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週間つぶやき日記

080820up

8月14日(木)くもり

変わらない 人の心も失言も

 相変わらず暑いですねえ。
 合併号のお休みも終わり、この連載も再始動です。またブツブツと、つぶやき続けます。

 自民党新役員や福田改造内閣の新閣僚について、お休み前のこの日記(8月2日分)で、おふたりの方に触れました。大した意味はありません。目についた人を取り上げただけ。彼らの失言が記憶に残っていたので、また何かやらかすんじゃないかな、と思ったからでした。
 ところが、その日記の指摘がピタリと当たってしまいました。なんと、取り上げた2人が揃って失言です。
 私は、予言者か?(苦笑)

 まず麻生太郎自民党幹事長。
 8月4日に、就任の挨拶で江田五月参院議長を訪れた際、民主党についてナチスを例に挙げて批判しました。さすがに江田議長も真顔で反論したということですが、まったくこの御仁、どういう思考回路をお持ちなのか。
 他党批判をするのに、言うに事欠いてナチスを引き合いに出すとは、呆れて開いた口がひん曲がったまま塞がりません。これが最悪の比喩であることなど、少しでも歴史を学んだ者なら即座に分かりそうなものです。政治家ならば、なおのこと。
 それをポロリと口走る。
 ナチスが推し進めたのは“優生思想”に基づく“民族浄化”でした。つまり、“世界に冠たるゲルマン民族”以外の民、特にユダヤ人やロマ人(かつてジプシーと呼ばれた人たち)などは、劣等民族であるとして、その抹殺を図ったのです。(障害者や同性愛者なども、その対象にされたといいます)。
 それが、あの酸鼻を極めたユダヤ人大虐殺(ホロコースト)だったわけです。それを知らなかったとは言わせません。
 批判に驚いた麻生氏、すぐに言い訳です。(驚くぐらいなら言わなければいいものを)。

 麻生氏は4日夜、「(野党が多数の)参院で審議をしないとどうなるか。(ドイツが)昔、『(政権運営をナチスに)やらせてみたらどうか』といった結果がどうなったか、という歴史があるので審議をすることが大事だという話をした」と釈明した。
(読売新聞8月4日配信)

 訳がわからない。ほとんど言い訳になっていません。
 前回コラムで触れたように、かつて麻生氏は、ひどい部落差別発言をしたと指摘されています。今回のナチス発言は、同じ差別意識の線上にあるように思えて仕方ありません。

 もうひとりの失言モノ。
 例の“レイプ擁護発言”の猛者、太田誠一農林水産大臣です。やっぱり性格や考え方は、一朝一夕には変わらないということでしょうか。
 8月10日オンエアのNHK『日曜討論』で、
 「日本は安全なんだけど、消費者・国民がやかましいから、(食品検査などを)徹底していく」
 「消費者が、やかましくいろいろと言うと、(行政が)それに応えざるを得ない」
 と口走ってしまったのです。
 「消費者や国民をやかましいとは何事か」という当然の批判に、この人もさっそく、大慌てで言い訳です。

 発言の趣旨について、太田農水相は番組出演後、「消費者が正当な権利を主張できる民主主義の国という意味で使ったもので他意はない」とのコメントを出した。
(朝日新聞8月11日)

 思わず“ぶぁっかもん!”と怒鳴りつけてやりたくなるような、デタラメな言い逃れです。“やかましい”とは、どう考えても否定的な文脈で使われる言葉です。“民主主義を賞賛する言葉”とは、とうてい思えません。やはりこの人物、「消費者とはうるさくてやかましい存在だ」と、心の底では思っているのです。
 記者団に「8月15日に靖国参拝をするのか?」と問われて、「アンタらがそう聞くんだったら、行く」と、嫌味たっぷり答えた人物です。そこまで開き直るのであれば、「やかましい奴にやかましいと言って何が悪い」ぐらいのことは言えばいいのに、そんな根性はないらしい。
 福田改造内閣は「安心実現内閣」がキャッチフレーズだそうですが、もう巷では「失言不安内閣」と呼ばれています。

