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週間つぶやき日記

第三十一回

090121up

1月17日(土)はれ

甦る あの日の寒さと 紅い火が

 1995年1月17日、あの阪神淡路大震災が起きた日だ。
 私は当時、ある週刊誌の編集部に在籍していた。

 「とりあえず、行けるところまで行って、現地へ入れ」
 「大阪までは行ける。そこでミニバイクを借りろ」
 「四国から神戸へ、船で渡る手もある」
 「現地は宿泊できない。シュラフを持参しろ」

 被害が明らかになるにつれて、編集部も騒然となった。まだほとんど普及していなかった巨大な携帯電話機を、会社の総務部から強引に借り出して、現地へ入る編集部員に渡したりもした。
 活版記事班とグラビア班から、それぞれ2チームずつを現地入りさせたという記憶がある。

 「昨日から関西方面に出張しているK部員と、どうしても連絡が取れない」
 「ポケベル(当時はこれが主流だった)が不通で、Kがどこに宿泊しているかも掴めない」
 出張中の編集部員の安否も案じられた。結局、Kは京都のホテルに別件の取材のために宿泊していて無事だったことが確認できて、ホッと胸を撫で下ろしたという記憶も甦る。

 入ってくる情報は悲惨の一言だった。
 現地在住のライターやカメラマンとようやく連絡が取れ、記事や写真を依頼した。何とか現地入りした編集部員からも、次々と悲鳴のような記事や写真が送られてきた。

 あれは、もう14年前になる。
 あの騒然とした編集部の様子が、目の奥に浮かぶ。
 もう一度、頭を垂れる。

同月同日

死者の数 圧倒的な「非対称」

 昨年暮れ(12月27日)から始まったイスラエルによるガザ空爆と、それに続く地上侵攻は、その悲惨さを強めつつある。いったいどういう神経をしていれば、こんな一方的な “戦争”を遂行できるのか。
 パレスチナ側の死者はAFP通信によれば、16日現在で1143人、負傷者は5130人に達した。中でも子どもたちの被害が目立ち、355人が犠牲になったという。対してイスラエル側の死者は一桁に過ぎない。
 前にも書いたけれど、死者数を比較してどちらがより酷いのか、などと論評すべきではないことぐらい、私にも分かっている。ひとつひとつの命は、どんな人のものであれかけがえない。分かってはいるが、言いたくなる。イスラエルとパレスチナの人々の命の重さの、この「圧倒的な非対称」はどうだ。
 ここまでくると、これはいわゆる戦争ではない。強者による「弱者殲滅戦」、すなわち形を変えた「ホロコースト」と言うしかない。ホロコーストの悲惨を嘗め尽くしたはずのイスラエルの民が、なぜこんな攻撃ができるのか?

 今回のイスラエルの攻撃は、国連機関やNPO団体の事務所にまで及んでいる。何人かの職員が死亡、援助物資の搬入も配達も不可能になった。人道的支援(食糧や医薬品)をも妨げる作戦だ。武器による攻撃だけでは物足りず、飢えや疫病までも動員しての壊滅作戦ということになる。
 ユダヤの民がナチスによって追い込まれ、絶望的な抵抗をして虐殺されていったポーランドの「ワルソーゲットー」を髣髴とさせる悲劇も起きている。
 それでもイスラエル国内では、この戦争を支持する世論が90%を超えているという。何かがおかしい…。

 2月に行われるイスラエルの総選挙では、この数字がものを言う。外に無理矢理にでも敵を作って、その敵への憎悪を煽り立てることで、自らの政治的基盤の強化を図る。使い古されてきた政治手法のひとつである。使い古されてはいるけれど、現在でも頻繁に用いられる。
 事実、イスラエル政府は、08年夏からほぼ半年をかけて、ガザ侵攻の準備を重ねていたという。与党側の09年月の総選挙への布石だったと考えてもおかしくない。新聞報道にこうある。

イスラエルの有力紙ハアレツは空爆開始後の12月31日付で、「イスラエル国防省は6ヵ月以上前からガザ攻撃の準備を進めていた」と報じている。国防省筋によると昨夏、ハマスとの停戦協議が始まるころ、バラク国防相が軍にガザ攻撃の準備を始めるよう指示。ハマスの拠点に関する徹底的な情報収集を命じたという。「長期にわたる準備、慎重な情報収集、秘密の協議、偽情報による世論誘導―それがガザ攻撃の背後にある」と記事は指摘する。 (朝日新聞1月17日付)

