080827up
NHKの動きがどうもおかしい。
今朝の朝日新聞に大きな記事が、それも第一面に載っていた。以下、少し長くなるが、その記事を引用する。
NHK,政府シンポ放送
子会社受注 表示せず
NHKの子会社が政府機関などから千万円単位でシンポジウムの運営を受注し、後日、NHKが放送番組として、これらのシンポを取り上げていたことが明らかになった。番組を見ても、子会社が受注したことは伏せられており、政府など外部機関が主催したことを告知しない番組も多かった。有識者からは「事実上スポンサーつきの広報番組だ」との批判が出ている。
放送法では、政府を含む特定の者の利益のためにNHKが放送をすることは認められておらず、NHKはスポンサーをつけず、受信料で番組制作するのを建前としている。(中略)
米国では、政府がカネを出していることを視聴者に知らせず、政策宣伝することは「非公然プロパガンダ」として原則禁じられている。05年、米政府の教育政策をほめる放送番組の裏で、教育省が出演者に金銭を渡していたことが発覚。議会の会計検査院は同省に是正を要求した。
英国の公共放送BBCはガイドラインで「イベントの主催者から放送費用に充てられるカネを受け取ってはならない」と定めている。
放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員の服部孝章・立教大学教授も「こうした放送は『広報』。直接NHK本体に契約金が入っていないとしても、子会社を隠れみのにしているだけだ」と批判。(後略)
NHKは視聴者からの受信料金で運営されているはず。だから、スポンサーをつけることは許されない、というのがNHKの基本原則ではないか。
政府広報であるならば、せめてそれだけは、はっきりと明示してするべきです。
NHKには、戦争の問題や憲法についての番組など、録画して繰り返し観たくなるような優れたドキュメンタリーも数多い。紀行や自然ものの、美しく素晴らしい出来ばえの番組には、その都度チャンネルを合わせる。それらの制作の現場で奮闘するディレクター諸氏には、ほんとうに頭が下がる思いがする。
けれど、それとこの“隠れた政府広報”とは別問題だ。テレビの影響力は、他のメディアとは比較にならないほど強い。その強さを、視聴者に隠れて使ってはいけない。
2007年6月にNHK経営委員会会長に就任した富士フィルムホールディングス社長の古森重隆氏は、「国際放送は国益にかなうような内容にするべき」「政治的に問題のある内容については十分に注意をするように」などと、かなり誤解されかねない発言を繰り返している。
ところがその一方、古森氏は、08年2月には武藤容治自民党衆院議員のパーティーに出席して“NHK経営委員長”との肩書きを明らかにした上で応援の挨拶をするなど、自分自身は政治との深い関わりを見せている。
今回の“隠れ政府広報”が、その古森氏の意図によるものなのかどうか。
北京オリンピックが終わりました。
教え子の少年を探しに田舎から都会にてきた若い女性教師の、なんともいえない切なさが胸を打った映画『あの子を探して』や、チャン・ツィイーの出世作『初恋のきた道』を撮ったチャン・イーモウ監督が総指揮したという、圧倒的なスケールの開幕セレモニー。あの映画の静かな叙情と開会式の凄まじいばかりの演出の落差には、正直、驚きました。
テレビで開会式を観ながら、これが、あのチャン監督の演出か、とあっけにとられたのです。
口パク騒動、花火のCG操作、少数民族の子どもたちの偽装…。さまざまな毀誉褒貶を受けた開会式でしたが、観るものを圧倒したことだけは確かでしょう。
フィナーレは男子マラソン。
日本でもおなじみのワンジル選手(ケニア)の圧倒的な強さが目立ちました。真夏の北京を駆け抜ける小柄な21歳のワンジル選手の姿。
この日、どのように浄化したのか、北京の空は真っ青でした。まるで梅原龍三郎の名画『北京秋天』を髣髴とさせるような空の色でした。
ともあれ、オリンピックは幕を閉じました。
それにしても、これほど国家とは何かを考えさせたオリンピックも、近来では珍しかったと思います。