 このコラム、暑苦しい再開になってしまいました。

8月15日(金)はれ

民よりも国家体制を守る軍

 近所の公園に、夾竹桃の真っ赤な花が咲いている。この花を見ると「ああ、夏だなあ」と思う。そして、なぜか「戦争」を連想してしまう。
 なんというタイトルだったか、どんな内容だったかも忘れてしまったけれど、戦後の焼け跡に、少し毒々しいくらいの真紅の花が咲いていて、そのシーンだけが、妙に印象に残っている映画がある。あとで、その花の名前が夾竹桃だと知った。
 だから、真夏の陽射しを受けて真っ赤に咲く夾竹桃を見ると、瓦礫の戦後を連想してしまうのだ。私の子ども時代には、そんな戦後の雰囲気が、まだ色濃く残っていた。
 今年も、8月15日がやってきた。

 8月12日の各紙に、「東条英機元首相の直筆メモが発見された」という記事が載っていた。
 読んでみた。
 東条英機なる人物に戦争を指導されていた日本人の不幸を思わざるを得なかった。
 例えば、こうだ。(以下、毎日新聞8月12日付による)

 (略)新爆弾に脅えソ連の参戦に腰を抜かし、一部条件を附し在りと雖(いえど)、全く「敗残者なり」との観念に立てる無条件降伏を受諾せりとの印象は、軍将兵の志気を挫折せしめ、国民の戦闘意志、さなきだに低下せんとしつつある現況に、更に拍車を加うる結果となり。(略)又、軍のみならず、内地国民の思想に頗(すこぶ)る悪しき動揺を与へ、政治上の信頼を全く失ひ、処置適切を欠くに於ては、混乱状態を惹起する恐れなしとせず。又此の間に生ずる共産主義の容認を云々する者を生じつつある現況に於て、益々然り。

 (略)無条件降伏受諾の影響は、軍、国民の志気阻喪を来し、此の際、交戦力に大なる影響を及ぼすことを恐るるのみならず、国民は悄(やや)もすれば一段安きに考えたる国民として軍部をのろうに至るなきや。

 (略)戦ひは常に最後の一瞬に於て決定するの常則は不変なるにも不拘(かかわらず)、其の最後の一瞬に於て尚ほ、帝国としての持てる力を十二分に発揮することをなさず、敵の宣伝攻略の前に屈し、此の結末を見るに至る。

 これは、1945年8月10日から14日にかけて書かれたメモだという。8月6日と9日には、広島長崎に原爆が投下されていた。凄まじい数の犠牲者が出ていたことを知った上で、東条はこのメモを書いたのである。「新爆弾に脅え」との記述が、その事実を示している。
 メモのいたるところに、東条の悔しさがにじみ出ている。東条は、無条件降伏受諾に反対だった。もっと戦い続けたかったのだ。
 「帝国として持てる力を十二分に発揮」していないのだから、それを発揮しさえすればまだまだ戦える。そう東条は思っていたのだろう。
 この期に及んでも、東条は、国民のことより自らが君臨した日本軍の末路が心配だったのだ。無条件降伏を受諾すれば、「安きに考えたる国民」は「軍部を呪う」に至るだろう。だから、無条件降伏には納得できない、と言うのだ。
 戦い続ければ軍は存続できる。戦争が続いていれば、国民には軍を呪うゆとりなどない。それが東条の考えだったのか。
 国民にそれまで以上の犠牲と負担を強いてもなお、自らの存在基盤である“軍部”を守ろうとする。愛する日本軍が、国民から呪われてはならない。
 “帝都”東京は、1944年末からの100回以上に及ぶ米軍機の空襲で、ほぼ焼き尽くされていた。特に、45年3月10日の大空襲では、1日で8万人以上の死者を出した。東京大空襲での死傷者は20万人をはるかに超えるといわれているが、正確な数はいまもって分かっていない。
 沖縄では悲惨な地上戦で20万人以上の死者を出し、日本軍の組織的抵抗がようやく終結(1945年6月23日)したばかりだった。ほかの都市も、爆撃で膨大な死傷者を出していた。そして、それに止めを刺したのが広島と長崎の原爆だった。
 死屍累々の日本にあって、国民は“安きに考える”と言って憚らないその神経に、私は慄然とするのだ。空から舞い落ちる焼夷弾の業火に焼かれながら逃げ惑う人々に対し、「一段安きに考えたる国民」とは…。

