080702up
ときおり、カミさんにつき合って、近所のスーパーへ買い物に出かけたりします。荷物係です。もちろん、エコバッグ(この言い方、あまり好きじゃないけれど)持参です。
このところの食品(に限らないけれど)の値上がりは凄い。私みたいなものでも、スーパーでそう感じるのだから、毎日買い物をしているカミさんたちにとっては、身に沁みるはず。
少しでも安い品を見極めるために、売り場を行ったり来たり。結果、10円ほどしか値段の違いはないのですが、それでも安い品をGETしたときの満足げなカミさんの顔。
「そんなに違わないんだから、時間の無駄って気もするけどなあ」
「何言ってるの。見てご覧なさい。このところの値上げラッシュ。少しでも切り詰めなきゃ、この先どうすんの」
「そういうもんか」
「そういうもんでしょ、ほんっと、バカねぇ」
はい、バカです……。
これらの(特に)食品の値上げは、庶民の生活を直撃する。(特に)年金に頼って生活している高齢者たちを、打ちのめす。
そこへ、消費税アップの議論が不安を煽る。
いまさら言うまでもないけれど、消費税はどんな金持ちにも貧乏人にも、同じ率でかかる。ということは、貧乏な人ほど負担が重いということになる。1000円の買い物をすると、年収2千万円の人でも百万円の人でも、同じ50円を税金として取られます。
ここがどうしても納得のいかないところなのです。なぜ、金持ちも貧乏人も同じ負担をしなければならないのか。
福田首相は、6月17日の外国通信社とのインタビューで、「消費税についてはそろそろ決断のとき」と、消費税大幅アップに前向きな姿勢を見せました。しかし、同23日の記者会見では「2、3年とかの長い単位で考えたい」とトーンダウン。要するに、世論の動向を見て、有利な時期に決断したい、ということなのでしょう。
財政が逼迫しているのは分かります。なんとか新しい財源を確保したい、という気持ちは当然でしょう。しかし、もっと考えようがあるのではないか。
なぜ、一律の消費税率なのか?
私は、物品別の消費税率を導入するべきだと思うのです。
つまり、品物(もしくは値段)によって消費税率を変えるべきではないか。例えば、スーパーなどの食品は消費税ゼロにする。洋服その他の日用品も、1万円以下の品には税金をかけない。
また、電気ガス水道の料金も、その使用量によって消費税率を変える。一般家庭は消費税ゼロ。大量使用する工場や事業所には、その使用量に応じて10%~30%の税をかける。これは、なんとかして使用量を減らそうという企業努力を推進することにもなり、省エネにもつながるはずです。
その上で、100グラム5千円の霜降り牛肉、1玉2万円の高級メロンなどという(一流料亭でしか使わないような)高級食材には、20~50%の消費税をかける。
宝石や絵画、高級ブランドの靴や服やバッグ、超高級車なんかには、目ン玉が飛び出るほどの税金をかける。物によっては50%~60%ぐらいかけてもいいんじゃないか。
こうすれば、高額商品なんかに縁のない人たちは、ほとんど消費税を払わなくても済みます。少なくとも、現在より5%分は支出を減らすことができるわけです。
ささやかに暮らす庶民。1万円以上の洋服なんか買ったこともない。ブランド牛の肉なんか見て楽しむだけ。そんな人からは税金を取らず、何とかタワーに暮らす“超セレブ”な人の高額なお買い物には、それなりの消費税を払ってもらう。
なぜこうした意見や政策が、政治家や官僚たちから聞こえてこないのか。彼らは、とにかく税収を確保することしか考えていない。それには、取りやすいところから取る。それだけなのでしょう。
そして、高額商品を買ってくれるセレブな方々が、そういう政治家たちを後押しする。
やはり、どこか間違っているのです。
昨日(25日)の新聞に、気になる記事を見つけました。
<原発検査、新制度へ
間隔の延長可能に>(朝日新聞)
記事の内容を要約すると、経済産業省原子力安全・保安院が、これまでは13ヵ月ごとに実施してきた原発の定期検査を、今度は最高2年間まで延長できるようにという省令案をまとめた、というものです。
「えっ!?」と、思わず首を傾げました。
あの柏崎刈羽原発の震災被害以降も、各地の原発で事故や不具合(この言葉もヘンですねえ)が続発しているのは周知の事実。しかも、地震対策の基礎となるべき「活断層の特定」すら、なかなかうまくできていないという状況にあります。
この柏崎刈羽原発や島根原発などの周辺の活断層についてはその大きさや長さなどが、電力会社や経産省の調査によっても二転三転しているのが現状です。
特に島根原発では、発表のたびに活断層の長さが伸び、専門家からは「活断層がこんな短期間に“成長する”なんて話は、聞いたこともない」と呆れられたほどなのです。
そんな状況にあるというのに、これではまるで逆行ではありませんか。
記事はこう結ばれています。
<保安院は、一律に点検や部品交換する現制度は科学的根拠が薄く、新制度で安全性が高まるとしている。ただ、地元からは安全性への不安や説明不足を指摘する声が上がっていた。>
巨大地震到来の危険性が、繰り返し指摘されています。そんな中で、点検期間を伸ばしてしまうことのどこが、「安全性が高まる」というのでしょうか。
むしろ、来るべき地震に備えて、こまめに補修点検を繰り返すのが、災害を防ぐ(それも怪しいものですが)最低限の仕事であるはずです。
やっぱり、「国民の命よりも企業の収益」ですか?
