない時期に、装いを改めて、時事的なコラムは復活するでしょう。次の担当は誰になるか分かりませんが、とりあえず、私はさようならです。
1年間、ありがとうございました。
最後に、最近の散歩写真を数点。拙い写真ですが、お楽しみください。
早咲きの桜の小さな花びらが、太くて古い老木の幹に、薄いピンクの飾りをつけていました。小川では、真っ白な鷺が餌をついばんでいたり…。
花冷えが続くようです。
みなさん、お体を大切に、新しい4月へ。
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