第二十七回
081217up
ほお、何気なく日付を書いたら1212だ。だからって別に意味はないけれど、このところ時計を見たり、車のタコメーターに目をやったりすると、なぜか意味ありげな数字が並んでいることが多い。例えば、ドライブ中に距離計を見たら、ピッタリ333.3キロだったり、時計を見たら11時11分だったり。
なんか数字についているのかな?
ここはひとつ、宝くじの並び番号でも買おうか。でも、そういうふうに欲が絡むと当たらないんだよなあ…。
などと、取りとめもないことを考えている師走の風の中。
新聞を開くと、「回顧2008年」とか「この1年」、「2008年を振り返る」などという記事が目立ち始めた。個人的にはたいした曲折もなく、普通に過ぎた1年だったけれど、なんだか世の中は、普通の年ではなかったようだ。
この年末に来て、世界恐慌の様相を呈し始めた金融危機。それに伴う国内の雇用崩壊や政治混乱。特に、麻生首相になってからの自民党内の混迷ぶりは目に余る。このままでは、次回総選挙での自民党の政権からの陥落は確実だ。すでにそれを折り込み済みで、自民党内反麻生グループは走り出している。自民分裂は、もはや時間の問題だろう。
では民主党政権で安心か、と問われれば、やはり首を傾げざるを得ない。
今日12日、例の“給油延長法”が成立した。
11日の参院外交防衛委員会で、インド洋での給油活動を再開する「新テロ対策特別措置法改正案」は、民主党など野党の反対によって否決された。同じく今日の参院本会議でも否決。しかしこれはすぐに衆院へ送られ、与党の自民公明が例の3分の2条項を使って再可決。ついに成立してしまった。
どうにも納得できない。
この法律については、何度も疑義が出されてきた。アメリカ艦船にインド洋上で、無料で燃料を提供することにどんな大義があるというのか。これを行わなければ、「世界各国から国際貢献をしない国として批判される」と、政府自民党は繰り返した。当初、衆院3分の2条項を使うことに反対していた公明党も、例によって腰砕け、賛成に回った。
しかし、07年参院選での与野党逆転により、給油法は延長できず期限切れとなり、07年11月に給油活動は停止したのである。この時、給油を停止した約4ヶ月の間に、いったいどこから批判があったのか?
アメリカの下級官僚によるおざなりの“給油への感謝発言”はあったけれど、批判などはほとんど聞こえてこなかったではないか。逆に、ペシャワール会の中村哲医師など現地をよく知るNPOの人たちからは「百害あって一利なし。現地での活動の妨げになる」とまで酷評された法律だ。
すると今度は、中曽根弘文外相が「ソマリア沖の海賊対策に必要」と、またも理由をこじつけた。ひとつの理由が崩れると、すぐにまた別の理由を見つけ出す。これが自民党得意の手法だ。クルクル変わる自民党の憲法解釈を見ていればよく分かる。
民主党は、なぜ徹底的に抵抗しなかったのか。参院で否決してしまえば衆院で3分の2で再可決されてしまうのは目に見えている。ならば、成立阻止のためには、別の方法を取る必要があったはずだ。もっと徹底審議を要求して、採決を遅らせるということだ。そうやって前回は廃案に追い込んだではないか。なぜ今回はそうしなかったのか。体を張ってまでこの法案を阻止しようなどとは思っていなかったからだ。
実は、“海賊云々”の質問をしたのは、民主党の長島昭久議員だった。敵に塩を贈るのに等しい。民主党内部にも、自民党と変わらない考え方の持ち主が存在していることの表れである。
以下の記事に、そのあたりの事情が詳しい。
<給油問題では対立する自民・民主両党だが、歩み寄りを見せた課題もある。
長島昭久氏(民主)「海賊の脅威にさらされている。シーレーン(海上交通路)確保は死活的に重要だ」
麻生首相「法制上どういうものがあるか検討させていただきたい」
10月17日の衆院テロ対策特別委員会。アフリカ東部・ソマリア沖で多発する海賊対策を切り出したのは、安全保障政策に通じている長島氏。これを受け、政府は海上自衛隊の艦艇派遣を念頭に海賊対策新法の検討を本格化させた。
中曽根外相は「インド洋は麻薬の移送、海賊、海上輸送の安全もある」と、インド洋での補給活動が海賊対策にも役立っているとアピールしたが、補給支援特措法には直接、海賊対策の規定がないことから、参院民主党の白真勲氏が「外相がそれをいうのは問題では。法律をどんどん拡大解釈されるのはおかしい」と反論する場面もあった。>(朝日新聞12月12日)
この記事に見られるように、実は安全保障問題ひとつに限ってみても、民主党内の意見は右から左まで大きな差がある。アメリカの“対テロ戦争”に反対するリベラル派も多い。とすれば、民主党政権になったとき、どのような方向に進むのか?
