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それにしても、この人の信念は凄い。誰がなんと言おうが、「死刑という制度がある以上、それを“粛々と”推し進めるのが、私に課せられた務めだ」と、思っているらしい。
むろん、鳩山邦夫法務大臣のことです。
彼が法相に就任したのは、2007年8月27日の安倍晋三改造内閣でのこと。それからまだ10ヵ月も経っていないのに、鳩山法相はなんと13人もの死刑を執行したのだ。こんな法務大臣は、かつていなかった。
鳩山氏の前の法相は、長勢甚遠氏であった。この人も、死刑執行に関しては、はっきりとした姿勢を見せていた。
安倍内閣が華々しく発足したとき(2006年9月26日)に法相に就任。翌07年の安倍内閣改造でその職を去るまでの11ヵ月間に、10人の死刑を執行したという“実績”を持つ。
死刑執行命令書にサインをしまくる法務大臣が、安倍晋三首相によって2代にわたって登用されたのだ。そのおふたりが1年8ヵ月間で処刑を命令した死刑囚は、合計23人。
今回の宮崎勤死刑囚を含む3人の死刑執行は、明らかに「秋葉原事件」を念頭に置いたものだといえよう。
死刑は、判決確定からほぼ平均8年後に執行されているという。それがいままでの実態である。ところが今回、宮崎死刑囚は06年1月17日の死刑確定から、わずか2年余で刑が執行された。なぜこんなに急いだのか。
それはやはり、秋葉原での無差別殺傷事件があったからではないか。この事件で盛り上がるであろう“死刑肯定論”や“厳罰待望論”を背景に、超党派の議員たちが進めている「終身刑新設論」に、水をかける意図が感じられるのだ。
死刑とは、“国家による殺人”である。どう言葉を飾ろうが、それは紛れもない事実だ。
そのことに疑問を持つ人たちがいるのも当然だ。終身刑は、死刑に代わる最高刑として、死刑廃止論者たちの有力な論拠となりうる(むろん終身刑設置論者のなかには、死刑は存続させたまま終身刑新設を、と主張する人たちもいるけれど)。
2009年5月から裁判員制度が始まる。今回の宮崎勤らの死刑執行は、それに向けて、死刑制度を絶対に維持したい、あるいは、死刑判決を下すことへの裁判員たちのアレルギーを軽減しようという、法務省と法相の合作と考えて、まず間違いないだろう。
世の中を震撼させた宮崎事件の記憶がまだ鮮明であるうちに、そしてアキバ事件が追い風になっているうちに、死刑の必要性をアピールしておく。これが彼らの真意だろう。
死刑存続の世論が、政府行政の手で“粛々と”作り上げられていくことに、大きな疑問を感じる。
死刑が重大犯罪の抑止力にはなっていないというデータがある。逆に死刑を望んで大量殺人を犯す事例も、最近、日本では相次いでいる。世界の大勢や国連も、死刑廃止の方向にある。
いつもは「世界の趨勢はこうなっている。だから日本もそうすべきだ」と繰り返す官僚や政治家たちが、死刑制度に関してだけは、“世界の趨勢”に背を向ける。なぜなのだろう?
