第二十九回
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お屠蘇気分もそろそろ切り上げ、「つぶやき日記」を再開しようとパソコンを立ち上げたのですが、どうもうまく書くことができない。辛い事件や出来事ばかりが目に付くのだ。
テレビは相変わらずの年末年始のバカ騒ぎを繰り広げているけれど、ニュース番組になると、まるで同じ局なのかと疑われるほど、アナウンサーのニュースを読む声は陰鬱になる。
それほどに、厳しい年明けだということなのか。
昨年暮れには、連続してのタクシー強盗殺人事件。12月29日未明には、兵庫県稲美町で加古川市のタクシー運転手永田三郎さんが、同日夜には、東大阪市で藤井寺市の同じタクシー運転手の後藤利晴さんが、ともに何者かに襲われて死亡、売上金などを奪われた。
年末の「つぶやき日記」に書いたように、タクシーの売り上げは、多く見積もっても1日5万円ほど(実際の被害金額は2万5千円ほどだという)。
とすれば、犯人はわずか数万円のために、殺人という究極の犯罪に手を染めたことになる。たった数万円を奪うための殺人。むろん罪は許せないけれど、それほどまでに追いつめられていたとしたら、犯人の心根もまた切ない。
「1歩間違えたら、強盗でもやりかねない心境だった」と、解雇された派遣労働者は語ったという。大晦日から、東京千代田区の日比谷公園に開設された「派遣年越し村」にやってきたある人の話である。
事実、解雇され金も行き場をなくした人が、コンビニなどを襲うという事例が頻発している。
12月17日、大阪でのコンビニ強盗は逮捕時の所持金が9円。派遣切りで家賃を3ヵ月滞納、思い余っての犯行だったという。30日にも埼玉県ふじみ野市のコンビニで同様の強盗事件。この男性も派遣切りで寮を追い出され、住む場所を失っての犯行だった。彼もまた、所持金0円。
22日には、ブラジル国籍のふたりの女性が、派遣切りに遭い失職。子どもを連れて故郷のブラジルへ帰りたいと切羽つまって、大家さん宅への強盗に押し入ったという、なんとも悲しい事件まで起きている。
さらに30日には、東京のあのバブルの塔・六本木ヒルズの玄関先で包丁を振り回した男性が逮捕された。彼も逮捕されたとき「派遣切りっ!」と叫んでいたというから、同じような境遇にあった人に違いない。
その後も「生活苦」によると思われる犯罪が多発している年末年始である。めでたいはずの正月が、どうにも重苦しい。
「“生活苦による犯罪”がこれほど多発しているのは、あの敗戦後の大混乱期以降、あまり記憶にない」と、ある高齢の評論家がテレビで言っていた。
私はその混乱期を知っているわけではないけれど、やはり、「100年に1度の事態」というしかないのだろう。
こんな「経済難民」とも言うべき人たちに、せめて布団と食事を、というのが、日比谷公園の「派遣村」だった。しかし、民間がこうして動き出すまで、日比谷のすぐ目と先の距離にある厚生労働省は、なんの具体策も打ち出さなかった。
年が明けてようやく、厚労省内の講堂を一時的に宿泊場所として開放したが、これも仕事始めの5日午前9時までだという。
その後、この人たちはどこへ行けるのか?
