第二十六回
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先週のこのコラム(11月22日付)でも触れたけれど、非人道兵器の典型ともいえる“クラスター爆弾”の禁止条約が、12月3日、カナダのオスロでようやく調印署名された。
これに対し、「米露中という大国が署名していない条約など、有効性を持たない」という批判がある。
確かに、クラスター爆弾をもっとも大量に保有しているアメリカや、ロシア、中国などが未署名だから、その効力は一定程度の効果しか持たない。それでも使用に関しては、かなりの歯止めになることは間違いない。
かつて、同じような非人道兵器の“対人地雷”に対する廃棄運動があった。1992年に始まった「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」である。
これは、世界60カ国の1000を超えるNGO(非政府組織)が結集して組織されたもので、1997年にはカナダのオタワで国際会議を開き、「対人地雷禁止条約」の条文が作成された。
そして、同年12月3日(奇しくも、今回のクラスター爆弾禁止条約締結日と同じ日である)に、ついに悲願の条約が締結署名された。締結地の地名をとって、「オタワ条約」とも呼ばれる。日本も同年に署名した。
その功績により、運動のリーダーのジョディ・ウィリアムズとICBLは1997年のノーベル平和賞を受賞した。
しかし、この条約にも欠点はあった。アメリカ、ロシア、中国が、やはり署名しなかったのだ(現在に至るも未署名)。まさに大国のエゴである。
ではオタワ条約が失敗だったのかといえば、そうではない。この条約成立以降、例えばアメリカもロシアも中国も、紛争地において対人地雷を使用していない。国際世論にそむいてまで使用することが、いかに超大国とはいえ出来なくなったのだ。その意味で、オタワ条約はそれなりの効力を発揮したといえる。
この例から見て、今回の「クラスター爆弾禁止条約」も、大きな意義のある条約である。
毎日新聞は、このクラスター爆弾について、見事なキャンペーン「STOPクラスター」を続けているが、12月4日付には、ふたつの注目すべき記事が掲載されていた。
見出し:
<固い決意 苦渋の署名
隣国の脅威 消えぬレバノン>
記事:
<イスラエルに06年、400万発にのぼるクラスター爆弾を打ち込まれた被害国レバノン。「署名しないのではないか」とのうわさが一時流れた。クラスター爆弾禁止条約へのイスラエルの加盟は見込めない。(中略)しかし、ノルウェーなどのクラスター爆弾禁止条約推進国は、(レバノンが)非署名の場合の不発弾処理などへの「支援最小化」をちらつかせた。不発弾はまだ多く残る。レバノン政府は署名を決断した。(後略)>
紛争相手国がこれからもクラスター爆弾を使うかもしれない脅威を認めつつ、それでもなお禁止条約に署名する。
「こちらからはクラスター爆弾を絶対に使用しない。それを承知であなたの国は使用するのか」という問いかけだ。
つまり、(一部とはいえ)武器の不使用を宣言することによって、なんとか平和を構築しようとする国家の意志、と読み取ることも可能なレバノンの決断なのである。
これは逆に言えば、イスラエルに対する大きなプレッシャーになる。国際社会が見ている。クラスター爆弾を使わないと宣言した国に、なおもクラスター爆弾で攻撃するということが、国際社会でどう受け止められるか。イスラエルはいずれ、足枷を嵌められたことに気づくはずだ。
同じことは、08年8月に起きたグルジア・ロシア紛争にも言える。この紛争で、グルジアはクラスター爆弾を使用したことを認めたが、ロシアは使用を認めていない。使用したことはほぼ確実だと言われているのに、ロシアはなぜそれを否定したのか。
国際世論がクラスター爆弾廃絶に向かっているときに、その使用を認めることは大きな批判を浴びることになる、というのがその理由だと、多くのメディアは指摘している。それほどに、国際世論の高まりが、未署名の大国に対しても一定の歯止めをかけ始めたということなのだ。
少なくともこれ以降、超大国であっても、国際世論を無視してクラスター爆弾を使い続けることは難しくなるだろう。この条約の効果である。