「特に時期を選んでいるわけではない。正義の実現のために“粛々と”執行している」(読売新聞6月17日)と、鳩山法相は記者会見で述べている。
ああ、ここでも“粛々”か。
先週もこの日記で触れたけれど、“粛々”という言い回しには、寒気がする。
床屋さんに行ってきました。頭の周辺はさっぱりしましたが、頭の中は妙にモヤモヤ。帰宅して夕刊を見ていたら、大きな見出しが目に飛び込んできたからです。
<自殺 10年連続3万人超
30代・高齢者、最多に>(朝日新聞6月19日夕刊)
記事のリードにはこうあります。
<昨年1年間に全国で自殺した人が前年比2.9%増の3万3093人で、統計が残る78年以降では03年に次いで過去2番目に多かったことが19日、警察庁のまとめでわかった。60歳以上の高齢者や、働き盛りの30歳代がいずれも過去最多だった。自殺者が3万人を上回ったのは98年以降10年連続。>
年間3万人超、それが10年も続いている。10年間では30万人以上の人が自ら命を絶っていることになる。30万人超!ですよ。
これを、ベトナム戦争(1961年にアメリカが本格的にベトナムに介入。1975年4月のサイゴン陥落により、終結)での米軍兵士の戦死者数約5万8000人と比べてみるがいい。日本では、戦争もないのにたった10年間で30万人以上も死んでいる。
これを異常と言わずに、何と言えばいいのでしょう。
しかも、高齢者や働き盛りの年代に増加傾向が見られるという。政府が推し進める後期高齢者医療制度、財界が求める雇用制度(派遣やパート雇用)やリストラ策などに追いつめられた人たちの哀しい姿が浮かぶ。
自殺原因の最大のものは健康問題です。その中でも「うつ病」が最多。働く環境がうつ病を多発させている状況が浮かび上がる。次に多いのが経済問題。失業やサラ金、多重債務などが自殺への引き金となっているのです。
うつ病を発症する原因には、むろん、経済問題も含まれるだろうから、実際は経済的に逼迫した上での自殺は、統計上の数字よりも多いのではないかと思われます。
早くこの雇用問題に手を打たなければ、自殺者は決して減らない。少し古い統計だが、2006年には、非正規雇用者が1677万人、全雇用労働者の33%にのぼっている。また、年収200万円以下のいわゆるワーキングプアと呼ばれる層が、1000万人を超えた。(総務省統計局「労働力調査詳細結果」)
日雇い派遣とか、偽装請負とか、若者(に限らないが)の労働環境は劣化するばかりだ。政府も財界も官僚たちも、口を開けば「国際競争力の維持のために、賃金の抑制は必要」と唱えます。
夜、テレビを観ました。『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中』(日本テレビ系)です。
出演していた佐藤ゆかり自民党衆院議員は「とにかく景気をよくして雇用を確保することが重要」との意見を述べていました。相変わらずの論理です。
しばらく前の『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)でも、同じ自民党の世耕弘成参院議員が、しきりに「非正規社員は、もっと仕事のスキル(技術、技能)を磨くべき。そうすれば正規雇用の道も開ける」と能天気な意見を述べて、出席者の雨宮処凛さんや湯浅誠さんを唖然とさせていました。
これが、自民党若手議員の実態なのです。
企業が儲ければ景気は回復する。そうなれば、労働者の賃金も上がる。それまでは、非正規社員や派遣社員は我慢しなさい。正社員になれないのはアンタの努力不足、もっとガンバリなさい。
これが元経済評論家や元企業広報マンで現自民党議員の方たちのリクツです。どこを向いて話しているのか、よく分かります。
アキバ事件は、何かの始まりなのかもしれません。
6月21日(土)くもり
ああ、またか、と思う記事が載っていた。
相変わらずの、ダム計画のお話。
<国土交通省近畿地方整備局は20日、淀川水系で4ダムの建設を盛り込んだ河川整備計画案を発表した。ダム計画については、同整備局の諮問機関「淀川水系流域委員会」が「不適切」と疑問視する意見書を4月下旬に提出、対立が続いていた。(中略)
同計画では、今後20~30年間で取り組む整備事業の具体策を決める。建設や再開発の計画が盛り込まれたダムは、大戸川(大津市)▽天ヶ瀬(京都府宇治市)▽川上(三重県伊勢市)▽丹生(滋賀県余呉町)の4ダム。(中略)
形式が決まっていない丹生ダムを除く3ダムの総事業費は計約2740億円(以下略)。>(朝日新聞6月21日)