「派遣村」が開設された日比谷公園の東側の道を挟んだ向かい側には、かの有名な帝国ホテルがある。
新聞の「首相動静」欄を見ると、この年末年始、麻生首相は何度か帝国ホテルのレストランやバーを訪れている。別に自分の金でどこへ行こうとかまわないけれど、せめて向かい側の公園まで足を伸ばして、これらの人たちの状況をその目で見てみよう、などとは露ほども考えなかったのだろうなあ…。歩いて、ほんの1分の場所なのだが。
帝国ホテルはまた、財界人たちの恒例の「賀詞交歓会」が開かれる場所でもある。新年のお祝いの会だ。大企業の経営トップが勢揃いする。彼らによって「派遣切り」された労働者たちの叫びが聞こえる距離だ。
だが、「仕事をよこせーっ」「派遣切りを止めろーっ」というシュプレヒコールは、彼らの耳には届きそうもない。
なんだか悲しいニュースが続く。
タレントの飯島愛さんが、昨年の12月24日、クリスマスイブに死亡しているのが発見された。死後1週間ほど経っていたらしい。華やかな脚光を浴びた後の、孤独な死…。
1月3日には、前衆院議員の永田寿康さんが、福岡で自殺。例のライブドア事件に絡んだ偽メール事件で、06年4月に議員辞職。昨年11月には自殺未遂を図ったとも言われている。離婚問題等も絡んで、うつ状態に陥っていたらしい。
東大を卒業後、大蔵省に入省。さらに民主党から出馬して衆院議員に。まさに絵に描いたような出世の階段を上り続けた挙句の失速だっただけに、ショックも大きかったのだろう。
それにしても、命を絶たなければならないほどのことだったのだろうか。「たかが政治」。そう言って静かに別の世界へ転進すればよかったじゃないか。
やはり「政治は魔物」なのか。
暗い世相の中でも、ことに辛いニュースがある。ホームレス襲撃事件だ。
私の住んでいるところは、東京郊外、多摩川にほど近い。その多摩川の河川敷には、沢山のホームレスが暮らしている。青いビニールシートの小屋でひっそりと、誰にも交わらず、静かに生きているのだ。そんな人たちを襲うという許せない犯罪が、昨年来多発していた。
場所は違うけれど、この街の繁華街でホームレス自立のための雑誌『ビッグイシュー』の販売員をしていた方も、「妙な男にからまれて怖いんだよー」と話していたことを思い出した。
弱い立場の人間を、まるで遊び感覚で襲う。こいつらの根性は、ほんとうにひん曲がっている。許せない。そう思っていた。
1月3日、昨年6月〜8月にかけて連続して起きた多摩川沿いのホームレス襲撃事件の容疑者が逮捕された。
ところがこの容疑者、自分も保護施設に暮らす弱者だった。もしこの男性が犯人だとすれば、弱者が自分と同様の弱者を襲い続けていたことになる。
こんな悲しいことがあるだろうか…。
ほんとうに辛く、切ない。
少しだけ、光明が見えるような気がする記事を見つけた。
毎日新聞1月3日の第1面、<アメリカよ 新ニッポン論>と題する連載記事の第2回目だ。多少長い引用になるけれど、ぜひ読んでほしい。
<(前略)米国内で昨年、核廃絶の機運が起こった。米民主党は8月、全国大会で「究極的核廃絶の追求」を明記した政策綱領を採択。オバマ次期大統領は、8年間空席だった科学技術担当大統領補佐官にジョン・ホルドレン米ハーバード大教授を起用する。核兵器と戦争の廃絶を訴える科学者らの集まり「パグウォッシュ会議」が、95年にノーベル平和賞を受賞した際、代表として記念講演した人物だ。
昨年12月18日夜、東京・帝国ホテル。国防長官候補の一人だったハムレ米戦略国際問題研究所(CSIS)所長は、自民党の安倍晋三元首相、小池百合子元防衛相、民主党の前原誠司前代表ら与野党有力議員に説いた。
「09年は第1次戦略兵器削減条約(START1)の期限が切れ、核拡散防止条約(NPT)再検討の前年で、核問題にとって重要な年になる。米国はロシアと大幅な核兵器削減で交渉する。日本にも支持してほしい」
「戦後に区切りをつける」という意義に加え、新たな核政策の象徴として「オバマ広島訪問」が再検討される可能性が出ている。
09年は日米安保改定半世紀の前年でもある。北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で影響力を保つには、米国をどう引きつけていくかがカギとなってくる。被爆国・日本の「核政策」が力量を試される。>
「大幅な核兵器削減をロシアと交渉する」と言うハムレ氏に、安倍氏や前原氏がどのような反応を示したかについては、残念ながらこの記事では触れていない。安倍氏や前原氏の核問題についての本音を聞いてみたいところだ。
しかし、オバマ次期米大統領は、何度も繰り返して「究極の核廃絶」を言明している。
世界最大の核保有国の次期大統領が、率先して「核廃絶」に乗り出そうとしているのだ。世界唯一の被爆国日本が、この機会を指をくわえて見ているだけでは済まされまい。
日本の総選挙は否応なく今年中に行われる。政権交代があるかどうかはわからないが、いずれの側が勝つにせよ、核廃絶の旗を先頭に立って振りかざすのが、日本ができる世界に対する最大の貢献ではないか。
そのことだけは、次期政権には忘れないでいてもらいたい。
「年越し派遣村」は、昨日5日で日比谷公園から撤収した。集まっていた500人を超す労働者たちに、厚生労働省は講堂を一時解放。その後、この人たちは都内各所の臨時施設に入り、生活保護申請や、ハロ―ワークの臨時出張所での職探しなどにあたり始めたという。
とりあえず、政治を民間のNPOやボランティアたちが動かしたわけだ。遅かったとはいえ、そして民間の後追いだったとはいえ、この行政の動きは評価していいと私は思う。しかし、これ以降も派遣切りにあった人たちの支援をきちんと政治や行政がフォローしていくかどうかは、監視していく必要がある。
「ここに集まった人たちは、まじめに働こうとしている人たちか」と言い放った自民党の坂本哲志総務政務官のように、実はこんな民間の動きを敵視する政治家がまだまだ多いからだ。
この坂本氏、新聞記者出身だという。いったいどんな記事を書いていたのだろう?
