第三十七回
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三寒四温というけれど、東京のこのところの寒さは“三寒”ばかりで“四温”を忘れてしまったみたい。今日も、雪まじりの冷たい雨が降っています。
朝の通勤時に4℃しかなかった温度が、昼になってもまるで上がりません。しっかりとマフラーをし、コートの襟を立てて、足早に急ぐしかありません。
そんな外の寒さよりもなお、心を凍らせるようなニュースが報じられました。先日も書いたのですが、ある親子の話です。
フィリピン人一家 10日間仮放免延長
強制退去を命じられているフィリピン人のカルデロン・アランさん(36)=埼玉県蕨市=と妻サラさん(38)、1人娘のノリコさん(13)に対し、東京入国管理局は27日、3月9日まで10日間の仮放免延長を認めた。
夫妻は92年と93年にそれぞれ他人名義の旅券で入国。06年にサラさんが出入国管理法違反(不法残留)容疑で逮捕され、強制退去を命じられた。一家は日本で生まれ育ったノリコさんのため在留特別許可を求めているが、入管は家族全員でか、娘を残して帰国するよう通告している。
この日入管に出頭したアランさんは「仮放免の延長はこれが最後で、どちらかを決めなければ3人とも強制収容すると言われた」と話した。
(毎日新聞2月27日夕刊)
東京入国管理局は、この親子に「家族全員でか、娘を残して帰国するよう通告」したというのです。
これが、血の通った人間の言うことでしょうか。13歳の少女をひとり残して出国し家族バラバラに暮らすか、それとも言葉さえ話せない少女を“異国”へ追放するのか、どちらかを選択せよという。残酷きわまる究極の選択。私は、そう言ったという役人に問うてみたい。
「もし、あなたたち夫婦は日本に残り、あなたの幼い13歳の子どもだけを見知らぬ国へやらなければならないとしたら、それを命じた人間をどう思うか」と。
冷酷な人間に対して、「血も涙もない奴」などと表現をすることがあります。こんな決定を平然と下せるのなら、そういう人こそ血も涙もない。
むろん、入管実務のお役人ばかりを責めても仕方ない。彼らが勝手にそんな決定を下したのではありません。当然のことながら、法務省という日本国政府の機関が決定した事項です。
法務省の高級官僚が、デスクの上の書類を眺めて、「違法だ、こんなのを許しておけば、国家の威信に関わる」とか何とか言いながら、「はい、強制退去っ!」と判を捺したのでしょう。そしてそれを、森英介法務大臣が認めて決済したわけです。
先日(2月14日)のこの日記にも書いたのですが、すでに15年以上にもわたって日本に住み、それなりに生活の基盤を日本に作って、(不法残留以外の)犯罪などとは無縁の静かな暮しをしてきた夫妻です。近所の人たちや勤め先の同僚上司、それに同級生などにもとても評判のよかった親子だといいます。
そういう無害な人たちを、なぜ“強制”してまで追い出さなければならないのか。
それでも「不法残留は許せない」と息巻く方は、せめて、以下の法律と、それに伴う「判断基準」についての文章を読んでほしいのです。
入管法(出入国管理及び難民認定法)第50条
法務大臣は、前条第三項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該容疑者が次のいずれかに該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる。
(一~三 省略)
四 その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき。
在留特別許可の運用について
入管法第50条に規定する在留特別許可は、法務大臣の裁量的な処分であり、その許否判断に当たっては、個々の事案ごとに、在留を希望する理由、家族状況、生活状況、素行、内外の諸情勢その他諸般の事情に加え、その外国人に対する人道的な配慮の必要性と他の不法滞在者に及ぼす影響とを含めて、総合的に考慮しています。
(法務省出入国管理局HPより)
つまり、法務大臣は「在留特別許可」を“裁量的に”(自分の考えにしたがって)決定することができるのです。そしてそれは、「家族状況」「生活状況」「素行」を配慮して決定できる、としています。
繰り返します。このカルデロン親子には、家族としての生活があり、素行の点も問題はありませんでした。そして何より「親子3人一緒に、生活基盤のある日本で静かに暮らしたい」という「在留を希望する理由」があったのです。
ならば、入管当局自身が言うような「その外国人に対する人道的な配慮の必要性」が、なぜ発動できなかったのか。