いまさら「オリンピックは平和の祭典」という言葉を信じるようなウブな人も少ないでしょうが、開催中に、まるでそれに時期を合わせたかのような、グルジア・ロシア間の戦闘。ポーランドへのアメリカによるMD(ミサイル・デフェンス)配備。当の中国ウイグル地区などで続く叛乱、暴動。チベット侵攻に反対するグループへの弾圧、逮捕拘留…。
キナ臭さは、平和の祭典中、続きました。
そういえば、この男子マラソンを沿道で応援する観衆の少なかったこと。“何か”を恐れた中国当局の規制であったことは間違いないでしょう。平和の陰に、“何か”への恐怖が確実に潜在していたのです。
国威発揚の“メダル争い”の記事に隠れて、あまり目立たなかったけれど、この間も、中国のいたるところで暴動や抗議行動が起きていたことは、小さく報道されていました。国家がいくら隠蔽しようとしても、もはや完全に情報をシャットアウトできる時代ではなくなったのです。
「同一世界、同一想夢 One World, One Dream」
それが、今回のオリンピックの標語だったようです。しかし、これがやや虚しく響きました。結局、「同床異夢」だったのではないでしょうか。
力で抑えつけ、不満を愛国心で解消させる。今回の北京オリンピックに、その側面がなかったとは思えません。
壮大な花火が、セレモニーを盛り上げました。まるで、一瞬の美しさが何かを隠してくれるかのように。
昨夜(23日)、我が家から少し離れた河原で、花火大会が行われていました。遠くに、ドーンッという音が聞こえました。雨で、少し残念でした。
私の故郷でも、この日が大きな花火大会の日でした。毎年、8月末の土曜日に開催されるのが恒例なのです。ふと、遠い響きに故郷の川岸を思い出しました。
それが、私のささやかな愛国心…。
ほんの少しだけですが、ホッとする記事を見かけました。
政府 第三国定住 受け入れへ
タイ逃亡 ミャンマー難民30人
政府は、紛争などで他国に逃れた難民が別の国に移住する「第三国定住」難民を受け入れることを決めた。早ければ10年度にもタイで暮らすミャンマー難民を数家族・30人前後受け入れる。今後、ミャンマー難民の受け入れ数をさらに拡大するほか、ミャンマー難民以外にも対象を広げる方針。これまで日本はインドシナ難民を特例措置として受け入れた以外は、国外の難民の入国を拒んできた経緯があり、難民政策の転換と位置づけられそうだ。(以下略)
(毎日新聞8月25日夕刊)
これまで日本は、難民受け入れにもっとも消極的な国と見られてきました。例えば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR=かつて緒方貞子さんが所長として活躍した組織)のまとめによれば、07年の難民認定数は、米=1万7979人、仏=1万2928人です。これらに比べ、日本はわずかに41人。きわだつ低さです。
緒方さんの献身的な活動にもかかわらず、日本へのまなざしが厳しかったのは、この数字が示していたわけです。
今回の「第三国定住」というのは、紛争などで一旦、自国以外の国へ逃れた難民たちが、その国から更に別の国へ移って定住する、ということです。(例えば、ミャンマー→タイ→日本、というようなこと)。
日本は、これまで自分の国以外の国で暮らす難民を受け入れたことがないといいます。だから今回の措置は、その方針を転換したことになります。
まだその数は圧倒的に少ないのですが、それでも難民認定を拒否し続けるよりはいくらかの進歩でしょう。一気にできることではないと思いますが、少しずつその数を増やしていけばいい。
お金や武力に頼らない国際貢献、といえるのではないでしょうか。
8月26日(火)雨のちくもり
オリンピック報道の陰で霞んでいたようですが、世界はその間も動いていました。それも、危ない方向へ。
今日(26日)の朝日新聞の「国際面」を開くと、それがよく分かるような気がしました。
このページのすべての<見出し>を拾いあげてみます。
これが、本日の国際面のコラムを除くすべての<見出し>です。ひとつひとつ記事を読んでみましたが、今日のお天気のように、なんだか気が重くなるような動きばかりです。
晴れない雨はない、というけれど…。
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