坂本氏、6日にはこの発言を撤回して謝罪した。NPOやボランティアたちの寒さのなかの懸命な活動につばを吐きかけておいて、ちょいと頭を下げればそれで済むのか。
すぐに撤回謝罪するというのが、いわゆる“失言政治家”の典型的パターンである。しかし、何の自己検証も行わずに謝ってしまうというのは、実は反省などしていない証拠なのだ。
こんな政治家がいる政府だから、少しはいい事をやったとしても、注視していないと、すぐに元の木阿弥になってしまいかねない。
日本ではこんな事態が続いているが、中東は血まみれ。
昨年暮れ12月27日から始まったイスラエルとパレスチナの戦闘は、血腥さを増す一方だ。イスラム原理主義組織ハマスを打倒するまで攻撃を止めないとするイスラエルは、1月3日夜、ついにパレスチナ自治区ガザに地上侵攻を開始した。圧倒的な軍事力の差を見せつけるように、現在(6日)までの双方の死者は、パレスチナ側が500人を超えたが、イスラエルは4人だという。
死者を数で計るほど馬鹿げたことはないが、それでもこの差には呆然とするしかない。とくに、ガザ地区の死者のうち、100名近くは民間人、それも子どもが多数含まれているという。
アメリカは、相変わらずイスラエルの肩を持ち、停戦に向けた国連の決議にも反対の姿勢だ。もうここで、ブッシュ氏の政治姿勢について云々しても虚しいだけだけれど、せめてオバマ次期大統領には期待したい。
もはや誰も、ブッシュ氏の言うことなど聞かないだろう。しかしオバマ氏の動きいかんによっては、イスラエルも態度を変えるかもしれないのだ。“CHANGE”のオバマ氏の、新たな中東政策に期待するしかない。
ここでもうひとつ、とても気になることがある。
あの“クラスター爆弾”である。“非人道兵器”(非人道的でない兵器などありえないけれど)の典型ともいわれるクラスター爆弾が、どうもイスラエル軍によって使用されたようなのだ。イスラエルの民間テレビ「チャンネル10」が伝えた。
もしこれが事実だとするなら、イスラエルは“非人道国家”の仲間入りをしてしまったとしか言いようがない。08年12月、世界のNPOが一堂に会して作り上げた 「クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)」の精神を土足で踏みにじったに等しい。
あのニュースが間違いであったことを、私は心から願う。
今回の戦闘も、結局は“政治の道具”だった。
イスラエルは選挙が近い。現オルメルト政権は、パレスチナ(ハマス)に対する強硬姿勢を示すことで右派票を取り込み、選挙を有利に戦おうとしているといわれる。つまり、自らの政権維持のために、戦争を開始したということだ。
選挙に戦争を利用する。
それはクラウゼヴィッツが『戦争論』の中で述べたように「戦争は政治の一手段である」ことを、あからさまに示している。
我々の21世紀は、クラウゼヴィッツが生きた19世紀初頭、あのナポレオン戦争の時代から、残念ながらほとんど進歩していないと言うしかない。進歩したのはただ、人を殺す兵器の性能だけだった。
テレビで見たガザ住民の言葉が胸に迫る。
「ナチスによるホロコースト(大虐殺)を経験したイスラエルの人々が、なぜ我々に同じ事を仕掛けられるのだろうか」
今年はどういう年になるのだろう?
私たちは何を発信し続ければいいのだろう?
「マガジン9条」の編集部からは「2009年、私たちが向かう時代をどう見通せばいいのか、そんなことを念頭に、コラムを始めてもらえれば嬉しいです」とのメールが届いている。
けれど、何も見通せない。目を凝らしても、道の先はうっすらと暗い靄に煙っているようで、人々の顔さえ定かではない。
その顔は、怒っているのか、悲しんでいるのか、微笑んでいるのか、あるいは諦めているのか…。
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