家族が一緒に暮らしたい。それこそ、最低限の「人道的配慮」ではありませんか。
法律にさえ「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」には特別に許可できると、きちんと書かれているのです。法相が認めさえすれば、親子は3人一緒に、都会の片隅で静かに暮らせるのです。「親子が一緒に暮らしたい」という以上の切実な「特別の理由」などないはずです。
なぜその法律の「在留特別許可」を与えないのでしょうか。この親子を強制退去処分にするかどうかは、法務官僚と法相の胸三寸、どうにでもできたのです。
彼らは、「追放する」という形で決着を付けました。人道的措置を選べたはずなのに、彼らは選ばなかった。
少なくともこの一点で、森英介法務大臣を、人道的視点をまったく持っていない政治家であると、私は断定します。そして、その決定を支持している日本政府には、他国の人道問題などに言及する資格などありません。
3月2日(月)
今日はようやく晴れたけれど、それでも寒い。
こんな冬の寒い日は、小鳥たちも大変です。秋に実った木の実をほぼ食べ尽し、まだ虫たちも現れない。つまり、食べ物がほとんどない季節なのです。
こうなれば、もうなんだって食べます。我が家の小さな庭の、私が日曜大工で作った餌台に、信じられないほどの数の小鳥たちが群がります。
餌はなんだってOKです。
残り物のご飯、お煎餅を細かく砕いたもの、野菜だってかまいませんし、私のメタボ対策で取り除いた肉の脂身なんかには、もう狂喜乱舞です。リンゴやミカンなどの果物は、ヒヨドリやメジロ、シジュウカラたちの大好物です。
でも、もっとも喜ぶものは、「鳥ダンゴ」です。
これはカミさんが何かの本で仕入れてきたらしいのですが、レシピ(?)は、以下の通り。
小麦粉(使い忘れて賞味期限の切れたのがいいですよ)と、砂糖(甘味だったら何でも)、それに油少々(これも揚げ物で使い終わったものでいいのですが→我が家では、お歳暮にいただいたけれど使わないオリーブオイルなど)。
要するに、余り物をかき集めてダンゴを作るのです。小鳥は甘くて少々脂っこいものを好みます。少し軟らかめのダンゴにしておくと、小さなくちばしで、ピイピイキャウキャウと、ほんとうに騒がしくついばんでいます。
で、我が家の猫(ドットといいます)が、それを呆然と眺めています。まるで、番犬ならぬ番猫みたい。
数年前、我が家の庭に出入りしていた野良猫が、しばらく姿を見せなくなったことがありました。ノラめ、もっといいご飯をくれる家を見つけたかな、と思っていたのですが、ある日、庭先でみゃあみゃあ声がする。出てみたら、なんとこのノラは母猫で、その後ろにようやく歩けるようになったばかりの子猫が3匹。
いやあ、驚きましたねえ、そのときは。
以来、4匹の猫が、我が家の庭で餌をねだるようになりました。
しかしさすがにノラ。この母猫の用心深さは“ハンパねえ”のです。私たちが撫でようとしても絶対に許しません。手を出すと、ふうーっと牙を剥く始末。メシを貰っていながらなんてヤツだと、こちらは不平タラタラながら、餌だけは供給し続けました。
寒い日なんか、家の中に入ればいいのになあ、と思って戸を開けてあげるのですが、絶対に一定の距離以上には近づきません。餌を食べると、どこかへ消えていきます。
ノラの意地?
それでも、なんとか1匹ずつ捕まえて、避妊手術は受けさせました。この子たちが育って、また子猫連れで我が家を訪れたりしたら、堪ったもんじゃありませんから。ま、4匹の手術代もバカにはなりませんでしたが、捕まえるときの騒動といったら、それはもうたいへんで…。
一応、名前だけはつけてやりました。母猫はかなり萎びていたものですから、ウメ。梅干ばあさんのウメです。子どもたちは、ジェーピー、ドット、コム。中ではコムがいちばんの美猫でした。
でした、と過去形で書いたのは、いまでは残っているのがドットだけだからです。やはり野良猫の習性からか、1匹1匹と、間をおきながら消えていってしまいました。
「“自分探しの旅”に出たんだよ」と娘は言っておりました。ほお、中田英寿さんですか。そのころの流行でしたもんね。
いちばんの臆病猫だったドットだけが、旅立ちを拒否したのかもしれません。
それでもドット、ノラの矜持は捨てていない。なかなか家の中には入ってこないのです。私たち夫婦が庭に出ているとベタベタ擦り寄ってくるのに、抱かれるのをとても嫌がります。家に入ることも断固拒否。そのくせ、餌をねだるときの甘ったるい声。コイツもそうとうに、したたかです。
仕方なしに小さな犬小屋を買ってきました。それを庭の隅において段ボールと毛布を入れてあげました。ここにもなかなか入ろうとはしませんでしたが、このところの寒さ、ようやく中で丸くなっているようです。
