第十五回
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このところ、「言葉の劣化」がはなはだしいと思う。
「汚染米」を「事故米」と呼ぶという事実を、今回の事件で初めて知った。言葉の使い方がおかしい。
「事故米」という言葉から浮かぶのは、輸送途中の何らかの事情で少し米の端が欠けたとか割れたとか、そういうイメージだ。しかし実は、基準値以上の農薬で汚染された米、というのが「事故米」の主流を占めていたということらしい。
これを「汚染米」と呼ばず「事故米」と言い換える農水省のやり口は、どう考えても汚らしい。正確な表現の言葉を歪め、別の聞こえのいい言葉に言い換えて、ことの本質を隠そうとする。「後期高齢者医療制度」を「長寿医療制度」と言い換えたように。
官僚たちがよく使う手だが、今回もその臭いがする。
「『事故米』ならば、多少、消費者の口に入っても気づかないだろうし、文句は出まい。だが、『汚染米』と言ってしまえば、“やかましい”消費者からクレームが来るかもしれない。『事故米』でいこう、『事故米』で」
こんなところが、農水省の本音だったのだろう。
それを如実に示すのが、11日の白須敏朗農水相事務次官の記者会見での開き直り。
「立ち入り(検査)が不十分であったということを、私は申し上げているわけです。ただ、そのことによって、それが私どもに責任がある、というふうにいまの段階で考えているわけではございません」(読売新聞9月12日)
農水省事務方最高責任者の事務次官の発言である。では、いったい誰に責任があるというのか。96回も三笠フーズに立ち入り検査をしていながら、このような偽装転売を見抜けなかった農水省に責任がないというのなら、こんな官庁は必要ない。
(18日深夜になって、この白須事務次官が太田農水相に辞表を提出した、というニュースが飛び込んできた)
しかし、次官もひどいけれど、やはり問題は大臣である。
「人体に影響がないということは、自信をもって申し上げられる。
だから、あまりジタバタ騒いでいない、ということです」
(9月12日の日本BS放送での発言ということだが、私は翌日の新聞でその内容を知った)
こんなデタラメな話があるだろうか。
三笠フーズなる会社が、いったいいつからこの汚染米商売をしていたのか。
消費者(特に保育園や老人施設など)が、どのくらいの期間にわたって食べ続けたのか。もし長期にわたったとすれば、それによる農薬の蓄積はどのくらいになるのか。ほんとうに「人体に影響がないと自信をもって言える」のか。特に、幼児や高齢者に影響はないと言える程度なのか。
たとえ1回の食事ではほとんど影響が出ないレベルだとしても、これを長期間にわたって食べ続けていた場合にも、同じことが言えるのか。このもっとも大事な部分に言及せずに、1回の食事での農薬量のみで判断する。まやかしである。
これらの施設での「汚染米」使用は、たった1回だけだったのか。それとも何度も繰り返し食べられていたのか。
事実、今朝の朝日新聞には次のような大見出しが踊っていた。
<カビ米給食 45万食
汚染米転売 愛知の学校、5年間>
農水省はすぐさま「健康上の問題はない」と言明したが、追跡調査もしないで人体には何も影響がないなどと、なぜ言えるのか。
これは「カビ米」についての記事だが、知人の新聞記者からの情報によれば、三笠フーズは少なくとも5年間に60回以上の「事故米」を農水省から購入していた事実があるという。(注・朝日新聞は4年間で55回、と報じていた)。
ならば、少なくとも5年間は、同じ施設が同じ「農薬汚染米」を食べていた可能性があるではないか。
新聞記者が掴んでいる事実を、農水省が知らないはずはない。この記者も「農水省の官僚から得た情報だ」と言っていたのだ。太田大臣がこんな事実さえ知らないとすれば、そんな大臣はただのお飾りだ。そう思っていたら、その通りだったらしい。
太田大臣は、19日朝の記者会見で、白須事務次官を更迭する、と発表したその口で、自らの引責辞任も発表したのである。迫りくる選挙を考えてジタバタした結果だろう。言葉と行動が、あまりに違う。行動が言葉を裏切っている。言葉の劣化である。
「きちんとケジメをつけて辞任した」と、支持者に訴えることだけを念頭に置いた、任期たった5日前の辞任。(9月24日には、新首相のもとで新内閣誕生。太田大臣もそこで交代するはずだったのだから、任期5日前の辞任である)
自民党も、選挙への影響を考えて太田大臣を「事実上の更迭処分」にしたのだ。すべてが選挙のため。
言葉が軽すぎる。なぜもっと正確迅速に調査して、きちんと情報を公開し、その上で言葉を使おうとしないのか。もし調査が終わっていなかったとするなら、例えばこう言うべきではないか。