私は、少なくとも、巨大地震で最も深刻な被害を受け、最も深刻な放射能災害を国民にもたらすであろうといわれている「静岡・浜岡原発」即時停止こそが、最大の地震対策だと考えているのですが。
6月27日(金)くもり
毎日新聞(26日夕刊)の「特集ワイド」というページで、日野原重明さん(聖路加国際病院理事長・96歳)が、映画監督の日向寺太郎さん(42歳)と、映画『火垂るの墓』(野坂昭如原作、7月5日公開)について、対談をなさっていました。
その中で、日野原さんの仰っていることが、胸に沁みました。
<私はここずっと、小学生を対象にした「いのちの授業」などで、精力を込めて平和の大切さについて講演しています。それは、戦争を体験したお年寄りがどんどん亡くなってきているからです。いまは、戦争を忘れ、憲法9条まで変えようという体制になってきている。戦争は人の命を取る。「火垂るの墓」で描かれたように、軍人だけでなく、市民が犠牲になるんです。>
『戦争を知らない子どもたち』(北山修・作詞、杉田二郎・作曲)というフォークソングが流行ったのは、1971年のことでした。北山修さん(元フォーククルセイダース)が、当時のベトナム戦争などへの、反戦の思いをこめて作詞したものだったそうです。
作曲した杉田二郎さん(元ジローズ)は、「私たちの子どもたちも、ずっと戦争を知らない子どもたちであってほしい」と、語ったということです。
しかし、最近の“戦争を知らない大人たち”の一部が、“9条を変えて戦争を知ろう”という方向へすすんでいるような気配。それを、日野原さんは、とても危険だと感じているのでしょう。
背筋の伸びた大老人の言葉を、私たち“大人”ももっと噛みしめるべきです。
6月29日(日)雨
アメリカが、北朝鮮の核計画の申告を受け、ついに「テロ支援国家」の指定解除に踏み切った。
メディアは連日、この問題について侃侃諤諤、やたらとうるさいけれど、なんだかちっとも正解が見えない。テレビでも、訳知り顔の“有識者”たちがいろんなことを語っているが、どれもストンと私の胸には落ちてこない。
以下、私には解けない疑問を列挙してみる。もし、これらに明快に答えられる方がいたら、ぜひお教えいただきたい。
思いつくままに、とりあえず21の疑問をあげてみたが、そのほかにも、まだまだ私には分からないことだらけだ。
これらの疑問が、すっきりと解決される日などすぐに来るとはとても思えないが、ひとつずつ問題を片付けていかない限り、拉致問題の解決もありえない。
ただ、日本のアメリカ追随の外交姿勢が、ここに来て完全な破綻を見せたということだけは事実だろう。
今日で6月も終わりです。ということは、2008年もちょうど半分が過ぎたということです。
なんともビュンビュンと刻の過ぎるのが早いような…、なんだかノタノタと遅い歩みのような…。
それにしても…。
またも牛肉やらウナギやらの、偽装頻発。
相変わらずの官僚天国、居酒屋タクシー。
さらに明らかになった560万件の不明年金。
電気料やガス代の値上げ。
それに伴う日用雑貨や食品の値上げラッシュ。
失業率のアップ。
親族による家族殺害事件の多発。
ネット上の「アキバ事件」模倣メール。
府中市のホームレス殺害事件(27日)いちばん腹がたつ!
でも、いいことも少し…。
「集団的自衛権についての報告書」を首相が無視(24日)。
普天間基地騒音訴訟で、原告側が(一部)勝訴(26日)。
諫早湾干拓訴訟で、原告側(漁民等)勝訴(27日)。
今年の後半は、いいことがもっとたくさんありますように。
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