憲法9条の根幹にも触れる自衛隊の海外派兵をめぐって、これだけの隔たりがある考え方が混在していて、党として統一した方向性を打ち出せるのだろうか。当初から分裂含みの可能性を持った政権とならざるを得ないのではないか。
“郵政民営化”一本やりで自民党が大勝利した小泉選挙。しかしあれは、郵政選挙でしかなかったはずだ。ほかの政策については何の議論もなされないままの選挙だった。その“小泉の負の遺産”である衆院3分の2条項が、いまもさまざまな法案の無理矢理な成立の武器にされている。
給油法に関して言えば、国民世論はいつでも反対のほうが多数だった。その直近の民意は、去年の参院選で示されたではないか。だが麻生首相は解散を渋った。同じ民意が示されることを恐れたからにほかならない。
つまり、現在成立している衆院3分の2条項を使った法律は、民意とはかけ離れたものであるとしか言いようがない。
その民意を、民主党も尊重しようとしない。
政権交代は望むけれど、2大政党制というものには、現在の日本の政治状況の中では、大きな疑問が残る。
やはり「第3極」がどうしても必要だと思うのだが。
昨夜は「マガジン9条」の、ちょっと早めの忘年会でした。発起人や執筆者のみなさん、それに飛び入りゲスト、各出版社の編集者や新聞記者、そしてボランティアスタッフなど、入れ替わりがあったので正確な数は分かりませんが、総数は30名をはるかに超えていたようです。
事務所での持ち寄りパーティーでしたので、部屋のいたるところで談論風発、議論百出。まあなんとも賑やかな忘年会でした。
ということで、私もいささか酔っ払いました。いつの間にか、部屋の片隅で眠っていました。目が覚めたら、もう終電もなくなる時間。仕方なく、ほんとうに久しぶりにタクシーで帰宅しました。
車中、運転手さんがぼやくことぼやくこと。
「もう師走だねえ。車、ずいぶん混んでるみたいだし」
と、私が水を向けてしまったから、もう大変。運転手さん、堰を切ったように話し始めちゃったんです。
「混んでるたって、今日は師走の金曜日でしょ。今日あたり混んでくれなきゃ、アタシらの商売、やってけません。こんな日はそうないんですから、ホント」
「そんなに客足は落ちてるの?」
「そりゃもうひどいもんですよ。とにかくお客さんが減ってねえ。このままじゃ親子4人、どうやって年を越せばいいのか、お先真っ暗ですよ、ホント」
「このところの不景気が響いてるわけだ」
「やっぱりそうですね。ここ2ヵ月ほど、急速な冷え込みですよ。今日はまあ何とかいいほうですけど、それでもたったの4万円ですよ、水揚げが。朝からもう16時間も乗り続けで、たったのこれだけ。歩合給だから、手取りは3万円にも届かない。乗車日がアタシの場合、1日おき。ここから、いろんな経費や税金を差っ引かれて、一体いくら残ると思います? ホント、ひどい月には20万円そこそこってことだってあるんですから。
親子4人、暮らしていけませんよ、ホント。例のタクシー規制緩和で、どれだけアタシらの暮らしがきつくなったか。
こないだ麻生首相が、タクシーの運ちゃんに『景気はどうだ? 何とか暮らせてる?』なんてバカなパフォーマンスやってたけど、『ふざけんなっ!』って言いたいよね。1回、自分で18時間勤務の運転でもやってみりゃいいんだよ、ホント。
アタシゃ、あの定額給付金なんて大反対だね。そりゃ、くれるんなら貰う、貰いますよ、喜んで。だけど、ホントは景気をよくしてくれる対策に、2兆円使うべきでしょ。景気が回復して、タクシーにも客が戻ってこなきゃ、アタシらの暮らしはよくなんないんだからさ、ホント。
麻生なんて大金持ちのバカ息子に、アタシらの気持ちなんか分かる訳ないもんね。チョロチョロ街中で見えすいた視察とかやらないでほしいよね。黙って、ホテルのバーとかで高い酒飲んでりゃいいんだ。漢字の勉強でもしながらさ、ホント。
あんな給付金貰ったって、アタシは今回は絶対に自民党には投票しないね。もうありゃダメだよ。さっさと選挙して、政権交代するべきじゃないですか、お客さん」