「1回の食事での消費量では、現在の調査では、人体に影響が出るようなことはありません。しかし、どのくらいの頻度でこの米を食べていたか分からないので、最終判断はここではできません。きちんと使用回数などを調査分析した上で、○月○日までに報告したいと考えております」
せめて、この程度の話がなぜできないのか。少なくとも、それが政治家の最低限の言葉の使い方ではないか。
高級官僚も政治家も企業幹部も、使う言葉が劣化している。
当然のように、それは政治の劣化を招いている。
さて、今回の騒動、「やまねこムラ」の村長さんなら、どう考えるだろうか。後で、お聞きしてみよう。
9月20日(土)はれ
昨日(19日)、自宅の郵便受けに「電気料金見直しのお知らせ 平成20年9月1日実施」というチラシが入っていた。撒いたのは東京電力。東電管内の世帯には、同じころ一斉に配布されたはずだ。(これが入っていたのは、9月19日のことだから、1日に実施されたものをなにを今更、と思ったけれど)。
さて、「見直しのお知らせ」なのだが、よく読むと(そうとうに分かりにくいし、文字も小さいが)なんのことはない、「電気料金値上げのお知らせ」なのである。前の項でも書いたが、事実を訳の分からない言葉で言い換えて、なんとなく中身をごまかすという、これもよくある手法なのだった。
値上げなら値上げと書けばいい。それを見直しという。
このチラシ、どういう内容か。
詳しいことは煩雑なので避けるが、これまでの電力量料金は、標準家庭モデル(1ヵ月あたりの使用電力量=290kWh)では、
16.05円×120kWh+21.04円×170kWh
+燃料費調整額1.82円×290kWh=電気代6,797円
という計算式で算出されていた。それをこの10~12月分では次のように改めるという。
17.87円×120kWh+22.86円×170kWh
+燃料費調整額0円=電気代6,797円
つまり、燃料費調整額というのを、10~12月にはタダにする代わりに基本の掛け数を上げる、ということ。これによって、この3ヵ月間の電気代は9月以前と同額でおさまる。
ところが、この最後に以下の文章があった。
<平成21年1月分以降の電気料金につきましては、新しい算定基準による燃料費調整を行います。燃料価格の動向により、お客さまのご負担が増える場合がございますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。>
もって回った言い方だが、一旦はタダにした燃料費調整額の掛け基数を来年1月以降は復活させる、ということだ。そうすれば、すでに算定基準数値が上がっているのだから、合計の電気代は確実に値上げとなる。今回の「見直し」によって「ご負担が減るお客さま」が出てくるとは、絶対に思えない。
このチラシを読んで、すんなりと「値上げだな」と理解できる人間がいるだろうか。私も何度も何度も読み返し、頭をフル回転させて、ようやくこの文章の巧妙な仕掛けに気づいたのだ。
これを「電気料金の見直し」と、東京電力は言うのである。なぜ素直に、「燃料価格の高騰に伴い電気代を値上げします」と言わないのか。
電力の問題といえば、またも原発の話題である。
<細る原発マネー
財政難の地元 固定資産税も法人税も減少
ハコ物 維持重荷
原油高、電力会社の納税に響く> (朝日新聞9月17日)
<柏崎被災者「土地売れぬ」
地価大幅下落 住宅再建に暗雲>(毎日新聞9月19日)
原発マネーで現地が潤うのはほんの一時。電力会社から落ちる金をあてこんで、巨大な市民センターや保養施設を造ったのはいいが、その維持費が逆に行政を圧迫し始めているし、電力会社からの固定資産税などは年々減少する。
また、柏崎のように自然災害などを受けると、原発事故が怖いという風評被害(とも言い切れないが)も重なって、土地などとても売れるような値段ではなくなるというのだ。
自らの生活地を、原発マネーで潤そうとしたツケが、いずれ回ってくるという証拠でもある。
ところがそれでもなお、電力会社や行政は原発に固執しようとする。この日記の第13回(9月5日分)に書いたように、浜岡原発(静岡県御前崎市)1,2号機の現地住民による差し止め訴訟について、東京高裁は和解勧告を出そうとしていた。
9月19日の第1回口頭弁論で、東京高裁は和解を打診した。住民側は応ずる意向を示したが、中部電力はこれを拒否したという。司法がようやく、原発についてのある種の判断をしようとしたのだが、これを電力側が拒否。この裏には、他の電力会社や政府の思惑も見え隠れする。
ここで和解に応ずれば、この後、同様に老朽化した他社の原発の運転差し止め訴訟への影響が大きくなる、との判断だろう。そして、現段階ではどのくらいかかるかの試算さえ明確ではない「廃炉経費」の膨大さへの電力側の危惧が根っこにある。
ただでさえ、燃料費の高騰に苦労している電力会社は、建設費よりも高いのではないかと言われる廃炉費用におののくのだ。ここにも、目先の利益に踊り、未来を見通すことのできなかったツケが表れている。