もうひとつ特筆すべきは、NGOの活躍である。毎日新聞4日付けのコラム「ひと」欄に、ある女性の記事があった。 中央大学教授(NGO論専攻)の目加田説子(めかた・もとこ)さんである。TBS系テレビ番組『サンデーモーニング』にも時折出演しているから、知っている人も多いだろう。
<小柄だが、クールで理路整然とした口調に迫力がある。当初、クラスター爆弾の禁止を渋った日本政府代表を、世界各地の国際会議でつかまえては食い下がり、方針転換を迫り続けた。
非政府組織(NGO)「地雷廃絶日本キャンペーン」運営委員。リマ、ウィーンなど条約を討議する会議すべてに参加した。日本政府が3日、禁止条約に署名したのも、彼女らNGOの粘り腰なしには考えられない。「やっとここまできた」と表情を緩める。(中略)
97年に同キャンペーン設立に参加。対人地雷禁止条約締結の舞台裏もつぶさに見た。
今年8月のグルジア紛争ではクラスター爆弾が使われ、新たな犠牲者が出た。条約署名は「通過点に過ぎない」と気を引き締める。(後略)>(同毎日新聞)
日本政府が署名を渋ったのは、むろんアメリカへの配慮があったからだ。それを押し切ったのは、目加田さんらNGOの力だった。各国政府がさまざまな政治的理由からできない決断を、NGOが代わって行う。それを政府が追認する。いまやNGOの活動は、世界政治に不可欠なものとなったのだ。
政府もNGOを利用するようになった。自らは打ち出せない政策を、「NGOの呼びかけだから」という理由で実現する。この形がかなり定着してきたのである。
日本政府は、NGOの意見を“仕方なく飲む”という形で、あらゆる型のクラスター爆弾の廃絶に、世界中のどこの国よりも早く踏み切った。
私は、目加田さんたちの活動に深く感謝しつつ、同時に日本政府の今回の決断を強く支持する。
「マガジン9条」のささやかな持続もまた、このような動きに連動している。
切ない訃報がまた…。
12月5日、加藤周一さんが亡くなった。89歳であった。
加藤さんが「九条の会」の設立呼びかけ人9人のおひとりであったことは、説明するまでもない。小田実さんの死に続いて、加藤さんも世を去った。大きな打撃に違いない。
それでも「九条の会」は、これからも小田さんや加藤さんの遺志を継いで、活動の翼を拡げていくだろう。
そしていまごろは、筑紫哲也さんとともに、
「9条も、これからが正念場なんだけどねえ」
「そうですねえ。でもみんなが頑張ってくれていから大丈夫じゃないでしょうか」
などと語り合っているかもしれない。
加藤さんの『羊の歌』『続・羊の歌』(岩波新書)と、堀田善衛さんの『若き日の詩人たちの肖像』(集英社文庫)は、戦後青春文学の2大傑作だと思っている。私の若いころからの愛読書でもあった。今夜は『羊の歌』を開いてみよう。
加藤さんの息遣いが聞こえるだろうか…。
誤解されている方もいるようだが、「マガジン9条」は「九条の会」とはまったく関係ない。連絡も連携もしていない。それでも、目指すところは同じだ。
さまざまな動きが9条をめぐって沸き起これば、やがてそれらは奔流となり、大河へと成長する。
「マガジン9条」も、その大河へ注ぎ込む、細いけれど絶えない流れとして、持続していくだろう。
個別に起って、ともに迫る。
そういう動きが、世を変えていくのではないか。
いまさら麻生首相の物言いに驚いたりはしない。批判するのも馬鹿らしくなった。
それでも一瞬、耳を疑った。
12月5日の衆議院予算委員会での質疑でのことだ。録画をチェックしていて、私はぶっ飛んだ。
麻生首相は、野党の攻勢にほとんどまともな答弁もできない。そんな自分に苛立ち始めたのか、後半はもう相手の質問に正面から答えようともしない。午後1時から始まった委員会、午後5時を過ぎるあたりから、麻生首相の答弁は、目に見えてぞんざいになっていった。
そんな中、社民党の保坂展人議員の質問中に、麻生首相の言い放った言葉に、私は愕然としたのだ。
答えに立った麻生首相に、保坂議員が「そんなことを聞いているんじゃないんです」というようなことを言ったときだ。
「がちゃがちゃ言わないの、うるせえから」と言い放ったのだ。
その瞬間、委員会室は凍りつく、かと思ったのだが、別に何事もなく淡々と質疑は進んだ。私はそのことにも呆れたのだ。日本政府の最高責任者、最高権力者が“うるせえ”と言ったのだ。“うるせえ”と言われて、議論が成り立つか!?
