080723up
ちょっと早めの夏休み。
先週はこのコラム、お休みをもらいました。(数少ない愛読者のみなさま、ごめんなさい)
私は、少なくとも年に一度は沖縄へ出かけます。もう20年近くも続けている、私の習慣です。
いつもは沖縄在住の知人友人、それにジャーナリストなどに会って、夜遅くまで(いやはや、沖縄の人たちの夜の強さには、まったく感心させられます)泡盛を酌みながら、いろんなことを教わります。それも、もちろん目的のひとつです。
でも、今回は那覇には立ち寄っただけ。あとは、別の離島でひたすら珊瑚礁の海に漂っていました。最近の自分の思考の在り方を、ここらで少し省みよう、なんて殊勝なことを考えたわけでは別にないのですが…(ま、少しはあったかも)。
ひたすらノンビリすることに決めての旅でした。それでも、現地の新聞を読みテレビを観ていると、否応なく現実に引き戻されます。
7月18日、沖縄の県議会で、とても大きな出来事がありました。むろん、このことに関しては、岡留さんが『癒しの島・沖縄の深層』できっちりと言及なさっているとは思います。
でも、私も書いておきたい。
それは、沖縄県議会が「辺野古への普天間飛行場移設反対を決議」したという画期的なものだったのです。
宜野湾市の街の中心部にある普天間基地は、“世界でもっとも危険な米軍基地”と言われています。市街地の住宅密集地のど真ん中に、どっかりと米軍の飛行場が居座っているからです。
ここで、この普天間・辺野古問題について、少しおさらいしておきます。
普天間基地のすぐそばにある沖縄国際大学のキャンパスに米軍ヘリが墜落し、まるで戒厳令のような状況を米軍が作り上げ、日本側の警察や消防が近づくことさえ許さずに、一方的な事故処理を行ったのは、2004年8月13日のことでした。それは、米軍基地という存在の危険性や不気味さを、改めて沖縄県民に(ほんとうは日本国民全員に、と書かなければならないのですが、残念ながらそれほどの危機感を、日本国民も政府さえ持っていないようです)思い知らせた事故でした。
もしこれが、大学構内ではなく、住宅密集地に墜落していたら、どれほどの凄まじい被害が生じていたことか。
(この事故については『沖国大がアメリカに占領された日』黒澤亜里子編、青土社刊、に詳しい)
この危険な基地を、沖縄本島北部の名護市辺野古地区に移転させようというのが、日本政府とアメリカ政府との合意事項です。しかしこの移転計画は、一度は名護市民の住民投票によって明確に否決されているのです。
1997年12月21日の「普天間基地の名護市辺野古地区への移転の賛否を問う名護市住民投票」です。この結果は、移転賛成45.3%、反対52.9%(投票率82.5%)というものでした。
ところが、当時の比嘉鉄也名護市長は、その住民投票の結果を無視して、辺野古への普天間基地移設を受け入れると発表。そして「住民投票への過程で、住民を2分する結果になってしまった責任をとる」という不可思議な理由で、辞任を発表したのです(97年12月25日)。
いったい、何のための住民投票だったのでしょうか。虚しさが、市民たちを襲ったのも無理からぬことでした。
漁夫の利の喩えどおり、翌98年2月の名護市長選では、基地容認派の岸本建男氏が当選するという結果になりました。
その岸本氏も、「基地問題を解決できなかったことは、ほんとうに残念だった」という言葉を残して、2006年2月に辞任。そして、直後の同年3月27日には死去してしまいました。その胸中は、どのようなものだったのでしょうか。
結果として辺野古への普天間基地移設を、経済効果波及の最終手段として受け入れざるを得ないという“苦渋の決断”をしなければならなかったとはいえ、心の奥底では「基地のない沖縄の発展」を祈っていたことは間違いないと、私は思うのです。
革新は基地反対、保守は基地容認、そんなふうに本土からは思われがちですが、そんな簡単な図式で沖縄をとらえることなどできるわけがない。
否応なく基地との共存を押し付けられている人々の苦悩を、左右で区分けする愚を犯してはなりません。
現在の島袋吉和名護市長もまた、切ない選択として基地受け入れを表明しているのでしょう。確かに、名護市の中心街を歩いていると、その活気のなさに愕然とします。(これは何も名護市に限ったことではなく、全国の地方都市に共通の現象ですが)。それを打開しようとして、基地経済に頼ろうとする行政手法も(私は正しいとは思いませんが)、ひとつの選択肢でしょう。
このような状況の中、今年6月8日に行われた沖縄県議選では、(後期高齢者問題や年金問題の影響もあったのでしょうが)、基地移転反対を掲げる野党が48議席中26議席を獲得、基地移転賛成の立場をとる仲井真弘多知事の与党(自民公明など)の22議席を圧倒したのです。
まさに、国会と同じような“ねじれ議会”が、沖縄にも出現したわけです。
そして、その象徴のような議決が、前述した「辺野古への基地移転反対」だったのです。
当然のこと、地元のすべてのメディアは大々的にこれを取り上げました。新聞は一面の大見出し、テレビニュースはトップ項目。
ところが、東京へ戻り、いわゆる“全国紙”を開いてみても、この“画期的な出来事”については、ほんの小さな記事しか見当たりません。よく言われることですが、“本土と沖縄の温度差”です。
地元テレビニュースでは、議会での騒然たる野次や怒号、歓声の様子が流れていました。
<基地固定化・環境破壊
辺野古移設反対を決議
県議会 野党の賛成多数で>
<V字案 初の「ノー」 議場「民意」に明暗
傍聴席総立ち 大歓声 県議会新基地反対決議
座り込みに勇気 流れ変わる
地元冷静 思い複雑 名護
怒号飛び交う県議会 県「従来方針」を強調>
これが、7月19日の「沖縄タイムス」の見出しです。県民の揺れる思いが見て取れます。
政府自民党は、相変わらず「野党は対案も出さずに無責任。では、普天間基地をこのままにしておいていいというのか」と、今回の沖縄県議会の決議を批判します。まったくいつもと同じ論法です。しかし、このリクツはおかしい。
私は、沖縄の人たちが「基地をこのままにしておいていい」と言っているのを聞いたことなどありません。
沖縄の人たちの言い分は、こうです。
「自分のところへ押し付けられた米軍基地はもうたくさんだ。しかし、その苦痛を国内のほかの地方の人たちにたらい回しにするわけにはいかない。アメリカと対等に交渉して、日本国内の米軍基地の軽減縮小を図るべきだ」
つまり、どこであろうが日本国内への基地移転そのものに反対しているのです。自分たちの苦しみを、ほかの県の人たちに肩代わりさせることを潔しとしない、ということです。
であれば、対案とはこうです。
「米軍基地は日本国内ではなく、とにかく少しずつでもいいから、自国(例えばグアム)などへ移転させるべき。国際情勢や日米の政治状況を見つめながら、無理なく縮小させなければならない。そのためには、基地の固定化につながる新基地建設など許してはいけない。それは、基地縮小という、沖縄県民の悲願に反することになるからだ」
当然の、あまりに当然の、そして、沖縄の人たちの、少しも贅沢な要求ではないささやかな願いと言うべきでしょう。
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