 「軍は国民を守らない。軍が守るのは国家という体制である」とは、よく言われることである。だが、「国民のために軍隊は存在する」として、その意見を必死に否定する一群の人々がいる。
 ならば、ここに示された東条英機という日本軍最高幹部のメモを見よ。それでも、軍隊があなたという一国民を守ってくれると、無邪気にも信じ続けようというのか。

8月17日(日)くもり

原発の 言い訳同じ どの国も

 17日の毎日新聞が、フランスでの原発関連施設の相次ぐ事故について、大きな記事を載せている。

事故相次ぐ仏の原発関連施設
放射能漏れ、波紋広がる

<記事リード>
電力の約8割を原子力発電に依存するフランスで7月、原子力関連施設の放射能漏れ事故が3件相次いだ。仏原子力安全庁は軽度の事故としているが、原発輸出を強力に進めるフランスでの事故だけに波紋が広がっている。ウラン溶液が河川に流出し、農作物補償などの訴訟問題に発展している仏南部トリカスタン原発(加圧水型90万キロワット4基)の周辺を歩いた。

 このリードに続いて、記事は同地方の事故の深刻な影響についてルポしている。
 まず、7月7日に起きたウラン溶液の流出事故。どこの国でも原発関連事故では「微量で環境汚染の恐れはない」と、政府や電力会社は判で捺したような対応をするのが通例だが、フランスとて例外ではない。仏当局は「世界的な原発事故基準で8段階の下から2番目のレベル1」とした。しかし、風評被害は深刻で、当地の農家の作物は、ほとんど売れなくなってしまった。
 地元ボレーヌ市は、原発会社に対し被害認定をやり直すよう、裁判所に提訴した。
 ほんとうに人体に影響はないのか。実は、仏放射線防護・原子力安全研究所は、事故直後の8日に、事故施設の近所の運河で1リットル当たり6万6900マイクログラムのウラン濃度を検出していたという。これは世界保健機関(WHO)の飲料水基準の同15マイクログラムの4千倍以上に当たるのだ。
 10日午後には正常値に復したというが、しかし地下水でコーヒーなどを飲んでいる地元の人々は、すでにこの水を使用した後だった。パニックが起こったのも無理はない。近所の井戸水は、21日になってもまだ41マイクログラムを示しているという。
 これが、原発の世界共通の現状なのである。
 同記事によれば、原発のブランシェー事業所長は、インタビューでこう答えている。

――発生から広報まで15時間かかっているが。
◆(略)早く気付くべきだったが、事態把握までは応急措置や検査があり、これくらいかかる。大げさに伝え住民をパニックに陥れたくない気持ちもあった。

