第三十六回
090225up
ほんとうは、もっとほんわかとした日常のことを、呟くように書いていくつもりで始めた当コラムでしたが、なにしろ毎日のように、辛い、不愉快な、ときにはアッタマに来ちまうニュースが溢れてくるものですから、ついマジになっちゃって、ですます調がいつの間にか、である調になってしまいがちです。
気をつけてはいるのですが。
とくにここのところの政治ニュースには、まったく普通の感覚では付き合いきれません。
というわけで、今回は初心に戻って、またしても散歩話です。
散歩が日常になりました。あまり寒い日とか、暑すぎる日、それに雨模様の日などはもちろん出歩きませんが、それ以外で時間が見つかれば、ついふらりと散歩人です。
我が家から数キロ離れたところに、大きな都立霊園があります。散歩好きの人はみんな知っているのですが、大きな墓地というのは、散歩の穴場であります。理由はたくさんあります。
まあ、ほかにもいろいろな面白さはありますが、ゆったりと歴史の中を彷徨っているような気分に浸ることも可能です。本日も、ふらりと出かけた散歩で、ある歴史的有名人(の墓)に出会えました。この写真です。
もちろん、名前はみなさんご存知でしょう。で、なぜこの墓が目についたのか。それは、この墓に彫られた文字がとても素敵に思えたからです。
墓標に彫られている文字はさまざまです。でも、この写真のような「明朝体」のかっきりとした文字は、墓文字としては少ないようです(少なくとも、この霊園ではあまり見かけません)。
あるお墓研究家(?)に聞いたことがあるのですが、お墓の文字として崩し文字の「草書体」は使ってはいけないそうです。きちんと読めることが第1条件だからだそうです。
その点、この「北原白秋墓」の文字は、とてもスマートな感じがしました。大正から昭和にかけての旧き良き文化の香り、というようなものが匂ったのです(ちなみに、白秋さんは1942年(昭和17年)に亡くなりました)。
白秋さんの墓の近くには、わりと有名な歴史上の人物がたくさん眠っておられます。例えば、東郷平八郎さん、山本五十六さんといった有名な軍人・将軍・元帥たちの、巨大な墓石(碑)が目につきます。碑文字も立派な毛筆体。堂々たる重厚な碑ではありますが、ある意味で、とても威圧的です。
それらに比べて白秋さんの墓は、なんだか彼の詩集の中の活字のようで、その詩(例えば『この道』『砂山』などの童謡)がふっと浮かんでくるような気がしたのです。
散歩帰りには、「♪海はあ~らう~みぃ、向こうはさ~どぉよ~」をずうっと口ずさんでおりました。
とまあそんなわけで、私のお墓めぐり散歩は、この後も続きます。たくさんの有名人(の墓)に出会えて嬉しくなったりしています(けっこうミーハーです)。
漫画家の馬場のぼるさんの墓なんか、ユニークでしたよぉ。思わず笑みがこぼれたぐらいですから。
みなさんのご要望があれば、私が見つけた素敵なお墓シリーズをお見せすることがあるかもしれません。今日は、猫たちにもたくさん出会えたし、いい散歩でした。
ところで、私の利用する駅の前に、1本の桜の樹があります。超早咲きの「河津桜」です。それが見事に満開になりました。それが、この写真です。いかがですか?
2月22日(日)~23日(月)厭なニュースが多いこのごろだけど、毎年のこの時期の日教組をめぐる事態には、いつものことだが気が重くなる。
昨日(21日)から広島市で始まった日教組(日本教職員組合)の先生たちの教育実践の成果などを話し合う教研集会(教育研究全国集会)が、厳戒態勢の中で行われている。
会場になった広島国際会議場は、周囲450メートルにわたってフェンスが張り巡らされている。広島のシンボルともいえる平和記念公園の中にある会議場が、物々しい雰囲気に包まれているのだ。平和公園の「“平和”が鉄条網で守られている」というあり得ない皮肉な光景。
これは、集会開催に反対する右翼街宣車が大挙して広島市に繰り込み、巨大な拡声器で「日教組撲滅」「会場提供の広島市粉砕」「広島市長糾弾」などと騒ぎ立てることへの警戒のためだ。毎年、まるで恒例行事のように繰り返される。
昨年は、東京での開催予定会場だったグランドプリンスホテル新高輪が、日教組と使用契約をきちんと結んでいたにもかかわらず、開催間際になって契約を破棄した。
そのため日教組は、毎年行っていた全体集会を、この年に限って中止せざるを得ない状況に追い込まれた。
ホテル側が抗議活動を恐れての出来事だった。思想表現・集会の自由など、営利だけが至上目的のプリンスホテル側にとっては、何の価値もないお題目にすぎなかったのだろう。
とりあえず今年は、広島市側が庁舎の厳重警備や、市長の身辺警護まで県警に要請したうえで、なんとか開催にこぎつけることができた。
それにしても、気の重くなる話ではないか。
日教組は合法的な労働組合である。それが集会を開くことに、なぜこれほどまでに苦労しなければならないのか。
日教組が過去に行った闘争や、現在の運動方針等に批判意見を持つことは自由だ。しかし、だからと言って集会を阻止・粉砕するというのはどう考えても間違っている。意見交換の場さえ奪ってしまうというのは、明らかにおかしい。
「日教組粉砕を叫ぶのも、思想表現の自由だ」と主張するのなら、そのための集会を一般市民に迷惑のかからない方法で、会場を借りて行えばいい。どんな集会を開こうと、法に触れない限りそれは自由だ。だが、実力である団体の集会を阻止するということは、思想表現の自由からは逸脱している。
では、日教組とは、集会さえも許してはならないほど強力で、恐ろしい組織なのか?