 ここで指摘されているように
 “偽情報”を流してまで行う世論操作、それによって鼓吹される偏狭なナショナリズムと、戦争。戦争を行うことで支持を集める。
 アメリカを見よ。“ブッシュの戦争” で、いったい何万人、何十万人の人間が死んでいったか。

 イスラエルのオルメルト暫定首相は、2月の選挙には出馬しないという。汚職疑惑で立候補辞退せざるを得ない状況に追い込まれているからだ。つまり、政治的には失うものなど何もない。では、彼は何を考えるか?
 敵対するパレスチナ強硬派組織ハマスを壊滅に追い込んだ英雄として、イスラエルの歴史に名前を刻み込みたい。それがオルメルト首相の政治家としての野望だろうか。
 政治家の思惑で、1000人を超える人間が殺される。政治の最悪の形の発現である。
 「歴史に名前を残したい」という政治家の欲望は、いつだって悪影響を招く。歴史に名を残した政治家は、残そうと意図して政治を行ったのではない。行った業績によってその名が残ったのだ。勘違いする政治家のいかに多いことか。

 偏狭なナショナリズムは、憎悪の連鎖を生み出す。同じ日の朝日新聞外交面に、小さいけれどとても厭な気分のする記事が掲載されていた。

<見出し>
ユダヤ教礼拝所 仏で襲撃相次ぐ
ガザ侵攻への反発か

<記事>
フランスで14日〜15日、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)が相次いで襲撃された。イスラエルのガザ侵攻に反発した行為と見られ、反ユダヤ主義の台頭が懸念されている。仏東部ミュールーズのシナゴーグの壁には14日「イスラエルに死を」などとスプレーで落書きされているのがみつかった。北部リールでは玄関にナチス・ドイツの紋章ハーケンクロイツ(かぎ十字)が書かれているのが見つかった。パリ南部ビルヌーブサンジョルジュでは15日、裏門が焼けた。放火とみられる。

 暗い歴史が呼び起こされる。その歴史を甦らせる原因を、明らかにいま、イスラエルが作り出している。自らの手で永遠に葬らなければならない過去を、まるでゾンビのようにこの世に呼び起こす行為を、イスラエルは続けている。
 過去を忘れてはならない。だがそれは、単に過去を繰り返すことではない。現在を平穏に生き延びるために、過去を学び、繰り返してはならない過去は、静かに瞑らせなければならない。しかしいま、イスラエルは自らの手で、繰り返してはならない過去を目覚めさせようとしているとしか思えない。
 憎悪は連鎖する。甦って、連鎖するのだ。

 イスラエルの言い分とハマスの理屈、憎悪の連鎖のどちらの鎖にもつながる気持ちはないけれど、とにかく戦闘を中止させたい。そのために、日本にできることは何か。
 まず、強くイスラエルに戦闘停止を呼びかけ、受け入れられないならば大使召還を行い、同様の行動を世界各国に呼びかける。いかにイスラエルといえども、現代世界では徹底的孤立は不可能だ。
 そのぐらいのことは“スピードをもって”日本政府にやってもらいたい。
 青島刑事風に言えば、
 「事態は国連ビルで起きているんじゃない、ガザの現場で起きているんだ」

(注・18日、イスラエル側は「一方的停戦」を発表したという。しかし、ガザ侵攻中の軍は撤退せず駐留したまま。ハマス側の「イスラエル軍の即時撤退要求」には、当然のことながら応じる気配はない。まだまだ事態は流動的だというしかない)。

1月18日(日)くもり

ソマリアの 海に漂う キナ臭さ

 麻生首相はもう破れかぶれの暴走特急。
 今度はソマリア沖への海賊対策としての自衛隊派遣に前のめりだ。だが、きちんとした法手続きを採らず、例によって憲法違反の疑いが濃いにもかかわらず、自衛隊法による「海上警備行動」の発令によるという、いかにもその場しのぎの手法で強引に派遣しようとしている。
 こんな重大事は当然のこと、国会で大いに議論して、法的根拠を明らかにしてから行うのが、民主国家(もうこの言葉を口にするのも恥ずかしいが)の最低限のあり方だろう。そんな手続きすら無視して、またも“海外出兵”を行う。
 麻生首相、悪いところだけは小泉元首相によく似ている。