先週書いたように、原発電力は決して安くはない。廃炉にかかる費用を、現在の電気代には参入していない。これを入れざるを得なくなったとき、電気代は高騰する。
そのとき、電力会社や政府行政はどう言い訳するのか。
自民党総裁が決まった。予想通りの出来レース。麻生太郎氏が総投票数(527票)の3分の2を上回る351票を獲得して圧勝、という結果だった。無効票2票というのが、いちばん正しい投票者だったかもしれない。
21日の民主党代表選大会にぶつけての、自民党の盛り上げ戦術による22日の総裁選投開票だった。けれど、最初から犯人の割れた素人作家のミステリ小説。顔ぶれだけは揃えてみたけれど、なんのトリックも中身もない。
総裁選レース後半、リーマンブラザーズ破綻によるアメリカ経済の大失速と、それが波及した全世界の金融不安。日本を見ても、株の大暴落、円高騰、金融不安、高まる再度の雇用調整…。もはや、5人の総裁候補が並べ立てた経済政策などでは、にっちもさっちも行かないところまで追い込まれていた。
さすがに与謝野経済財政担当相は、職責上この金融不安を放ってはおけず、18日には、総裁選芝居全国公演を欠演して東京へ戻って対策に当たった。当然のことだ。けれど残り4人は芝居続行、全国行脚。
では、麻生太郎自民党幹事長(当時)はどうなのか。政権政党の最高責任者の幹事長である彼が、政府機関や日銀、財政当局との対策協議に参加しなくてもいいのか。それが政権与党の幹事長としての責務ではないのか。彼にとって政治とは、国民のための政策ではなく、目先の総裁=首相の椅子の獲得競争でしかなかったのか。
麻生氏の危なさは、このコラムでも以前から指摘してきた。とくに、その差別感覚には嫌悪感さえ覚える(第9回・8月2日の日記参照)。
メディアではあまり取り上げられなかったが、ここに来て、かなり奥歯にものの挟まった言い回しだったが、鳥越俊太郎氏がテレビ朝日のワイドショー「スーパーモーニング」(9月18日)で、この麻生氏差別発言に言及していた。さらに、週刊誌がそのことを報道し始めた。
「週刊ポスト」(10月3日号)は、以下の大見出し。
<麻生太郎の「部落差別」「強制労働」という問われる過去
野中広務を激怒させた人権感覚―この男は宰相の器なのか>
読んでみた。記事の半分は「つぶやき日記」とほぼ同内容だった。
ところで、これらの記述を補強するような新聞記事がある。毎日新聞9月17日の「自民党総裁選 もの申す!!」というインタビューコラム。この第1回目に、その野中広務元自民党幹事長が登場している。以下、引用する。
◇現情勢は麻生太郎幹事長が優勢です。
◆5人も立って迫力、緊張感がなくなった。麻生さんのしゃべり方は受けるかもしらんが、党員が本当にそう思うかどうか。報道の仕方にも問題がある。
◇野中さんは現役時代から麻生さんに厳しかった。
◆人権を踏まえた視点がありますか。華麗な家柄だけど、人を平等に考えない。国家のトップに立つ人として資質に疑問がある。
安倍晋三前首相と福田康夫首相が辞める時、2度とも事前に打ち明けられたのに、善後策も講じないで一番先に自分が手を挙げた。幹事長の職責が分かっていない人だ。
◇政策はどうです。
◆構造改革路線だった人が、景気回復を具体的にどうやるのか。経済政策をやりますと言うだけでは駄目だ。補正予算を成立させて、年末年始の地方議会に間に合わせないと国民に浸透しない。臨時国会冒頭解散なんてやったら、すぐはげて、深い傷を負う。
◇総裁選効果で衆院選は自民党が有利になりますか。
◆補正予算を通すなど、やることをやれば過半数は取れるでしょう。でも、ここはいったん民主党に政権を渡すのも一つの方法だと思う。できれば衆院選後、政界再編が起きてほしい。衆参のねじれと自民党の状況を見てたら、政界再編やらなきゃ課題解決はできないじゃない。
◇民主との大連立はありますか。
◆それよりも、与野党とも右傾化する中で、二度と戦争をしない日本をつくる基軸となるような人たちの集まりをつくるチャンスじゃないか。ガラガラポンやった方がいい。
(以下略)
この後、話は他の総裁候補の資質に移り、残り4人の中では石原伸晃氏を次の次の首相候補に登録しておくべき、という持論を展開する。
石原伸晃氏は自己の憲法論を、まだほとんど明らかにはしていない。したがって、彼が首相候補に相応しいかどうかについては、私はかなりの留保をつけておく。
野中氏、すでに82歳だが、その舌鋒はいまだに鋭い。野中氏がなぜこれほどまでに麻生氏批判を繰り広げるのか。それは、麻生氏の危険性を肌で感じている故だろう。
老政治家の、「二度と戦争をしない日本をつくる基軸」との提言を、私たちは、きちんと受け止めなければいけない。
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