戻る<<

週間つぶやき日記:バックナンバーへ

週間つぶやき日記

第三十四回

090211up

2月6日(金)はれ

寒空に それでも裸の子どもたち

 このところ「散歩の達人」を気取って、時間があるといろんなところへ散歩に出かけます。少し寒いぐらいが、歩くのにはちょうどいい。歩き始めは寒くても、歩いているとだんだん暖まる。身体とともに、気分まで緩やかに開いてきます。

 歩いていると、時折、妙なものに出くわすことがあります。先日も、自宅から数キロ離れたとある公園で、ヘンな裸の小僧たちを見かけました。それが、この写真です。

 こんな寒空に裸でいられるわけはありません。もちろん銅像です。なぜかこの街には、あちらこちらの公園や街角に、彫刻があります。どうも「芸術に触れる街づくり」とかいうのが、この街の市長さんのキャッチらしいのです。コンビニの店の前に“裸婦像”が両手を広げて立っていたりもするのです。ちょっと驚きますよ、初めての人は。
 それはともかく、この裸小僧たち、みんな帽子や手袋をしています。誰かが着けてあげたものでしょうが、なんだかよけい寒そうに見えます。せっかくなら、ちゃんちゃんことかセーターでも着せてあげたらよかったのに、といらぬ心配をしてしまった散歩人でありました。
 小僧像たちのそばの草むらに、もうたんぽぽが黄色い花を付けていました。春間近、です。
 明日は何が発見できるかなあ?

2月7日(土)はれ

脳内に「五輪音頭」が鳴り響き

 石原慎太郎都知事が、またもキレかかっています。
 東京築地市場の移転問題に、暗雲が立ちこめているからです。彼はかつて、こう大声で吠え立てました。
 「小役人というヤツは、いっぺん決めたことはたとえ間違っていても訂正しようとはしない。テメエの落ち度になるからだ。まったく度し難い連中だ」
 例によってとても口汚い。ところが今度は、自分こそが「いっぺん決めたことを、間違っていても変えようとしない」態度に出てしまっています。

 築地市場の移転予定地の豊洲(ここは東京ガスの工場跡です)から、高濃度の発癌性物質が次々と検出されてもなお、石原知事は移転見直しを断固として拒否し続けているのです。
 新市場建設予定地からは、昨年5月、環境基準の4万3千倍にあたるベンゼンが検出されています。これは地下2メートルまで土壌を入れ替える、という苦肉の策で何とか切り抜けようとしました。ところが今度は、「ベンゾ(a)ピレン」という発癌性物質が高濃度(公表値の115倍)で検出されていたにもかかわらず、それを都側が公表していなかったことが発覚してしまったのです。
 さらに、「建設予定地は、水漏れしにくい粘土層が連続している」との都側のこれまでの説明に反して、実はその粘土層が確認できていない箇所があることが判明したのです。つまり、汚染物質が雨水などによって流れ出る可能性が強いということです。
 都民の食の安全性を守る上で、これらのことは大した重大事ではないと、都側が判断したことになります。
 都民の情報公開請求によって、初めてこの汚染等が分かったのです。もし公開請求がなければ、都側はこの事実を公開せずに済ましてしまったでしょう。明らかに隠していたのです。
 これについて記者会見で聞かれ、石原都知事は逆ギレです。

「隠したってこと? 隠してませんよ。そういう報告は順次遅れてきたんでですね、(専門家の)委員会でやっている時に、それに対する報告は遅れたけど。(中略)これはですね、ある意味で非常に簡単に除去できるし、汚染解消できるんですね。(中略)何かね、都は殊さら問題隠しているように疑われるけど、またこれ変な風評被害を併発するんだよ。考えて物言え、考えて物を。人をおとしめるだけが君らの仕事じゃないだろう」(朝日新聞2月4日)

 喋りながら自分で興奮し、キレていくのがよく分かります。ついには「考えて物言え!」と記者たちに凄みます。
 しかし、都民の台所といわれる生鮮市場が、発癌性物質で汚染されている場所へ移転されようとしているのです。記者たちがその安全性に疑問を投げかけるのは、ジャーナリストとして当然の責務でしょう。それに対し「考えて物言え」とは、何という開き直りでしょうか。「石原知事よ、あんたこそ考えて物を言え」と言いたくなるのは、都民のほうです。

 さらに妙なことが起きています。
 新たな汚染が明るみに出たというのに、なんと汚染除去費用の試算が下方修正されたのです。
 これまで都は、汚染除去費用として約973億円が必要と試算してきました。ところが2月6日に公表された計画では、汚染除去費用は586億円と、4割も低く見積もられているのです。新たな汚染が見つかった。当然、発覚以前より除去費用は跳ね上がるはずです。ところが4割も削減されている。
 どうしても移転計画を強行したいための試算下方修正だと見るのは、勘ぐりでしょうか。なるべく費用を少なく見積もって、「これぐらいしかかからないから移転を認めてくれ」という小手先の操作だと思うのは、考え過ぎでしょうか。

 これらの陰には、石原都知事の東京五輪実現への、切ないほどの願いがあるようです。さすがに最近、老いの色濃い石原都知事の最後の妄執とでも言うべきでしょうか。
 なんとしてでも築地市場を豊洲へ移転させて、その跡をオリンピック関連施設建設に使いたい。そのための市場移転に伴う総事業費は、現在の試算では4316億円だそうです(朝日新聞2月7日)。むろん、これはすべて都民の税金です。
 しかし、この金額すら当てにはなりません。官僚が試算した数字は、ほとんどが後になって訂正されます、それも悪いほうへ。長野冬季五輪(1998年)の際の、裁判沙汰にもなった使途不明金騒動を思い起こせばよく分かります。