 この「海上警備行動」とはいかなるものなのか。
 かつて日本は2度、「海上警備行動」を行っている。99年3月24日、能登半島沖の北朝鮮船とみられる不審船への警備行動(このときは相手に対して警告射撃や爆弾投下を行っている)、04年11月10日から3日間をかけた中国の原子力潜水艦への行動(このときは追尾のみ)だ。ただ、いずれも日本領海への侵犯に対しての短期間の行動だった。
 けれど、もし今回ソマリア沖へ自衛隊を出すとすれば、それは前2回のケースとは大きく異なることになる。
 日本の領海を遠く離れた海域への、そうとう長期の派遣にならざるを得ないからだ。しかも相手は、特定の困難な“海賊船”である。この海賊船への対処とはどのような行動になるのか、まったく不明なままなのである。武器使用基準も具体的警備内容も活動海域も、何ひとつ明確にされていない。
 麻生首相が根拠とする「自衛隊法第82条」は、日本領海外の遠洋海域での警備行動を認めているとは、とても言いがたい条文だ。というより、なんの具体的行動規範も決められていない法律なのである。

<自衛隊法82条 会場における警備行動
 防衛大臣は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に海上において必要な行動をとることを命ずることができる。>

(注・82条は5項あるが、2項から5項までは、「弾道ミサイル等に対する破壊措置」についての条項だから、「海上警備行動」とは直接かかわりがない。つまり「海上警備行動」についての記述は、これだけなのである)。

 この条文から分かるように、具体的中身が何も定められていない。何も決められていないのをいいことに、憲法に違反するとの意見も多い自衛隊海外派遣を、議論もせずに政府見解だけで行ってしまう。これでは、政府さえあれば国会などなくてもいいことになる。国会軽視の極致だ。
 派遣される自衛隊にしても、こんな曖昧な条文に基づく派遣は大いに迷惑だろう。危険と隣り合わせの、しかもいつ終わるか分からない海上勤務。自衛隊側が慎重になるのは当然だ。浜田防衛大臣さえ、繰り返し慎重論を述べている。

 イラクに派遣されていた自衛隊員から自殺者が多数出ていることは、あまり報道されていない。けれど、一般隊員の数倍の高い確率で自殺者を出しているのは事実だ。“戦地派遣によるストレス”が主な原因であることは、医師たちも確認している。
 小泉元首相は当時、「自衛隊の行くところは非戦闘地域」などとふざけた答弁をしたが、送られた自衛隊員たちが過酷なストレスを抱え込んで帰国したことは間違いない。
 狭い船内で、長期にわたって、武器使用基準さえ曖昧な危険任務につかざるを得ない今回の自衛隊員には、前回のイラク派遣以上の凄まじいストレスが蓄積されるだろう。ソマリア沖派遣が強引に行われれば、多分、また多くの自殺者が出ることになる。
 そんなことは、麻生太郎首相は気にもかけないのか。

 麻生首相が自分でこの条文を見つけてきたとは、日頃の言動からして、とても思えない。とすれば、とにかく自衛隊を正規軍として海外へどんどん出したいあの田母神氏のような勢力が自民党内にも存在し、それらの人々が麻生首相を焚きつけているのかもしれない。危ない。

 支持率どん底、徹底的な不人気、自民党内からさえ不平不満の声が沸騰。麻生首相はもはや思考停止状態。そんな中、とにかくわけは分からなくとも、「言い出したことはやり抜く」と言い続けることだけが、人気回復の最後の手段だと思い込んでいるようだ。だから、1度口にしたことに、中身の吟味などそっちのけでしがみつく。
 思いつきで何かを口走るのが特徴の麻生首相だけに、言っちゃったことの中身は、言った後で考えるしかない。しかし、後で考えるにしたって、彼の思考回路には整合性がない。だから発言がブレる。ブレを批判されるから、今度は1度言ってしまったことにしがみつく。もはや口と行為の悪循環。
 喋れば喋るほど収拾がつかなくなっていく。そこで最後に考えたのが「1度言い出したことは、曲げない」という子どものリクツである。
 それが麻生首相の固執する“定額給付金”や“消費税”であり、それに“高級官僚の天下り容認の政令”や“ソマリア沖自衛隊派遣”だ。(ホテルのレストランやバー通いをやめないというのも、このリクツなのだろう)。
 政治も論理も倫も政策も哲学も、この人にはまったくない。ここまでひどい政治家だったのか、この人は。