――人体への被害は。
(略)生水を飲まないなどの措置は「用心のため」であって「危険なため」ではない。

 笑ってしまうぐらい、どこかで聞いたことのあるセリフだ。これと同じような回答を、私たちは日本の原発事故の際、何度耳にしてきたことだろうか。

 日本でもかなり大きな事故につながりかねない状況が、福井県おおい町の大飯原発3号機(関西電力、加圧水型118万キロワット)で起きていたことが判明した。

大飯原発3号機 1次冷却水配管ひび
内側深さ15㍉ 「応力腐食」か

(略)1次冷却水配管(外径約88㌢)の内側に想定を上回る深さ15㍉以上のひびが入っていることが15日、わかった。原子炉容器直近にある大口径配管で、この個所で深さ15㍉以上のひびが見つかったのは国内で初めて。外側まで貫通して穴が開けば大事故につながりかねず、本格修理を検討している。
(略)経済産業省原子力安全・保安院は、この部分の材質はひびができやすいため、原則10年に1度は検査するように通知しており、91年運転開始の3号機は、01年度に1度検査し、今回は2度目だった。通知どおり検査したにもかかわらず、深いひびができていたことから、保安院も問題視。他の同型原発についても検査間隔の短縮などの対策強化が求められそうだ。
(略)関電は、削り落とした部分を補うように新しい材質を貼り付ける「肉盛溶接」を検討。原子炉容器内の機器を取り出し、冷却水も抜く大規模な準備工事が必要で、国内では例がないため、慎重に検討している。
(毎日新聞8月16日)

 この「応力腐食割れ」とは、力のかかる部分の金属が必然的に腐食していくとされるもので、そのメカニズムも完全解明されているとは言いがたく、したがってそれへの抜本的対策も完成してはいない。そのことは、政府の原子力安全・保安院の「検査は10年に1度」という通知にもかかわらず、今回のように、たった7年ほどで、かなり深刻な「応力腐食割れ現象」が起きてしまったことでもよくわかるだろう。
 このような未解明の事例を多数抱えたままで、原子力発電所というものは運転され続けているのである。

 テレビCMでは、東京電力がしきりに「柏崎刈羽原子力発電所の地震による事故につきまして、その運転再開に向けて鋭意努力をしているところです」と訴えている。
 しかし、なぜこれを廃炉としないのか、私にはどうしても理解できない。
 そして、東海大地震の震源と予想される地域のど真ん中に位置するあの「浜岡原発」は、いまもなお…。

8月18日 はれ(月)

真っ当な人の言葉にうなづく日

 相変わらず、テレビでは
「やったやったっあーっ! ニッポンが、ついに、悲願のぉー金メダルーウッー!」
「ニッポン、惜しくもメダルに届かずーっ!!」
という実況(絶叫)中継が響き、新聞はどれもみんな(特に朝日は高校野球も加わって)スポーツ紙状態。いささかうんざりする昨今です。

 そんなとき、作家・石牟礼道子さんのインタビューに、目を惹かれました。真っ当なことを考える人がいて、それを伝えようとする真っ当な記者がまだいるのだな…と。
 石牟礼さん(81歳)は、その著書『苦界浄土―わが水俣病』(1969年刊、現在は講談社文庫収録)で、第1回大宅壮一ノンフィクション賞候補となったのですが辞退したという、硬骨の人です。
 朝日新聞8月18日付です。その一部を引用します。

(略)東京の街を見ると「あらあ、墓場じゃ」と思います。ビルがコンクリートの卒塔婆のように見えます。草がないでしょう。私が育った水俣のなぎさにはススキやギミの木、野生の菊、昼顔が生えていた。草花がいっぱい育ったところは呼吸がしやすいんですよ。
 水俣病を起こしたチッソは近代化の一つの象徴ですね。このごろチッソは「責任はもうよかろう」と言いよる。95年の政治解決で、1人260万円で決着したと。「それより後から出てきた患者は患者かどうかわからん」て言ってますよね。「いつまでも責任はない」と言わんばかりでしょう。魂消り(たまがり=驚き)ますね。患者さんは今からも苦しんでゆかれるのに。こんな世の中だから言えるのでしょうけど。
 誠心誠意の謝罪の気持ちと罪を償う気持ちが低い。日本人のモラルを低下させたお手本ですよ。(59年末にチッソが患者と結んだ)見舞金契約のときは患者さんに判子つかせるためにいろんな手を使った。「はよ押さんと見舞金をもらいださんぞ」と風評まで流して。(後略)

 「もういいだろう」「いつまで責任を取ればいいんだ」「謝り続けるのにも限度がある」「さっさと引っ込まないともう援助はしてやらんぞ」「ほんとうは被害なんか受けていないんじゃないか」…。
 どこかで耳にした言葉の数々。
 東京は、ビルの卒塔婆ばかりでなく、人間の心の墓場になってしまったのかもしれません。

(鈴木 耕)
目覚めたら、戦争。

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