いやはや、猫というのは厄介な生き物です。
人間にやたらと尻尾を振る犬よりも、やっぱり猫のほうが毅然としていていいわ、とカミさんは言うのですが、私は態度保留です。犬も好きですから。
3月3日(火)ひな祭り
そうです、本日はひな祭りですね。
ということは、春間近でしょうが、なかなか寒さは去りません。今年は暖冬だとテレビの気象予報士たちは言うのですが、私はなんだか、今年はとても寒い。年齢のせいでしょうか。
そんなとき、怖い本を読みました。スリラーでもホラーでもありませんが、現実は小説よりもずーっと恐怖に満ちている、という寒気に襲われる本です。
『原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告』(新潟日報社特別取材班、講談社、定価・本体1500円+税)。
あの中越沖大地震で大損傷を負った柏崎刈羽原子力発電所を克明に追った、肌が粟立つようなドキュメントです。
そんなバカなことが行われていたのか、という凄まじいばかりの内容が、これでもかこれでもかと暴かれていきます。
その柏崎刈羽原発第7号機が、すべての破損箇所の修理が終了したとして、近々試運転に入る予定だと報じられています。この本を読めば、そんなことを安易に許していいのかと、体が震えてくるでしょう。それこそ震度7以上の震えです。
この本について、私は他のコラムでも書きました。
JCJ(日本ジャーナリスト会議)の出版部会HP「出版・ろばの耳」の中のコラム「活字の海を漂って」第20回「『原発』を読む」です。
同じことを繰り返し書くのも気がひけますので、ご興味のある方は、ぜひそちらを読んでみてください。
読後、ほんとうに怒りと恐怖でいっぱいになります(少なくとも、私はそうでした)。
ここまで突っ込んだ取材をし、圧力などを恐れずに書ききった取材班の記者たちに、私は久々に“ジャーナリスト魂”を見た思いがしました。
なお、最近の原発問題については、『原発崩壊―誰も想定したくないその日』(明石昇二郎、金曜日、定価1500円+税)をお薦めします。
これは、国の原発審査基準がいかにおかしいかを、しつこいほどの粘り強さで、学者や立地審議会委員、役人たちに迫って暴いていく、スリリングなノンフィクションです。
『原発と地震』『原発崩壊』、2冊を併せて読むと、原発に対する根源的な疑問が湧き上がってきます。
今回はここまで、と思ったところへ、またも政治がらみの呆れたニュース。
なんと、民主党小沢一郎代表の大久保隆規公設第一秘書が、政治資金規正法違反の容疑で、本日、逮捕されたという。西松建設の裏金の政治家への還流を、検察が違法だと認定したのだ。
いままで防戦一方だった自民党は、今度は鬼の首を取ったような大はしゃぎ。しかし西松建設の違法献金は、当然のように自民党幹部議員たちにも流れている。すでに、森喜朗元首相、二階俊博氏、尾身幸次氏、藤井孝男氏などの名前が上がっている。
逮捕が小沢氏の秘書だけで終われば、権力側の陰謀説も噴き出しかねない。すでに「国策捜査」だとの批判が、あちこちから飛び出している。検察側も、そう言われるのは避けたいはず。当然、自民党議員にも標的を定めているはずだ。
一連の事件は、与野党を巻き込んだ大きな疑獄へ発展する可能性もある。
民主党はテンヤワンヤである。せっかくの攻勢に、たっぷりの冷や水。では、どうすればいいのか。
とりあえず、小沢氏は代表という名を残して一端後ろへ引っ込み、誰かを「暫定代表代理」に立てるのはどうか。自民党と違って、民主党には次の代表としての顔が(ここで誰とは言わないが)まだ存在する。
小沢氏は疑惑を晴らしたうえで、まだ意欲があるのなら、また表舞台に立てばいい。晴らす義務が小沢氏にはある。自民党以来の古い政治体質を、きちんと払拭する義務が。
それにしても、国民は右往左往するばかり。選挙を通じて自民党の長期政権を覆すはずだった民主党に、それも党首に、突然の金銭スキャンダル。
さすがの麻生首相ももうもたない。予算が通った段階で解散総選挙となるだろう、という観測が強まっていた、まさにその矢先の逮捕劇だった。
やはり「国策捜査」の臭いがするのは避けられない。
しかし、もしこの逮捕容疑が事実だとすれば、私たちの国の政治は、与野党ともに根底から腐っている。政権交代を願っていた人たちの票は、一体どこへ漂流していくのか。
真の思想、憲法や外交の考え方を軸にした政界再編がない限り、この混迷汚濁の政治は変わらない。
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