この4ダムは、国交省が自ら設置した諮問機関「流域委員会」(各分野の専門家や住民たち24人で構成)が、治水効果などの必要性がなく無駄だとして、「不適切」との意見書を出していたダムなのです。つまり、国交省は自分たちが要請した審議会の答申の中身を、自分たちが否定してしまった、というわけです。
専門家や地元住民に、不必要と判断されたダムを、国交省はなんとしても造りたい。それに要する費用は3ダムで約2700億円。もうひとつのダムを加えれば、4000億円近くになるでしょう。そして、造り始めると必ず予算オーバーするのが通例ですから、これが5千億、8千億と膨らんでいくのは必然です。
一度立てた計画は、どうあっても貫徹する。官僚国家日本の典型例でしょう。計画が無残な姿をさらけ出すころには、もう立案した官僚どもはどこかへ天下り、のうのうと左団扇の生活をしているというわけです。
数千億円の金を、自らの諮問機関が不要と判断したダムに注ぎ込む。泣いている後期高齢者の医療費は削減しようとし、消費税の大幅アップすら匂わせながら、なぜこんなダム計画をやめようとしないのか。
この人たちの頭の中には、“利権”や“天下り”しかない。
官僚天国は、庶民にとっては地獄なのです。
今日は、沖縄「慰霊の日」です。
沖縄は先の大戦で、日本では唯一地上戦が行われた場所。ほぼ20万人、沖縄県民の4人に1人がこの戦闘で、命を落としたことになります。
6月23日は、沖縄での組織的な戦争が終結した日だといわれています。(森林や山中に逃げ込んだ日本兵や住民たちが、散発的な抵抗をこの日以降も繰り返した、とも言われていますが)。その日を「慰霊の日」と定めたのです。
歴史に「もし」は許されませんが、もし、この日をもって大日本帝国があの戦争を終結させていたなら、沖縄で死んだ人々も、少しは救われたかもしれません。しかし、ご存知のように、「徹底抗戦・本土決戦」を叫ぶ軍部は、戦争継続を図りました。
その結果、8月の広島・長崎の原爆という世界史に残る悲惨な結末が、日本を襲ったのです。沖縄の住民を巻き込んだ戦闘も、東京を始めとする大空襲の膨大な死者たちも、軍部や政府の指導者たちの妄想を覆すことはできなかった…。それが、広島長崎に続いたのです。
『ひろしま』(石内都、集英社刊、定価1890円、08年4月30日発行)という写真集があります。
明るい照明の下の衣服の写真が、淡々と何の説明もなく映し出されているだけの写真集です。(焼け爛れた腕時計や眼鏡、靴、ガラス瓶、入れ歯などの写真も数点あります)。
衣服は、それだけを見ればかなりモダンなものも多い。これを着ていたであろう可愛い少女の姿も、目をつむれば浮かんでくるような気がします。しかし、これを着ていた人間たちは、ひとりも生き残ってはいない…。
撮影した石内都さんは、あとがき「在りつづけるモノ達へ」の中で、次のように書いています。
<(前略)広島平和記念資料館は、常設展示室と収蔵庫に、約1万9千点の被爆死した人の遺品と被爆した品物が大切に保管されている。その中から、肌身に直接触れた品物を中心に選んで撮影する。
東京から運んできた人工の太陽(ライトボックス)にかざすようにしてワンピースをソッとおく。生地が織られ、裁断され、縫い合わされて、その日の朝に着ていた背景が浮かび上がる。戦争と科学の実験の場にされた町に遺る品物は、何も語らず、ただそこに在るだけなのに、ディテイルの過激な陰りと裏腹に、鮮明な彩色と上質な衣布(ぬのごろも)のテクスチャーに思わず息をのむ(後略)>
眼が、いつの間にか、衣服の内側の消えてしまった人間を見ています。耳が、その人間の鼓動を聞いています。
毎日新聞(6月19日夕刊)が、この写真集をカラー半ページで大きく特集していました。
そこに、スタイリストの高橋靖子さんが、次のように書いていました。
<(前略)その服たちは失われた命と同じようにひとつとして同じものはない。柔らかなひかりにうかびあがった服は幸せの残照のようで、ページをめくりながら私は静かに泣いた。>
沖縄も、そして広島も長崎も、次第にその記憶を持つ人たちは少なくなっていくでしょう。しかし、ここに遺された物たちは、何度でも甦って戦争を語り続けます。
核兵器を含む、あらゆる非人道的兵器(「人道的兵器」などという言葉は、明らかに言語矛盾です。兵器はすべて非人道的です)が、なくなるときまで。
(鈴木 耕)
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