 そこで公明党である。
 “定額給付金”は言い出しっぺなのだから仕方ないとして、“消費税アップ”や“高級官僚の天下りと渡り”、さらには“ソマリア沖自衛隊派遣”まで認めてしまうのか。「反戦平和と福祉」と「清潔さ」が売り物の党だったはずではないか。その理念はいったいどこへ行ったのか。
 公明党は、都議会議員選挙と衆議院選挙が重なることを、なんとしても避けたいらしい。この党がもっとも重視する拠点が、東京都議会だ。だから、今年6月か7月に予定されている都議選には、全国から圧倒的な運動員を東京へ動員する。それが衆院選と重なれば、地方において運動員が不足する。そうなれば、都議会も衆院も危うくなる。それだけはなんとしても避けたい。
 なんのことはない。公明党もまた、党利党略でしか物事を考えていない。党勢維持と政権与党の蜜の味に絡めとられ、自民党という泥舟から降りようにも降りられない。このままでは公明党もまた、自民党とともに衆院選では惨敗するだろう。

 西松建設の裏金が、政治献金として使われていたことが次第に明らかになりつつある。その献金の筆頭に名前が出てくるのが、民主党小沢一郎代表だという。
 自民党や公明党が惨敗したって、別にかまわない。だが、民主党に次の政権を渡して、それで日本はほんとうに“CHANGE”できるのだろうか?
 政権交代は望むけれど、真の意味での政権交代は果たして実現可能なのかどうか。どうにも分からない。

1月20日(火)くもり

オバマへの 熱狂の中に見る不安

 今日(日本時間では21日未明)、アメリカ第44代大統領にバラク・フセイン・オバマ氏が就任する。アメリカ国内は、熱狂的な歓迎ムードに包まれていると、各報道機関は伝えている。

 確かに、ブッシュの8年間は酷すぎた。
 繰り返される戦争。敵か味方かの、単純極まる2分法。敵対国家とブッシュによって認定されれば、大量破壊兵器があろうがなかろうが、テロリストがいようがいまいが、待っているのは凄まじい爆撃と夥しい死体の山。
 一方で繰り返されるダブルスタンダード(2重基準)。アメリカにとって都合のいいことは善であり、ブッシュの意に染まぬことは悪である。
 かつてアメリカの味方であったイラクのフセインは、いつの間にか悪魔とされ、アメリカ自らが育てたアフガンのムジャヒデン(聖戦士)は最大の敵とみなして攻撃する。
 そして事あるごとに叫ばれた、「アメリカ万歳」。

 オバマ氏はその演説の中で、こう繰り返した。
 「白人でもなく黒人でもない。ヒスパニック系もアジア系もない。あるのはただアメリカ国民であるということだ。アメリカ万歳!」
 私は、ここにある種の危うさを感じてしまう。
 「アメリカ国民でもなく、中国国民、ロシア国民でもない。イラクもイランも、イスラエルもパレスチナもない。あるのはただ、世界市民なのだ」
 オバマ氏がもし、このように叫んでくれたならば、私もまた熱狂的に歓迎しただろう。
 だがやはり、彼が強調するのは、アメリカでありアメリカ国民である。今回のイスラエルのガザ侵攻についても、オバマ氏ははっきりしたメッセージを発していない。ユダヤ人脈が、オバマ氏当選の大きな陰の力だったからだ、という指摘もある。

 オバマ新大統領は、ブッシュが残した凄まじい負の遺産を背負って出発せざるを得ない。特に金融危機に端を発する景気悪化の影響は、市民生活を直撃している。それらを改善するのには、長い時間と莫大な資金が必要となる。そう簡単に、恐慌の嵐から逃れられるとは思えない。
 いまは就任直後の期待がお祭り騒ぎになっている。しかし、数ヵ月が経って、具体的な生活向上が見られなければ、期待は大きな失望に変わるかもしれない。期待が大きければ大きいほど、反発も強まるだろう。そのとき、オバマ大統領はどう動くか。国民の不満を、どんな手段で解消しようとするのか。
 「アメリカよ、団結せよ」「アメリカの力を世界に示せ」などと、またも叫びだすことだけは勘弁してほしいのだ。

 アメリカ一極主義の呪縛から、オバマ大統領は解き放たれるだろうか。それこそが、これからの世界を真に“CHANGE”できるかどうかの鍵になるはずだ。

(鈴木 耕)
目覚めたら、戦争。

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