なぜ保坂議員は「うるせえ、とはいったい何事か。撤回せよ」と迫らなかったのだろうか。他の野党議員(いや、与党議員だって)は、どうして発言撤回を求めて、首相席に詰め寄らなかったのだろうか。
もうこの人には何を言っても無駄だと、みんなが思っているという証拠なのかもしれない。少なくとも、保坂氏は呆れて二の句が告げなかったのだろう。
メディアもまったく反応しない。調べたら、毎日新聞が、ほんの小さく書いていただけだった。
<麻生節は失言と紙一重の危険をはらみ、社民党の保坂展人氏に答弁をさえぎられ、思わず「ガチャガチャ言わない。うるせえから」とつぶやくなど際どい場面はあったが、大きな波乱はなかった。> (毎日新聞12月6日)
麻生さんがしきりに口にするのが、母方の祖父にあたる吉田茂元首相の偉大さである。自分も吉田氏のように歴史に名を刻む首相になりたいのだろう。
その吉田元首相には「バカヤロー解散」という有名な故事(?)がある。
1953年、衆議院本会議において、社会党の西村栄一議員の質問に対し腹を立て「バカヤロー」と言い放って、解散に追い込まれたというまさにバカバカしい一幕。
麻生さん、政策や施策などではとてもかなわないから、せめて「うるせえ解散」で祖父に並ぼうとしたのか。
それにしても政権末期の様相、日々に濃くなっていく。
昨日“政権末期の様相”と書いたばかりだが、今朝の新聞は見事にそれを裏付けた。麻生内閣支持率は、もはや沈みかけた難破船状態 である。
読売新聞 20.9%
毎日新聞 21%
朝日新聞 22%
共同通信 25.5%
さらに問題なのは「麻生太郎氏と小沢一郎氏のどちらが首相にふさわしいか?」との問いに対する答えだ。これまでは麻生氏が小沢氏をほぼダブルスコアで圧倒していたのが、今回はすべての調査で小沢氏が麻生氏を逆転したのだ。
つまり自民党は、福田康夫前首相に投げ出された政権を建て直すための窮余の策として「政策はともかく、選挙の顔として麻生氏を首相に選んだ」のだったが、その“選挙の顔”という役割さえも、麻生氏では無理、という結果になってしまった。
こうなれば、自分の選挙を恐れる若手自民党議員たちの足もとは揺らぐばかり。
「とてもこんな首相の下では闘えない」ということで、首相の首のすげ替えやら新党結成やら政界再編やら、わさわさと春の虫たちのような蠢きが始まった。
<もしかすると、投げ出し首相3代目の襲名披露日は近いかもしれない>
このコラムでそう書いたのは、11月18日だった。それからまだ20日も経っていないのに、その予想は当たりそうな気配だ。でも、首相の首のすげ替えって言ったって、いったい誰にすげ替えればいいのだろう?
いよいよ、自民党が政権の座から滑り落ちて下野する日への、“カウントダウン”の鐘が鳴り響き始めた…。
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