これが石原都知事の、引退の花道なのです。花道の邪魔をする者には“激怒”します。

五輪招致 国会決議めぐり激怒
石原知事「なんで足踏みしてる」

 東京都の石原慎太郎知事は6日の記者会見で、昨年から衆参両院に求めてきた招致賛成の国会決議がいまだに実現していないことについて、「国会は何で足踏みしているのか」といら立った。
 都は近く国際オリンピック委員会に提出する開催計画書に、国会決議がされたことを盛り込む考えだった。その締切りが迫るなか、石原知事は怒りの矛先を招致に慎重な民主党に向け、「反対なら反対とはっきり言え」と語気を強めた。 (朝日新聞2月7日)

 結局、石原都知事の頭の中には、『東京五輪音頭』が鳴り響いているだけのようです。

 しかしこの大不況の中で、なぜそんなにもオリンピックという壮大な祭に固執しなければならないのでしょうか。
 数兆円とも言われる膨大な費用を要する祭典に割く金があったら、それを不況に苦しむ個人や中小企業を援けるために振り向けるのが政治家のやることではないでしょうか。
 五輪開催そのものにかかる費用(ハコモノ建設や運営費、宣伝費等)以前に、それを東京に招致するためのキャンペーン費用(各国に著名人らを派遣して東京を売り込む活動費)が100億円にも上るといいます。それまでして、やらなければならないお祭なのでしょうか。
 「不況のときこそ、巨大なお祭で沈みこんだ気分を盛り上げるべき」という意見もあります。でも現在の経済状況は、大手自動車メーカーや家電メーカー、その他の製造業の惨状を見れば、そんなに甘いものじゃないことが分かるはずです。数十万人単位で派遣切りが行われ、正社員にもリストラの波が押し寄せている現状です。  一度決めたことはどうあっても撤回しない。まさに、石原都知事こそが悪しき官僚思考そのものではありませんか。

 東京オリンピック、ほんとうに必要ですか?

2月8日(日)はれ

9条の意味問いかける講演会

 昨日(7日)、「私たちの“国際貢献”入門」(カタログハウスの学校・暮しのセミナー)という講演会に行ってきました。
 講師は「マガジン9条」でもおなじみの、伊勢崎賢治さん(東京外国語大学大学院地域文化研究科教授、平和構築・紛争予防講座長、元アフガニスタン武装解除日本政府特別代表)。
 硬い内容の講演会にもかかわらず、会場は100人を超える聴衆で満員。このテーマに対する関心の高さがうかがわれました。

 休憩なしのほぼ2時間。びっちりと内容の濃い講演でした。スライドを駆使し、地図、写真、動画、図表などを巧みに用いながら、分かりやすく、しかも衝撃的な事実を次々に語り解いていくのです。現地体験に裏付けられた説明は、ほんとうに凄い。
 4年間に及んだシエラレオネ(アフリカの最貧国)での国際NGO「プラン・インターナショナル」の職員としての活動。その最終年から起きた50万人にも及ぶ大虐殺。それは、生々しい写真とともに、聞く者たちに迫ります。
 さらに、その後のルワンダで起きた80万人の大虐殺。なぜそれらを防げなかったのか、防ぐためにはどうすればいいのか。目を覆いたくなるような残虐な映像を眼前にして、言葉を失います。

 最後に、日本には何ができるのか、そのとき日本国憲法(とくに9条)はどのような意味を持つのか、に話が及びました。
 伊勢崎さんによれば、日本における憲法9条に対する考え方は、以下の6通りに分類できるのではないか、といいます。

Ⅰ・護憲派
 (1)自衛隊肯定護憲派
 (2)自衛隊反対護憲派
 (3)現実的護憲派
Ⅱ・改憲派
 (4)親米的改憲派
 (5)反米的改憲派
 (6)護憲的改憲派

 (1)「自衛隊は現実にあるんだから認めるべき。このままでいいんじゃないか」という現状肯定派。

 (2)「憲法はどう読んでも軍隊を認めていない。だから条文どおり、自衛隊は廃止すべき」と考える原理的護憲派。

 (3)「国際貢献などで必要になることもあるから自衛隊は残す。けれど9条は歯止めとしても必要」とする現実派。

 (4)旧来どおりの保守派。「日米安保があるから日本は平和で来られた。アメリカとのつながりを大事にすべき」とする。

 (5)「日本独自の軍隊を持ち、対米従属をやめて真の独立を目指す」。中には「核武装も視野に入れる」という主張をする人々もいる。

 (6)これが悩ましい。「絶対に戦争はしない、ということをきちんと明文化して憲法に書き入れ、解釈改憲をさせないようにする」という意味での改憲派。

 これは講演を聞いて私が解釈したものですから、伊勢崎さんの分類とは厳密な意味では違うかもしれません。でも、この分類はとても面白い。
 伊勢崎さんは笑いながら、「みなさんはどこに入りますか?」と仰いました。もちろん回答などは求めませんでした。
 各人がそれぞれに、憲法9条の持つ意味をもう一度考えてみて欲しい、という伊勢崎さんの問いかけだったように思います。

 伊勢崎さんは6分類のどこに属しているのでしょう。
 あなたはどの分類に入りますか?
 私は、うーむ…。

(鈴木 耕)
目覚めたら、戦争。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条