私はやや酩酊気味であったので、“ホント”が口癖らしい運転手さんの話の詳しい部分は分からなかったのですが、彼らの給料というのは、かなり独特のシステムらしい。
基本給+売り上げ歩合、というのが一般的らしいのですが、その売り上げ金額の高によって、運転手の手取りの歩合が変わるというのです。例えば、月に70万円以上の売り上げの人には歩合65%、60万円の人は同60%、以下、売り上げが下がるにつれて、55%、50%と下がっていくといいます。つまり、無理をしてでも多く稼がなければ、どんどん手取りが減るシステムだという説明だったようです。むろん、会社によって違うといいますが。
世の中の景気動向がいちばん早く分かるのは、タクシー業界だという話を聞いたことがありますが、この運転手さんの話で、それが納得できました。
運転手さんの話は、最後には激烈な麻生首相批判になってしまいました。でもその気持ちはよく分かる。子どもふたりを抱えて20万円そこそこの給料で暮らせるわけがない。むろん、奥さんも働いているとのこと。
「でも、これからのことを考えると、この商売、いつまで続けていいのか分からないですよ、ホント。といっても、ほかにいい仕事にありつける可能性なんて、いまの状況じゃ、ほとんど考えられないし、ねえ」
ため息混じりの言葉でした。
なんとも切なくなって、ほんのわずかだけれど、チップを渡して車を降りました。運転手さんは、ありがとうの言葉と一緒に、プッと小さくクラクションを鳴らして去っていきました。
師走の風が冷たかった…。
新宿の小さなイベントハウス「ネイキッド・ロフト」で、『筑紫哲也さんが遺したもの』という会が開かれました。「マガジン9条」も協力するということで、私も少しお話してきました。
あいにくの冷たい雨、それに日曜日の12時というお昼時、やはりお客さんの集まりは芳しくありませんでした。それでも熱心な方々が20名ほど、一所懸命に耳を傾けてくださいました。
終わって外に出ると、雨上がりの陽射しがふうわりと頬にあたりした。
3人のパネラーです。
おひとりは、朝日新聞の元論説副主幹で、筑紫さんとは同期入社の柴田鉄治さん。「非常識の会」という入社同期会を作って、公私共にとても親しい間柄だったといいます。若かりしころの筑紫さんの、いろんな知られざるエピソードなどを話してくださいました。筑紫さん、とにかく女性にモテたらしいですよ。
そして、テレビ朝日のコメンテーターとして、数々の番組で活躍中の川村晃司さん。川村さんは、番組のディレクターやプロデューサーとして筑紫さんと関わり、その後はニュース番組のキャスターとしてさまざまな意見交換をしてきたといいます。筑紫さんの好きだった麻雀仲間でもあったそうです。
私は『月刊PLAYBOY』の編集者として筑紫さんにお目にかかったのが最初で、その後『週刊プレイボーイ』編集者時代に、何度か取材でお世話になりました。やがて集英社新書を立ち上げたとき、『ニュースキャスター』という新書を執筆していただいたというような縁です。
3人それぞれが、新聞、テレビ、出版という違ったメディアの中で筑紫さんに関わったわけですが、そのいずれの分野でも、筑紫さんの遺した足跡がいかに大きかったかが、話せば話すほど現れてくるという感じでした。
会場からも、
「揺るがない座標軸が消えたことが悲しい」
「これから混迷を増すであろう世界情勢や日本の政治について、筑紫さんのお話をお聞きしたかった」
「筑紫さん亡き後、日本のメディア、特にテレビがどうニュースを伝えていくか、ほんとうに心許ない」
などという意見が出されました。
みなさんそれぞれが、筑紫さんという大きな存在を失って、いまだに喪失感を抱えたままでいる、ということがよく分かるような会でした。
この会の様子については、いずれ「マガジン9条」で紹介する予定だそうです。
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