教研集会で行われているのは、報道で見る限り、ほとんど「教育実践の報告」「新しい教育法の提案」など、要するに先生たちの切磋琢磨の研究結果の発表である。それらのどこに、粉砕すべき危険性がひそんでいるというのだろうか。もし先生たちの実践に何か批判があるのなら、報告内容をきちんと理解した上で、それに対する批判を公表すればすむことだ。
日教組は現在、組織率はほぼ28%。すなわち、該当教職員数約100万人のうちの28万人ほどを組織しているだけにすぎない。かつての力など、いまの日教組にはない。
どこかを“仮想敵”に仕立て上げて、それを徹底的に攻撃することによって自らの存在意義を確認していく。
「日教組粉砕」を叫ぶ人々や組織に、そういう意図が働いてはいないか。しかし“仮想敵”が“実際敵”になって日本に攻めてきたことなどあっただろうか。
理由はともあれ、ひとつの合法団体が自由に集会を開くこともできないような事態が起きている国家を、民主主義国家とは言えない。口を開けば「民主主義」を唱える政治家たちは、なぜこんな事態を放置しておくのだろう。
“タカ派色”の強い麻生内閣だから、むしろ喜んでいるのか。事実、手詰まり状態の麻生太郎首相は、22日の青森市での講演会で、次のように述べたという。
「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた。相手の方はご存じ日教組。私どもは断固戦っていく。それが自民党だ」と述べた。
(朝日新聞2月23日)
対立を煽り、仮想敵を創ることによって、自身への失われた支持を取り戻そうとする手法。それは、あの史上最低といわれたブッシュ前米大統領が何度も何度も試みて、無残にも失敗してきた手法ではなかったか。
我が麻生首相、ブッシュ同様、史上最低支持率に近づいても、何も学んでいない。
昨日の続きです。
前言撤回訂正首相、またもブレた。
麻生首相は22日に、「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた」と語ったけれど、23日になって、これはヤバイと自分が思ったのか側近が注意したのか、この発言を訂正した。
麻生首相は23日夜、青森市内での22日の講演で「我々はいい加減な教科書を変えた」と発言したことについて、「検定委員会(教科用図書検定調査審議会)が変える。検定で表現が変わった」と釈明した。政治の圧力で教科書が書き換えられたと受け止められかねないことから、事実上発言を修正したものとみられる。
(朝日新聞2月24日)
教科書など、自分たちの手でなんとでも捻じ曲げることができる、と思っている麻生首相の本音が出ただけだろう。このような政治家たちに教育行政が握られていることに、寒気がする。
その麻生首相、いまごろアメリカで、「私をいちばん最初にホワイトハウスに招いて下さって、ほんとうに感謝しています」などと相好を崩していることだろう。
ヒラリー・クリントン米国務長官の訪日時に、
「初めての外国訪問に日本を選んで下さって、ほんとうにありがとうございます」と、まるでご本家様を迎える分家のように、へりくだっている中曽根外相ら日本政府の様子を見せつけられた寂しさを思い出す。
この点だけは、「日本とアメリカは対等関係でなければならない」と語ったという小沢一郎民主党党首のほうが(いまのところ)筋が通っている。
それにしても、アメリカも困っているだろう。
もうほとんど政権の体をなしていない麻生内閣と、いったいどんな話をすればいいのか。何を協議したところで、何も決められない。いずれ近々、崩壊してしまう政権。
オバマ大統領の本音は、多分、こんなところだろう。
「早まったなあ。新政権の誕生を待って、その首相と会うべきだった。でも、こんなに麻生首相がガタガタだとは思わなかったもんなあ…。おい、CIAは情報入手をちゃんとやっとるのか!」
あると思います!
違うか。
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